神の焔と酒
死んでもいい。正気を疑う言葉。それでもクレルスは疑念を抱かなかった。いや、正確には少し疑った。が、その上でそれが最善だと信じた。
高々、直感にすぎない。されどそれは魔眼の能力。馬鹿にできないものだ。将来的な目標、願望の達成のためには最善にして最高の策だと。
あと、残る問題は本当にそれを実行できるか否か。それを実行できなければ如何に最善手とて、後世の目から見れば爆死の悪手。
空間を外界と隔離。神と自らたちを閉じ込める。出来れば三代目魔王様だけを防護したかったが、それでは勇者も参戦して数の暴力で殺られる。逆に神を排他すれば神は結界なんて悠々と破ってくる。
それでも過去の大英雄を信じて、己の最高のパフォーマンスを発揮しなくてはいけない。一世一代の大博打。
「参る!」
※※※※※※
前代未聞の最高戦力を湯水のごとく使い捨てる時間稼ぎ。荒々しく、命の華が瞬きの間に咲き誇る。
「あんた、今代の魔王!そんななまくら杖なんか捨ててこっち使いな‼今は武器の思い入れ何ていってる場合じゃねぇからなぁ!」
「感謝する。……気合いを入れろ。血よ踊れ!」
消えていく命の灯火が残す遺産を縦横無尽に操る禍々しき忌業。効果のほどは絶大といって過言ではない。血沼と化した戦場に身をおけば、そこは武器が有り余っている倉庫。
奇想天外、鮮血無双。何処から出でるか分からない攻撃。
されどそれは
「稚拙」
威力が伴わなければ意味がない。魔力切れで血を動かすスピード、動かせる総量、どちらも共に減っている。
太陽神の焔で血が蒸発する。幾ら人死にで大量の血液があろうとも、それは決して無限ではない。
本来ならば血で消火、さらには血液中に含まれる赤血球の主成分、ヘモグロビンに酸素を奪われ炎は減衰するが、これは真空の大宇宙にて燦々と耀く太陽の光輝。容赦なく命の残骸を燃やし尽くす。
「稚拙でも無様でも、足止めくらいは……!」
「んじゃまぁ、稼いでくれた時間で消火活動と行きますか。瀧酒!」
莫大な荒浪。君臨する大海の暴君。ポセイドンの一振りがごとき強烈な水流による攻撃が太陽神に見舞われる。
「これは、海か。だが、温いな!そんな程度で止めれると思うんじゃねぇぞ!ハハハハハ!」
「化け物が。しっかしこりゃ、今の俺たちには手に余る。ま、こいつは今すぐ殺す必要ないしな。要は時間稼ぎが出来たらいいんだからよ!」
「逃亡か?それでは貴様の仲間を殺すぞ?」
鍛炉が太陽神の相手を止める。その代役は、地獄の死神と当世最強の夫婦。竜騎士と化したサーシャの猛攻。一撃入れて撤退、このルーティーンをひたすら繰り返す。
「チッ‼しゃらくせぇ」
「子蠅が鬱陶しいでしょう?是非ともそう思ってくださいな」
さすれば、闇の使者は影から忍び寄る。隠密攻撃が突き刺さる。燃え盛る炎の中、無い影を通って股下まで辿り着いた。背後からの心臓一突き。
「毒は効かない、再生する。この程度じゃ倒れねえぞ!?」
「だろうな。だから、もう少し威力が出る者に任せる」
神速の矢が額に突き刺さる。驚愕の速さ、余りの衝撃。思わず仰け反る。脳が揺れる。続く二撃三撃。喉、心臓、股間。的確に人体の急所を撃ち抜く。
「貴様ぁ!我との戦い中に太陽神様を!」
「五月蝿いですよ。月の神(笑)」
見事な挑発。激昂する月の神。敢えて侮辱の言葉をあまり表面には出さずに、されど格下に見ていることは確実に伝わる口調。実直そうに見えて意外と演技派なのだ。
「クハハハハ。確かに、先程よりも威力は出るな」
傷口が陽炎のように揺らめき、再生する。あっという間に、まるで傷など最初から無かったかのように消え失せる。
不死の怪物を想像させる程の超再生。そもそも、傷などついているのか、ただただ焔が揺らめいただけなのではないかと疑念を抱く。
「化け物ですか……ッ」
「いや、神だ。んで、後ろから斬りかかる鍛治師。貴様にも気づいているぞ?いつのまにやら暗殺者といれ変わってたらしいな」
「チッ‼……というかどの口調が素なんですかねぇ!」
変わる口調。その性質が太陽である以上、存在は不変。だがしかし、紅炎が吹き出て様々な顔を見せ、刻一刻と見目が変わる太陽のように、根は一本だが、口調はわりとコロコロ変わる。
「無謀‼また挑むかッ!」
「危ない‼」
サーシャによって刺し貫かれて尚も止まらず、減衰する事もなく、撒き散らされる紅蓮の焔。鍛炉はその焔に包まれながら、嗤う。
