その2
カフェ「ビバ=レディスタ」の最寄り駅から列車で約1時間ほど。マルルは報酬の入ったスーツケースを大事そうに地面へゆっくりと下ろした。つい先程、彼女が住むシェアハウスへと到着したところであった。
「…ただいまです…」
静かに鍵を開け、ドアノブに薄緑色の手を掛ける。真夜中の任務が終わり、今は真夜中の3時。他の人間を起こしてはならない…
「お!おかえんなさい!!」
そんな彼女の配慮を消し飛ばすような声が飛んできた。奥の大きな部屋からだ。
「ちょっと、声出しすぎですよ!他の人を起こさないように…」
「ああ、他の人間ならおらん。まだ仕事や」
「ちょっと!また大声出して…
…って、え?」
「暖房いれとるぞ。そんな寒いとこおらんではよ来な」
「…いない…」
「いないんだ…」
「今日は、はしゃげるぞ…!!!」
疲労困憊のマルルに突然笑顔が灯り、狂ったように廊下を駆け出して大広間に突撃する。
「ひゃっほう!!」
「こらこら」
マルルは尻尾を振りながら大広間のソファにダイブした。勢いのままに凹まされたソファが彼女を跳ね上げている。
「いつぶりだろう、こんなにも自由な仕事帰りは!!」
「自由って…いつもそんな感じで過ごせばいいじゃん。他のメンバーがいる時もさ。ここ家ぞ?」
「無理です、私コミュ症ですので」
「あっそ」
さっきとは打って変わって生き生きとした表情のマルル。それに半ば呆れているこの少年の名は「火影 詠次」という。20代、黒髪に赤目、そして何より口調が特徴的な人間であった。
「まあとりあえず風呂入りな。ゴミついたまま転がってるとまたジュリアに文句言われるからな。何故か俺が」
「え~」
彼女はアイロンをかけている詠次の周りをひたすらに転がり続ける。
「うおおおお!!!」
「ちょっと!アイロン落ちたら当たるぞ!」
「へへ…やれるもんならやってみな甘ちゃんよ…この動きについてこれるかな?」
「はあ、また調子に乗りおってからに…
…じゃあこうしよか。俺に捕まったら風呂に入れ。3分間逃げ切ったら好きにそこら中転がっといて良い。どうだ?」
「望むところだ!ばっちこい!」
「じゃあいくぞ?3、2、1…」
「何故だ…」
開始から僅か3秒。マルルは紐でぐるぐる巻きにされ、天井にぶら下がっていた。
「何故、我の身にこんなことが起こりうる…」
「はい。負けは負けよ、とっとと風呂に入んなさい」
とても悔しそうなマルルを横目に詠次はため息を付き、手慣れた動きで余りの紐を仕舞う。彼は自分の日記帳を取り出し、最初のページに書かれていた「119対0」という文字の19を横線で消し、20に書き換えた。
「今何勝?」
「120対0。…どんだけ挑んでんねん。暇人か」
その時、ふと横に書かれた落書きが目に入った。少し前、彼女がここに来た時のものだ。
「…にしても、お前がここに入ったのがもう2ヶ月前か。速いもんやな」
「そうなんだよね。最初は不安だったけど、皆といるうちにすぐに慣れちゃって」
「良かったよ本当に。こちら側もやってけるか不安やったからね。なんせ狐のメンバーなんて初めてやし」
「…」
「あとはいつ、あいつらへのですますを取るかだな?はは」
「…」
「どした?」
「…ううん、何でもない」
「…そか。まあもし何かあったら、いつでも俺らに言うてくれな」
「うん」
彼女はにこりとして頷いた。
「あとほどいて」
「あ、すまん」
アイロンをかけ終え、それぞれの部屋の前にあるカゴへと洗濯物を運ぶ詠次。家の洗濯物は男女別に分けられているためやや楽ではあるものの、それでもやはり疲れる。あとは食事さえ作れば家事は終わりだ。これが済んだら久々に、2日もの休日を楽しめる。…皿洗いはマルルに任せよう。
「ふう。やっぱり旅行でしょ旅行。皆で外国とか、時には行きたいもんやがな」
午前4時に朝食を作りつつ、詠次は独り言を呟く。
「冬か。冬の推しと言えばやはり脂ののった魚でしょう。あれを刺身にしたら本当にうまい。ついでに酒も…いやいかん、あいつの前ではあんま飲まんように決めとる。あと…」
彼はテキパキとサーモンを切り分け、チーズやオリーブの実を並べて串に刺す。余りは全てサラダへの盛り付けだ。
「…ふう出来た。そろそろあの3人も帰ってくるころやろうし急がんとな」
