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青木ヶ原樹海・前編

自殺に関わる表現があります。

お気をつけて。

 死にたいなぁ。


ふと、そう思う時がある。

それは自分に対する嫌悪感なのだろうか。あるいは現状からの逃避か。

嫌悪も逃避も、それ自体は特別なことではない。感情ある生き物ならばそういうこともあるだろう。

しかしそれを自己への殺意に変換してしまえる精神性は、感情ある生き物の中でも人間の身が持つ稀有なものではあるかもしれない。あるいは行きすぎた社会性がそうさせるのか。

そんな哲学めいた問いは金魚の形を取り、希死の思いで充満した水槽の中をのたくるように泳ぎ回る。その問いは糞のように、益体もない言葉を尻から引きずっている。そしてちぎれて落ちたものは私の口からついて出るのだ。


 気がつけば、口から出た金魚の糞は積み重なって肥料となり、喫茶店の一角に密林を完成させていた。中からはミーンミーンと小鳥が囀る声が聞こえる。

 そうだ、樹海に行こう。

思い立ったが吉日。すぐに樹海について情報収集を行う。

使うのは当然スマートフォンだ。お馴染みの検索エンジンに『樹海 センスのある』と打ち込んでみると、AIが語る胡乱な文章と広告が表示された。うっとうしかったので指で密林の方に弾くと、ぞろぞろと小鳥が出てきて食べ尽くしてくれる。

そうしてスッキリしたページの中で、一番上に表示されたのは青木ヶ原樹海。

レビューサイトを見ると、口それぞれに「首吊りに最適!」「今までできなかったけど、ここでならできました!」「身投げ、サイコー!」「人生負け組!」などの口コミが並んでいる。どうやらリピーターも多いらしい。評価点数は3.8とまたわざとらしくない良い数字だ。これは期待が持てる。

私は残りのコーヒーを口に含むと、ぺぺぺと密林に吹きかけた。

善は急げ。一日一善ならば、一日に一度急げば良い。


 会計を済ませて店を出ると、私の事を親だと思った密林がついて来る。

お前も行くか、樹海?

そう問いかけると密林は大きく枝葉をボキボキと折り曲げた。どうやら首を縦に振ろうとしたらしい。

だが、それがまずかったのだろう。それきり密林は動かなくなってしまった。

私は瞑目して尻で十字を切ると、密林の苗木を一つ引っこ抜いて持ち帰ることにした。


 一度家に帰った私は、植木鉢に苗木を植え替えた。そして自ら命を絶つにあたり、大切な作業に取り掛かる。遺書だ。内容は……いや、いいだろう。ここで話すことでもない。大切なのはこれが不審死ではなく、自ら望んで行ったことだとわかってもらうことなのだから。書き上げた遺書を懐に入れ、動きやすいスニーカーに履き替えた私は、青木ヶ原樹海へと向けて出発した。

 そもそも樹海とは何なのか。それは樹木でできた海、読んで字の如く海である。

本来であれば陸と海の二つの属性を併せ持つその場所に行くには船に乗っていく必要があるのだが、今回向かう青木ヶ原樹海は違う。

青木ヶ原樹海は別名として富士の樹海とも呼ばれるように、近くに富士山がある。つまり天属性もある。天、地、海全ての属性を持つ青木ヶ原樹海へ向かうのに空路を選ぶことは自明の理といえるだろう。

私は家の近くのバス停から直通のハトバスに乗りこんだ。


 バスの中で青木ヶ原樹海のパンフレットを読みながら、物思いに耽る。

ちょっと、アグレッシブすぎたかな?

