8話
明朝、魔物の嘶きが西の空より轟く。
修復作業を続けていた騎士と冒険者はその手を止め、未だ鳴り響く西の草原を見つめる。
やがて地平線からは草原を埋め尽くすかの如く、黒い波がその姿を露わにしていく。
「な、なんて数だっ」
城壁の上で魔物の軍勢を見た騎士は、波のように動く黒い塊に慄く。
「未発見のダンジョンがあったのか!?」
“ダンジョン“この世界では世界中のいたるところに魔物を生み出すダンジョンが出現する。魔力や瘴気が集まると生成され、多種多様なモンスターがダンジョンから生れ落ちる。 姿や形は様々で地下型や洞窟型、塔の形をしたものもある。全てが迷宮となっており、ダンジョンの最奥に設置されておるダンジョンコアを破壊すると活動は停止し、ダンジョンかは死を迎える。人々は古来よりダンジョンコアの破壊を命題としているが、同時にダンジョンは宝の山でもあった。皮肉にもダンジョンより採れる膨大な資源が人類の発展に寄与していた。
そして、世界中のいたるところに現れるダンジョンは時には、発見が遅れてしまうことがある。そうなってしまうとダンジョンはモンスターを生み続け、やがては地上にモンスターがあふれ出てしまう。これを古来より人々は恐れを込めてこう呼んでいた。“スタンピード”と。
「まじかよ…」
隣で掠れたような声でヒロが呟く。
俺たちは城壁の上からモンスターの軍勢を眺めていた。
いくらほとんどが最下級のゴブリンで絞めていても昨日のオーガを含め、中には明らかに別種のモンスターも数多くいた。
「おい、あれってっ」
隣にいた冒険者が指をさす。
指し示す方向を辿っていくと何やら儀式的な装飾品で身を飾り、杖を持ったゴブリンがいた。
「あれは、ゴブリンシャーマン!?」
「それだけじゃないっよく見るとホブゴブリンもうじゃうじゃいやがる!」
確かによく見ると明らかに通常のゴブリンとは違ったゴブリンたちがいた。
その時、角笛の音とともに隊長クラスの騎士たちが号令をかける。
「戦闘準備―!戦闘準備ィ―!」
その声に我に返って辺りを見渡すと魔導士たちが詠唱を始めていた。
「お前ら!ちょっとこっちに来い!」
振り返るとタカちゃんが皆を先導して城壁から降りようとしていた。
「タカちゃん!?」
呼び止めに答えず、タカちゃんたちは城壁から降りていく。
「ちょ、待ってよ!」
やっとのことで追いついた場所は城壁から少し離れた宿舎の路地裏だった。
訳が分からずついてきたが、真っすぐ皆を見つめるタカちゃんの目に冷静になる。
「いいか皆、俺たちにあるのは二つの選択肢だ。——戦うか逃げるかだ。」
その言葉に俺たちは動揺するが、タカちゃんは俺たちの動揺を他所に言葉を続ける。
「ハッキリ言おう。俺はお前たちのことをこの世の何よりも大切に思っている。例え、ここにいる人たちとルインズの街の人々を犠牲にしてもだ。」
その言葉はこの戦場と街ににいる、全ての人たちを天秤にかけても釣り合わないと言ったようなものだ。
「だからこそお前たちに聞きたい。戦うかやつらの脅威が届かないところまで逃げ続けるかを今すぐに決めてくれ!」
暗に考える時間は無いと言った。それほど切迫した状況下にあるのだろう。
俺は一瞬逡巡するが、すかさず言った自分の決断に自分で驚く。
「戦う」
自分の発言に戸惑ったがすぐに覚悟を決める。
タカちゃんは俺の目を覗くようにして見た後、二人を見る。
「俺も戦う」
ヒロは短剣をを握りしめながら強く言った。
「僕も戦う」
イッちゃんは祈るように杖を握りしめていたかと思うと、まなじりを裂くように顔を上げる。
タカちゃんは俺たちの意思を聞くと長い溜息を吐き、静かに言う。
「分かった。俺も覚悟を決めよう」
皆を見渡すとタカちゃんは笑う様に口端を吊り上げる。
「まったく、お前たちとつるんでいると飽きないなぁ!?」
タカちゃんらしくない発言に俺たちは少し驚くと、タカちゃんはステータスを表示する。
「全員気づいているか?ゴブリンの動きが遅く感じるのを」
タカちゃんの言葉に驚く、少し前から気づいた違和感だった。
「ああ、でもそれがどうしたんだよ?」
ヒロは今関係あるのかと言いたげに不思議そうに聞き返す。
「自分のステータスを見てみろ。お前たちは気づいていたか?レベル1だった当時の自分たちの三十倍近くのステータスに」
