「笑顔」
今の現状、徐々に揺れが大きくなっていることなど、戦闘経験の乏しいものであっても多分わかるだろう。足がすくんで仕方がない俺は、この地響きがいったい何を表しているのか早々に理解してしまったため、呼吸が尋常じゃないくらい荒れた。
このだんだんと少しづつ大きくなっている揺れが、自身の終わりを刻むカウントダウンだと想像すると、今日一番の恐怖が易々と手に入った。
「スペラ……ま、まずい。理由は省くが、い、いま……ものすごい数の魔物が迫ってきている。見ての通りここは行き止まりで、予想でしかないけれど……他の階段も同じだと思う」
「そもそもここに進んできてしまった以上、他の階段を目指すなら戻らなくちゃならない、そして……そして……戻るということはすなわち、それに相対するということだ」
「情けないことを聞くようで申し訳ないんだけど、俺は……今、こ、怖くて仕方がないんだ。君は、数百の魔物を相手にできそうかい?」
自分自身で言っていて反吐が出そうな言葉を噛まずに言い切った。もしこれを平生の自分が見ていたなら声を荒げて正気を疑うだろう。芸人にあるまじき惨めでみっともない姿。
おおよそ生きている価値は俺基準で、無い。こうやって一瞬前に述べたことを思い出すだけでも自分を蔑みたくなるくらいには本当にクソ野郎だ。あれだけの大見得をはって大層な夢を語っていながら、経験を遥かに超える恐怖が襲来した途端、矜持も思い出もかなぐり捨てて、なおも生き恥を晒せているのだから、自分という人間が全く以て意味のない愚図なのだと根本的に理解した。どうやっても救えない。死ねばいいのに。
―――でも……でも……でも……。
怖くて、さっきたまたま巡り合った光が急に信用できなくなるくらいには怖くて、自分の本懐を忘れるくらいに怖くて。
それでも、俺は『生きたい』が先行してしまう。
因果応報とはまさにこのことだ。底抜けに前向きな性格が自分に幸をもたらしたことより、自分に不幸を与えたことの方が多いことを、身をもって知っていたのに、今日一日でも何度も反省する機会はあったのに、なぜ自分はこうも前向きで無謀なのか。
なぜ、ここに来ようと思ってしまったのか。
あぁ……なぜ―――
「―――うーんやってみなくちゃ分かんないけど、頑張る!」
気持ち悪い俺への自己嫌悪を遮って、彼女は明るく言った。
その雰囲気は俺よりよほど芸人に向いている。
「へ?」
「ん?」
「俺、ひゃ、ひゃくって……」
「いやぁ、諦めちゃっても何も楽しくないしね。もしここで死んじゃうことになっても、最後の振り返りの瞬間に少しでも悲しいことを思い出さないように、いつまで前向きのほうがいいじゃん?」
「それに、ワンチャンあるって。何事もさ」
ゾクゾクが止まらなかった。恐怖に対しての心臓の鼓動の早まりが、いつの間にか彼女への好奇心に塗り替わった。
運命を感じ取ったと言い換えてもいい。仮面でしかない“さすらいの芸人”と不完全な“旅芸人”の俺という存在に、暗闇に溺れてしまっている俺という人間に、道を指し示し、光を照らす存在は彼女なのだと認識した。
この娘は天才だ。
「ワンチャンか……いいね、その響き」
再び、上昇志向と前向きさに火がともる。
「でしょでしょ? うちの仲間はみんな頭が固いから賛成してくれんけど、お兄さんなんか気が合いそうやな」
「そう?嬉しいこと言ってくれるっねッ!!!」
スペラに言葉を返しつつ、迷宮の暗闇に向かって石を投げた。「きゅぴっ」と痛みで鳴く音がした。
「ほいほーい、そいじゃお兄さん頑張ってみよー!」
「そうだね、ショウタイムというやつかな!?」
落としていた短剣拾い、前に構える。
魔物の群れと俺の咆哮が第一に激突して、戦闘は始まった。
「じゅばジャーンといきましょ【運べ】」
狭い通路が大半のアルセナールの迷宮ではそこそこ広い部類に入るこの空間は、集団で並んだとして、魔物が横にギリギリ三体くらい。
