2話
マシアスが描いた魔紋の上に立つ。
少し緊張した面持ちのティア。
マシアスが苦笑しながら少し離れたところで声をかけてくる。
「誰にも見られないようにね。見られても、相手の記憶に残らないようにするんだ。記憶に残ってしまうと未来も変わってくる。」
マシアスの言葉とともに魔紋が光り輝く。
「どこに着くか、どの時代につくかははっきりとわからない!!気をつ・・・・いいね・・・・だよ」
最後の方は全く聞こえなくなり、ティアは光に包まれた。
眩しさから目を閉じていたが、瞼からの光が少し落ち着き、ゆっくりと目を開ける。
周囲をきょろきょろと見回すと、どこかの部屋のようだ。
一面にドレスがかけてある。
誰かの衣裳部屋なのだろうか。
すると、どこからか声が聞こえた。周囲を見回すと、扉の方から聞こえてくる。
ティアは咄嗟にドレスが立ち並ぶ奥に入り込み、様子を伺う。
扉が勢いよく開け放たれ、ドレス姿の女性と黒いローブをきた誰かが中に入ってきた。
女性は年若いが、メイラに似ている。皇后だろうか。
「ここに来るなんて!ばれたら大変なことになるのよ!!」
女性が小声だが叫ぶように言った。
「と、言われましても、私はあなたの下僕ではありませんよ?命令されるいわれはない。同志でしょう?」
黒いローブの誰かが言う。声は男のように聞こえる。
「ロレッソはあなたにそっくりなのよ!あなたの姿が少しでも垣間見えれば、あの子が誰の子供かすぐにバレるわ!!」
皇后だ!
ロレッソが生まれた後なのだろう。
ティアは息を呑みそうなのを、両手を口に当てて何とか止めた。
「・・・あなたが私を誘ったのだ。陛下に愛されたくて。見てほしくて。浅ましい・・・
子供がいなくては陛下に愛されない、と。あなたが陛下に避妊薬を盛っていたのに。」
避妊薬・・・?
「私が何も気づいていないとでも?あなたに幻覚魔法を教えたのも私ですし、薬についても私がお教えしたのですよ?」
皇后は持っている扇をきつく握りしめ、ぶるぶる震えている。
「ふふふ。あなたは、陛下の寵愛が他へ行くのも、真実を知られるのも恐れた。だからこそ、陛下に不妊の薬を飲ませたのでしょう?他で子供をこさえられるより、子供ができないほうが良いとして。
あなたが陛下を罠にかけ、婚約破棄させるように側室のエリス殿をけしかけたのでしょう?陛下は大公夫人を大切にしていましたからね。自分が悪者になるのは嫌だった。だから、エリス殿をけしかけた。彼女が魅了の魔法を使えるのに気付いたから。」
皇后は唇を噛んで、目の前の男を見上げている。
「陛下は大公夫人を捨て、あなたの口車に乗ってあなたを妃にした。見方は自分だけだと思わせたのでしょう。まだ魅了魔法にかかっていた陛下はエリス殿を寵愛した。子供を作らせたくなくて、陛下に不妊の薬を飲ませた。
では、なぜエリス殿が妊娠したか。それは、前皇帝陛下がエリス殿を慰み者にしたんでしょう?・・・あなたの策略で。親子で、エリス(ああいう)タイプを好むんですねえ。」
皇后の顔色は青を通り越して真っ白になった。
「不妊の薬を長年飲んでしまい、すでにあなたとの子作りは難しかった。だが、あなたには一番憎くても、愛おしく感じてしまう皇子がいますね?それは陛下の実の子。あなたが盛ったはずの薬を陛下は飲まれなかった。“あの女”のせいで。」
皇后がピクリと肩を振るわせる。
「ふふふ。そんな顔をしないで。美しい顔が醜いですよ?