それぞれがステータスを開き、自分のステータスを見下ろす。毎晩欠かさず眺めていたが、特別強くなった気はしなかった。
「前衛の二人は気づいてはいないかもしれんが戦いの終盤、お前たちの動きは他の騎士や高位冒険者と遜色のない動きをしているのだぞ。」
ま、流石にあの団長さんにはまだまだだけどなと付け加える。
俺とヒロはそんなことになっているのに気づいていなかっただけに呆然と口を開ける。
「やはり、戦うのに夢中で気づいていなかったか…俺たち後衛は戦う度にお前たち二人の動きが格段に速くなっているのにすぐに気づいた。」
イッちゃんを見ると肯定するように小さく頷いていた。
「お前たちだけではない。後衛の俺たちも魔法の威力と効果が各段に伸びているのだ。」
知らなかった。必死にゴブリンを倒し続けていたからそんなことを気づく余裕もなかった。
「まさか俺がなんの勝策も無しに戦うなんて選択肢を出すわけがないだろう?」
そう言ってタカちゃんはまた笑う様に口端を吊り上げたかと思うと声を張り上げる。
「恐らくこの戦いの命運は俺たちのこの急成長にかかっていると思った方がいい!昨日まではレベルの差で後れを取ったが、今は違う!急激なレベルアップにより、うまく体が適応できていなかっただけだ!このままモンスターを倒し続け、レベルが上がり続ければこの戦場で最強の冒険者になれる!」
こぶしを握り締めながらタカちゃんは宣言する。俺たちが誰よりも強くなり、この戦いを終わらせると。
「援護は任せろ!お前たち二人は派手に暴れ続けろ!」
四人の鬨の声が路地裏に響く。
俺たち四人の小さな反撃ののろしが上がる。
「ちくしょうっ…門が破られた!」
門の上で弓を射る騎士は呻く。
眼下には雪崩れ込むようにゴブリンの軍勢が侵入する。
「もう、ダメなのかっ…!?」
騎士の頭に絶望の二文字がよぎる。
その時、広場の一角で冒険者のパーティがゴブリンの進行を食い止める。
大男だ。だが、その容姿はまだ子供の幼さを残している。
「あれは…」
昨日、団長が褒めていた新米冒険者だった。
同時に新米冒険者の前にいたゴブリンの集団にいくつもの岩槍が次々と貫いていく。
「なっ!?」
その威力は新米冒険者が出す魔法の威力と規模の魔法ではなかった。
「しかも無詠唱!?」
即座に何度も魔法を放つ痩身の魔導士は、明らかに詠唱を行っている素振りが無かった。
すると、岩槍の隙間を圧倒的な脚力に物を言わせた少年が、魔法から逃れたゴブリンをあっという間に屠っていく。
「や、やつらは何者なんだ…」
弓を射るのも忘れ、新米冒険者を思われた冒険者たちを見る。
大男は攻撃をよけるのが苦手なのか傷ついていくが、それを全快させるほどの回復魔法が大男に降り注ぐ。
「あ、あれが新米冒険者パーティなのか!?」
最早その快進撃はゴールド冒険者以上にも見える。
「手を止めるなっ!射続けろ!!」
声のした方を振り向くと全身を重厚な金属鎧を装備した団長が大剣を肩に担ぎながら近づいてくる。
「ふんっ!」
自身と同じくらいある大きさの大剣を振るい城壁をよじ登ってきたゴブリンを切り裂く。
「奴らは…」
団長も気が付いたのか新米冒険者パーティが暴れる広場の一角を見る。
「うん…?奴ら強くなっていっておる…?」
昨日とは明らかに動きが良くなっているように見えた。
「だ、団長!門がっ」
騎士は喚くように告げる。
「分かっておる。門は俺に任せ、お主らは広場のゴブリンを掃討しろ」
団長それだけ言うと未だ雪崩れこんでくる門へ身を乗り出す。
突然上から降ってきた人間にモンスターたちは驚くが、すぐさま襲い掛かる。
うずくまっていたかと思うと肩に乗っていた大剣が空気を裂くように振り上げる。
「おおおおおおおおっ!!!」
次の瞬間、無数のゴブリンたちは大剣の餌食となった。
雪崩れ込まんとしていたゴブリンの軍勢はこの時初めて、侵攻の足を止めた。
それだけでは止まらない。鬼神のごとく大剣は振るわれ続け、門の周りをあっという間に血の海に変えていく。
(新米冒険者パーティとばかり思っていたが、あの動きはゴールドの上位クラスに匹敵していた)
ゴブリンの軍勢を一人で食い止めているのにもかかわらず、思考は先ほどの新米冒険者と思っていた冒険者を考えていた。
(奴ら本来の実力?それともこの土壇場で覚醒でもしたか?)
