クレルス逃亡記
勇者総出でクレルスを捜索する。遠山瑠花の勘便りの捜索だが、佐伯菜乃花による采配と、遠山瑠花、御子神光正、田畑理恵の執念により、包囲網は着実にクレルスを捉えようとしている。
(……遠山の目を誤魔化せないのが辛い。表立って戦闘……は下策にしても、一人二人は殺いでおかないと)
少しでも敵を減らせば楽になる。それは分かっているが、魔眼が止めろと告げる。【簒奪者の勘】によって見える光景は惨殺される未来だけ。
「このルートは、遠山に見つかる。……だめだ、こっちも御子神と鉢合わせ。こっちは勇者には……いや、最悪だ。戦神が出てくる」
あと何分、何秒。気付けばそればかり考えている。段々と近付く死の気配が焦りを掻き立てる。
だが、尻尾を巻いて遁走するにはまだ早い。囮として、出来るだけ時間を稼いで引き付けなければならない。嫌な予感しかしない、恐怖との葛藤が続く。
「遠山は騙せない。なら、他の全員を騙すしかない」
※※※※※※
『ちょっと待って。そっちじゃない!どこ行ってるのよ!』
『えっ?でも菜乃花ちゃんがこっちって』
『遠山が逆サイドって言ってたぞ!?』
完璧だった連携に亀裂が入る。佐伯菜乃花によって采配されていた指揮系統が乱れた。勇者の力を与えられたとは言え、元々の才能の有無は変わっていない。
勇者は一部の天才によって率いられることで成り立っている。ならばそこを突かない手はない。
幻術によって遠山瑠花、および佐伯菜乃花の分身を造りだし、偽の指示を与えた。直ぐ気付かれる小細工だが、疑心は疑心を呼び、疑いの眼差しが蔓延する。
『クレルスが細工してるのかも。符号決めるよ!』
「待て、佐伯」
「なに、御子神。あんたも指揮手伝いなさいよ!お陰で今忙しいんだけど!」
「そうじゃあない。詳しいことは分からないが、どうも見られてるというか、聞き耳を立てられてる感覚がある。監視……は流石に無いにしても、念話を傍受されているかもしれない」
そんな魔法もスキルも聞いたことがない。精々、音を漏らさない魔道具があるだけで、念話の傍受だなんて。
だが、もしも可能ならば、現代の情報戦と遜色ない伝令の仕方を考えなければならない。そんなこと、軍人でもないただの学生には不可能だ。
「……魔族は至近距離なら念話よりも防音の魔道具をよく使うから、偵察部隊には防音破りの魔道具の携帯を持たせている。つまり、だ」
「念話傍受の技術がある可能性が高いってことね。あぁもう、どうしろってのよ!」
『問題ない。もう追い込んだ。アイツは、袋小路の鼠だ。みんな、ここは未復興区画だから破壊してもいいって王宮から許可が出てる。殲滅開始だ!』
※※※※※※
「……えぇー。思ったよりも躊躇無いな。もっと破壊は抑えるって予測だったけど、仕方ない。どちらにせよ、ここを耐えて時間を稼ぐのが最適解!」
魔法は全部魔眼で強奪、吸収し、倍加して返す。矢は避けるか無視して受ける。高度にもよるが、直線上に射つ矢よりも山なりの矢は威力が小さい。【硬化】と【竜鱗】で弾くことが可能だ。
(ここで、加速ッ。それから、遠山の投げナイフを弾く!)
翼と踏み込みのタイミングを合わせることによって速度を上げる。的確に頸動脈を狙ってきたナイフをデュランダルで弾き返し、逆に当ててやる。
が、それを瑠花は頭突きで叩き落とし、何でもないように前進してくる。野獣のような動きだ。だが、クレルスは瑠花だけと戦っている訳ではない。
(御子神の剣は受けずに、田畑の槍を往なして流してぶつける!)
左右から襲撃する光正と理恵。速度なら光正が勝るが理恵の槍の方がリーチの長さの分、早くクレルスに到達する。
どうも日本人は槍は突くものと考える者が多い。森長可の【人間無骨】や本多忠正の【蜻蛉切り】など、鋭利な槍の逸話に影響を受けているのか、はたまた刃に拘るのか。
だが、槍の真価は薙ぎ払いによる、遠心力で加算された打撃力と間合い取り。その点、理恵は速いだけで闘い方がなっていない。
突きは速くとも攻撃位置が絞れる。ならばそこに剣を添えれば、攻撃は流せる。刀よりはやりにくいが、そんな差異はクレルスにとっては些事でしかない。
槍がまるで吸い込まれるかのように光正の方へと軌道修正される。それをクレルスの身体の流れから読んでいた光正は槍を驚異的な反射神経で跳ね上げる。
クレルスが指に挟んでいた死ノ鎖の短剣を投げつけるも、その短剣部分は跳ね上げられた槍に突き刺さり、光正に害を成すことはない。
どんなものだとばかりに、光正が口の端を吊り上げる。夜の闇の中でも手入れされた白い歯ははっきりと見える。
「【電気椅子の罠】」
日魔流闘術 体術 破城・心壊骨破─蹴。クレルスの蹴りを光正が避ける。だが、後退したところには、
「させない!」
──ビシィッ!
