「開幕」
「―――って!おい!って、何ボーっとしてんだ兄ちゃん!!」
安さとアルコールの濃度だけが取り柄の麦酒が、なみなみに注がれたジョッキを振りまわして、粗暴だが扱いが楽な客が怒鳴ってくる。気を抜いていたためか一瞬で「はっ」とさせられた。
少しずつ、苦い思い出の景色から酒と下手くそな焦げた料理の匂いが漂う陽気な酒場の景色が視界に戻ってきたのだった。
ズレた半面マスクを被りなおして素早く仕事に戻る。
「……あらあら~、私ったら申し訳ない!お客さんを退屈にしてしまうだなんて。ちょっとだけ先んじて意識がお花畑、いいえ乙女の楽園へと導かれてしまっていたわ!」
「もう!いくら私が絶世の美女だからと言ってこんなに早くそれも急に天国に導こうだなんて天使様も案外嫉妬深いのね」
“私”を取り囲むお客さんたちは口々に「その聞くからに男声の人間が絶世の美女か、こりゃあ傑作だ」「よせやい冗談きついぜ兄ちゃん」などと笑って、もっと楽しませろと愉快そうに囃し立てる。
嗚咽をマネする不愉快なお客には「やだもう!」と思いっきりビンタをしてやる。
「さぁ! 少し冷めてしまったけれどもっとジャンジャン行くわよぉー!」
陽気な言葉を酒場に流し、繰り出す摩訶不思議でお客の心を魅了する。飛び交う芸術的なナイフも勢いよく口から噴き出た真っ赤な炎もこの時ばかりは争いの象徴ではなく、芸の域へと踏みとどまった。
参加してきたノリのいい吟遊詩人が得意の弦楽器を奏で、酒場の盛り上がりはさらに増す。客は酒を飲み、店主は下手くそな料理を量産し、それにイチャモンを付ける厄介な客には店主の拳が炸裂する。
一人が飲み過ぎで吐いて、それに釣られたもう一人が吐いて、それを見た酔った客が馬鹿笑いしながら吐く。
飛び散る汚物を華麗に避けながら、圧倒的なパフォーマンスは崩さない。
会場の人間全ての視線を集め、己の美を余すことなく目に焼きつけさせる。視線を逸らさせなどしない、一秒一秒つばを飲むような圧巻の演技で飯の代わりに極上を提供するのだ。
キレの良い舞も、しなやかな舞も、己の持つ技能を観客に“美”という概念でさらけ出す。
「そしてこれで―――」
弦楽器の音も止み、人々の視線が重なって、誰かの「ゴクリ」という音が反響する中。
期待も、ドキドキも、全てを感じながら、
「―――おしまい!!!」
芸を完成させる。
「すげぇぇ!!こんなの見たことねぇぇ!すげぇぇぞ!にいちゃげぇぇぇぇぇ」
「すっごい面白かっげぇぇぇぇぇえ」
「久しぶりに愉快な気持ちになれげぇぇぇぇぇえ」
「は~い!みんなありがとー!!!」
吐き出された汚物に触れることなく、まるでタップダンスを披露するかのように豪快かつ繊細な足さばきで、惜しまれつつも今宵の会場を後にする。
「……はぁ~~~」
長い長い息を吐きだしながら、本日の達成感に酔いしれた。聞こえてくる喧騒を背に酒場の階段を上る。
芸の会場だった酒場の二階は宿になっていて、ここで“芸人”として雇われた一週間前からその一部屋をタダで貸してもらっていたのだ。部屋に入り、備え付きのベッドに押し寄せてくる疲労感からすぐに倒れこみ、顔に装着した仮面を取った。
“俺”の仕事は言わずもがな芸人。人を芸で楽しませる素晴らしい職業だ。
『さすらいの芸人』を名乗って、いろいろな街を転々とし様々な人に触れあい芸を披露する生活ももう五年ほどになる。
そして、“三大国”と呼ばれる大国その一国である【エクスルーブ帝国】、その中でもかなりの人間が往来する都市【第二エクスルーブ】を拠点にして今日で半年ほどが経ったころだろう。
怪物と呼ばれる人間の天敵が跋扈する都市の外に出て、次の人間の居住地に向かうにはそれなりの資金が必要で、それを溜めるのにこの都市ではかなり苦労したから半年もの時間長居することになったのだ。
多くの人を笑顔にしたいという目標を持つ俺は、それこそこんな一つの場所に定住することなんて我慢ならない。
