第117話 幕間 罪深きアイ(2)
「ご苦労さんなことねぇ」
アイは風の力で飛び上がり、ポン子に顔を近づける。
「……」
「溜まってるでしょぉ? アタシが抜いてあげるわぁ」
「……」
ポン子の手を引いて、音を立てないように外に出た。
人気のない空き地へと辿り着く。
「お腹パンパンで苦しぃでしょぉ? 爆発する前にぃ、楽にしてあげるわぁ」
色んな神様の力を一人の身体の中で飼うのは、とても辛い。
それはとびきり度数の高い酒をチャンポンにして一気飲みするようなものだ。悪酔いするに決まってる。
「いくわよぉ。好きなだけ吐いちゃいなさぁい!」
腹に蹴りを入れる。
「……ふひっ」
吹っ飛ばされ、やがて起き上がるポン子。その瞳が紫に変わる。
「まずはアンタからねぇ?」
ポン子の身体を借りて現出する神の力。
バリエーションが多く、戦っていて飽きない。
力の残量を計算しつつ、戦術を練る。
一個一個、潰していく。
とても楽しい。本気に近い形で戦えるから。
日頃は、たとえ激しめの訓練でも、部下の兵士相手には全力は出せない。だが、少なくともポン子は殺しても死なない。それがいい。
空が白み始めた頃、アイは力づくでポン子を昏倒させて、強引に試合を打ち切った。
そのままポン子を抱き上げると、飛翔して、神社へと一直線に向かう。鳥居をくぐったりはしない。普通にぬばたまの姫は嫌いだからだ。
「タマキンおはぁ!」
境内を掃除しているタマキンに上空から手を振る。
「……お疲れ様です。その、タマキンというのは?」
「この前のハイキングで仲良くなったからぁ、あだ名を考えてあげたのよぉ。嬉しぃ?」
「はい。えっと、そのお気持ちは大変ありがたく……。――そんなことよりも、タブラさんの件ですね。準備はできております」
ポン子が奥の社殿に運ばれていく。
きっと、アイを癒した時のと同じような儀式をするのだろう。
「……儀式は成功致しました」
やがて、タマキンがポン子を抱きかかえてやってきた。
「はいはーい。それじゃあ、後は気合を注入しておくわねぇ」
アイはポン子の腕を掴んで、再び飛翔する。
神社の敷地から出たところで、適当な空き地へと降り、彼女の『調整』を開始した。
タマキンの祈祷はぬばたまの姫の呪いの力を減衰させる。でも、それを完全に消し去ることはできない。だから、アイは残ったぬばたまの姫の力と同等程度のアステカの神の力を流し込む。
もちろん、この地にいる限り、徐々にぬばたまの姫の力はポン子の中に蓄積されていくので、やがて、アステカの神の力は負ける。しかし、グレーテルたちの近くにいることで、雑神たちの力も溜まっていく。従って、ぬばたまの姫はポン子の支配権を得ることはできない。そうこうしている内に、ポン子の魂のキャパシティがパンパンになったら、またこうしてアイが抜いてやる。
(マスターもよく考えるものねぇ。彼にとっては、神様すらパズルのピースの一つに過ぎないのよぉ)
ポン子があらゆる呪いを吸う可能性を指摘したのはタマキンだが、それをシステム化したのはマスターの功績だ。
マスターは神を敬うフリはしているが、内心では道具としか思っていないであろうことを、アイはよく理解していた。
(本当にそのうち神を殺せるかもぉ? マスターは世界で一番の罰当たりねぇ)
人が無条件に抱く超常的な力への恐れを、ユウキは持たない。
誰にも服従しなかったアイが、ユウキの命令を大人しく聞いている理由がそこにある。
アイは他の研究所からやってきた小娘のように、ただユウキに命を救われたから心酔しているのではない。
もちろん、一旦力を奪われて、チュウ子という兵力で屈服させられたからでもない。単に戦闘力で負けただけならば、アイは従うことはなかっただろう。
事実、研究所にいた時は、ヒドラの連中に何度負けようが、アイの心は決して折れなかった。
一応、プロフェッサーの命令は保身の関係上、仕方なく聞いてやっていたが、その時ですら、命令の範囲内でどう嫌がらせしてやるかを常に考えていたほどなのだ。
(あぁ、楽しみだわぁ。神様をボッコボコにしたらどんな顔をするのかしらぁ。命乞いをするのかしらぁ。捨て台詞を吐くのかしらぁ。楽しみぃ)
神を欺き、力を盗み、殺す。
なんと壮大で、痛快な計画だろう。
人の運命を弄ぶ神を弄ぶのだ。
これ以上の娯楽があろうか。
「……」
むくりと起き上がったポン子が、こちらを見て微笑む。神の力が均衡して、心が落ち着いたのだろう。
「お目覚めぇ? ――それじゃあ、お姫様をベッドまで連れていくわぁ」
ポン子の手を引いて、元いた家に連れて行く。そのまま、彼女のベッドまで誘導した。
「じゃあ、アタシはマスターの寝顔を冷かしてくるからぁ」
「……」
アイの言葉に、ポン子がわずかに右手を挙げた――ような気がする。
「なあにぃ? ポン子も一緒に来たいのぉ?」
「……」
ポン子は何も言わずに、ただアイをじっと見つめている。言葉がなくとも、その瞳を見つめていると、言いたいことはわかった。
「仕方ないわねぇ。特別よぉ? ポン子がアタシのいいおもちゃになってくれてるお礼なんだからぁ」
アイは、再びポン子の手を引いて、外へと出た。