その3
ビルが立ち並ぶレディスタ東区。そこを駅から東に抜けていくと、地面に敷き詰められているタイルが段々と色褪せてくる。更に進むと風景は緑と岩だけとなり、大きな穴の空いた巨大な崖のようなものが目前に姿を表す。
その大きな穴が魔窟の入口である。本来ならば付近にレディスタ軍の兵士が配備されているはずだが、今はいない。所々にある血痕は、彼らの不幸な結末を示唆しているのだろうか。
制圧作戦実行1時間前、午後8時。朝日がまだゆるやかに傾くころ、入口付近にはもう既に沢山の傭兵が集まっていた。
「あら、おたくもこの作戦に?」
「そうなんですよ。いやあ、久々の実戦ですよ」
「ここで手柄を立てられれば、おすすめに載ったりとかしませんかねえ」
「ははは。そうなるといいですな」
「一緒に頑張りましょう」
多くの人々が他の人と話を交わしている。傭兵団にとって、他の団とのコミュニケーションはとても重要である。関係を持てば、自分達の知らない土地の下情報や更なる交流機会、そして任務のおこぼれを得られるチャンスが増えるからだ。そしてこの理由により、特に委員会のおすすめ欄に載っている傭兵団は歓迎される。
ただ、交流をとると言ってこの魔窟に一足先に来たヴィレーは彼らに目を向けることなく、一直線に、かつ目立たないように、貼られているテントの中へと向かっていった。
「こんにちは」
「誰だ。作戦本部に傭兵は立ち入り禁止だぞ!」
鷹のバッジを着けた屈強な男がヴィレーを止める。
「ヴィレー=コルネツィアです。来訪日程表に名前が記入されていないと思われますので、上の方へ連絡をお願いできませんか」
「上層部なら今は作戦の最終決定の最中だ。また後でお越し願おう」
「それなら丁度良い。なんとかお願いします。あなたが恥をかかないような人物であることは保証しますよ」
「…まあ、そこまで言うなら…」
男は疑い深く彼を見、奥の方へと進んでいった。
そして暫くして、ジャラジャラという音と共に眼鏡をかけた男が先程の男と共に小走りでやってくる。
「ヴィレー”先生”!申し訳ありません!」
「大丈夫です。ああ良かった覚えていてくれて」
「そんな、滅相もない!歓迎します。ヴィレー先生。…こら、この方はあの魔法化学論で有名なヴィレー先生だ。以後このようなことが無いように」
「はっ。申し訳ありません」
「はは、いいですよ。私の研究内容は、軍隊の教科書でしか使われないようなちっぽけなものですから。では、少し上がらせて貰いますよ」
「ええ。もちろん」
彼は奥へと案内された。大勢の軍人達が一点を見つめている。机の上に散らばる沢山の地図とピン。その地図は魔窟を層ごとに分けて見たものということであった。
「規模はどのくらいですか」
「分かりません。しかし彼らには相当な軍資金があると思われます」
「ほう。その根拠とは」
「あちらです」
若い軍人が奥の床を指差す。そこには、左腕を叩き壊されて転がっている、銀色の人型機械の姿があった。
「Rota-II旧型の改造です。これが2体、魔窟の入口に設置されていました」
「それだけならあまり問題ありませんね。背中に金細工でも埋め込まれていましたか」
「…いいえ、魔法装甲です」
「!!」
軍人が手に魔法陣を作り出し、機械に目掛けて火の玉を放つ。灼熱と轟音と共に機械に向かう火球は勢い良く衝突、瞬く間にそれ全体を炎上させた。しかし炎が消えた後、その機械に出来た傷は無く、鉄の部分が少し黒ずんだ程度であった。それを見て、ヴィレーはいつもと違う、好奇心からなる笑顔を見せる。
「反動型魔法装甲か!!!」
ここには剣を盾で防ぐことと同様に、魔法から身を守る力が存在する。それは魔素と呼ばれる物質に起因する「魔法装甲」と呼ばれるものである。
魔素…これは魔法のもとであり、空気中や地殻に比較的微量、そして生物の体内や一部の希少な鉱石に多量に含まれているものである。一般に、人間はこの魔素を魔法陣や道具などによって圧縮することで、魔素を様々な属性を有するエネルギー、あるいは物質へと変化させる。これが「魔法」である。
そしてこの魔素の最大の性質は、「個々の魔素は互いに斥力を持つ」ことである。つまり、魔素同士が反発を行うのだ。
