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第105話 アーリーリタイアは若者の夢

 それから数週間後。


 ヘルメスちゃんはママンの研究所へと旅立ち、俺の日常は平穏を取り戻す。


 小学校。


 俺は自分の席で、学生らしくプリントに向かい合っていた。


 俺の席は、もちろん、奥の窓際。


 頬杖ついて外を眺める姿が似合いそうな、俗にいう主人公席である。


(――さて、今日の分の課題も終わり、だな)


 俺はカリカリと鉛筆を動かす手を止めた。


 さすがに大人なので、小学校の勉強なんて真面目にやってもすぐに終わってしまう。


「先生、できました」


「はい? ――はいはい。いつも早いですね」


 定年間際のおばあちゃん先生は、よく確認もせずに、俺のプリントに花丸をつけた。


 そして、ウトウトと居眠りを始める。いくら公務員とはいえやる気なさすぎだろ。


 まあ、俺が「あんまりごちゃごちゃ言わない教師を配置してくれ」って、お願いしたせいなんだけどさ。


(さ、誰か。困ってる子はいるかな?)


 俺は教卓の近くから、教室中を見渡す。


 ぷひ子はうんうん唸りながら、指折り何かを数えるアホっぽい動きをしている。


 香くんは時折、渚ちゃんに構いながら、真面目に勉強している。


 祈ちゃんは課題が終わったのか、文庫本を読んでいる。


 みかちゃんも課題は終わったのか、他の娘たちになにやら教えてやっていた。


(うんうん。今日も平穏でなにより)


 俺は、小学校に働きかけ、関係者だけで一クラスを陣取っていた。


 まあ、よくある田舎モノにありがちな学年混合のクラスである。


 実際問題、田舎云々抜きにしても、研究所で育ってきた少女たちは、知識も学習の進度もバラバラである。従って、普通の教室で一斉に同じ授業を受けるというのは難しいので、現実的な対応ともいえる。


 教師たちとしても、俺が面倒事をまとめて引き受けた方が楽に違いない。


「こんなのわかんなーい! そもそも誰が何を喋ってるの?」


「ええっと、これはね……」


 新たに魔女っ娘が加わったため、みかちゃんだけじゃ大変そうだ。


 いくらみかちゃんが有能でも、英語話者に国語を教えるのは難しいもんね。


 俺もフォローに回ろう。俺氏は一応、前世の仕事で海外ともやりとりがあったので英語も喋れるし。


「みか姉。俺が教えるよ」


「よかった。ありがとう。ゆうくん。私、英語はまだ勉強中で」


 みかちゃんがこう言うからには本当に勉強してるんだろうな。その内、普通に喋れるようになるだろう。


「日本語は主語を省略しがちだから、そこを意識するとわかりやすいよ」


 俺はミカちゃんとバトンタッチして、魔女っ娘に話しかける。


「……シュゴ?」


「――吸血鬼はオリジナルを殺さないと意味がないってことだよ。この動詞とか述語とかは眷属だと思ってくれればいい。彼らを手足として使って、本体の主語という吸血鬼は行間の森の奥に隠れているんだ」


 俺はプリントを指でなぞって示す。


「ああー、そういうことかー! お兄ちゃんの説明、わかりやすいね!」


「また何かわからないことがあったらどんどん聞いてね」


 いつも通り教師の代わりのようなことをしながら、俺は考え事にふける。


(……シエルのお兄様は大勝。政争において優勢となったため、シエルが本編ルートに突入する可能性はグッと下がった)


 お兄様もアホではない。シエルを利用するにしろ、イチかバチかの一発逆転の鬼畜種付け計画なんかに賭けるより、安定の政略結婚をさせた方がマシと考えるだろう。身内を鬼畜計画に巻き込んだと知られれば、部下の人心も離れる。優勢な状況で、わざわざ危険な賭けに出る必要はない。


 まあ、唯一の懸念はお兄様のような人間を財閥のトップにしていいのかという点だが、どのみち、『はて星』をプレイした限りでは、かの財閥はクズである。そのトップが誰になろうと大差はないだろう。資本主義社会で頂点に立とうと思ったら、善良ではいられないのだ。


「あの。マスター。この問題、よろしければ教えてもらってもいいですかー。分数の割り算なんですけど……」


 部下娘の内、家事担当の子が遠慮がちに申し出た。


「いいよ。9÷5分の9……。どこがわからないのかな?」


「問題自体は解けるんですけど、なんで分数の割り算はひっくり返すんですか?」


「9÷5分の9は、9÷9×5と同じだから、これを掛け算の式で表すと9×9分の5になるんだよ」


「難しいです……」


 眉間に皺を寄せる家事娘ちゃん。


「うーん、9つ頭のヒュドラに一体に5分の9人で挑むよりも、ヒュドラ5体に9人で挑む方が勝ち目があると思わない? ひっくり返しはそれを実現してくれる魔法の呪文みたいなものだよ」


