討伐が終わっても忙しい
ブラックドラゴンの首が派手な音を立てて落ちた。断面を魔法で焼いて止血する。『ドラゴンの生き血が勿体無い』とかそう言うのではなく、ドラゴンの生き血が地面に染み込み、別の魔物を引き寄せる原因となる事を防ぐ為だ。地面に広がったドラゴンの血は魔法で焼くか、持ち帰るの二択だ。
少し考えてから、刳り貫いた地面を凍らせて回収した。突然変異した植物の一つに、『ドラゴンの生き血が染み込んだ土が原因で変異した』と言うものが存在した。
ポッター所長を筆頭に、研究所でも『調べたい』と言う声が上がっていた事を、たった今、思い出した。
地面が固ければ魔法で砕けばどうにかなる。刳り貫いた地面は道具入れに仕舞った。
ブラックドラゴンの本体も、解体所に転送したいんだが、てんてこ舞いになっていそうな解体所にこんな大物を持ち込んだらどうなるかは、火を見るよりも明らかだ。
ギルドマスター以下、全員で呆然とする。そして仕事にならない。
ポッター所長だけは微笑んで、仕事の差配を行いそうだが、肝心の動ける奴がいなさそうだ。
ブラックドラゴンは状態維持の魔法を掛けてから氷漬けにし、道具入れに仕舞う。
周辺の調査を行い、幸いにも変質していた部分は無かったので、王都へ帰還した。
冒険者ギルドの解体所は、蜂の巣をつついたような大騒動となっていた。
一体どこで聞き付けたのか。
商人は『ワイバーンの肉を早く捌いて売れ』と受付で喚き、薬師ギルドに所属する王都在中の薬師は『ワイバーンの生き血は何時売りに出されるのか』と受付担当者の胸倉を掴んで回答を迫っていた。
武器の鍛冶職人は、受付担当者にワイバーンの素材の販売が何時行われるのかしつこく質問するものと、資金を幾ら出し合うか話し込むグループに分かれていた。そんな彼らに、黒い笑みを浮かべた高利貸屋が熱い視線を送る。
たまたま居合わせた冒険者は『ワイバーンを一目見たい』と受付に作業場の見学を求めていた。
気配を消して解体所の受付を通り過ぎ、奥の作業場へ向かった。
怒号が飛び交う作業場は慌ただしかった。
邪魔にならないように作業場を歩き、ここにいる筈のギルドマスターを捜す。壁際にはおらず、作業場の更に奥へ行くと、ブラックドラゴンの一対の翼の前で、ギルドマスターはポッター所長と一緒にいた。
声を掛けてから近づくと、難しい顔をした二人に迎えられた。
受付所の現状を教えると、ギルドマスターは頭を抱え、ポッター所長は苦笑する。
「気が早いにも程があんだろ」
「おやおや。どうしますか?」
「どうもこうもない。作業がまだ終わっていねぇんだ。……受付で騒いでいる馬鹿は帰らせる。ナタリア、受付で何時ものアレをやってくれ」
「はいはい」
ギルドマスターからの直々の頼みだ。断る理由は無いし、受付所の仕事にも関わる。何より、このあとにはブラックドラゴンの本体が待っている。
仕事を滞らせる原因の除去程度なら手伝っても良い。
ギルドマスターと一緒に受付所に戻った。
受付所で、人間の精神を一度強制的に落ち着かせる魔法『鎮静』を使い、騒いでいた面々を一瞬だけ、呆けさせる。皆が呆けたその一瞬を突くように、ギルドマスターが怒声を上げて、関係の無い人間を追い出した。
関係者だけの空間になったら、受付所の前に通常の二倍の人数の警備員を呼んで立たせた。
これで少しの間は持つだろう。
ギルドマスターと一緒に作業場に戻る前に、受付所で必要な手続きを行った。
戻りの道中で、三つ角のブラックドラゴンを氷漬けにして持って来た事を教える。
「ブラックドラゴンの氷漬けか。ワイバーンですら解体が終わっていねぇからな……。色々と言いたいが、ワイバーンの解体に集中出来るのは良いな」
「氷漬けにした事に関して、何か言われると思っていたんだけど」
主に、ブラックドラゴンの鮮度についてあれこれと言われると身構えていただけに、何も言われないので拍子抜けした。
「流石に今回は、二百体以上のワイバーンでお釣りが来る。それに、三つ角だったんだろ? その角だけでも十分だ。そういや、ナタリア。討伐はアッシャー伯爵家の功績にするのか?」
「いいや。散財で家計が傾いている家を助ける気は無い。二年か、三年もほっとけば、勝手に借金で潰れる。学費も全額自力で稼いだから、あの家から貰うものなんてもう無いよ。。何より、縁を切る予定だったから助ける気は無い。それ以前に、冒険者ギルドで請け負った仕事を功績に出来ないでしょ」
母と兄姉の三人の散財が酷くて、家計が大分傾いているのは知っている。二年・三年と言ったが、一年持ち堪えれば良い方だろう。自分が卒業するまでに没落する見込みだ。
母の出身を悪く言いたくはないが、この散財っぷりを見るに男爵家が没落したのって、この母が原因じゃないかと勘繰ってしまう。母の母、自分から見た母方の祖母は踊り子だったって聞くし。
「角を全部献上すれば行けるんじゃねぇの?」