門を潜り抜けてきたオーガに横一文字に一閃する。
一撃でオーガを屠るその姿にゴブリンたちは恐れおののく。
(だどしたらありがたい。正直、我一人では厳しいものがある)
ゴブリンの軍勢をいくら一人で食い止められるほど力を持っていても武器が先に力尽きてしまう。
「新しい武器をよこせ!」
門の上であらかじめ待機させていた部下に叫ぶと新しい大剣が飛んでくる。
(そういえば奴らの武器は昨日と同じ。替えの武器を持っていないのか?)
だどしたらまずい、新米冒険者のよくやってしまう間違えだ。このような大規模戦闘では頻繁に武器を変えていかなければならない。
戦いながら武器を受け取り、指示を出すために門の上にいる部下を呼びかける。
「おいっ!聞こえるか!?」
「なんですか!?」
すかさず返事が飛んでくる。
「向こうで暴れている新米冒険者に新しい武器をくれてやれ!一番いいやつをだ!」
戦いながら指をさし、指示をだす。
「昨日団長が推薦すると言った、冒険者のことですか!?」
「そうだ!」
うまく指示が伝わったようだ。
「しっかり暴れろよ…若造どもぉ」
新しい大剣を握りしめ直し、獰猛に笑いながらモンスターたちを睥睨する。
「はやくここまで来るのだぞ…」
今もなお侵入を試みるモンスターたちに視線を飛ばした。
「おおおおおおっ!!」
戦場と化した広場の一角で俺はゴブリンの集団に肉薄した。
中ぶりの斧と盾を二刀流のように扱い、ゴブリンたちを吹き飛ばしていく。
それでもゴブリンたちは数で押し返そうと俺に飛びかかる。もし、俺一人だけであったら数の暴力であっさりと殺されていただろう。一人ならの話だ。
「ファイヤアロー!」
俺を殺さんと迫っていたゴブリンの体を火矢が貫く。火矢は一本だけではなく、次々とゴブリンの体を貫いていく。
黒焦げになっていく仲間の姿を見てゴブリンは足を止めてしまう。だがそれが命とりだ。
「グギャアッ!?」
短い断末魔を発し、ゴブリンは首から血の雨を降らしながら息絶える。
ヒロだ。ステータスとスキルで強化された健脚は、最早ゴブリンでは反応すらできなくなってしまった。
もうゴブリンたちには、誰を狙っていいか分からないだろう。
魔導士を狙おうにも目の前の盾と斧を持った大男が行く手を阻む。大男を狙おうにも魔導士がすかさず攻撃を繰り返す。怯んで足を止めたものから息絶える。大男に傷を与えてもみるみると回復していく。
悪循環であろう。
ゴブリンたちには彼らこそがモンスターにでも見えるのかもしれない。
だが俺とヒロはさっきからゴブリンを仕留め損ねることが多くなってきた。
武器が消耗してきたのだ。
ギルドから貰ったその日から俺たちなりに欠かさず手入れをしてきたが、限界に達しようとしていた。
手斧は既に刃がつぶれ、鈍器と化としていた。
(このままじゃ、まずいっ)
一度、戦線離脱したいがゴブリンの数が多すぎる。
この場から誰か一人でも抜けたら押し切られる気がしてならなかった。
「これをお使いください!」
タイミング良く、後ろから一人の騎士が武器を投げ渡す。奇妙な大型武器だ、戦斧と槍を組み合わせたかのような長柄武器。確か名前は“ハルバード”
俺は持っていた斧を目の前にいたゴブリンに投げ、ハルバードを装備する。ヒロも新しい武器を貰ったのか、二本の短剣と弓矢を補充していた。
(これで思う存分っ)
——戦える。
俺は新しい武器の調子を確かめるべく真一文字に手加減無しで振るう。
『ギャアアアアッッ!?』
半円を作るように囲んでいたゴブリンたちの体をまとめて二分にし、ゴブリンの体が地面に沈むように崩れ落ちる。
『うおおおおおお!?』
周囲で見ていた騎士と冒険者は、圧倒的な力に物を言わせた離れ業に喝さいを送る。
一度は敗戦が濃厚と思っていた戦場が、俺たちを中心に騎士と冒険者たちはゴブリンの軍勢を殲滅していく。
(これはいけるぞっ!)