資金調達のために朝早くからの仕事があるため、酒の席での成功の嬉しさを噛みしめつつ、睡眠をとり朝を待った。
感覚が光を感じ取ればすぐに起床し、身支度を整える。
摩訶不思議のアイテムたちは丁重に箱に収納し、代わりに箱の中に入っていた物品を装備していく。昨日の夜に着ていた異常に派手な踊り子の服は汚くて臭い皮の鎧に様変わりし、装飾豊かなジャグリング用のナイフは鋭利さを求めたこれまた仄かに汚い片手ナイフへと変わった。
半面のマスクを箱の上に置いて、軋む宿の床をそろりそろりと歩き出た。
外に出てみればなんて事の無いいつもの景色。
朝の早い商人たちがライバルたちと切磋琢磨するように、我先にと商売の準備に取り掛かり、荷を積んだ『馬車』で町の通路の石畳をガタガタと揺らして走っている。
木造が大半を占める都市の建造物で、木でできた部分が少ない建物は権力者の証なので、小市民な俺はその建物の前だけは逃げるように通った。
うん、いつもと何ら変わりない普遍の景色。豊かな都市の見本であるかのように普通の都だ。
その普通の都を歩き続け、お目当ての建物に行き着いた。
旅の資金調達のための目的地だ。
その建物の名を【冒険者ギルド】という。「ギルド」と言えば大抵の人間にはこの冒険者ギルドのことを指して言っているのだろうと分かってもらえるだろう。そのくらいには有名で大陸全土に知れ渡った存在だ。
ギルドの役目は仕事斡旋から所属者の管理、そして魔物への対策など多岐にわたる。
そしてギルドに所属するものというのは俗に【冒険者】と呼ばれる者たちだ。
冒険者というのはギルドから斡旋された仕事群を精査し自分に合った内容の仕事を選び、時には討伐を、時には未開拓領域の開拓を、さらには未確認魔物の生態調査まで、危険が身近にあるこの世界で自ら危険を背負って生計を立てる無茶な職業なのだ。
そして『さすらいの芸人』である俺も、資金調達のためにと副業で冒険者をやっている。芸人稼業で荒稼ぎしてもいいのだが、芸人としてのプライドからお客さんが厚意で渡してくれたチップしか受け取らないことにしているので、本業での資金獲得は微々たるものだったりする。
そしてやっぱり本業は芸人なので、冒険者に対してなにか特別な思い入れなんかは無い。冒険者という危ない職業を敢えて取ったのも、成る事が比較的簡単で、特に技能なども必要なくて、さらには儲けも上手くいけば大きいという俗人らしい考えからだった。
冒険者より安全で簡単ですぐに就ける職業があるのならこんな危険を伴う仕事なんて振り返りもせずにおさらばしている。
それに、俺が冒険者をやりたくないのはもう一つの大きな理由がある。
それは―――
「―――ん?ぁあ?……ふっ、誰かと思ったら『マイナス芸人』じゃねぇか」
(……こんなことが起きないためにも朝早くに来て物音も立てずにギルドに入ったというのに)
机にうっぷした状態から起き上がった人物を見て、表情には出さず心の中でため息をついた。
「どうせ昨日からずっとギルドの酒場で飲み続けてたんだろ? 頼むからそのままお休みしといてくれ」
「つれないな~そこは芸人らしく楽しい会話をしようよ~」
眉を上げて、明らかに挑発した態度で俺を呼び止めた彼は寝起き一番にこちらをからかってくる。
奴はギルドの苦手な人物その2だ。
「そうだ、楽しい会話ついでに昨日聞いたばかりの耳寄り情報だマイナス芸人、半年前くらいから噂になってる凄腕の芸人が今は南の宿屋を拠点に活動しているらしいぞ」
「素顔は見えない謎の芸人、あいつの芸を見たのは一度だけだがそれはそれは素晴らしかったぞ」
「お前、弟子入りを頼んでみたらどうだ?」
と、ニタニタとまだ酒が残った赤みのある顔で言ってきた。俺がどういった返答をするのか想像して楽しんでいるのだろう。本当にいい性格をしている。
しかし『さすらいの芸人』本人である俺はどう返事したものかと逡巡して若干バツの悪そうな顔で、