華谷美奈の、亜音速で駆け巡る鞭が地面を叩き付け、罠を一足先に作動させる。更に背後から、槍を持ち変えた理恵による薙ぎ払い。
先程よりも長大なそれは馬上用のもの。しかし、それを陸上で軽々と扱って見せる辺り、流石は勇者。
先程よりも深まる挑発的な光正の笑み。だが、その挑発には動じない。自らの直ぐ後ろに死神が迫ってきているのに気付かない程、クレルスもバカではない。
近接攻撃の連続によって対応に時間を取られ、踏みとどまった今がチャンス。足止めの一手が聖女の手によって下される。
「主の御名のもとに【聖剣光輝・断罪執行】──ッ!」
「畜生、めんどくさいなッ!デュランダル、六連!」
触手のように蠢く死ノ鎖によって操られる六本ものデュランダルが、エクスカリバーのビーム砲撃の威力を相殺する。
デュランダルは、壊れない事こそが最大の特徴の魔剣。そのため、魔力放出量や重量などの条件では、エクスカリバーには負ける。そのため、六連撃を放つことで、質を量でカバーする。
(でも、本命は上ッ!)
上空には魔法で形成された巨大な光の突撃槍がクレルスを狙っている。その材質は数多の魔法を凸レンズのようにして集めて収束させ、対人仕様にしている。
いや、対軍規模でないと言うだけで、その威力は対人仕様や対魔族仕様というよりは、対竜仕様と言われた方が納得する程だ。強力な魔法を集めに集めたのだから当然でもある。
故にこそ、それは混沌。強欲ノ魔眼の力であっても、ごちゃ混ぜの混沌は奪うことが難しい。消し去るには余りに時間が足りない。
「大仰だな。そんなに俺が怖いか!」
挑発しつつも頭は冷静に回転する。実際のところ、余りの躊躇のなさにドン引きだったりする。
(転移……。いや、成功の合図はまだだ。ギリギリ限界まで耐えてなるべく時間を稼ぐ!)
大量の死ノ鎖を地面に突き立て、そこを起点に多重の結界を張る。天のランスの力を少しでも逸らすため、ロケットのように先端が鋭角になっている。
更に上空には魔壁を大量展開。その魔力は光のランスから少しづつ削り取る魔力と自前で賄う。
強欲ノ魔眼で魔力は奪っているものの、奪いにくいこともあり、それは一向に減衰する様子がない。
更に言えば、輝くものを見続ける行為は、夜闇に慣れた目には些か辛い。そのため、【魔纏・闇】の応用でサングラス擬きを生成する。
通常であればこれで問題ないが、今は夜目ということもあり、これでも眩しい。とはいえ、これより闇を濃くすれば、そもそも視認できず、強欲を発動できない。
「魔力を廻して、勝負ッ!」
「【偉大なる災厄の落槍】
空から堕ちるは星光と雷霆の混合。圧倒的な暴力の塊が魔壁の数々を容易く撃ち破る。ギリギリと死ノ鎖の結界が悲鳴を上げる。ヒビを懸命に補修していくが、スピードが間に合わない。
「あぁクソッ!【硬化】【竜鱗】!」
巻物を手に持ちながらの最後の抵抗。終に破られた結界から光が殺到する。金属の鱗が覆う肌を焼き、融かさんと地とクレルスに襲い掛かる。
が、クレルスの肌に触れたということは、吸収効率が上昇するということでもある。魔眼を全解放。目を焼かれながらも、何とか耐え凌いだ。
服は黒焦げて使い物にならない。邪魔な布切れを強引に破って捨てると、隆々とした筋肉が顔を除かせる。
「……カハッ。……ぜぇ、ぜぇ。耐えた、ぞ。報復の時間だ」
あの復讐者たる魔王の表情を真似て、ニヤリと嗤って見せる。
「大いなる死病を運びし風よ。永遠の眠りを……」
「避けろおおおぉぉぉぉ!」
光正が力の限り叫んだ。が、遅い。いち早く反応した光正、理恵、美奈は避けることが出来たが、瑠花と勇者数人が巻き込まれた。
風化し、大気に消え入ったかのように地面ごと抉り取られている。塵も残さぬそのやり方は、まさに死の権化と呼ぶに相応しい。
「……瑠花、ちゃん?」
理恵が驚きの声を漏らす。未だここは戦場だというのに、親友の死に泣き叫びでもするのかと、クレルスは検討違いの想像をしていた。
濃密に凝縮された狂気を感じる殺気!肌が震えた。鳥肌が立ち、背筋が凍りつく。本能が警鐘を高らかに鳴らした。考えるよりも先に身体が動いていた。
一瞬。屈み、転がった一瞬後、首を目掛けた短剣が薙がれた。星明かりを反射する鋭利なそれ。クレルスの視界には、死神の手のように映った。
遠山瑠花だ。殺した筈。死んだ筈の愛に狂えし少女が嗤っていた。飲み込みが遅れる。一拍後に理恵の驚きの意味を知る。