誰もがそう思ったその時、天地を震わすような雄たけびが門の向こう側で轟いた。
「うおおっ!?」
これ以上モンスターの進行を許すまいと、モンスターの軍勢をたった一人で食い止めていた騎士団長が驚きの声を上げながら宙を舞う。
「団長おっ!?」
広場に侵入したモンスターはほとんど掃討され、出来上がった空間に騎士団長は吹き飛ばされてきた。
体に異常は無いのかすぐに立ち上がり、己を吹き飛ばしたモンスターを睨めつける。
まず目につくのが、その体の巨大さであった。太い手足、筋骨隆々と引き締まったその体格も相まって、手に持っている紫色の大剣がやけに小さく見える。浅黒い肌、口からはねじれた牙、全長四メートルに届こうかという大きさは、まさに巨人のようだ。
ゴブリンなんかと比較にはならない圧倒的な存在感に、この世界で初めて畏怖を感じた。
「ゴブリン、キング…!」
呻くように誰かが言った。
ゴブリンキング。ゴブリンの王。ゴブリンシャーマンやホブゴブリンのさらに上をいく最上位種。
広場にいる騎士と冒険者を睥睨していたかと思うと真っすぐと騎士団長に目を向け、片手で持っていた紫色の大剣を構える。
「おいおい、一騎打ちをご所望か?だが、あいにくとなぁー」
騎士団長は自身に向けられた大剣の意味を察するが、自分が乗り込んできた場所を忘れているぞと周囲を見渡しながら左手を上げる。
広場には幾人の騎士と冒険者の魔導士たちがいる。それぞれが魔法の詠唱を終え、いつでも一斉射撃をできる状態にいた。
「放て」
騎士団長は高々に上げていた左手を振り下ろす。
―――刹那
耳を劈くような音を出しながら、怒涛のような攻撃魔法が一斉にゴブリンキングへと降り注ぐ。
炎雷、氷の岩、岩槍などがゴブリンキングへと次々に炸裂する。
やがて魔導士たちの一斉射撃は止み、大量の土煙を出している広場の中心を誰もが固唾を呑んで見守る。
舞い上がった煙が徐々に薄れていくと、眩く輝く紫色の光を帯びた大剣を持った無傷のゴブリンキングがいた。
『なっ!?』
俺たちの動揺を他所にゴブリンキングは今もなお発光する大剣を逆手に持ち、大地に突き刺した。
「何をっ——!!?」
その問いかけに答える間もなく。ゴブリンキングの中心から蜘蛛の巣を作るように大地が割れ、——爆発した。
凄まじい爆発と衝撃波が広場にいた騎士と冒険者を一瞬で呑み込み、吹き飛ばす。
「なっ!?」
幸運にも、魔導士たちの一斉射撃に巻き込まれないように退避していた俺たちは難を逃れたが、眼下に広がるありえない光景に目を疑った。
(ぜ、全滅っ!?)
捲れ上がった地面の裂け目には、広場にいた騎士や冒険者が倒れこんでいる。
死屍累々という有様はまさに地獄。
「ぐ、うう…」
爆心地の一番近くにいたはずの団長が俺たちの前に無残に転がっていた。
「い、今すぐ回復をっ!」
イッちゃんがすぐさま回復魔法を騎士団長にかける。
「ぬっ、すまんな。助かる」
数秒後に意識を取り戻した騎士団長は短く礼を言う。
「あ、あの大剣は一体…」
地面が爆発する直前、地面に突き刺した紫色に発光していた大剣を思い出す。
「恐らくあれは、魔剣。それも高難易度のダンジョンの最奥でしか入手できない超一級品だろう」
俺の独白に頭を押さえながら騎士団長は答える。
「な、何でそんなものをゴブリンキングが持っているんだ!?」
「それに奴は何で無傷なんだ…?」
ヒロとタカちゃんは動揺を隠せずにいた。
二人とも予想だにしなかった敵の攻撃に混乱している。
「落ち着けぇ、ひよっこども」
「「!?」」
騎士団長は二人の頭を叩くように掴む。
「おそらく奴の魔剣の能力はカウンター。攻撃魔法を吸収し、次の一撃を範囲攻撃するものだろう」
ならまだやりようはある、と。
騎士団長は油断なくゴブリンキングを見つめる。
これが経験の浅い俺たちと歴戦の騎士との違いだろう。あのでたらめな攻撃を直撃した直後にも関わらず騎士団長は冷静に分析していたのだ。
ひしゃげた兜を脱ぎ捨て、俺たちを見る。
「手を貸せ、お前たちの力が必要だ」
懐から出したポーションを飲み干しながら騎士団長は宣言した。
「勝機はまだある」
俺たちを見下ろしながら不敵に笑った。