「恐怖」
巨大な鉄の塊が、さっきまでは魔物として生きていた物体が、悲鳴や断末魔をあげることなく力なく騒音を伴って地面に倒れ伏す。俺はそのいっそ間違いともいえる光景に戦慄した。
「ね?危険じゃないじゃん?」
驕りや自分を過信した根拠のない自信とは違って、彼女はそれがさも自然の摂理の一部だと言わんばかりに、ただ純然とした事実を述べただけのように純粋に言い切った。
「ありえない……」
俺は理解しきれない不条理に上手い表現方法を失う。
俺がまだ生まれ故郷の町にいた時に、身近に魔法を使える人間はいた。もちろんこの帝都にだって魔法を使える者は少なくない。
詳しくは知らないが、魔法とは『スキル』―――不思議な力―――の派生した力の事で、よりスキルを扱いやすくした技術の事を言うそうだ。
“詩律”と呼ばれる詠唱を介して魔法というあいまいな存在を現象として顕現させる。それが魔法だ。
実際に魔法を見たこともあるが、長ったらしい規則的詩を唱えて、やっとのことで「ありえない」を現実にしていた。
しかし、だとしてもこれはあまりにもおかしい。
スペラが事前に口にした言葉が“詩律”だったとして、一詩であり、それは【第1詩律】と呼ばれる最下級の難度が最も低く効果も薄い魔法ばかりのはずだ。少なくとも第1詩律の魔法で叩き割り鉄巨人を一撃で仕留めるなどあり得ない。
ならば、答えは出た。
間違いない、スペラのあの驚異的力は不可解かつ聞いたこともないあのスキルによるものだ。あれは断じて魔法などという縛られた存在ではない。
ただの身体的勝負になったなら俺でさえ勝てるだろうに、俺では逃げることしかできない相手を一撃で葬る。全く……恐ろしいったらありゃしない。
「いえい」
恐ろしい化け物を倒したというのに平然としている少女は、笑顔を浮かべてこちらを見てアピールする。今日の一日でいろいろなことが起こりすぎている俺は思考を軽く放棄して、乾いた笑いを返しておいた。
しかし、現金な俺は買取可能な部品だけちゃっかり忘れることなく回収しておいた。
移動中、ほどなくして俺が耐え切れなくなり聞いた。
「その能力がどんなものなのか分かっているのか?」
「んん~?【万物運送】のこと?まぁなんとなくは知ってるよ。なんてたってもう五年のお付き合いやからね、未だに分からないこともあるけど、だいぶ扱いには慣れたかな」
「ほら、こうやって好きな物をピュピューって動かせる能力」
相変わらず擬音が独特なところに引っかかりを感じるが彼女の個性なんだと気づくと不思議と愛嬌を感じれて好感度が勝手に上がる。
そして……そうか。能力自体はかなり前から持っていたものなのか。それにしても便利で使い勝手のよさそうな能力、羨ましい限りだ。彼女が手をくるくると回すと、それにつられて引っ張られるように俺の短剣が宙をくるくる回り、それを見て、自然と「おぉ……」なんて感嘆の声が漏れる。
こんなものがあれば芸人としてもっと面白いことができるだろう。本当に羨ましい。
「物浮かせて飛ばしたり、相手を吹き飛ばして倒したり、そうやって対処しながら上まで登って行ったんよ」
「え、もしかしてここより上に行っていたのか?」
「うん。階段はけっこう登ったから十三階くらいまでは行ったと思う」
さっきから彼女には驚いてばかりだ。十三階はアルセナールの迷宮を攻略する組の中でも上位勢しかたどり着くことができないと聞いている。酒場でも、やれ十階以上に到達しただのという自慢げな声とそれを褒め称える声を耳にしたことがある。
相変わらず呆気に取られる俺は「それは、すごいな……」とだけ言っておく。
少し恥ずかしそうに「そうなのかな~」なんてことを言うスペラは、少女らしく言いながらも俺が気付きもしなかった潜伏型の魔物を爆散させた。
また「すごいな……」という言葉だけが俺から出た。
そろそろ短い言葉しか返せない自分にも腹が立ってきた。話題を変えよう。もう「おぉ」とか「えぇ」とかいう返事しかできないのは嫌だ。