「そ、そうか。今度見に行くだけでもしてみる」
と、無難な答えだけ返しておいた。
すると彼は大変面白くなさそうな、言い換えて不機嫌なように今度は眉をひそめてこちらを見る。
「ったく面白くねぇな……」
素晴らしい性格の持ち主である彼からすれば冒険者として格下かつ貧弱でしかない俺は、嘲笑の対象。そして俺の職業が【旅芸人】であるということも相まって、なおさら彼にとって俺はお笑いのタネなのだ。だが、にもかかわらず面白いわけでもなくつまらない俺がいっそ憎たらしいのだろう。
「あ、ならよう。ここで芸をやってくれ。なんでもいい簡単なやつで」
今度は純粋な興味心でおかしなことを言ってきた。
(……どうしてそうなる。眠気と酔い覚ましに芸を見たいのだろうけれど、いやどうしてそうなる)
呆れの感情が湧いて、弱者且つ小心者なために口にはできないが心の中で「どんな思考回路でそうなるんだと」皮肉る。
「冒険者として仕事を受けに来たんだ、また今度にしてくれ」
構ってやる必要もなく適当にいなして逃げようとするが「役に立つと感じたら仲間に入れてやってもいい」と言われてすぐに足が止まる。
性格で良い奴だと感じたことは一度としてないが彼の冒険者としての仕事ぶりは噂に絶えない。一緒に仕事ができれば単独で依頼を受けている現状とは比べ物にならないほどの報酬が期待できる。
それさえあれば次の町へいくための資金は十分に稼げるはずだ。それによくよく考えれば芸人として芸を請われた以上拒否するのもどうかと思う。今は私ではないから失念していた。
そもそも芸を上手く行えばいいだけの話。こちらに損は元からないのだ。
「……分かった」
反対を向けていた足を戻して、腰に差していた仄かに汚い短剣を装備する。
舞踊と剣技を合わせた剣舞でも披露すればいいだろう。冒険者としての旅芸人の強みはその華麗さと俊敏さにある。それさえ披露できれば……大丈夫、見せるのは彼一人だ。出来るはず。
「おっやってくれんのか。いやぁ久しぶりだなお前の芸を見るのも」
「みんな起きろ!マイナス芸人が久しぶりに芸をやるってよ!」
「なっ……!?」
仲間を起こしだす声に手が震え始めた。
―――まずい、まずいまずいまずい。
「ん……まいなすげいにん?」
「ふわぁ~~~寝起きにはちょうどいいじゃん」
酒場の机に寝込んでいた仲間たちが起き始める。
自分の呼吸が荒くなるのが簡単に感じ取れた。
「ほい、いいぜ。寝覚めの一発、面白いのをくれよ」
(ダメだ……ダメだ……一人ならまだしも)
心たちが一斉に幼少に戻る中、現実の俺ただ一人が逃げる弱い心を叱咤して昨日の活躍を思い出す。「大丈夫、今までも精いっぱい練習してきたんじゃないか」たったこれだけを自分に言い聞かせて前を向く。
「そ、それでは寝起きにびっくりな……と、とびきりの舞を、ご覧にいれましょう……」
震えたか細い声で精いっぱい芸人になろうとする。しかし、この様はどう見たって「さすらいの芸人」と噂されるほどの注目的存在だとは思えない。正体を隠しているとはいえ、これがあの衆目の芸人だと誰が信じようか。それほどまでの醜態を現在進行形で晒しているのだと気づくとと情けなくて泣きたくなった。
けれど……そこまでの屈辱を味わってもなお。
「ふっ…!はっ…しっ!」
舞とも言えない無様な剣の振り回しを披露した。観客の見定めるような眼差しがなけなしのプライドをゴリゴリと削る。
仕舞には、
<カランカランッ……
仄かに汚い短剣が地面を転がった。
それはまるで無様な剣舞の終幕を伝える歓声のように相応しく、早朝により静まり返っているギルドに無様に響いた。
「……ふっふっ、ハハハッ!!!やべぇ!腹いてぇ!!!面白くなさ過ぎて逆に面白いとかこれこそ笑いの極致だろ!? 流石マイナス芸人!期待を裏切らねぇ!」
「旅芸人としての強みもなんも感じられねぇし!」
