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その他の短編

幸せなんてないけれど、それでもあなたを愛します

 ちゅ、と互いの唇を啄む。

 ただそこに相手が在ることだけを確かめるかのようなキス。


 ロマンティックな雰囲気も、幸せで満ち足りた想いもあるわけがない。

 抱きしめ見つめ合う先にあるのは、どこか物悲しげな彼の瞳。きっと私も同じような目をしていることだろう。


 触れ合いはわずかな時間で終わり、互いの体が離れる。


「彩夏さん、愛してるよ」


 ――ああ、哀しい。その言葉を嘘だろうと思ってしまう、そのことが哀しくてたまらない。


「私もよ、西尾くん」


 照りつける日差しの下、ざばんざばんと波音を立てる真夏の海を背景に、私たちは張り付いた笑みを浮かべた。



***



 この世界には、幸せというものが存在しない。

 いや――正確にはなくなったと言った方が正しいのかも知れないけれど。


 かつては幸せという感情を抱く人間は多くいた。

 不幸を感じる者もいたようだけれど、『幸せではない』という風に感じられるだけでも幸せなのではないかと思う。


 私たちには何もかもが不足していなさ過ぎる。

 百年前までは大問題とされていた貧困にあえぐ人間はいないし。

 誰かに対し不満を抱いてもそれを口にする者はいないから差別はなく、戦争や紛争は全て廃止され、喧嘩さえ非効率的な行為として禁止されているので起こることがない。


 食料問題も解決され、自然環境は全て正しく整えられている。受けられる教育も福祉も皆平等。働いていなくても必要最低限の金は得られる。

 犯罪率と死亡率は激減し、その反対に出生率は増えに増え、今や人口百億人。


 そんな、百年前の昔には理想でしかないと思われていたらしい世界を、私たちは生きている。

 それもこれも全て発達したAIのおかげ。この世界はAIの管理の元で動いており、だからと言って支配されることはない。AIの暴走という事件も起きてはいないから平和としか言いようがなかった。


 そう、たった一つ、この日々が幸せであるかどうかにさえ目を瞑れば、平和な楽園なのだ。


 どれほど美味しいものを食べても、家族と共に談笑していても、笑えるテレビを見ていても。

 それらは全て当たり前でしかなく、そこに幸せという感情は全く感じられない。百年前の時代を知らない私たちにはそれさえ当たり前のはずなのに、幸せを求める心だけは常に飢え続けている。