「オークションに出せば、客寄せの目玉商品になるのに、献上品にするなんて勿体無いよ。そもそも、こっちは尻拭いで仕事を引き受けたんだよ。何で献上品にしなくちゃいけないのよ」
角が勿体無いと、ギルドマスターに向かって言い放った。
「……お前は不敬について、考えた事はあるのか?」
「無い」
「そうか」
断言したらギルドマスターは天井を仰いだ。
作業場に戻るなり、先に転送していた翼にも本体と同様の処理を行い、ブラックドラゴンの翼は自分が引き取った。
回収したドラゴンの血が染み付いた地面はポッター所長に渡した。研究所の職員一同は非常に喜んでいた。
このあと、ワイバーンの解体は順調に進んだが、終了するまでに五日も時間を要した。
解体所の職員が丸五日もフル稼働した結果、二百体以上のワイバーンの解体が終了した訳だが、この次にブラックドラゴンの解体が控えている。次の仕事は職員に休息を与えてからだ。
そして、ワイバーンとブラックドラゴン討伐から十日が経過した。
これだけ時間が経過しているのには、理由はある。解体職員にも休息を与えなければ、何時過労で倒れるか分からない。実際に、過労で様子のおかしいものが何人かいた。
解体職員が五日間休んでいた間もだが、この十日間、王都では上へ下への大騒動が発生していた。
貴重なワイバーンの素材が販売される事になったのだ。多くの商人を始めとした人々がワイバーンの素材を買い求めて冒険者ギルドに殺到した。解体が終わった素材から順に販売されると思ったんだろう。違うのに。
ギルドマスターが直々に出張って、その全てを捌いた。流石に買い求めに来た面々も、ギルドマスターが対応に出て来るとは思わなかったらしく、皆揃って委縮していた。
ワイバーンの素材はその貴重さから、最低でも大金貨五枚(大金貨一枚で金貨十枚になる)からの販売となった。ワイバーンの爪の一本長さは五十センチもある。でも、爪一本で金貨五枚は強気な金額設定だ。生き血に至っては、二百ミリリットルで白金貨三枚(大金貨に変換すると十枚で、金貨だと百枚)と超強気な設定だ。多分だけど、これは受付所で騒いでいた人達への嫌がらせも含まれている。とは言え、王都に拠点を構えているような人なら買えない金額ではないのも確かだ。
仮に『高過ぎる』と苦情が来ても、ドラゴンの中でも特に個体数が少ない、ブラックドラゴンが生み出したワイバーンを解体して得た素材だ。これが、比較的個体数が多い赤・青・緑のドラゴンが生み出したワイバーンだったら高過ぎるけど、生みの親がブラックドラゴンなので、この金額はある意味妥当なのだ。
親のブラックドラゴンを解体して素材にしたら、値段はこの五倍に跳ね上がる。
ワイバーンの値段を下げて、馬鹿な人の資金を枯渇させてからブラックドラゴンを売り出すとか、そんな事はしないんだけど、結果的にはそうなる。
売りに出されたワイバーン素材は、討伐から七日目になった日に売りに出され、僅か三日で完売した。
冒険者ギルドの利益が凄い事になったらしいけど、解体に携わった職員の臨時ボーナスになった。
そうそう。
ワイバーンを狩る為に、イーグリィ王国に押し掛けて来た他の国々がどうなったかと言うとね。
結果としては、イーグリィ王国が狩ったワイバーン二十数体を分け合い、高値で買い取った。タダで譲らず、高値で売ったところを見るに、国王は押し掛けられた事について怒っていたな。その証拠か不明だが、冒険者ギルドから優先的に購入する権利も与えなかったらしい。
これらの事で冒険者ギルドはおろか、自分にすら苦情が来なかったのは、恐らく国が対応した結果だ。
何せ、冒険者ギルドが動くタイミングについて話し合わなかったし、意見を出さなかったのは向こうだ。忖度してやる義理は無い。
抗議した他国の人間を全員を帰らせてから、遂にブラックドラゴンの解体が始まった。
討伐が終わってから十五日(薬師ギルドとの協議を急遽行う事になり、五日も時間が掛かった)も経過している。状態維持の魔法を掛けたうえで氷漬けにしていたので、ブラックドラゴンの状態自体は良い。
問題は、『解体現場を見たい』と国王が我が儘を言った事ぐらいか。
ギルドマスターは見学に当たり『騒がない・邪魔をしない・質問類は一切受け付けない・指定の服装に着替えた上での見学である』事の四つを条件に出し、これらを必ず守るとギルドマスターが誓約書のサインを国王に求めた。
国王が自ら誓約書にサインした事で見学の許可が下りた。
サイン現場を見た近衛騎士達はギルドマスターを睨んでいたが、誓約書にサインを求めた理由を知ると渋々と言った顔になった。
国王が『ドラゴンを切って見たい』などの我が儘を言い出す可能性がある以上、事前の説明と我儘を聞き入れない事を予め言っておかねばならない。こんな事を言わねばならないのは、国王は魔物に襲われても『嬉々として立ち向かう』性格をしているせいでもあった。
近衛騎士共よ。アンタらの主は割と狂犬系なのだ。それを理解してくれ。