一番先頭の魔物は例に漏れず、スペラの圧倒的力で消し飛ぶ。そしてそれは先頭だけでない。スペラの力は後方にまで届き、一回の発動で五体もの敵を屠る。
そしてそれは、俺の冒険者としての半年の稼ぎの三倍分に値する功績であった。並の冒険者でもこうはいかない。一体一体が本当はとてつもなく強力な魔物であった。
しかも、それだけでスペラの攻撃の手は止まらない。
「【配れ】」
絶命した敵の肉体は爆散し、鉱物由来の堅い組織が凶器となって魔物どもに直撃する。
その行動だけで視認できていた魔物の群れはこの世から退場した。
「お、おわり?」
スペラは俺の言う最悪が呆気なく終わったことを確認するように言った。
しかし―――
「まだだ!今のはたまたま近くにいたやつが集まってきただけに過ぎない。まだまだこれからが本震だ」
「ふぅー、おっけ。頑張る」
スペラの顔色が少し悪そうであったが、俺は死んだと思われていた魔物が生きていたのを見てトドメをさすのを優先した。
第二、第三の群れは続々と来る。
スペラがその驚異的パワーで敵を粉砕していく中、俺も何かの役に立とうと必死に剣を振るっていた。 体内で分泌した堅く尖った鉱石を、口から素早く撃ってくる【暗闇の殺し屋】の長い胴体を短剣で尾から頭まで一刀のもとに両断し、視覚外からの不意の攻撃に対策した。 時には死体に紛れ込み、敵の後列に不意打ちで襲い掛かって敵の動揺を誘いスペラへの被害を防ぐ。
歯が立たないと分かり切っている叩き割り鉄巨人はスペラに託して、勇猛果敢、一歩間違えれば無謀な蛮行で、狂ったように魔物の団体に向かって短剣を振りまわした。
特に剣術の素養が有る訳でもないし、スキルを持っているでもないので、一心不乱に純粋な殺意と意気地だけで剣を突き刺した。
短剣は第三群あたりで早々に役目を終えて粉々に砕けて逝ったので、次はちゃんとした物を買うと心に決めて、今までの無茶な行為に付き合ってくれたことに感謝しつつ、第二群の人体遊解小気が寄生していた冒険者の長剣を拝借した。
当然、今まで使っていたものより刃渡りが長くなり安全性が僅かでも向上するがそのぶん使い勝手に困る代物で、慣れていない分さっきより不格好に振り回す。それで、弾かれて体制が崩れても、次の瞬間にはかなり後ろでスペラが援護し撃破することで、どうにか戦線を維持した。
どうやら無我夢中になってしまってかなり前に出てしまっていたようだ。第四群までのわずかな時間で、走ってスペラの近くまで戻った。
ステータス自体は俺よりはるかに低いスペラの近くに居続けることは少しリスクがあったが、だとしても、俺ではこの状況は打破できないので、信頼して近くまで寄る。
スペラの顔色はさっきより優れない。
「…だいじょうぶか?」
息が上がっている俺は絞り出すように短くそう聞いた。
「問題なーし!」
元気一杯を装う彼女のその返事に思わず笑顔が出た。
でも、暗闇の先にストルジニアントが見えたなら、俺はすぐに溢した笑顔を拭いた。覚悟の気持ちを締めなおす。
・・・
とうとう借りた剣まで折れてしまうまで戦ったころ、ぜぇはぁ息をしながら、乾きすぎて飲み込めない唾を無理やり押し込んで、周りを見た。
一定時間放置され続けた魔物は、魔物の摂理に従って灰化して消えていた。いったい何体の魔物を撃破したのかも分からない。第一群の死体などとっくの昔に灰化して他のと紛れてしまっている。
そして、時間もどれだけ経ったか分からない。迷宮に時計なんかが有る訳もなし、数えている暇もなければ余裕もない。しかし、未だ迷宮から解放される時間ではないのは確かなようだ。スペラの後ろに通路には壁がまだあった。さらに、地を揺らす音は途切れてはいない。
暗闇から魔物の群れが現れた。
短剣ほどにまで折れた長剣を使って魔物の喉元を切る。敢えて通過した先頭を見ると―――まだ生きている。
スペラが討ち漏らした?