あの時はよし!死のう!とアッパーなテンションで樹海行きを決行したのだが、時間が経つにつれどこか躊躇うような思いが浮かんできたのだ。

そんな事を考えながら、バスを引っ張り上げるハトの群れが織りなす羽ばたきのオーケストラを堪能すること一時間。

ようやく青木ヶ原樹海にご到着だ。遺書をしたためていたせいで日は傾いている。さぞや薄暗く雰囲気のある、うっそうと茂る大樹海がお出迎えしてくれるのだろう……と思いきや、古ぼけた雰囲気を醸しながらも電飾でビカビカに光る看板を掲げた構造物が出迎えてくれた。約1700万色に光り輝くここが何かと問われれば、青木ヶ原樹海の受付ゲートなのである。

青木ヶ原樹海はその没入感を大事にしているため、樹海の中に入ったら外の風景が見えないように配慮されている。そのための順路があり、このゲートはその入り口だ。

周囲を見渡せば、青木ヶ原樹海公式キャラクターのアオッキーくん――首を縄でくくった青いおさるさんと言えば伝わるだろうか――の着ぐるみが、お客一人に対し三人(匹?)がかりで自分の首に巻き付けた縄の先を掴ませようとしている。パンフレットによると求愛行動らしい。

ゲートに進むたび群がってくる彼らの求愛行動を無視しながら受付に進む。すると、受付の方からチケットの提示を求められた。パンフレットについていたお試し無料チケットをちぎって渡すと、受付の方は笑顔でゲートを開き、何やら包みを渡してきた。

何だろうと受け取りつつも首をかしげていると、「練炭です」と教えてくれた。

なんでも、明治初期までは青木ヶ原は有名な木炭の産地だったらしい。樹海の豊富な木材資源を利用した木炭は質もよく、量もあったとのことだ。だが時代が移るにつれ木炭から石炭に、そして石油に主要な燃料が変わっていった結果今では細々と一部の職人たちが練炭を作っているのだという。

なるほど、これはいい。中で使ってよし、お土産にしてもよしだ。

そのまま踏み込めば、「それでは今日も元気に逝ってらっしゃい」とここの決まり文句がかけられる。この声に背を押されるのか後ろ髪を引かれるのか、それは受け手次第だろうか。いまいち心の中で整理がつかないまま、軽く会釈で返して私は樹海に踏み入った。


 ここからしばらく順路に沿って歩いていく。

道は入り組んでいるが、目印になるようにアオッキーのオブジェが配置されているので帰りは迷わなさそうだ。そこらじゅうでキュートなキャラクターが首を吊っているさまは、一周回ってメルヘンチックな光景に見える。

しばらく……そう、十分は歩いただろうか?都会の喧騒から切り離された深い自然の中で、進めば進むほどに正常な時間感覚はあてにならなくなってきた。すると、目の前に大きく奇妙な穴の開いた岩が見えてきた。

なるほど。これがあの『筒抜け岩』か。

パンフレットによれば、さる高名な法師が妖物を退治した帰りにこの岩を覗いてみると、穴を通してあの世先程退治した妖物で苦しんでいるのが見えた。それを見た法師は妖物を哀れみ、それからは闇雲に退治するのではなく話し合いで鎮めてまわるのであった……という伝説が残っているらしい。

穴の中を覗きこんでみる。しかし、私には何も見えそうにない。やはり徳とか高い方が良いんだろうか?手持ちのマニ車をカラカラと回し、徳をチャージしてもう一度覗き込んでみる。

すると、視界の端になにかがちらついて見える。あれは……小さい頃に飼っていた金魚?懐かしいな……あの時は生き物を飼うのはダメだと言われて、スーパーボールすくいで手に入れたスーパーボールに金魚と名付けて金魚鉢に浮かべていたっけ……。ならあの金魚は違うな。綺麗なヒレとかついてるし。人違い、いや魚違いだ。やはり高名な法師様と同じようにとはいかないな。私は穴を覗くのをやめた。

そんな岩の先が、青木ヶ原樹海のデスゾーンだ。

設置されている看板を見れば、身投げ、首吊り、密室と様々なスポットが案内されていた。身投げゾーンではフリーフォール、首吊りゾーンではバンジージャンプ、密室ゾーンでは刃物を持ったおじさんのアトラクションがそれぞれ楽しめるらしい。

全てを回ってみたいところだが、今日はここまで来るのにかなりの時間を使ってしまっている。楽しめる所はそう多くないと思うと、途端に難しくなってきた。視界の右下に今も鎮座する金魚が「なにを検索しますか?」と聞いてくる。お前を消す方法。

私は頭の上でひよこを高速回転させながらうんうんと悩み、ひよこがバターとなった頃合いに考えをまとめた。

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