空前絶後
「天界の門。アレが完全に開ききる前に閉じればこの戦、勝てる‼粘れ。喩え体力尽き果てようとも気迫と感情を以て粘れ。その先に勝利がある!ここが正念場だッ‼」
魔王レバート・アーラーンの大号令が響き渡る。勝ち戦から負け戦、そして勝ち戦になったかと思えば負け戦に。転々と不安定な天秤のように状勢が移ろうこの戦場。
率先して盾役をしていたジョーカスなどもう、殆ど限界に近い、いや、限界などとっくに過ぎ去り、本当に気力のみで戦闘をギリギリ続行している状態。
最早、一か八かの賭けに乗るしかない。命運を賭けた大勝負。これ程奇妙にして苛烈な戦場になると誰が予想できただろうか。人知魔知などとうに越えた常識はずれの戦場。
レバートが転移で一気に抜けようとするが、そんな浅はかな考えが通じるわけもない。半径五百メートルに転移妨害がかけられてあり、弾かれる。勿論、レバートとてそれは分かっていたのだろう。直ぐに駆け出す。
障壁など無いと同然。一撃で破壊。散々クレルスが殺されかけた十翼天使が群がるが、後方からの鍛炉と凉白による魔剣と弓矢による支援によって悉く潰され、打ち漏らしはレバートにより、直々に切り伏せられる。
その姿は、現代の魔族の心を打ち震わせる。憧憬。純粋に、純真に、ただ子供のように憧れた。人間にとっては正しく悪夢。しかし魔族にとって、その姿は
───英雄だった。
気付けば駆けていた。全身に震えが止まらなくなって、ただ、気付けば駆けていた。後日、二人がサーシャとクレルス。語った言葉だ。
毒霧の刀が、死ノ鎖が、有象無象の天使を消し去る。現代最強の二人だからこそ出来る技。現代の者の魔力体力、時代と共に戦争の苛烈さが弱まり、同時に衰えたが、技術は長い年月を以て鍛練、精錬、昇華されてきた。
現代の者の唯一無二の武器たる、極められた小手先の技。天使という規格外にも通じうる、研磨された牙。
───追い付きたい‼
何も、何一つ考えていない。戦略?戦術?何それ美味しいの?とでも言わんばかりの脳筋っぷり。返り血に浸り、その血が冷め、風に吹かれると蒸発して更に体を冷やす。
だが、そんなものを気にしない情熱が、体中に流れる熱い血が、体を突き動かす。
───熱い。ただひたすらに……熱いッ‼
「あのバカども‼何も考えず駆け出しおって。……ジョーカス‼後ろの勇者と人族連合は我らが止めるぞ。ここが魔族にとって命運を分ける関目。命を燃やせェッ‼」
「……御意‼」
自分も随分たぎっている。魔王ケリーはそう感じながら身体の隅から隅へ、髪の毛の一本、その先まで魔力を通す。
「……二人で、止めれると思うなッ‼」
アマゾネスの女帝、ミラが喚く。侮られたことに対して憤慨する。それに対してケリーは優雅に一礼。
「あぁ、失礼。侮っている訳ではないのだよ。ただ、貴様らが相手ならば二人で十分に勝てる。純然たる力の差があると、確信しているだけでね」
ミラの顔が真紅を通り越して蒼白になっている。聖女が落ち着かせるために肩を掴んでミラの突撃を止める。エルフの長が、体をスキャンし、自分の意見を述べる。
「まて。精神支配が微弱に掛けられている。通常状態ならほんの微弱だが、一度、心に動揺が現れれば一息に心身を侵食、掌握する凶悪な魔法だ」
「ご名答。たが、分かったところでそれがどうした?」
掛けられている魔法を電子機器で例えると超難解なロックが何重にも掛けられている、といったところだろうか。解呪しようにも、戦闘しながらでは困難。
しかし放っておけば段々と膨れ上がり、次第に無視できない、理性で抗えない程の精神支配となる。つまり目的は、
「私の戦線離脱か。やってくれるな、魔王」
「ハハハッ。偉大なる祖王が現れたのだ。現魔王としての実力を示さねば、あっという間に政権交代、などという事態になりかねん」
皮肉げに笑ってみせるケリー。エルフの長に解呪に専念してもらうことによって、敵の戦力を割く作戦。ごり押しで勝てるほど甘くはないことを察し、如何に卑劣に搦め手でと。
然れど未だやり方に騎士道精神がある辺り、非情に徹しきれない甘い性格なのか、それとも魔王としての矜持なのか。恐らくその両方であろう。
「ケリーさん、余裕があるなら、出来ればこっちも手伝って貰いたいんだがね」
妻と息子の穴を埋めるため、黒い槍を手に勇者たちの猛攻を紙一重で捌き続ける頑張る父親。本人は、約八十年程サーシャの後始末をしてきたので、今更だと割り切っている。実に不憫だ。