焦り前に出る気持ちと力尽き倒れようとする体の衝突に苦しみを抱きつつ、唸り声を挙げて奮起させ、歯を食いしばってスペラを視界の中から探す。
「す、ペラ……」
彼女は今にも死にそうな面持ちで、先ほどから居た場所で一歩も動かずにへたり込んでいた。
群と群のわずかな時間にスペラから聞いた話では、スペラの使う能力というのは体力を消耗して行使する技なのだという。だから、何度も繰り返して能力を発動させた―――もっと言えば酷使してしまった―――代償として、彼女は生命力を大幅に減少させていたのだ。
事実、限界を超えての超過行使でスペラは幻覚症状まで出ていて、立ちあがる気力さえ残っていない。彼女は、ただ座って抵抗することもなく無気力だった。
走って助けに行きたくとも、今の自分は鈍重なストルジニアントより遅い移動しかできなかった。長剣の鞘を杖にすることでようやく立っている状態であり、スペラほどではないが体力も底をついていた。
「スペ、ら……しっかり……!」
こうやって叫ぶことが精いっぱいだった。
ストルジニアントはゆっくりとスペラに近づき、大きく振りかぶり、その巨腕でスペラを打ち砕かんとする。
迫る拳がもとより貧弱でさらに弱体化しているスペラに炸裂する―――前に。
「【運べ】……」
スペラはスキルを発動していた。
吹き飛ぶ魔物の頭、もう何度も見た光景だが、今回ばかりはより奇跡的な光景に思えた。
思わず「よかった……」と心から安堵する。
が。
―――地を揺らす音は終わりではなかった。
「は、ははは……」
悲しい笑いが溢れ出た。もう動くことはできない。
スペラは今ので全てを出し切ったのか、生死も分からぬまま倒れてしまった。
たぶん、近くに行って彼女の顔を見るよりも、俺が後ろから迫る化け物に潰される方がいくらか早いだろう。
それでも、最後くらい一緒に居たかった。
激戦を繰り広げるうちに、彼女と俺はあり得ないくらいの感情の共有をした。
共に戦った戦友として最後の瞬間でさえも共にしてみたかった。
今日は不思議な一日だったと彼女に笑い話のように伝えたかった。
そして、俺は彼女に何かしらの運命を感じていた。だから無理だとしても前向きに、彼女のところへの歩みを止めなかった。
<ヒュンッ
短い風切り音。
「―――かはっ……!?」
警戒する気にもなれなかった後ろから弾かれるように殴られた。武闘小鬼の拳が背面に直撃したのだ。皮の鎧が今の衝撃でバラバラに壊れ飛ぶ。
でも、そのおかげもあって意識が朦朧としながらも、彼女のもとにたどり着いた。
殴られ、吹き飛ばされた時に激戦でぐちゃぐちゃになった迷宮を転がったため、全身が酷く痛かった。スペラのサポートにより、ここまで残っていた最後の防具である皮の鎧もないのだから、体に奔る痛みは今日一番だ。
這いずりながら、自分の運命のもとににじり寄る。
「すま、ない……むり、だった……」
掠れた声で謝罪する。
彼女に意識はなさそうだった。閉じた瞳がまた可愛らしかった。
願わくば、彼女の最後が安らかなものでありますように。
俺の運命が惨い目に会いませんように。
それだけを祈って、俺も目をつむる。
だんだんと塞がっていく視界で最後まで彼女を見続けた。
(ごめんよ……約束は果たせそうにない。僕はここで死ぬみたいだ。今、君の後を追おう)
あの子に謝罪して、そして最後に俺が見たものは―――