「あがったよー」
テーブルクロスを敷いているとマルルが現れた。
「これは丁度良い時に来た!ちょっとそっち側持って」
「はーい」
「よしじゃあ次は皿を運んでくれ。これとこれと、あとこれをみんなの場所に。こっちは真ん中ね」
「ってこの量…まさか…」
「ああ、もうそろそろジュリアとヴィレーが帰ってくるで」
その言葉を聞くや否や、彼女はその場にへたり込む。
「ああ…さらば私の自由よ…」
「はぁ…だから、そんなに気を使わんでええって言うとろうが」
「何度見ても、やっぱり、なんか怖いんだよね」
「根は優しい人達やで?ジュリアはともかく」
「ジュリアはともかく」
「そう、ジュリアはともかく。
…速く並べるか。その本人が来るぞ」
そしてついに朝食が完成した。テーブルに並べられた朝食はとても豪華であり、盛り付けの美し
さはさながら貴族の食事を思わせる。
「よし!言われた通り5時までに並べといた。これで問題ないやろ」
「すごい…いつもよりなんか輝いて見える!」
「それは良かった!またいつも通りヴィレーに酷評されないように、今回はちょっと奮発してみたんよね…」
「帰ったぞ!!」
午前5時丁度、ドアを乱暴に叩く音が聞こえる。
ジュリア達の帰宅だ。
「開いとるよー!!!」
「なんだぁこのドアノブ!?俺の鍵を拒絶しやがるかこの無機物野郎がよ!!」
「開いてるみたいですよ」
「んあ?…その声、お前、マルルか」
「そうです。お久しぶりです」
「そうか…そりゃいいや…マルル、そのまま扉の前で立ってろよ…ヘッヘッヘ…」
玄関のドアが勢い良く開け放たれ、白髪赤目のワンピースを来た少女が笑いながら飛び出す。彼女の手には沢山の昆虫が握られていた。
「おりゃっ!!」
彼女はそれらをマルル目掛けて投げつけた。
「ひえええええ!!!!」
「フハハハ!!どうだ!!驚いたか!!!!」
「…ってこの虫、爆弾の材料になりますね」
「なんでそうなるんだよ!!!!」
「ありがとうございます!大切に使わせて貰いますね」
「ああ…おう」
「…ちぇっ。つまんねーの」
「こらこらジュリア、マルルさんに酷いことをしてはいけませんよ」
いたずらが失敗して不機嫌そうな少女の横へ、遅れてもう一人の人間がやってくる。眼鏡を着けて白衣を纏った、詠次と同じくらいの年に見える男だった。
「ヴィレー!お帰り!」
「お久しぶりです。火影くん、そしてマルルさん」
彼は更なるいたずらを仕掛けようとするジュリアを制止しつつ、鞄と白衣を玄関横の上着棚にかけた。
「食事まで作らせてしまって、申し訳ありませんでしたね」
「いやいやそんなことない!早速食べよう」
「お前の飯クソ不味いもんなー」
「それはヴィレーが作る料理が美味すぎるだけや。普通あんなもん作れんよ」
「はは。…では行きましょうか」
彼らは料理の並べられている大広間の机へと向かった。
「国からの依頼…かぁ」
「はい、そうです」
4人で食べる久々の食事。暫くの楽しい会話の後、話題も尽きた頃に、ヴィレーが仕事のことを話し始めた。
「ちなみに内容は?」
「…」
「…レディスタ国内、違法占拠された魔窟の制圧支援です」
「はあ!?」
「ええと…確か、魔窟って…魔力が沢山ある場所…でしたよね」
「そうです。本来ならそのような場所はレディスタ軍により徹底的に管理されているはずですが、何か不測の事態があったのかもしれない」
傭兵とは雇われ兵のことである。傭兵は依頼主と契約を交わし、報酬を貰う見返りとして、定められた期間、その依頼主の元で兵士として働く。
傭兵は一般に傭兵団と言われるグループに所属する。一時的に兵士になるという本職の性質上、依頼主は複数人単位で傭兵を希望することが多い。もし依頼主が国となれば、数千人ほどの募集がかかることも珍しくない。そんな時、傭兵団は個人の傭兵と違い多くの場合で一斉雇用が可能なため、とても重宝される。ちなみに彼ら4人も皆傭兵であり、この家を拠点とした傭兵団を立ち上げている。
傭兵には規則が存在する。傭兵全体の信頼を高めるための監査委員会が個々の傭兵団の行為や実績を監視している。同時に監査委員会は依頼主と傭兵、傭兵団とのマッチングを行っており、実績が多い傭兵団はリストの上の方で優先的に紹介される。少ない場合は下に行き、依頼主の命令に背く、脅迫するなどの悪い行為をした傭兵団は「危険リスト」に編入される。これは傭兵団にとって最大の不名誉であり、同時に依頼の激減を意味する。