シェヘレザード様が嫁いでこられたとき、“彼女”があなたの命令で陛下に薬を盛るはずだった。しかし、彼女はクスリを盛らなかった。だから、シェヘレザード様は陛下にそっくりな皇子を産んだ。
憎い子供のはずなのに、愛おしいのでしょう?あなたの皇子殿下を見る目は・・・異常ですよ・・・」
黒いローブを着た男が体を揺らして笑っている。
「“彼女”は、あなたの右腕だった。どんな後ろ暗い仕事でも難なくこなした。なのにねえ・・・あなたを捨てここを出たのですね?・・・生きているのかな?」
男の言葉に、ティアは自分の心中にドロリとした黒い何かが渦巻く気がした。
「いい加減にして!!あの女は知らない・・・!あの女の命を狙っているのはわたくしじゃないわ!!わたくしじゃない!!」
皇后は気が触れたように両手で頭に触れ、首を左右に振っている。
男は立ったまま、蹲りだした皇后を見下ろしていた。
一瞬見える瞳。
黒い瞳が冷たく光る。
どこかで見たことのある瞳。
ティアはもう少し見ようと前へ出ようとする。しかし、ドレスが動いてしまった。
「誰だ!!」
男が素早く、ティアがいるである方向を見る。
男は静かにこちらへ向かってくる。
ティアは微動だにせず、黙ってそこから動かないようにする。
男の息遣いが近くに聞こえる。
衣裳部屋にあるドレスは二段になっており、ティアはその下の段のドレスの奥に隠れていた。
男のローブの裾がドレスの間から見え隠れする。
ティアも息を殺し、ただ黙ってその場を過ごす。
ティアは視線を上に挙げた。
ドレスの隙間から、男の顔が見えた。
茶色いパーマのかかった男。
私はこの男を知っている。
今は短いが“未来の彼”は髪が長い。
ティアは身を縮こませ、必死にドレスの影に隠れる。
彼は魔法について詳しく、治癒術師としても体の仕組みにとても詳しい人。
遠国カスマ国の医師、アサ=トゥル・オルエダ・カーマン。
ティアが学院時代に、師事した人。
出世欲もなく、物欲もなく、ただ自分の知識を高めることに対して、全ての欲をぶつけていたような人。
ティアは視線をすぐ下に向けた。
息が聞こえないように必死で口を抑える。
「・・・気のせいか・・・」
アサはそう呟いて皇后の元へと戻った。
「・・・とにかく、ここには来ないで。お金はきちんと送るわ。」
「信用できないから来たんですけどね?・・・あなたは今それどころではないでしょう?」
アサの言葉に皇后は震える手でアサの頬を打った。
アサは肩を震わせ笑っている。
皇后は怒りからか顔を真っ赤にしてアサをにらみつけている。
「何とかすると言ったでしょう!!」
皇后が金切り声で叫んだ。
アサの視線が冷たくなる。
表情も微笑みから、冷徹な無表情へと変化した。
「・・・大きな声を出しては、侍女たちが来ますよ。・・・ああ。“彼女”もあなたに逢いに来たようですね。」
アサの意味深な言葉と同時に、アサは姿を消し、扉が勢いよく開けられた。
入ってきたのは金髪の髪をした青い瞳の女性。
目は血走り、眉間にしわを寄せ、鋭く皇后を睨んでいる。
「話が違うじゃない!あなたが、サメイラを殺すと言ったから宮廷に入ることを容認したのに!!サメイラを・・・あの女を国外に逃がすなんて!!」
女性の言葉に皇后は目を瞠る。
「国外へ・・・逃がす?」
「はっ・・・知らぬふり?ふざけないで!!・・・私は全て知っているわ。義母に皇帝と結婚したいから、とフィルリアを蹴落とすために、サメイラを利用したでしょ・・・・」
バシン、と女性の頬が皇后に叩かれた。
女性は皇后を睨む。
バシン・・・バシン・・・
皇后は女性が睨み上げるたびに頬を叩いた。
「・・・無礼は水に流してあげる。あなたこそ忘れないで?・・・あなたが、誰に何をしたのか、私が知らないとでも?」
皇后の言葉に女性は顔色を悪くしたまま、床に座り込んでいた。
皇后が屈み、何かを女性の耳元で話している。
ティアは聞き耳を立てるためにもう少し身を乗り出そうとした。
しかし、後ろから誰かに唇を抑えられる。
「・・・好奇心はほどほどにするべきだなあ。」
振り返らなくてもわかる。
この声には聞き覚えがあるから。
ティアは口をふさがれたまま、その場から消えた。