第90話 黒歴史作品も愛してこそ本物のファン(1)
「――以上が、今月の業務報告です」
「ありがとう。とても分かりやすかったよ」
定例報告に来た事務娘に、俺はそう言って微笑みかける。
「ああ、それと、重要度の低い案件ではありますが、マスターがおっしゃっていた、例の洋菓子店、本当に融資を求めてきたそうです。銀行の担当者から連絡がありました。詳細はメールでもお送りしましたが、一応、リマインドをと思いまして」
事務娘が思い出したように言う。
俺は経営状態が下り坂の地方銀行を一つ、買収していた。まあ、地方の経済振興のためにも、色々、金を動かす時に、銀行があると便利だからね。
「ああ、それ、さっき見たよ。洋菓子店への融資はそのまま進めて」
俺は即答しつつ、ごくりと唾を飲み込んだ。
(――出たな黒歴史くん)
くもソラは、ファンディスクを覗けば、全三シリーズの作品だ。
ただし、外伝がないとは言ってない。そう外伝である。
ギャルゲーマーでなくとも、オタクをかじった者ならば、ピンとくるだろう。外伝という存在の厄介さに。
この外伝、『流れゆく時の外で~petit bonheur~』は、一応、シリーズの関連タイトルとして発売された作品だ。しかし、このタイトルに関しては、他のシリーズと違って、略称すらつけられないほど不人気だった。
それはなぜか。
まず、本家のメインライターが一切関わっていないし、本編とのつながりが薄すぎる。加えて、本家の設定への理解が甘く、くもソラのシリーズとあまりにも世界観が違いすぎたこともファンの不興を買う原因となった。
その外伝の導入は、『一流の菓子職人を目指しフランスでパティシエの修行をしていた主人公が、ある日、幼馴染が営む洋菓子店が潰れかけていると聞いて、急遽帰国する』というありふれたもの。
「とかいって、またエグいの仕込んできてるんでしょ?」と思われるかもしれないし、ファンもそれを期待していた。だが、蓋を開けてみれば、普通の至極真っ当な、純愛系のギャルゲーであった。
外伝では、このテンプレな冒頭から想像される話の域を一ミリも出ない、健全で甘酸っぱい青春模様が展開されるのだ。
「はい。ただ、向こうが出してきた業務計画は甘く、本来なら認可が下りるレベルではないとのことですが……」
「いいんだ。銀行の担当者には、全責任は俺が持つから、と伝えて。ただし、先方には本来は出資の域に達してないということは率直に告げて、存分に恩は着せるように」
事務娘の懸念を俺は一蹴する。
「かしこまりました。――あの、僭越ですが、マスターが目をかけるほどの価値が、あの洋菓子店にあるのでしょうか。私にはどこにでもある普通の街のケーキ屋さんにしか見えないんですが」
「ビジネス的にはそれほどの価値はないよ。でも、昔、一度、その店のケーキを食べたことがあってね。とてもおいしかったから。それだけさ。ま、強いていえば、恩返し、かな?」
などと言いつつ、実は彼らに接触する目的は別にあるのだが、セリフ自体も嘘ではない。
一応、外伝では、モブ客として、幼少の頃の俺とパパンを思わせる人物が登場している(そうだと明言はされていない)。
くもソラ本編的には、ママンの研究所を連れ出された後にはこの田舎に直行しているはずなので、矛盾じゃないかどうかはギリギリなラインだ。まあ、旅の途中で立ち寄ったということにしておけばセーフか。
「マスターは時折、ユニークなビジネスを展開なさいますね」
「遠まわしに言わなくても大丈夫だよ。こうみえて、俺は仕事に私情を挟みまくる人間だからね。幻滅した?」
俺はやんちゃ少年らしく、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「いえ、素敵だと思います! あっ、あの、その、もちろん、一般論として、という意味で」
事務娘が頬を染めて言う。
よしよし。好感度が高そうな反応だ。
こういうのは、こまめなチェックが大切だからね。くもソラ世界にはヒロインの好感度を教えてくれるメガネで便利な親友キャラはいないので。
「ありがとう。今度、その店でお茶請けのお菓子でも買ってくるから、みか姉やみんなと一緒に食べてね」
「は、はい、楽しみにしています。では、仕事に戻ります」
「うん。お疲れ様」
俺は事務娘からパソコンのモニタへと視線を移す。
(つーか、この頃のオタクって携帯恋愛小説をスイーツ(笑)とか言ってバカにしてた割には、ギャルゲーの舞台になる飲食店は、ほぼファミレスか洋菓子系の店の二択だよな)
それもファミレスは大体バイトする側だし。経営側ってなると、ほぼ洋菓子系(メイド喫茶含む)の一択と言ってもいいんじゃないか? なんでだろう。やっぱり、衣装がかわいいし、なんかいい匂いしそうだからかな。
いくつかのスイーツ店が舞台の名作ギャルゲーに想いを馳せながら、俺は業務へと戻るのだった。




