青木ヶ原樹海・後編
ネタバレ。
犬は死にません。
悩んだ末に、私は首吊りゾーンに行ってみることにした。
フリーフォールはバンジージャンプと方向性が同じだし、刃物を持ったおじさんがうろつく密室ゾーンはなんかジャンルが違わない?密室は密室でもミステリの方向性じゃない?と疑問が生じたからだ。
いざ首吊りゾーンへと歩き出そうとすると、視界の端で金魚がこっちこっちと案内を買って出る。
看板が指し示す方とはまるで見当違いの方向だ。私は無視してそのまま進んだ。
しばらく歩いていると、木々の間から唸り声が聞こえるような気がした。気になってそちらの方に目を向けてみれば、木々の隙間から黒い大きなものがのっそりと這い出てくるのが見える。クマだ。
私は思わず立ちすくんだ。目も逸らせずじっとクマを見ていると、クマは立ち上がってこちらに一礼した。そしてのそのそとクマは自分の体をまさぐり、胸の三日月の形をした白い部分に手を突っ込む。
このクマはツキノワグマという種類のクマなのだが、その胸の白い部分は袋になっている。冬に備えて食料などを貯めておくことができる構造になっているのだ。
クマはそこから何かを掴むと、手を上に上げて自分に敵意がない事をアピールしながら近寄ってきた。そうして私の目と鼻の先まできたクマは、そっと私にどんぐりを握り込ませる。思わぬ贈り物に、ほんの少し心が温まる気がする。感動してじっとどんぐりを眺めていると、いつのまにかクマはその場を立ち去っていた。私は小さく手を振り、再び歩き出す。遠い遠い後ろの方から、断末魔の叫びが聞こえた気がした。
後から知ったことだが、青木ヶ原樹海のクマはあまり人を襲わない。しかし例外がある。有料オプションだ。自ら命を絶つのではなく襲われて命を落とした、という体で死を望む人のために、追加料金を払う事でクマに襲ってもらえるプランが用意されている。この辺りのクマはプロなので、しっかり最初に首をへし折って苦痛も最小限にしてくれるらしい。
地獄の沙汰も銭次第。銭がなければ死に方も選べない現実に、自然とは遠い何かを感じた。
森のクマさんと別れ、また少し歩くと目的の首吊りゾーンに到着したようだ。
首吊りゾーンの入口の前には首に縄をくくるピクトグラムが描かれた看板が置かれている。その無機質な絵柄は、たとえ耳が聞こえずともこの場所がどんな場所かを理解させることだろう。
そんな看板を見ていると、係員が目ざとく私の事を見つけてきさくに声をかけてくる。
「いらっしゃい!今なら待ち時間なしで入れますよ。ご案内しますね」とのことなので、すぐにアトラクションが体験できるようだ。この係員は口数の多い人らしく、道すがらしきりに話しかけてくる。内容は「最近多いですよね、こう……自分でアレしちゃう人!あなたもこの世を儚んで?」「キャベツ高いですよね、僕アレがたまに人の頭に見えるんすよ」「いや~、人の首に縄をかける瞬間っていいですよね。これが楽しみでこの仕事やってるんで」等……やっぱりここに来たのは間違いだっただろうか。この人が美容師だとしたら絶対に当たりたくないなと思った。
そうこうしてる間にジャンプ台に到着し、彼はこの首吊りゾーンの解説を始めた。
「ここでは絞首、まぁ首吊り体験コースですね。それと臨死体験コースの二つをお選びいただけます。この二つで何が違うかっていうと縄を括る位置ですね。首吊り体験コースでは首にバンドをかけさせていただくんですが臨死体験コースでは足首にかけさせていただきます。その状態で飛び降りていただく形になりますね」
なるほど。つまり後者はただのバンジージャンプということなのだろう。
しかし、前者は首が締まるまでに結構時間がかかって苦しそうだ。そんな疑問を彼に伝えてみる。
すると彼は、「絞首刑ってご存じですよね、あの首に縄をつけて大雑把すぎて伝わらないモノマネ選手権みたいに床が開いて落ちる奴」と話を切り出した。
「あれは一見首を絞めて酸欠で執行しているように見えますが、実際には落下時の体重で頸椎をへし折っています。なので大変人道的な処刑方法だと言われていますよ。要はアレと同じことをやるわけですから、逝くのは一瞬です。ちなみに、死刑は一度執行するとその時点で刑罰を終えたという扱いになるので、執行後も受刑者が生きていたらその後は無罪放免になります。生き残ることを想定した法整備がされてないんですよ。僕も首を鍛えて耐えた甲斐がありました」
元死刑囚だったのか。やはり旅先では思いもよらない出会いもあるものだ、と思う。
いやこれは出会いっていうか遭遇じゃないか?そういう出会いが多すぎる。さっきのクマとか。
そして飛び降りに関するいろいろな注意事項を受け、免責事項に関する書類を書けばいよいよアトラクションだ。
「それでお客様、どちらのコースになさいます?」と、彼はうきうきとした眼差しでバンドをこちらに差し出してくる。私はそれを手に取り――――
帰りのハトバスの中で、私はふわふわと地に足のつかないような心地で座席に沈み込んでいた。
私は結局、足首にバンドを巻いた。あの係員のやけにがっかりとした顔は忘れられない。
やはり私は生きていたかったのだろうか?それとも、ただ死にたくなかっただけなのだろうか?また私の頭の中を思考の金魚がぐるぐると回遊する。
そんな思考をリセットしようと思い、私は青木ヶ原樹海のパンフレットをパラパラとめくる。すると、その最後のページに目が吸い寄せられた。そこには袋とじがついており、来園後に見るよう注意書きが書かれている。私は袋とじの端についた切り取り線に沿って丁寧に千切り取ると、袋とじを開いた。
そこには、青木ヶ原樹海の長であるアオキガハラデスバオバブからの言葉が載っていた。
「当樹海は好んで人々に死の安らぎを提供しているわけではありません。しかしこの世の荒波は時が経つにつれ激しくなり、泳ぎきるには厳しいという人もいるでしょう。そんな人たちに、私たちの木陰で少しでも休んでいただきたい。半歩歩けばすべてを投げだせる、そんな止まり木があるからこそそこで少し休んでまた世間の荒波に向かって泳ぎだせるのです。この袋とじを読んでいるという事は、あなたはまた泳ぎ出せた人なのでしょう。あなたの泳ぐ海が、これから穏やかになる海であることを祈ります」
……思わず目頭を押さえてしまう。
その場のテンションで来た自分が途端に恥ずかしくなってくる。気づけば私の頭の中の思考の金魚は突然海に放り出され、塩分濃度の濃さで虫の息となりぷかぷかと漂うだけになっていた。
あの場所は本当に命をなげうつ場所ではなく、自分は一度死んだと自分を納得させる場所だったのだ。私はスマホを取り出すと青木ヶ原樹海のレビューサイトを開き、「また来ます」と書き込んで☆5をつけた。
同じところをぐるぐると回っていても仕方がない。さぁ、先の事を考えよう。さしあたって思い出したのは家に持ち帰って来た密林の苗だろうか。
私が原因でこの世に生まれ落ちた命だと考えると、あの子を立派な密林に育てるまで死ぬわけにはいかないな。そんなことを考えながら窓の外を眺めると、そこには私が泳ぐ海が見えた。コンクリートの珊瑚礁、人の海。そこにハトバスのハトが糞を降り注がせる風景を見ながら、そんなものかと少し気を楽にした。
続きはまた、気が向いたら。