 私はとあるごく平凡な家庭に生まれた五人兄弟の次女だった。

 不足はなかったけれど十歳にもなれば家にいるのが嫌になって、もしかすると有名になれば幸せが掴めるのではと考えた。


 暇だけはたくさんあったから、狂ったように毎日小説を書き続け、それをネットの海に放り込んだ。

 そうするうちに反響を集め、スカウトされて私はわずか十二歳で作家デビュー。それから今までの十年間、活動を続けている。


 ――いくら有名になり、ラジオやテレビに出るようになっても、満ち足りた気分になることはなかったけれど。


 私は小説を書くあいま、過去の文献を読み漁った。昔の人々の感情を知りたかったからだ。

 そしてさまざまなことを試した。旅行に行った。青春時代は思い切り青春時代らしいことをした。そして高等教育が終わる頃、恋人を一人作ってみた。


 恋人は誰でも良かった。同じ学校に通う、特段目立った特徴がなく余り物になっていた男子生徒。有名人の私が誘えば、頷かないわけがない。


 名前は西尾(にしお)(そら)。二十二歳になる現在はとある小さな企業で新入社員として働いている。

 もちろん働かずとも生活できるが、働いていないと体が腐ってしまいそうな気分になるのだそうだ。


 付き合ううちに、彼の人となりを知った。

 最初は愛なんてなかった。けれど、いつしか私は彼を愛するようになっていた。


 だが、彼は私を愛してなどいないに違いない。

 所詮私の人気作家という看板に惹かれているだけだろう。


 私も、彼も、その他大勢も。

 決して私たちは幸せになれない。どれだけ平穏な日常でも――いいや、欠落のない日常だからこそ、常に相手の心を疑い、言葉を信じることができない。

 人間とはそういう愚かな生き物なのだから。



***



 恋人との時間を終えた後、私は作業部屋で、私担当の編集者と言葉を交わしていた。

 打ち合わせはオンラインというやつだ。AI技術によって様々な連絡手段が生み出された現在においても、相手の顔が見えるこの連絡方法はそこそこ重宝されている。


「長谷川先生にはパニック小説の新作を書いていただきたいと思っておりまして」


 メガネの中年男がヘコヘコしながら言う。

 長谷川というのは私のことだ。


「パニック小説の新作……ですか。近頃パニック小説が大人気なのはもちろん知っています。ですが私は今まで恋愛小説を主に書いてきました」


「長谷川先生の実力はもちろん存じております。きっと長谷川先生の恋愛小説を心待ちにしている読者もいることでしょう。ですが時代の流れに身を任せるのが時には必要だと思いませんか。読者が今求めているのは――」


 今話しているのは次の新作について。


 社会問題に物申す系の小説はAIに『秩序を乱される』として規制させるため、世に出せない。だが夢と希望に溢れるファンタジーは嫌厭されている。

 そんな現代に求められるのは適度な刺激。もっとも多くの年代層に受け、読まれるのはゾンビものやらウイルスものと呼ばれるパニック系小説だ。それを書けと編集者は私に言うのである。


 冗談じゃない。毒にも薬にもならな過ぎる小説を書けというのか、と私は思った。


 最近の私は私の実体験をもとに、彼氏と私自身を脚色して描き、そこに幸せを求めようとしていた。登場人物と重ね合わせることで何か発見があるかも知れないと。

 パニック小説などでは、幸せなど描けるはずがない。逼迫した状況の中、わずかに生き残った仲間と過ごす楽しい夜を描いたとて、翌朝には仲間が惨殺される図しか浮かばない。これのどこが幸せだというのだろう。

 しかし私は作家。「わかりました」と答え、編集者との話を終えた。


 思いついたアイデアを形にし、電子機器に記憶させていく。

 某国の研究者がAIの目をすり抜けて開発したゾンビウイルス。それが漏洩し、とある街へ届く。

 ゾンビウイルスによって支配された街は混乱に包まれる。誰の助けも来ず、街を管理していたAIは破壊され、人が次々とゾンビ化しているのだ。


 そしてラストは主人公が愛する女と一緒にゾンビ化し、互いの首にかじりつくというバッドエンド。三時間ほどかけてささっと書き上げ、データを編集者の元へ転送してから私は大きく息を吐いた。


 一気に襲い来る脱力感と無力感。それに全身を預けながら呟く。


「一体私、何のためにこんなことを……」


 なんだかやっていられない気分になったので、今夜は呑むことにした。




 七十年ほど前までは飲み屋というのは存在したらしいが、トラブルが次々に発生していたことや犯罪率の高さを理由に全て廃止されたので、呑めるのは自宅だけだ。

 呑むと言っても酒ではなく、酒にどこまでも巧妙に似せた、アルコール度数のないジュースのようなものだ。酔えれば幸せになれるかも知れなかったが、今の世では禁止されている。


 それでもヤケ酒という古来の風習が残っているのは、それだけ不満を抱えながら生きる人間が多いことの証左のように思う。


 オンラインで繋いだ相手は作家仲間の松島(まつしま)まゆみ。話題は、私の愚痴だ。


「パニック小説の依頼を受けて二万字くらいの短めのを書いたのだけど、あれのどこがいいっていうの。書いたって読んだって幸せな気分が味わえないじゃない。むしろその逆、殺伐とし過ぎたと思うの」