人に先程の炎魔法が当たる場合を考える。魔法は魔素の塊であり、そして体内にもまた多くの魔素が含まれている。これらが衝突する時、体内の魔素と魔法により圧縮された魔素が互いに反発を引き起こす。そうすると、空気中により無理やり圧縮された魔法内の魔素の一部が空気中へと分散してしまう。結果的に、人間が魔法で受けるダメージは、魔法でない火の玉のそれより遥かに小さくなる。これが「反動型魔法装甲」の仕組みなのだ。
先程の人工機械に対する軍人の推測は、生物でない機械に対して、この生物特有の防衛機構が備わっていたことから生まれていた。
「すごいですね。まさかこんな所でお目にかかれるとは」
「2体だけで我々を疲弊させるレベルのものが入口にあるのです。そうなると、この中にいる奴らは…」
指揮官の発言に、軍人達がゴクリと唾を飲む。
「恐ろしい程の強さかと」
「なるほど。つまりそれで、我々に援軍を要請したのですね」
「はい。貴方がたに…って、貴方も傭兵団なのですか!?」
軍人たちが驚愕の目で一斉にヴィレーを見る。
「最近貴方のお話を聞かなくなりましたが、まさか傭兵団とは…」
「驚きました?生きてるうちに、やはり理論を振り回しているだけでは駄目だと思いましてね」
「「ヴィレー!!」」
その時、テントの外から声が聞こえる。どうやら残りの2人が来たようだ。
「ちょっと失礼」
「分かりました。…ヴィレー先生を呼び捨てとは、本当に無礼な若者ですな。全く」
「はは、これは私がそう呼ばせているんですよ。加えて彼らの前では、私は10歳ほどサバを読まねばならない。…このことは内密にお願いしますね?」
「!?…
…まあ確かに、先生の顔ならそう名乗ることも容易いとは思いますが…ああ、引き留めてしまい申し訳ありません。どうぞ」
「ヴィレーさんこんにちは」
「ヴィレー!来たぞ!」
詠次はいつもの服装。マルルは丸みを帯びた白の帽子に防弾チョッキを装備している。
「準備は万端のようですね。ジュリアはどこへ」
「ああ、なんか傭兵団の方に喧嘩売りに行ってた」
「どうなっていますか」
「なんか、普通に可愛がられとる」
ヴィレーはここで吹き出してしまった。
「…くっ……ふふ…そう…ですね…
…そうですね。呼び戻してきてください。もうそろそろ作戦開始ですよ。さあ、これを付けてください」
彼が2人に渡したのは、耳に付けて使う通信機であった。
「作戦開始!!!!」
作戦開始時刻、午前9時。荒ぶる複数の声と共に、前側の兵士が一斉に魔窟の中へと突入する。遅れて後ろ側の兵士が動く。
前方は地上へと通じる第一階層の制圧班、後方は第二階層の制圧班。更に後ろに控える軍兵。計地下三層の魔窟を、それぞれの環境に適した兵士で仕分け、着実に制圧する。
…というのは建前であった。本当は地下二層に兵士が侵入したタイミングで、精鋭を集めたチームが地下へ続く穴を通って一挙に第三層へと侵入し、二層の支援に行って人数が減ったところを一網打尽にする、という作戦だ。
そしてその精鋭に抜擢されたものの中に、詠次とマルルの名前があった。
「いってらっしゃい、ジュリアさん」
「ジュリア!死ぬなよ!」
「カーッ!お前らだけサボりやがってよ!待ってろ!今すぐにお前らの仕事を無くしてやるからな!覚悟しとけ!!」
「いや、サボったりとかは…」
「おうおうその意気や!2階層は歩きにくいらしいから気をつけなよ!」
「言わなくても分かってるわ…」
ジュリアの声が段々と薄れていった。
作戦開始から1時間後。作戦本部のテントはもうなく、ただ机だけが置かれ、そこで多数の軍人がトランシーバーを通じて連絡を行っている。
「なんでや」
「万一の爆発にすぐ対処出来るように、荷物を片付けたそうです」
「あ!ヴィレー!また居なくなったと思ったら今度はそこにいたんや!」
「ええ。もうそろそろ第二階層に突入するそうです。皆さん、準備は出来ましたか」
「は…はい」
「おう」
「当たり前だ。それより、この雑魚2人についての説明を求める」
「へっ!?」
「!?」
「…こらこら」
現れたのは大剣を持った青年であった。金髪に銀の髪飾り、青のガラス玉のような目といった容姿には、どこか人形に通じる美しさがある。
その後ろには3人の人間がいる。彼を勇者とするならば、さながら魔法使い、僧侶、戦士といったところか。彼らの目は皆、自信で満ち溢れていた。
