遅れた親友
俺はもうすぐ三十になるサラリーマンだ。今日は中学校からの親友である坂倉弘次が、俺の家に午後十一時に来る約束をしているんだが、もう三十分も遅れている。酒を二人で飲むのだが、三十分も遅れられては腹が立つ。
いつもの坂倉なら、約束の時間を三十分も遅れることはあり得ない。到着したら、文句の一つや二つは言ってやろう。
そもそも、二人での飲み会を企画したのは坂倉だ。昨日は、事前に酒瓶を我が家に持ってきた。その時に、なんなら今日にでも飲もうぜ、と言ったのだけど断られた。このあと予定があるらしかった。
「チッ! 坂倉の奴、遅ーぜ。先に飲んでやるよ」
ムカついたから、坂倉が昨日持ってきた酒瓶を開栓して、コップに注いだ。
するとちょうど、家のインターホンが鳴った。やっと来たのか、とため息をもらしてから玄関まで歩いて扉を開ける。
「すまん、神崎。今日は遅れてしまった」
神崎とは、俺の名字である。下の名前は神。神崎神は、少し恥ずかしい名前だ。
「まったくだよ。というか、初めてじゃないか? 酒蔵が約束の時間に遅れるのは」
「まあ、初めてだね。って、酒蔵って渾名はやめてよ」
坂倉という名字は、『く』を濁音にしたら『酒蔵』となる。だから、俺は坂倉のことを酒蔵と呼んでいる。
「ま、中は入れよ」
「ありがと」
坂倉を中に入れると、リビングの椅子に座らせた。リビングには我が家に唯一ある時計が壁に掛けられているのだが、すでに短針は『12』、長針は『7』を指していた。つまり、十二時三十五分だ。
「坂倉。今日は何時まで飲めるんだ?」
「そうだな......明日は休みだから、深夜の二時までは飲めるよ」
「良いね。何なら飲み明かそう」
「お、やっちゃうか?」
俺も椅子に腰を下ろし、坂倉のコップに酒を注ぐ。
「「乾杯!」」
二人で酒を飲み始め、顔を赤く染めて談笑した。やがて俺は、居眠りをしていた。起きた時には、坂倉もソファで横になっていびきを掻いていた。ハハハ、と笑ってからまた目を閉じた。
俺は所轄の捜査一課の警部──神田良悟。とある知り合いの探偵のお陰で、犯人検挙率一位だ。俺が扱う難事件をいつも解決しているのは、私立探偵・明智心。警察学校の同期だったが、明智は自主退校して探偵を開業した。
さて。自称凄腕刑事の俺が現在扱っている殺人事件はちょっと異例だ。被害者は坂倉慎士。現場は害者の家。殺害方法は背中に包丁で一突き。凶器の包丁は害者宅にあったものだったことから、突発的な犯行だと考えられる。
この殺人事件の異例なところは、容疑者は一人しかいない。坂倉慎士の兄、坂倉弘次だ。害者の死亡推定時刻の午後十一時に、現場を立ち去る弘次の目撃証言がある。そうして、事件翌日の朝に即逮捕された弘次だったが、全て罪を認めている。
事件当時の弘次の動きは、午後十時五十分に害者宅に訪れる。その後十分間で害者を殺し、午後十一時に害者宅から逃げる。午後十一時三十五分に神崎神の家に行き、二人で酒を飲む。
ここが問題なのだ。害者宅から神崎宅までは十分で行き来出来る。空白の二十五分が存在するのだ。
また、神崎の証言によると、弘次が約束の時間に遅刻することは今までなかったようだ。
ここには何か裏があるのではないか。そう判断した上層部は、俺を送り出した。もしかすると、犯人は別にいて、弘次は罪を被っている可能性があるからだ。
「くだらん事件だ。即明智を呼ぼう」
俺には推理力はない。こういう事件は、すぐに明智に捜査を任せた方が良い。スマートフォンを操作して、明智に電話を掛けた。
「もしもし、俺神田」
「神田警部。難事件ですか?」
「そんなところだ。すぐに来い」
「住所を教えてください」
明智に住所を伝えて、電話を切る。
彼は手柄を欲することなく、難事件を解決することしか頭にない。俺は出世を欲する。結果、両者WIN-WINの関係になっているのだ。まさに名コンビ。
三十分後、何を血迷ったか、明智はサングラスを掛けて現場にやって来た。
「おま......何だ、そのサングラスは!?」
「いえ、車を運転していると太陽光が眩しくてですね」
「は? 明智ってペーパードライバーなんじゃ?」
「ええ。ですが、最近は運転の練習をしているので」
「お! なら、これからは俺が助手席に座って良いのか?」
「駄目です。助手席は譲りません」
どんだけ助手席好きなんだよ。
「ま、死体はそのままだから、着いてこい」
明智は死体を見ると、笑みを浮かべてしゃがみ込んだ。死体をいじくり回し、死体を舐めるように確かめた。
「面白いですよ、これは。突発的な犯行、なるほど......」
「何がわかったんだ?」
「わかりましたよ、もちろん」
「何がわかったんだよ」
「あとで話します。それより、証言者の一人である神崎さんに会いたいです」
「そうか。んじゃ、運転席乗っとけ」
「嫌です。私は助手席にしか乗りません」
明智はまったく譲らず、結局いつも通り俺は運転席、明智は助手席に乗りこんだ。
向かうは署だ。神崎は現在、署で取り調べを受けているのだ。