そして、傭兵団はしばしば「ファウンネル」と呼称される。これは10年前に滅ぼされた国の名前と同じだが、ファウンネル崩壊以降、現地で生き残った兵士達が始めた傭兵業が繁栄したことから、今では傭兵業全体がそう呼ばれている。
ヴィレーが話題にしたのは、彼らの傭兵団に対する依頼であった。
「ぐえー。ほっとけよそんなん。あとこのサラダめっちゃ美味い。おかわり」
「不味いって言っとった癖に…
…ヴィレー、本当に国からなんか?」
「はい。断るわけにはいきませんね」
「そか…ダメ元で聞くが、報酬は個人契約で落とせたりとかは?」
「残念ながら」
「そっかあ…」
彼らは傭兵団全体としての活動を全く行っていなかった。というのも彼ら全員は既に十分な数の常連客を持っているため、わざわざ監視委員会のマッチングによる助けを得る必要は無かったのである。むしろ優先的に紹介されることで無視できない依頼が増え、常連の任務を邪魔される方が彼らにとってよっぽど迷惑であった。
そこで彼らはほぼ形だけの傭兵団を作ることで監視委員会から最低限の保障と恩恵を享受しつつ、委員会を介さない方法、つまり依頼主との直接契約で生計を立てることにした。勿論、この方法だと実績は記録されず、悪事を働いた場合だけ監視委員会に届けが出てしまう。しかし、傭兵団として全く有名にならず、更に委員会から紹介料を引かれずに報酬を貰えるというこの業務形態は、一定の実力のある彼らにとって実に理想的なものであった。
そこに、どういう訳か、この傭兵団全体に宛てて、無視できない依頼が舞い込んできたのだ。
「委員会さんからの評価は結構高そうですよね…この依頼…」
「ああ。最近は目立った衝突もないし、最悪の場合、監視委員会のおすすめ欄に載ってしまうかもしれん」
「ふふ、そうしたらまた2年前みたいになるかもしれませんね」
「あれほんとヤバかったよな!」
「避けられん依頼が来すぎて常連さんが3人減ったのは未だに許さんぞ…あいつらめ…」
詠次は箸を止めてぶつぶつ文句を言っている。どうやらそこそこの恨みがあるようだ。
「まあ、どうせ他の人達も呼ばれているでしょうし、そこまで実績関係の心配はしなくていいでしょう。他の傭兵さん達との交流も兼ねて、楽しく行きましょうか」
「…ヴィレー。あとな」詠次がため息をつく。
「普通の人間は国が手こずるテロリストのアジトなんかで楽しめねえんだ。魔力の湧き出す油田みたいなあの場所で魔法爆弾なんか使われてみろ。俺達は付近の町ごと消し飛ぶぞ!」
ヴィレーは暫しきょとんとした後、すぐに納得がいったような表情になった。
「なるほど。全員守れということですね」
「気を引き締めて行こうということや!」
いつも通り突っ込みを入れる詠次を見て、彼は笑う。
「はは、冗談ですよ。皆さん、気をつけて行きましょう」
「はい!」
「…まったく」
「俺は行かねーぞ!」
ジュリアが真っ白な腕をバタバタさせて駄々をこねる。
「ああ、彼女は自分が無理やり連れて行きますので問題なく」
「ほーん。なら、また町中で「誘拐だ!!助けてくれ!!!」って叫んでやろうか??へへへ」
「酷い嫌がらせやな」
「は…はは…
…準備してきますね…」
「時間はまだありますからね。私とジュリアは先に現地に行き、他の方と情報共有を行っておきます。9時ごろ集合完了とのことですので、8時半には全員集合をお願いしますね」
「はい…」
「ああ…俺の休日が…」
「頑張って一日で終わらせましょう」
「そね…一日でね…。
…ところでジュリア」
「ん?なんだ」
皿を片付けながら詠次はジュリアに話しかける。彼女の皿にはまだ全員のサラダから奪い取ったサーモンが並んでいた。
「皿洗い、食べ終わった最後の人がする、だったよな?」
「あ」
「頼むぞ!!」
「クソ!!!すっかり忘れてた!!
…いや待てよ…そうだ!このサーモンは俺のじゃねえ!ノーカン!これはノーカンだ!!皿はお前が洗うんだ!!!」
「ジュリア、近所迷惑ですよ」
暴れている彼女を尻目に二人は早々と部屋に戻り、支度を始めた。