カッパドキア 上
日本人は、世界三大〇〇と呼ばれるものが大好きだ。
俗に世界三大美女と呼ばれるものも、日本以外での知名度は高くない。妲己、マリリン・モンロー、卑弥呼と名だたる美女の中にわざわざ日本人をランクインさせているからには、それはそういう扱いになろうものである。
そんな日本人が大好きな世界三大うんたかの中に、世界三大料理というものがある。
中華、フレンチ、そしてトルコ料理。
日本人にしては珍しいことに、この枠組みの中に和食は入っていないのだ。
食にうるさい日本人だからこそ、和食をランクインさせられなかったのかもしれない。
しかし、フレンチや中華に比べてトルコ料理というものは中々食べる機会がない。
そんなわけで唐突にトルコ料理を食べてみたくなった私は、たまの休みを使ってトルコに行ってみることにしたのだった。
私が普段住んでいる東京都○安市から電車で県を跨いで川○駅。
そこから徒歩8分の駅ビルの地下にトルコという国はある。
件の駅ビルに到着し、地下への階段を降りていく。すると、目の前に食欲をそそるスパイスが香り立っていた。同時に香るトマトの匂いに、これはトルティーヤではないかと当たりをつける。
トルティーヤはトルコの伝統料理であり、トルコの名を冠することが許される程にトルコ人のソウルフードとして知られている。
スパイスは手にしたこよりを持って近づいてくると、鼻腔をくすぐってきた。
くすぐられるうちに私は笑いを抑えきれず、陽気な気分になる。
気がつけばスパイスは胃の中に潜入しており、ピリリとした後味だけが口内に残っていた。
余談だが、スパイという単語には本来「潜む者」という意味がある。
スパイスの語源はそこから来ている。食事の中の隠し味であるということらしい。
とっとっとー。とるこっこー。
私は名残惜しくもトルコ行進曲を口ずさみながら、トルコへの扉に手をかけた。
扉を開けると、燦々とした日差しが照りつける……と言ったことはなく、冷房の効いた巨大ショッピングモールの中だった。
周囲には様々なトルコ名物の店が立ち並んでいる。
トルティーヤ、トルコライス、トルコ割り人形……異国情緒溢れるそれらに、思わず目移りしてしまう。
店先に並ぶ商品を眺めていると、店の中から流暢な日本語でいよっ、スルタン!などと威勢の良いお出迎えの声が聞こえる。
スルタンとはトルコの首長を表す言葉だが、そんないよっ、大統領!みたいなノリで使われるものなのだろうか?
ここは数あるトルコへの入り口の中でも日本から訪れる人が多いせいか、日本語が普通に通じるようだ。
そもトルコとは、世界有数の親日国で有名である。
その親交の歴史は深く明治時代にまで遡り、特に日本近海で座礁したトルコの船から地元民が彼らを残らず救出した事件は今でもトルコの人達にとっては語り草になっている。
そのため日本人には和やかな顔をしているトルコの人ではあるが、その他の国の人達に対してはそうでもないようだ。
向こうで買い物をしていたイタリア人が、お釣りをもらおうとして開いた手のひらにツバを吐かれている。
当然イタリア人は怒り狂った。
f○ckfu○k、チュニス経由でシリアにレパントすんぞとお国のスラングを店主にぶつけ、店主も大量のツバと少量のゲ、口で応戦する。言葉と吐瀉物のぶつかり合いはやがて拳と拳の応酬となり、乱闘騒ぎが始まった。
遠巻きに眺めていると、声をかけられた。
声の方を見てみれば、ハッピを着た陽気なおっちゃんが箱を持って立っていた。
「乱闘見るならこれがないとね」
と、手に持ったのはトルコ名物乱闘ラングドシャ。
乱闘が始まるとどこからともなく出てくる乱闘ラングドシャ販売員はトルコ七大七不思議の一つだ。
トルコ七大七不思議、七つでいいのか四十九あるということなのかというのも、七不思議のうちに入っているらしい。
名物なのかと気になった私は、試しに一つ買ってみた。
そのままの勢いで齧ってみれば、とても不味い。
サクサクのクッキーの中にゴムが挟まっているような味と食感だ。
名物だからと言って、良い面だけで知られているわけではない。
悪名でだって名物たりうるのだ。
私はこれも教訓だと、それをむぐむぐと噛み締めることにした。
なお、この味で生計が成り立っていることもまた七不思議の一つらしい。
そうこうしているうちに、三ラウンドもの間続いていたイタリア人観光客と店主の喧嘩は終わっていた。
乱闘に参加していた人達が輪になって彼らを取り囲んで拍手を捧げている中、両者は健闘を讃えあうかのように握手を交わそうとする。
いや、直前に店主が手のひらにパイナップルを握り込んでいた。
イタリア人にとってパイナップルは劇物。
当然の如く彼は怒り心頭になり、四ラウンド目の闘争が幕を開ける。
私はショッピングモールを後にした。
忘れてはいけないことがある。
今回の私の目的はトルコ料理を食べることなのだ。
ショッピングモールにも様々なトルコ料理は並んでいたが、そうではない。
高い金を払ってチェーン店に入るようなもの、と言えば伝わるだろうか。
ああした観光名所で食べられる料理は観光客の下に合うようにチューンされた偽物だと私は思っている。