「……彩夏、また幸せがどうだのこうだの言ってるの? あたしは面白いと思うよパニック小説も。ハラハラドキドキするじゃん?」


「だって人が生きるのは、幸せになりたいからでしょう。昔の文献にはそう書いてあったわ」


「そんなのはねぇ、おとぎ話みたいなものだよ。作家なんていうものは自分の妄想を書き起こすだけみたいな仕事なんだから。特にこの現代社会では」


 ふぅぅ、とタバコ――に見える電子機器を口に咥えながら、松島まゆみが笑う。

 私と松島まゆみはよくこうして遠隔で会うが、どうにも意見が合わないことが多い。彼女はホラーやミステリー、パニックジャンルを主体として書く作家で、私は恋愛小説主体というジャンルの違いもある。

 ならなぜ友人をしているかといえば大した理由はなく、まあ縁というか成り行きとしか言いようがない。


 友人というのも実質形だけ。実際に顔を合わせたことのない相手を、どうして好きになれようか。

 ただ気軽に話せる、友人のガワを被った何か。私たちの関係はそんなものだった。


「最近はどう、彼氏との関係」


「変わるわけがないでしょう。彼は私を愛していると言っている。私は彼を愛している。いいえ、彼を愛しているという自覚を持つ自分を認識して安心しているだけかも知れないけれど」


「また難しい考え方してるね。あたしも最近付き合っていた俳優と別れたんだよね。カラダが合わなくってさ」


「…………」


「結局男女なんてものは、相性の問題でしょ」


 彼女の意見にはどうにも賛同できないなと思いながら、私は酒瓶を傾けた。

 彼女との話は夜遅くまで続いたが、結局幸せを得るヒントは見当たらなかった。



***



 恋人と過ごし、編集者と語り、毒にも薬にもならない話を書いて、友人と呑む。

 その間に国際的な賞を取ったり書いた本が映画化されるなどして誰もが知る超有名人になっても、数ヶ月、そして一年が経ってもその生活に変わり映えはなく、また夏がやって来る。


 そしてお決まりのように私と恋人の西尾空は、海辺のビーチを訪れていた。

 ここには毎年来ている。夏はいつも晴天であたたかな場所になるよう管理されているので、絶好のデートスポットなのだった。


 とはいえもうビーチバレーで遊んだり水着で泳ぎ回るの歳でもないので、何をするでもなく海を眺めるだけ。


「海が綺麗だね、彩夏さん」


「……そうね」


 そっと身を触れ合わせ、私は西尾空と申し訳程度の口付けを交わす。

 彼の唇が好きだ。私を抱きしめてくれる優しい両腕が好きだ。好きなのに、彼からの気持ちは薄っぺらに思える。


 哀しくて笑えた。


 愛を囁き合いながらも、幸せにも不幸にもなれない私と、きっと私と同じで幸せでも不幸でもないだろう彼。


 私も彼も、幸福を感じられることはないだろう。だってこの世界にはもう、概念ごと消え失せていることなのだから。


 それでも彼を愛し続ければ手に入るものがあるかも知れない、なんて言い訳をして。幸せを諦められない私は愚かだ。

 いつか訪れるのではないかとそれを待ち続け、それを心の底で求め続けている。


 そんな私を嘲笑うように、波音がざぶんざぶんと響き渡った。

 こうして今年の夏も過ぎていくのだろう――。

 お読みいただきありがとうございました。

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夏企画・if……物語企画概要割烹 ←企画概要 ↓作品検索 夏企画・if……物語企画 バナー作成/momo_Ö
― 新着の感想 ―
[良い点] ∀・)ブライアンさんの企画趣旨に則ったうえで考えてみると実にすんごいテーマで書かれていた作品だなぁと思います。そのうえで特筆すべきは「ブレてない」ってことになるのかな。 [気になる点] ∀…
[良い点] 常に静けさのようなものを感じるところが魅力的な作品でした。 良作をありがとうございます。
[良い点] さすが、作者様の作品!発想、構成の巧みさに唸りました。 「幸せ」という概念が存在しないユートピア。 ゾッとしました。 でも、近未来にはありえそうなお話だと思いました。 タイトルがいいですね…
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