それで、彼女のことに興味をそそられて仕方がなかった俺は、楽しそうに先頭を行くスペラに「今度良かったら改めて一緒に話でも」なんてことを口から出そうと―――したその時。
「止まってくれ」
俺の勘が全力で危険信号を発した。それは中途半端な冒険者としてではなく磨かれた芸人としての、“笑顔”を求める本能が『この先は楽しくない、怖いんだ』とスペラと一緒にいることで安心感を得ていたにもかかわらず、急に臆病になって勝手に俺の足を止めた。
急いでスペラを呼び止める。彼女は俺のさっきとはまた違った雰囲気を解し、やや真剣に俺の表情を窺った。
「おかしい、怖さだけじゃない。ここに壁なんてあるはずがない……」
少し進んで分岐路があるべきはずの場所に、いやここに着いた時にはあったはずなのに、そこは今やさっきから長らく続いている壁だった。
なんど地図を確認しても、階層を間違えていないか、逆に見てしまっていないか、なんなら表裏反対に見てしまっていないか。様々なことを真剣に考察し、試みるが何度やっても「おかしい」しか見つからない。
ただ逃げればいいと高を括っていたことがここに来て決定的な仇となる。不測の事態に関しての予備知識が俺には存在しなかった。
考えろ。俺には酒場での冒険者たちの自慢話を散々聞いてきた記憶がある、この状況に当てはまるのは何だ?俺は依頼を受けて仕事として彼女を迎えに来たんだ、その俺が慌てふためくのはまだ早い。
―――考えろ。
しかし、俺が答えに行き着くよりも―――答えが出てくる方がずっと早かった。
【全迎撃システム起動】
その文字を見た瞬間この異変の正体にたどり着く、正確にはこの文字は俺には読めないが知っている。
冒険者間ではめったに無いことだから記憶のうちから抜けていた。
―――迷宮王が倒されたんだ。
勇者の時代を書き綴った本を見て知った。
迷宮は最下層もしくは最上層に“王”と呼ばれる迷宮最後の魔物が存在し、その魔物がうち倒れた場合、迷宮はどこに隠れていたのかも分からない何故こんなにも残っているのかわからない魔物を大量に湧き出させ、外敵を何としてでも倒しにかかる。
“王”が居なくなり機能しなくなった迷宮は魔物も減り、それに合わせて人々の往来もかなり減る。しかし、忘れ去られたころに、迷宮はまた王を生み出し再生するのだ。そうして、迷宮と人の栄は重なっている。
前回“王”が討伐された際、上級やベテランの冒険者は総じて拠点の迷宮をアルセナールの迷宮から変えたため、もうしばらくは誰もこの迷宮を攻略することなんて出来ないと言われていた。だからこそ思いつきもしなかった。
きっとどっかの命知らずの冒険者が頑張りまくって攻略したんだろう。おかげでこんなに早く攻略されるだなんて思ってもいなかった俺は、不測の事態に混乱している。そしてそれは俺だけでなく他の全冒険者も同じことだろう。
迷宮攻略はおめでたい事だが一つ言ってやりたい「よくもやりやがったな」と。
そして、俺はまたしても迷宮からの課題に置いて行かれていたことを思い知らされる。
【迷宮は攻略されると全戦力を以てして外敵の排除をする】。上層にいるパーティーは結託して難なくやり過ごすだろう。それは下層も同じことだ、十階以上とは比べ物にならない数の冒険者がいるのだからまず問題はない。
しかし、しかしだ。俺……いや俺たち二人だけしかいないであろうこの階層でならば話は全く違ってくる。
そして、俺の目の前に立ちはだかる壁を見て悟った。
【迷宮は攻略されると全戦力を以てして外敵の排除をする】―――それは迷宮そのものも戦力に含まれるという事。他の階がどういった分け方をされているのかは知らないが、間違いない―――迷宮からの攻撃により上層、中層、下層、で通路を分断されたのだ。
つまり―――
「―――俺の目の前が急に壁になって分断されているということは……こここそが中層のちょうど始まりとされる場所……?だったら俺たちはたった二人で中層全域の魔物を相手しなくてはならないのか……!?」
チョンツムリやストルジニアントよりもっと恐ろしい絶望によって、摩耗した短剣が微かに揺れ始めている地面に落ちた。