「そうよ。こんなアホみたいな奴らと組むなんて、私達聞いてないわよ」
魔法使いが口を尖らせる。
「そうです」
「こいつら、邪魔」
「そんなこと言うなや。まだお互いの強さが分かっていないでしょうが」
傍観しているヴィレーは相変わらず不思議な笑みを浮かべている。
「なら試してみるか?」
青目が光り、大剣が覇気を帯びていく。
「ちょっと」
「ほーん??俺らを馬鹿にしたツケを払ってくれるんか?そりゃええわ」
誘発させられた詠次も手に炎を浮かばせ、臨戦態勢をとる。お互いの目から溢れんばかりの殺意が感じられた。
その時、傭兵での小競り合いはよくあることだと大目に見ていた司令官が、ここで制止に入る。銃を静かに上に構え、脅かす目的で宙に打つ。
バン、という音が聞こえた。それと同時に、お互いの足が地面を蹴り上げたのである。
「〈ユリアブレイド〉」
「〈空升〉」
瞬間的に青年の剣が変型し、淡く光る刀身が剥き出しになる。跳躍により空中から放たれる、音速を超える一振り。それに対して詠次は手の炎を網目状に変化させ、相手目がけて勢い良く投擲する。空中でガギィィンという甲高い金属音が鳴り響き、剣の動きが徐々に鈍くなる。剣先が詠次の左頬を切り、血が滲み出る。
投げ出されたはずの網目状の炎は押し戻され、彼の顔3cmほど手前で停止していた。
「…チッ」
これ以上押し込んでも意味がないと思ったのか、青年は刀身を収納した。
「…許さんからな」
詠次もしぶしぶながら炎を消した。
「お…お前ら!先程の行為は監視委員会に報告されてもおかしくない行動だぞ!分かっているのか!」
「「…すいません!」」
技の精度に驚きつつも叱責する司令官に、2人は同時に頭を下げた。
「お前と同じタイミングで謝罪。なんという屈辱だ」
「…お前、謝る時ぐらい下向けや…」
「こら!そんなことより、他の奴らはもう先に行ってるぞ!お前らも速く行け!」
「「はい!」」
一方その頃、マルルと3人は…
…めっちゃ仲良くなっていた。
3人がマルルの爆弾に興味を持ったのだ。彼女の話は決して上手くなく、意図せぬ誤用もあったが、彼らに対して悪意が無いことは十分に伝わった。結果として、最深部に向かう道中でとても仲良くなってしまったのである。
「へえ~!そんな爆弾があるのね!」
「はい。だからもし戦場で猫を見かけたら、うかつに近寄らないで下さいね」
「俺、今日から、ね、猫、怖い」
「生き物が内側から破裂する…フヒ…フヒヒ…」
ちなみに最後の声は僧侶のものである。
「あら、もうそろそろ最深部ね。気を引き締めて行きましょ。…あの二人、いつ来るのかしら」
来る敵に備え、魔法使いが杖を握り直す。
「はい!」
「あとあれ、今更だけど、最初はあんなこと言っちゃってごめんね!なんか、あいつの口癖というかね、そんな感じのが移っちゃって」
「…いえいえ、大丈夫ですよ」
彼女にはこの言葉が責任逃れの言い訳にしか聞こえなかった。しかしすぐに、それは自分が捻くれているだけだと何度も心の中で復唱する。自分と仲良くしてくれた人間だ。本心は私のことを考えて言ってくれた言葉なのだ。そうに違いないのだ…
「〈レプトソード〉」
刹那、青い剣が敵の首目掛けて振り下ろされる。しかし攻撃は宙を切る。回避されていた。
「クックック。当たらん。当たらんよ」
青年、詠次と対峙するシルクハットを被った男はその場でくるくると回ってみせる。
「なんや面倒くさいな。〈炎尺〉」
放たれる無数の炎の柱も、男には掠りもしない。
「アーハッハッハッハ!!!お前ら2人揃ってのろまと来た。そのまま毒で死んでしまえばいい」
「…」
「ちぇ…」
彼らは幻術に引っ掛かってしまった。穴を一早く発見した敵に騙され、道を誤って結界の中に入ってしまったのだ。
濃密な毒の空気が立ち込める空間で、徐々に2人の体力が奪われていく。
青年が詠次に怒鳴る。
「何故…幻術を見抜けなかった!」
「責任転嫁するな!前を歩いてたのはお前やろがい!」
「お前が注意する役割だったはずだ!」
「前見んと分かるわけないやろ…ゴボッ」
詠次の咳が酷くなり、血を吐き出す。目の前の光景に男は大笑いしていた。
「ハハハハハハハ!!!馬鹿を極めたらこうなるとは面白い!結界が無くてもお前らなら楽に殺せそうだ。少し大掛かりすぎたか??
