第141話 藪を突いて蛇を出す(1)
「つまり、俺とシエルが婚約すれば、堂々と、虎鉄さんに『実は他に婚約者がいるから君とは結婚できない』と断りを入れられる。そういうことか?」
俺は大きく深呼吸をして気分を落ち着けてから、そう確認する。
「ええ。その通りですわ。完璧なお断りのセリフではなくて? 嘘も曖昧さもなく、この上なく誠実な理由でしょう」
シエルはそう言って、口元をオシャレ扇で隠して、こちらの顔色を窺ってくる。
(虎鉄ちゃんと違って、こっちは身に覚えがあるぞ……。前にシエルが意味深に、『もしユウキが大成してくだされば、ワタクシも――』とか言ってやがったのはこの契約結婚フラグか!)
みんな大好き契約結婚。初めは嘘から始まった恋が、いつの間にか真実に変わる。ギャルゲーというよりは、むしろ乙女ゲーで人気があるシチュだ。俺の心の中の乙女回路がキュンキュンしてきた。
「意図は理解したが……、お兄様も随分俺を買ってくれたものだな。自分でいうのも情けないが、今の俺はまだ、『それほど』じゃないぞ? いいのか?」
俺は肯定とも否定ともつかない曖昧な態度のまま問う。
俺の事業の拡大スピードはかなり異常な速度だが、それでもお兄様の財閥と比べればまだまだひよっこもいい所だ。正直、お兄様が政略結婚を結ぶ相手としては、今の俺では格が足りない。だから、もしこの手の話が起こるとしても、まだ十年近く先の話だろうと高を括っていたのだが……。
「確かに、ユウキがお兄様と比肩するなどと考えるのはあまりにもおこがましいですわね。でも、お兄様は、ユウキの貢献と勤労精神、そして、将来性を高く評価しているようでしたわ。『彼はいばら姫の王子のような清廉な勇敢さと、アリババのような抜け目なさを兼ね備えているね』と、嬉しそうにおっしゃっていました」
シエルちゃんまで、なんだか弾んだ声でそう言う。
俺がお兄様に評価されていることがよほど嬉しいらしい。
(ああ、なるほど。お兄様的には、俺は安パイな忠犬って訳ね)
だって、お兄様視点で言えば、俺は頼まれもしないのに、お兄様の一世一代の大勝負で、自分から危険な一番槍に名乗り出たかわいい子分だし。頑張った割には、何人かの女の子をゲットしただけで他に大した要求もしていない訳で。こんなに殊勝な子どもを見たら、ご褒美の一つもあげたくなるよね?
「それは、本当なら、とても光栄な話だが」
「も、もちろん、お兄様がユウキを選んだのは、あなただけの力ではありませんのよ? ワタクシもお兄様にユウキを熱心に推薦して差し上げたのですから、その点は感謝してくださいましね?」
シエルちゃんはちょっと恥ずかしそうにそっぽを向いて、ツンデレ口調で言う。
これは演技かガチかわからんなー。
「ほうほう。つまり、シエルは俺と今すぐ結婚したいほど大好きで大好きで仕方がないと」
俺は冗談めかした口調で言う。
先ほどからかわれたので、軽い意趣返しと言う体で様子を見る。
「ええ。ええ。そう思って頂いて構いませんわよ。ワタクシも、見ず知らずの年上の男性と目合わされるよりは、気心の知れたユウキの方が安心ですもの」
シエルちゃんが開き直ったように腕を組んで胸をそらす。
「……言っておくが、先ほども言った通り、今はまだ、俺は誰にも恋をしていない。――つまり、将来的には、当然誰かを好きになる可能性もある訳だが」
「もちろん、存じ上げておりますわ。仮にワタクシと婚約した後で、ユウキが他の誰に恋をしようと、ワタクシは咎めたり、責めたりは一切致しません。結婚と恋愛は別。それが貴族のたしなみというものですわ――もちろん、適齢期になって実際に結婚した暁には、子どもは作って頂かないと困りますけれど」
シエルちゃんはすまし顔で言う。
この発言は現代の倫理観の基準に言うと違和感があるだろう。しかし、貴族社会においては、結婚してお世継ぎを作るという義務を果たしてから、ようやく自由恋愛をする権利を得られるというのが当たり前である。シエルちゃんはそのことを言っているのだ。
(まあ、こんな言い草してるけど、シエルちゃんは内心ではしがらみのない本当の恋に憧れてる設定だしなあ。実際婚約したら、都合よくはいかないんだろうなあ……)
人は手に入らないものにこそ憧れるものだからね。