「確かに、5分の4ちゃんは腕とかなくなってて、戦えなさそうですもんね! すごいなー。魔法の呪文かー。マスター。ありがとうございます」


 家事娘ちゃんが、感心したように頷いた。


 本当は等分徐じゃなくて、包括徐で説明しないといけないんだけど、納得してるっぽいし、まあいいか。


(続編におけるキーパーソンの一人であるヘルメスちゃんは押さえた。これでママンは助かる可能性が高い。もし万が一、ママンが殺されても、俺にまで手が及ぶ可能性は非常に低くなったと考えていいだろう)


 本編の正史通りに、ミケくんがヘルメスちゃんを選ぶかはわからない。でも、ともかく、ママンの研究所に送りこんだヘルメスちゃんを通じて、ミケくんの俺への好感度が醸成されれば、最悪の事態は避けられそうだ。


 他に悩んでそうな子がいないことを確認してから、俺は自分の席に戻る。


「やだー! 渚、九九なんて覚えたくないー」


「そんなこと言わずに、頑張ろう。渚なら出来るよ。僕の妹なんだから」


「渚は算数なんかできなくてもいいのー」


「そんなことないよ。九九ができないと、駄菓子屋で何個お菓子を買えるかもわからないよ?」


「お兄ちゃんに計算してもらうもん!」


「僕も大人になってからもずっと渚の側にいられる訳じゃないんだから」


「いいもーん。じゃあ、渚は計算が得意な男の子と付き合ってやってもらうもーん」


「さすがに九九もできない女の子は相手の男の子もドン引きなんじゃないかな」


「そんなことないもん! 女の子はちょっと勉強ができないくらいがかわいいって、チェリオの特集に書いてあったもん!」


 前の席では、香が渚ちゃんに手を焼いている。


(妹か……。そういえば、オニキスは元気にやってるかな。後、3、4年もあれば、妹ちゃんのルートを破棄する目途も立つんだが)


 神盟決闘における俺からのオニキスへの宣言はただの気休めではない。


 今、アイちゃんを含む、兵士娘ちゃんたちは、それぞれに適合する各地の遺跡で絶賛訓練中である。彼女たちが試練を乗り越え、その進化が最終段階にまで達すれば、神とバトる程度の力が手に入る。


 その兵力を率いて、黄泉の世界に赴き、ヤンデレ妹ちゃんと俺を縛る神話の契約を強引に破棄する。これで妹ちゃんの鬱フラグは潰したことになるだろう。


「ぷゆゆ……。ねえ、ゆーくん、私にも算数教えてー」


 隣の席のぷひ子が、勝手に俺の机に彼女の机を連結してそう要求してきた。


「いいけど、お前、ここ、この前も教えたところじゃないか?」


「ぷひゅー? そうなの?」


「ああ。ちょっと問題文が違ってるだけで、使う公式は同じだぞ。前のノートはあるか?」


 俺は嫌な顔一つせず、ぷひ子の相手をする。


(オニキスのフラグも片付けば、後、残るはこいつ――ぷひ子問題だけか。でも、こっちも、基本的には巫女じゃなくなるまでの時間を稼ぐだけ)


 神殺しの力を手に入れてもなお、ぬばたまの姫は殺せない。


 なぜなら、彼女は地球という惑星そのものの存立に関わっており、強引にぶっ殺したら地球が――まあめんどいから設定はいいか。


 例えていうなら、ラスボスには毒とか眠りとかの状態異常系の搦め手は通じないということだ。攻略したけりゃ、正攻法でかかってこいという訳である。


 正攻法は非常にキツいんで、こっちは粘り勝ちを狙わせてもらう。


(あれ? これ、完走見えてきたんじゃね? もしかして、もうゴールしても、いいのか?)


 ふと気付く。このまま適当にぷひ子のご機嫌を取りながら、アーリーリタイアしてもいいのだろうか。自分の時間を好きに使っていいならば、やりたいことはいっぱいある。前世でやり残したギャルゲーを消化したり、アニメを観たり、ラノベを読んだり、演劇やコンサートに行ったり、もしくは、アクティブに金のかかる趣味なら、世界一周旅行や自前のクルーザーを買って釣り三昧とかもしたい。


(うはっ。夢広がりング! 小三にしてほぼ人生アガリか?)


 などと夢想していると、ガラララララ!っと、教室の扉が開いた。


 クラス中の視線がそちらに向く。


 入ってきたのは、頭皮が若干薄めのおじさん教頭先生だった。


 息を切らして、相当急いできたらしい。


「――あら、斎藤教頭。どうかしましたか?」


 いつの間にか目覚めていたおばあちゃん先生が問う。


「ああ。渡辺先生、それが、今、職員室に電話がありまして――立花香くんと、渚さん。とにかく、二人共、急いで、下校の準備をしなさい」


 教頭先生が急かすように言った。


「えっ。どうしたんですか。何かあったんですか?」


 香が椅子から立ち上がり、尋ねる。


「ああ、うん。それが、君たちのお父さんが怪我をして病院に運ばれたそうだ。お母さんが言うには命に別状はないそうだけど、念のために早退した方がいい」


 教頭先生が心配そうに言った。


(なん…、だと? これは何のフラグだ? 原作にこんなイベントあったか?)


 予期せぬ所から降ってきたアクシデントに、俺は困惑する。


 思わず筆圧を強くした鉛筆の芯の先が、音を立てて折れた。


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