第103話 幕間 3倍偉大のヘルメス(5)
「なんでよ」
「彼女たちを治したのは日本のシャーマンなんだけどね。彼女の魔法はその子たちには効きにくいんだ。インフルエンザにはインフルエンザのワクチンがあり、麻疹には麻疹のワクチンがあるように、型が違うんだよ。本来、君たちに植え付けられた呪いを解くには、西洋のシャーマンが必要なんだ」
ユウキは理路整然と答えた。
「なら、ウチは、その西洋のシャーマンを探して連れてくればいいの?」
「残念ながら、それは難しい。西洋は、一神教が土着の宗教を駆逐してしまったから、もはやまともなシャーマンが残ってないんだ。血統としては探せば見つからないこともないだろうけど、儀式が完全に失伝していてね。世界的にいえば、日本みたいに古来からのシャーマニズムがいまだに国民宗教の第一線を張ってる国はかなり珍しいんだよ」
「じゃあ、ダメじゃない」
「そうでもない。希望の種はある。その種に花を咲かせるために、君の助力が必要なんだ」
「どういうこと?」
「ある男の子がいる。彼は、今はまだ、物理的な傷を治すことしかできないけれど、将来精神的な痛みや、果てには理不尽な呪いでさえも治せる偉大な存在になる可能性を秘めている。だから、彼と仲良くして欲しいんだ」
「預言者みたいな言い草ね。あなたはキリストの到来を言い当てた、聖ヨハネって訳?」
「俺はそんなに立派なものじゃないよ。彼も神ではないしね」
「――まあいいわ。その男の子はどこにいるの?」
「彼――コードネーム タルク。通称ミケくんは、俺の母の研究施設にいる。君にはそこに留学という形で潜入してもらいたい」
「どうして私なの?」
「俺の母が興味を示すほどの力を持っているのは君だけだから。他の子だと使い捨ての実験材料にされて終わり」
「なるほどね。――つまり、そのミケって子を篭絡して、引き抜けばいいのね?」
「篭絡したり、引き抜いたりまではしなくてもいいよ。ただ、将来ミケくんが成長した時に、この子たちを癒すのに協力してくれる程度の友好的な関係性を築いてくれればそれでいい。具体的な方法は君に任せるよ」
「わかったわ。私が行くとして、この子たちはどうなるの?」
「もちろん、俺がここで面倒をみるつもりだけど」
「体のいい人質って訳?」
「そういうつもりは全くない。君がこの子たちを母の研究所に一緒に連れて行きたいなら、止めはしない。でも、あまりおすすめはしないかなあ。俺の母が運営する研究所は、君たちのいた研究所と同等か、それ以上に過酷な環境だから」
「そぉ? 楽しいわよぉ。毎日がドキドキとグチャグチャとワクワクでいっぱいよぉ?」
アドリアナが、ヘルメスを挑発するように言う。まるで『アタシを知りたければ、地獄を味わってこい』とでも言うように。
「まあ、こんな簡単にお願いしちゃってるけど、もちろん、強制じゃないよ。俺の母の研究所はキツいと思うし、嫌なら断ってくれてもいい。その場合は、さっき君が言ったみたいに西洋のシャーマンの血脈を探して失伝を復活させる方法を模索してみるよ。そっちの場合は正直、確実性もないし、時間もかかると思うけど」
「そんな気を遣わなくてもいい。ウチが行くわ。やらせて」
ヘルメスは即決し、そう申し出た。
迷う理由はなかった。
「よかった。じゃあ、よろしくお願いするよ」
ユウキが安堵の息を漏らす。
「――最後に、もう一つだけ、質問いいかしら。今の話の流れとは全然関係ないことなんだけど」
「なに?」
「あなた、サイノカワラって知ってる?」
「賽の河原? あの世にあって、子どもたちが石を積んでると、鬼が壊しにくる、あの?」
「そう。それ! 子どもたちはなんで、そんな苦行をさせられてるの?」
「ああ。それはね。親より先に死んだ罰だよ」
「は? え? 何か子どもが悪いことをしたとかじゃなくて?」
「うん。東洋には儒教思想っていうのがあって、その思想に従えば、親より先に死ぬのはかなり重い罪らしいよ」
「なにそれ。ふざけてる。むかつく。そもそも子どもを作ること自体、親の勝手なのに。勝手に産んで、何かの事故があって苦しんで死んだ子供を更に苦しめるの?」
ヘルメスにサイノカワラの話をしてくれた子も、苦しんでいるのだろうか。この世であれだけ辛い目にあって、さらに嫌な思いをさせられたのだろうか。だとすれば、許せなかった。
「俺もそう思う。一応、最終的には子供たちを地蔵菩薩っていう神様的なものが助けにきてくれることになってるよ」
「嫌。ウチは、そんなんじゃ納得できない。そもそも何も悪いことをしてないのに苦行を強いられている時点でおかしいもの」
「まあ、そうだよね。俺もムカつくし、理不尽だと思うよ。だから、その内、地獄に殴り込みに行こうと思ってる。ちょっと、あの世の神様に用事があってね」
ユウキは冗談とも本気とも取れるような軽い調子で呟く。
「さすがマスターぁ。次から次におもしろそうなイベントを考えるわねぇ。その時は、もちろんアタシも連れていってくれるんでしょぉ?」
アドリアナがユウキの首筋に抱き着く。
「もちろん。アイは俺のエースだからね。でも、その時は牛頭馬頭とか閻魔様とか黄泉の国の神々と戦うことになるけど大丈夫? 多分、めっちゃ強いよ」
「上等じゃなぃ。アタシ、一回、ちゃんと生の神様を殺してみたかったのぉ」
アドリアナはユウキに頬ずりをしながら、ちらりとヘルメスに意味深な一瞥を投げかけてくる。
(なるほど。もうウチはいらないってことね)
ヘルメスは苦笑した。
ヘルメスは、アドリアナが本当に辛い時に側にいてやることはできなかった。でも、ユウキは違うのだろう。彼こそがアドリアナを救い、理解し、共に歩んだ。
(でも、アドリアナのあの振る舞い、わざとっぽくやってるけど、多分、本気よね)
アドリアナは本来、甘えん坊な性格だ。
多分、色々あってネジくれて素直に甘えられなくなっているから、『甘えてるフリをして甘えてる』んだろう。
(ユウキはその辺、ちゃんとわかってるのかなあ)
もしかしたら、彼はアドリアナを単なるビジネスパートナーとしか考えてないのではないか。だとすれば、それはアドリアナを甘く見てると言わざるを得ない。
元々、病的に一つのことに執着しやすい子だった。ヘルメスがいた時はヘルメスに。そして、ヘルメスがいなくなってからは強さと勝利にそれを求めた節が見受けられる。だが、今、ヘルメスの知る限り、アドリアナより強い娘はいない。強者になりたい欲求が満たされた彼女の欲望が次に向かう先は――。
(なんだか、色々女の子で苦労しそうな男の子ね)
短い会話だが、それでも、ユウキが迷惑をかける側でなく、かけられる側の存在であることは間違いないように思えた。
それはつまり、ヘルメスと同じタイプであって、だからこそ信用できる。
ヘルメスは、そんな風に考えた。