…ん?」
「…ふう、あんがと」
「馬鹿馬鹿しい。体はもっと鍛えるべきだ」
「やってる…ん…だがねえ…」
「治療中だ。喋るな」
「ふい…」
なんと、さっきまであんなに争っていた2人が突然、片方への治療を行っているのだ。
「…?どうしたのだろう。治療したとて、ただの時間伸ばしでしかないのに。馬鹿の限界突破か?」
「俺は、狂った社会に生まれてきた」
青年はうずくまる詠次に静かに話しかける。
「生まれた日が悪いだけで、俺は悪魔の子になった。俺を殺さなかった母親は、俺がやっと言葉を使えるようになった頃、どこかに連れて行かれた」
「…」
「今なら分かる。あの時聞こえた『魔女』という言葉。きっと、俺の母親はもうこの世にいないだろうな」
「…」
「それから暫くして、父親も俺を置いてどこかへ行ってしまった。その時に、最後の時に言われた言葉が」
「『強くなれ』だった」
「…」
「…そか」
詠次は目を閉じる。
「それから俺はひたすらに腕を磨いた。例え周りから蔑まれようとも、石を投げられようとも、俺には関係無い。俺はただ強くなりたかった。…だが、それは、己の弱さのために、いつしか、奴らを見返すための力を欲することに変わってしまっていた」
「…」
「そのことに気付いた時、俺は人生で一番自分を責めた。人への恨みの為に力を蓄える俺は、本当に悪魔の子なのだろうと。今思えばその時に、きっと何かが壊れたのかもしれない。それから、もう何も考えなくなった」
「…」
彼は目を開けた。
「で、血を吐いてる俺を見て何があったんだ」
「…このことを思い出した」
青年はは剣を静かに持ち上げ、詠次に刃先の部分を見せる。そこには古い字体で「強さは人の為に」とだけ掘られてあった。
「人の…為に…か。いいんじゃね、それ」
「だがやはり、お前に言われたくない」
「…へへ」
詠次は下を向いた。
「…悪かったな、勇者さんよ。あんたは立派な人間や。さっき、今までの自分のことを悪魔の子とか言いおったけど、もし本当にそうやったら、血を吐いた俺をとっさには助けんよ。あんた、本当は優しくしたかったんや。ただそれを自分の自責で、逆に封じ込めてただけ。自分のことを悪魔の子とか思って、本当に悪魔みたいになるって皮肉やなあ」
「…そうなのか」
「胸張って生きてみな。今年でまだ20ちょいぐらいやけん、あんま言えることでもないけど。人生、きっと良くなるで」
詠次は青年に向けて笑った。
「…そうか。そう、なのか」
「ああ!きっとそうだ!」
「…ありがとう。そう思って」
刹那、詠次の右手の指が跳ね上がる。
「生きてみることに…」
「〈黒鉄鏡〉〈銑鉄〉〈練炭〉」
手の平に細かい文字が一斉に浮かび上がり、続いて呪文が込められた銀白色の四角形が現れる。
「す…」
詠次は右手の人差し指と中指以外を折り曲げて腕を振り払いつつ立ち上がった。四角形だった物体が指の先端に一点として濃縮される。
「〈鋼刺〉」
そして詠次の手の付近から、音もなく鋭い閃光が放たれた。
「…?」
「やっぱり不意打ちは最高やな」
青年が驚いて彼の指の先を見る。そこには、心臓の位置を一本の鉄糸で貫かれたシルクハットの男が、苦しそうにもがく姿があった。
「ツッ…!!痛い…!潰れる…!!」
「まだ息があるんか。実はお前のこと死ぬほど嫌いなんよ。はよ死ね」
「…え…?」
青年は眼前の事実を認められないでいた。詠次の繰り出す動きが、予備動作を含めて、何も見えなかったのだ。
そんな青年を置いて、彼は指をポキポキと鳴らしつつ、再び四角形を出現させる。
「さあ仕留めるか。…ってかそういや、名前聞いてなかったな。教えてくれるか?」
「サブレ」
「いい名前や!俺は詠次だ!宜しくサブレ君!」
詠次が彼の言葉にニヤリとする時には既に、サブレは敵目掛けて突進していた。無意識に変形した彼の真剣が、寸分の狂いなく正確に、男を両断した。