分子レベルでその肉体を崩壊、死滅させられ、生き残る術などなかった筈だ。だというのに、その姿は健在。
(……蘇生。いや、それだと服まで存在するのはおかしい。【再生】でもない。まるで時間の巻き戻しみたいな……)
だが、よく見れば服に幾つか相違点がある。つまり一瞬にして着替えたということ。マジシャンも吃驚な早着替えだ。
「いつから手品師にジョブチェンジしたんだっ!」
「だって裸なんて、はしたない」
頬を僅かに赤らめる。最早そういう次元じゃないとか、狂気的な笑みの時点ではしたないとか、クレルスにも言いたいことは山ほどあるが堪える。
「つまり、愛の力」
堂々と言い切った。殺そうとしてくる奴に愛していると言われ続ける気持ちが、しかもそれが好いている相手という状況に対する嘆きが、剣を鈍らせる。
それを見逃す勇者たちではない。仲間を殺された恨みが載った攻撃が、クレルスに襲い掛かり……。
「予想、通りッ。土竜旋撃!」
美奈の鞭を縛り、光正の剣を殴って砕き、聖女を電流で押し留め、理恵を蹴る。蹴りの際に大きく前に移動し、回転しながら地面の砂や煉瓦、剣の破片を巻き込んで、蹴り上げる。
その動作でついでに矢や魔法を避ける。動きを鈍くすることで、相手の攻撃を誘い、攻撃位置を意図的に誘導したのだ。
「ッ、放れろォ!」
今度は警戒していただけあって皆反応する。雷電が巻き上げられた剣の破片や砂鉄を伝い、網のようにクレルスの周辺に展開される。
空気を切り裂き轟かす雷鳴と共に、閃光が迸った。一瞬ながら、余りに眩い閃光を目に焼き付ける。それはさながらフラッシュバンだ。
目を開けたあと、クレルスはそこにいなかった。
※※※※※※
鴉がざわめき、黒猫は尻尾を撒いて逃げる。本能的に、生命の危険の通過を察したのだ。
「一旦は撒いた。だけど、直ぐに遠山は気付くだろうな。あと数十秒。それだけ稼げれば……ッ」
背筋の凍る感覚。まだ姿はない。飛び道具の気配もない。それでも、恐らくは気付かれた。それだけは把握した。
「早すぎだよッ」
悪態を吐きながらも、逃亡を再開する。休む暇も与えられない。連戦に身体が悲鳴を上げる。
それに、クレルスの目の前にあるのは半壊の王城。逆に追い込まれたことを察知する。第二、第三の策を光正と菜乃花が事前に練っていたのだ。
遠距離攻撃手の配置、王城側を僅かに手薄にしていた。まんまと釣られたクレルスは袋小路に追い込まれた、飛んで火に入る夏の虫だ。もっとも、王城にかの魔王がいなければ、という前提になるが。
(勘は、スキルは王城へ向かえと告げている。でも、常識的に考えれば愚策も愚策。伸るか反るか。ええい!)
常識をかなぐり捨てた。そのとき、王城から大きな花火が上がる。成功合図だ。まるで氾濫する川の水のように荒々しく、壁を壊しながら突入した。
※※※※※※
「ちょッ。てめぇ、大丈夫か!?」
転がり出てきたクレルスに声をかける鍛炉。クレルスに忍び寄った音速を越える短剣をカイザーが弾く。
再び瑠花との攻防。その速度、精度、共に、非常に美しい剣舞のようでありながら、両者の表情はベクトルこそ真逆であるものの必死だ。
短剣二刀による連撃と時おり混ざる蹴りが、疲労したクレルスを中々休ませてはくれない。何本ものデュランダル・レプリカを盾のように消費し、何とか猛攻を凌ぐ。
「ほぅ、神々の呪か。成る程!打算込みでここに来たというなら、貴様は最良の未来を選択した」
クレルスにとって聞き慣れない声。隠す気など全くない、輝く程の強大な気配が背後から漂う。それと同時に、突如、瑠花の手足に枷が嵌められる。
鈍い光沢を放つ鈍重な金属が瑠花を地に縫い付け、放さない。魔眼と神の呪いによる、ある種の狂化が付与された筋力だというのに、びくともせず、その姿はまるで地に打ち付けられた魚のよう。
鋭い眼光が犯人、三代目魔王へと向けられる。が、それ以上の威圧を持って返される。狂えども強制的に理解させられる格の違いは、神々のそれと同レベル。
「瑠花ちゃん‼」
「……あれは、 冗談だろ」
追い付いた光正ですらそんな言葉を漏らすしかない。そこは余りに遠く、段違い、桁外れの存在感だ。
レバートと凉白が見事な連携で軍神の剣を防ぎ、太陽神の炎を三代目魔王から出でた闇を具現化したような霧が飲み込む。
「ここを落とすかなら、もう少し身体を調整せねばな。今は見逃してやるとしよう。帰還するぞ。王の凱旋だ!」
止めようとする太陽神と軍神の努力も虚しく、魔族たちは消えていった。