<ぽちゃんっ。
。。。
……雫が滴る音が、妙に頭の中で響いた。
俺は知っている。これが何なのかを。俺が一番嫌いなものだ。軽蔑し、侮辱し、唾を吐いて暴言で罵ろうとも余りあるほど嫌いなものだ。
別段“これ”が嫌いなわけじゃない。正確に述べるならば、これを是とする『闇』が嫌いだった。かつての俺を彷彿とさせるようで……。
……どうしてだろう。次々に意識が世界に戻ってくる。
もう諦めたのに、もう強くは成れないのに、もう手遅れだというのに。
……なぜだろう。堪えきれない『怒り』が湧いてくる。
それは馬鹿な己に対してか、弱い俺を虐める魔物に対してか、それとも不条理を何の気なしに押し付けてくるこの世界に対してか。
……訳が分からない。“俺”に何を求めているんだろう。
『俺』は酷い。自分を認められず、他人を慮る事も出来ず、他者を徹底的に排除し、自分だけの世界に逃げるように溺れようとしていた。
『私』は弱い。普段の俺という存在をどこまでも忘れ去ろうとし、自分が自分であることを放棄したがるように、いつまでも俺を認めない。
だからこそ、まだ“あの子”を引きずって俺は怯えている。
きっと【Lv】だってそうだ。俺のそういった弱い部分を見通して、判断したのだ。でも“私”は助けなかった。
そんな俺にどうしろと?「何をしろ」と世界は俺を生かすのか。
……まさか、まだ俺は死ぬべきではないと、そう言うのか?
この俺に? バカバカしい。さっきも言った、俺は何もできやしない。傲慢で偏屈で、自己満足と致命的な前向き精神を併せ持った能無しだ。
他を当たってくれ……。
『―――本当にそれでいいのかしら?』
俺であり僕である“私”が俺に問いかけた。
何がだ? この状況の何が良いに決まってるんだ?……何も良いわけないじゃないか。
でも、俺に何ができる?見栄と向上心でここまで来て、それも戦ったわけじゃない、逃げてきただけだ。依頼を受けるのにだって丁度年だけくってたから、たまたま許されただけだ。実力で許可されたわけじゃない。
『どうしてそんなに自分が嫌いなの?』
これは滑稽だな……自分の事なのに自分が好きなのか?この俺が?本当に馬鹿だ。
もう……なんなら教えてくれよ。何を好きになればいい?
……分からない、分からないんだ。
『答えられない、けれど―――それは、目の前にあるのだと、私が気付いているのなら、あなたも気づいているのじゃないかしら』
……目の、前。
……まだ、そう、まだなんだ。まだだ。
『なにが』
俺はまだ何も知らない。何も出来ていない。だから可能性を見せてくれた君に―――「ありがとう」を言えていない……!
終われない。こんなところで終われない。過去の自分に報いるためにも、朝の自分を恨まないためにも、この依頼を最後まで果たさなければならない。
何より、俺はまだ君を俺の【芸】で笑わせることが出来ていない。
『ならどうすればいいのか、私は分からないけれど、あなたは分かる?』
……わかった。いや、この際だ、分からなくてもいい。
……この気持ちを声を大にして―――言い放てばいいだけだ!
「俺は……俺は……俺は……!!!!!」
「誰かを笑顔にできる“旅芸人”!!!」
「―――泣くなスペラ!!!俺が涙の代わりに最高の『芸』を見せてやる!!!―――」
Lv-273の不出来な『旅芸人』は今、本物の旅芸人へと昇華する。
<ピッ【Lv-272】