「狙い通り。瀧酒、本領発揮だ‼」
撒き散らされる水。それはまた蒸発させられるかと思われた。だが現実は違う。燃えた。豪々と。紅く気高く燃えた。
燃える水。その正体はアルコール。つまり酒だ。瀧酒。滝のように止めなく溢れ出る酒。それが銘に込められた魔剣の性質。
元々は魔王レバートの黒炎の補助用だったが、思ったよりも出来が良く、普通の水の魔剣としても充分に実用に耐えうるということで使われていたのだ。
「効かねぇな。てめぇの焔は!」
宴会芸で酒につけた紙幣を燃やしても、アルコールだけが燃えて紙幣は無事、というちょっとした手品がある。理論的にはそれと同じで、自ら酒を被ることによって自身への引火を防いでいるのだ。
「おらぁ!」
瀧酒が振るわれると、導火線のごとく酒に引火して、焔が誘導される。その先には。
「がああぁぁぁぁ!?」
軍神がいた
※※※※※※
隔絶された世界。死ノ鎖による結界と鍛炉の力作で覆われた、他を隔離する結界の中で神々と戦う。プレッシャーに汗が吹き出す。絶望的。勝てない。だが、泥臭く粘って時間を稼げればそれでいい。
「参る」
死ノ鎖で軍神の体が縛り付けられるはずが、それは見飽きたとばかりに器用にその巨躯を操り、呪縛から逃れる。隙ありとばかりにサーシャの薙ぎ払い。竜に跨がり一撃一退。
クレルスが正面から、カイザーは音もなく背後から、合図もなしに同時に仕掛ける。
回転切り一閃。それだけで剣圧が飛び、退けられてしまう。決して容易には近づけない。だが、デュランダルは砕けない。恐れず、衝撃を逃がしながら猛撃を防ぎ、掻い潜り、着実に近づく。
「嘗めるな!」
小癪にも自らに近寄り、その命を奪わんとする強奪者に大剣を振り下ろそうとした瞬間、止まる剣。それでも強引に、死ノ鎖を引きちぎって無理矢理振り下ろす。
デュランダルを翳そうとするが間に合わず、両断されるクレルス。
そして大量に現れるクレルス。
「幻影、幻術、幻覚、幻視、幻聴、すべて夢幻か」
しかしその全ては神を欺き、世界を騙し、そこに質量を持たせ、物理と化す。幻術だと分かっているのに本物に感じるという矛盾。確かに、無数のクレルスたちはデュランダルを以て神の肉体を傷付けた。
「この剣、幻術だけあって本物と比べると些か劣るが、それでも尚我が身を負傷させるとは、実に見事‼」
鎖がに纏わり憑かれながらも一人、また一人と、無尽蔵にも思えるほど、次から次へと湧き出るクレルスを的確に処理していく。
「ならばこの鎖も、複製品だけでなく虚構も混じっているか?」
流石神。鋭い直感。正解である。複製だけでは間に合わない。複製品よりも脆いが、幻術を混ぜることによって数を演出している。
「……であるなら本体は何を?」
「それ考えるのも良いけどよ、はいよっと失礼。いくぞ【金剛砕斧】。死に曝せぇぇ!」
「そろそろ飽きる頃合いと思ってな。役者交代。魔族は気配り上手なのだよ」
一閃。回避行動をとろうとするも、死ノ鎖によって阻まれ、頭部は避けたものの、大斧によって鎧は砕かれ、肩から腕が切り離される。
冗談を言いながらも苛烈な血液攻撃。斬撃が皮膚の上を浅く切り裂いていく。質より量とばかりに、浅く、されど速く。
「なぁ、そろそろ限界だろ?太陽神が中和してくれたとはいえ毒喰らって、傷だらけで。死はもう目前。てめぇが一番分かってるだろ?」
精神を切り崩すため、鍛炉が言葉をかける。動揺があれば儲け。なくても時間稼ぎはできる。本来の目標は達成できる。
「そう、だな。吾の体はもう限界。この巨躯を支える筋肉が悲鳴をあげておるわ(何故だ。何故あっさりと認める。そんな筈はない。まだ吾は戦える筈だ。であるというのに口が、体が認める!?これが吾の本心だというのか……‼)」
強情強固な精神とは反対に、口が諦めの言葉を紡ぐ。体が動かなくなる。口から漏れ出た言葉は言霊となり、呪詛のように己の肉体と精神、その両方を蝕む。
「体は正直だ。首を下げよ。であるなら楽に介錯してやろう。それで貴様は救われる」
「………… 」
涙を流しながら、歯を食い縛りながら、必死に抵抗する。しかしそれでも尚、魔王の言う通り、体は正直。頭を下げ、首を無防備にも差し出してしまう。
(死ぬのか!?この吾が、ここで。いや、断じてならぬ。太陽神に並ぶ大神、創造神たる方から勅命を受けた吾がぁぁぁぁぁ!)