「フフフッ、確かに楽しくなさ過ぎて面白いかも……」
「な~んにも変わってなかったね!半年前と。ハハハッ!!!」
「流石っ!史上最初のレベルマイナスッ!!!おかげでおめ目もパッチリだな」
ゲラゲラという表し方が正しい無邪気な笑顔で自身の心を抉りに来る。
……分かっていたはずなんだ。自分に芸が出来ない事なんて。なぜ、どうして出来ると勘違いしたんだろうか。日々の練習がその成果が完璧に発揮されるものだとなぜ思い込めてしまったんだろうか。
上昇志向の己の好奇心がたまらなく悔しい。
ギルドに愉快に響いた笑い声が早朝から気分を暗転させた。もしこれが売れない芸人だったなら心の平穏を保てて不出来な自分を一緒になっていっそ肩を組んで笑えただろう。しかし、なまじ陰の姿で活躍してしまっているがゆえに笑い声の区別がついてしまうのが余計に悲しかった。
そして、今になって目の前に提示された金に釣られて思い上がってしまったのだと気が付くと、普段から笑顔がどうたら言っていることを自分で踏みにじってしまったようで堪らず恥ずかしい。
“俺”は『旅芸人』であっても芸ができない。“私”は『さすらいの芸人』であって憧れる旅芸人にはなれない。
分かっていたはずなのに、『どうして俺が誰かを笑顔にできるだなんて思い上がったのだろう』不思議でならない。
そうか、やはりそうなのか。
―――【レベル】
魔物が今よりもっと脅威の対象だったころ、冒険者という職業とギルドという組織の前段階、【勇者パーティー】がこの世にいくつも存在する迷宮のたった一つを攻略するために人生を掛けた物語に遡る。
脅威とされる魔物の発生地は今も昔も変わらない“迷宮”からだ。未知の存在でしかない迷宮から溢れ出てくる魔物を食い止めるために勇者というのは生まれ、迷宮の攻略のために戦った。
その過程で、勇者パーティーの一員であるこの世で最も偉大な知者である“賢者”が人間と魔物が対峙したときに勝算を知識として計算する術を開発した。
それが【レベル】だ。己が内包する力を道具が計測しそれを数値化する。
《相手と自分のレベル差》そして《個体としての強さ》が戦いの前に分かれば、無駄な死もある程度は軽減される。賢者が己の技術を駆使して生み出した優しい力だ。
現代に移り、【レベル】という概念は勇者一行だけに使われるものではなくなり、仕事としては勇者に近い“冒険者”がその技術を継承して日々役立てているわけだ。
そして、話は俺が冒険者としての活動を始めた時に帰って来る。
俺が旅の資金を獲得するために冒険者としてギルドに登録をした際、今まで生きてきた分のレベル計測が行われた。ギルドの係の者が言うには順調に大人としての階段を上っていれば総合値がLv5はあるはずだと。
もしなかったとしても冒険者としての活動を積めばそれなりに上っていくものだと説明された。
冒険者としての職業はどうするんだと聞かれて、勇者について詳しくても冒険者などはあまり知らない都会から離れた『町』出身の俺は、咄嗟に憧れを思い出し「旅芸人にします」と答えた。
後から聞いた話では職業というのはレベルに含まれる【ステータス】とかいうものにも多大な影響を与え、大成を目指すならメジャーな剣士や魔法使いが好ましいのだそう。
けれど、冒険者として生きていきたいわけでもない俺はそこら辺の細かいことなど気にしていない。
ステータスだ職業だなんだと言われてもよく分からない。
それで職業の選択が終わったあと、血を少し抜かれて『なんとかカード』というものを貰った。正式名称は覚えていない。どうもそのカードに細かい様々な数値が記載されているらしい。
カードを手に取りLvを見る、勇者パーティーの平均レベルは60近くだったよな…なんてことを想像しながら自身のカードを見てみれば―――
「―――はっ!?Lv273ッ!?……いや、ま、-?」
こうして、たかだかLv-273の旅芸人の物語は摩訶不思議に始まっていたのだった。