本物のご当地グルメというのは現地の人たちが磨き上げ、彼らの舌に合ったものだろう。
それを味わわずして旅行と呼べるものかという話なのだ。
とくれば、目指すは人の多い所だろうか。そこそこの都市の路地裏とかが良い。
"路地裏にある店が全ていい店だとは限らないが、いい店は全て路地裏にある"とニーチェも言っていた。
ショッピングモールで貰ってきておいたパンフレットによると、ここから然程遠くない場所にイスタンブールがあるようだ。
イスタンブールといえば、言わずと知れたトルコの首都である。そこそこの都市でも良いと思っていたが、大きいならそれに越したことはないだろう。
大は小を兼ねると言うし、人は大きいものが好きなのだ。
イスタンブールは海に面した一大交易都市である。
そのため船で行くルートが主流となるが、ここからなら砂漠を突っ切っていくのが早いようだ。
連絡バスも出ているようだが、ここはせっかくの旅行。
普段できない体験をしたい、ということでラクダで移動してみる事にする。
この時間帯ならラクダで移動しても、夕食の時間までには余裕を持って到着できるだろうとは現地の人の言だ。
早速近くの厩舎でラクダをチャーターする事にする。
窓口でラクダをチャーターしたい旨を伝えると、奥に案内された。
奥の部屋はガラス張りで、その向こう側に直接借りるラクダの姿を確認できるようになっている。
驚いたのが、一般的に厩舎と聞けば柵で区切られた木造の小屋の中に藁が敷き詰められたものを想像するだろう。しかしラクダの厩舎はその限りではない。
小屋は石造りで、ラクダ同士を区切る柵もガラスになっていた。下には砂が敷き詰められている。
トルコを含む中東は乾燥気候のため、風通しの悪い作りの小屋でも問題はないらしい。ガラスで仕切られているのも、風通しを度外視できるからこそ視認性を高めた結果なのだろう。
私は提示されたラクダの中から直感で一頭を選ぶ。特別体調が悪そうでなければいいだろう、と思ってのことだ。
すると、いやにエキゾチックなツナギを着た厩務員の方が選んだラクダを連れ出して行った。
私も窓口の人にお金を渡して厩舎を出る。
厩舎の外に出た私を待ち構えていたのは、私が選んだラクダがガソリンをごっきゅごっきゅと飲み干している姿だった。
ラクダ、正確にはフタコブラクダか。その特徴である二つのコブがみるみるうちに膨らんでいく。
ラクダのコブはエネルギーを貯めておくためのタンクという話は聞いていたが、まさかガソリンまで貯められるとは。
「ガソリンが一番エネルギー効率が良いんですよ」と、ペット皿に黒々とした液体を継ぎ足しながら厩務員の方は言う。
なんでも、野生のラクダは地面から噴き出た原油をコブに溜めているとの事だが、精製してガソリンにして飲ませると3倍はエネルギーが保つらしい。
なるほど。
産油国で生きる生物だからこそ、そのように環境に適応したのだろう。
砂漠ではなんでもエネルギーにできないといけないと言う事なのだなと、改めて砂漠の過酷さを思い知らされた気分だ。
やがてラクダはペット皿から口を離すとブルルンと鼻を鳴らす。
二つのコブはパンパンに膨れている。
エネルギー補給は十分なようだ。
ラクダは足を折り曲げ、どっかりと腰を下ろした。
乗れということらしい。
よく訓練されているラクダだ。
私がひらりと飛び乗ると、ラクダは立ち上がって歩き始める。あとは手綱でちょいちょい方向を修正してやれば良いだろう。
厩務員の方が手を振ってお見送りをしてくれる。
私も手を振りかえしたかったが、慣れない乗駱駝で手が離せない。
軽く頭を下げるに留めて、イスタンブールへと旅立った。
しばらく砂漠を進んでいると、時折ラクダに乗った人とエンカウントする。こんなに広い砂漠だと言うのに、思った以上にラクダで移動している人の多さに驚く。
なにより、観光客ばかりではない。
暮らしの一つとしてラクダを使っている現地の人も多い。
自家用車のような認識なのだろうか?
家族でラクダに乗っている人も見かけた。
胴長で知られるイツツコブラクダックスフントに家族四人を乗せ、和気藹々と移動している。
……とはいえ、目の前の風景に変わり映えはあまりない。
見渡す限りの砂模様。
時折ぴょんこぴょんことサバクトビバッタが足元を跳ね、それをサバクトビネズミが捕まえ、さらにそれをサバクトビトンビが攫い、最後に蛇王サッバークが丸呑みにする。
ちなみに『砂漠』の語源はこのサッバークが元になっていると言う。
サッバークとはペルシャに伝わる神話の怪物だが、元はペルシャ語で『不毛の地』のことを表していたと言うのだ。
そこからシルクロードを通ってサッバークの概念が中華に伝わり、『砂漠』という漢字が当てはめられ日本に伝わったとされる。
そんな変わり映えのない光景に辟易していると、脇の方に大きな影が見えてきた。
すわイスタンブールかと目を凝らしてみるも、いささか様子が異なるようだ。
それは奇妙にも黒々とした穴が空いた巨大な岩であり、周りにも似たような岩があるようだ。
パンフレットをめくってみれば記載があった。
カッパドキア。
トルコ七大七不思議の一角二角三角くらいを占めている奇岩地帯である。