(このままいけばこの戦、勝ち戦だ。ったく、一時はどうなるかと思ったが、下手すりゃレバートのアレを使わなくてもいいかもな。部下が死んでからの今代魔王の火事場の馬鹿力がすげえ。流石、魔王ってだけあるか)
(よし、行ける。私の力が通じている。先に英霊となって冥界で見ているジョーカスよ。貴様の死は無駄ではなかった。私たちはここに神殺しを成せる‼)
誰もが魔族の勝ちを予感した。隔離空間の外で見ている勇者も、聖女も。諦めた。
「そうだ。それでいい」
少し震える声でケリーが言う。
「この金剛砕斧にて、介錯、務めてやるよ。ったく、鍛治師がやることじゃねぇがな」
斧を引き摺りながら、鍛炉が軍神に近づく。一歩、また一歩。死の刻限が迫る。
「(そうだ。これでいい。これで…………良くない‼こんなこと、軍神たる吾がすることではない!)───ッ。動けえぇぇぇ‼」
しかしながら流石に神。一筋縄ではいかない。無理に、筋肉を軋ませながらも動く。一度体が動けばあとはするすると体は動く動く。
「なんで。精神毒が甘かったか!?」
「いや、悪りィ。こりゃ俺の失態だ。下手に刺激しないようにって時間かけすぎた‼」
「クハハハハ。吾の限界など程遠いわ!見よ。吾が肉体に宿りしこの力を!」
失敗。やはり神と言われるだけある。一筋縄ではいかない。
『仕方ねぇ。プラン三に移行。もう一回交代だ。カイザー!』
「私は軍神の相手をする。太陽神は相性が悪い。頼んだぞ、サーシャ」
「まっかせて、けーちゃん。想像以上の戦果、挙げてやるわよ!」
そして軍神は太陽の焔に焼かれることとなった。
※※※※※※
(胸がざわめく。神の相手は任せるか。不安だから一応、幻影は派遣するが。神は別格に強い。当然だが、嘗めていた訳でもないが、それでも吃驚する程に強い)
直感の赴くままに、隔離空間を探索する。やけに嫌な予感がする。気配としては弱い力だ。だが、それでも逆転の力を秘めている何かがいるということは分かる。
「向こうから来たわよ?」
「こっちは見向きもされないと思っていたが、思ったよりも買い被られてたんだな、俺」
「ッ───、何だ。腑抜けは終わったか。それとも女王様に尻を叩かれて嫌々来たか?御子神」
隔絶したはず。外にいるはず。なのに御子神と華谷はそこにいた。どうやって。それを問うのは愚問だろう。どうやってかは知らないが、今そこに二人がいるのは紛れもない事実。
「少し訂正があるな。氷結悪魔女王様に根性叩き直されたのは否定しないが、嫌々なんかじゃない」
「ちょっと?酷いんじゃない?言い方」
しかし、根性を叩き直したことを否定しないあたり、事実なのだろうと、クレルスは納得する。
「まぁ、そんなわけで、俺は自分の意思で、お前に勝つためにここに来た。覚悟しろ、クレルス。まずはデュランダルでも返してもらおうか」
「何だ。そんなものか。やるぞ?」
以外にもあっさりと。デュランダルがくるくると宙を舞う。
「ッ⁉え?あ」
「なんせ、解析は終わってるからな。レプリカくらいなら造れる」
俊足。御子神がデュランダルを受け取る前に斬りかかる。卑怯な奇襲。何とか腰に履いた剣を抜いて受ける。
その隙にクレルスは自分で放り投げたデュランダルを掴み取る。
「本物があるに越したことは無いがな」
手のひらの上で完全に転がされたことを自覚する。しかし激昂はしない。そのくらいの実力差があることは折り込み済みだ。
「さて、来るなら来い。殺してやる」
そこに手加減も感情もない。先程までならともかく、今生かして無力化するだけの余裕は無い。
更地。紛れるものも無い。だが幻影の霧を発生させ、クレルスは消える。
「いざ、勝負だ!」