「勇者がゾロゾロと……。これだけいたら勇者の稀少価値も大したことなく思えるナ」
「止めてくれ。自分の頭の中に向こうの世界で嗜んだゲームみたいに勇者A、B、Cの表示が出てきた」
「「「誰がモブだ‼」」」
モブ勇者ABCが叫ぶ‼モブ扱いへの憤慨が響き渡る。しかし、魔族からすれば完全にモブ。モブ、オブ、モブ。キング、オブ、モブ。
「あー、手伝おうと思って来たんだが、……結構余裕なのか?」
奥屋の上から語りかける声。緑の肌の精悍な男が一人。
「いえ、是非参戦して頂きたいです鍛炉殿」
数的には勇者のいる人族陣営の圧倒的有利。しかし、この世界の戦争の常識は量より質。一騎当千、万夫不当の英雄が求められる。
その点、壊れない魔剣を振るい続ける鍛炉は正に超兵器級の力を持った文句なしの大英雄だ。
「その魔剣、そろそろ壊れてくれないですかね。そしたら、また打ち直すまでの時間を稼げるのですが……」
魔剣は限界を迎えると壊れる。普通の武器よりも脆い。勿論、硬化の魔法を組み込んだ武器の類いは別だが。
サーシャの毒刀も、毎日念入りに手入れしていなければ一回の戦闘で自壊するだろう。
普通の魔剣より遥かに
「んな半端モノ、俺が作るかよ。より硬く、堅く、固く。デュランダルや魔盾ベルフェゴールすらも越える武器。それが俺の目標だ。瀧酒はその成果の一つだな。まだまだあるからな。フルコース、とくと喰らいやがれ‼」
濁流が都市を再び呑む。そのうねり、暴れる水流はまるで龍の如く、街も文化も人も歴史も流し出す。
存在を消し、まるで世界を原初に戻すかのように。外来の神によって作られた生命、人間、エルフ、ドワーフ、獣人、天使。全て合わせて【人族】。その人族そのものを拒み、阻み、消却せんとする。
「さて、有象無象の天使は全部レバートのとこ行ってるからな。余程、天界の門を閉じられたくないらしいぜ。っつー訳で、俺たちはここでこいつら殲滅するだけ。邪魔な建物全部ぶっ飛ばして綺麗な更地に戻ったし、魔剣ぶっぱなしゃ勝てる。簡単なミッションだな」
「あまり我々を侮るな‼所詮過去の者に現代を荒らされてたまるか!いいか‼我々はここを押し通り、天使様方の援護に行く。そうしなければ人類の未来は無い‼邪魔する者は蹴散らせ‼突撃───ッ‼」
皇帝の集団指導スキル【カリスマ】が人々に勇気を与える。それこそ、精神支配を克服するの程。大声の号令。魔族軍が撤退し、王都へと来ていた連合国兵も参加し、事態は混乱を極める。
神の加護、という名の半洗脳を受けようとも、元は只の高校生。軟弱な精神。むしろ、その精神の弱さにつけこまれて洗脳されていたのだ。精神が程々に弱く、それでいて肉体は強い高校生が勇者に選ばれたのだ。
故に、佐藤教諭や、一部精神が完成しつつある者には洗脳が効きにくい。洗脳が強くなかったのは大々的に洗脳するのは、魔族悪、神は善というプロパガンダのために都合が悪かったためだ。
軟弱な精神と洗脳の弱さ。その二つが、生物の根源たる防衛本能に敗北。もう嫌だと恐怖に呑まれかけていた。しかし、そんな勇者も、恐怖を捨てる。
【カリスマ】の本質は洗脳。いや、高揚感と興奮と幸福と快楽を与える麻薬、といったところだ。
「クソッ‼これだからこの皇帝嫌いだ。精神支配が効かない。仕方ない。【血液操作】」
「クソッ‼何が「人類に未来はない」だ。寧ろてめぇらが自分で自分の未来狭めてんだろ。あぁ、無駄死にして更に世界を終焉に一歩近づけるとか、余計なことしかしねぇな。【神鳴雷凰】の錆になりてぇ奴はこっち来やがれ。焼き付くして塵にしてやらぁ‼」
ケリーと鍛炉が同時に悪態をつく。片や降り注ぐ不気味でどす黒い血の槍。片や天使の放つ光のビーム、神の威光【神威】にも勝る極太の電流砲。
血の槍は兵士を貫き、その血を吸収することによって、更に肥大化する。一方、神鳴雷凰の方はというと、
「無傷かよ。自信が崩壊する音が聞こえるな」
「さっき息子が戦ってたけど。アレは多分、外部干渉の完全拒絶とかの類いだと思うよ。だから武器が弱いとかいう話ではないかな。一応、検証の結果では酔うらしいよ。酒じゃない方の酔い」
佐藤愛華は一人、兵士を庇うように立っていた。彼女の服には汚れの一つすらない。無敵の障壁に守られ、あらゆる攻撃を阻む。マトモに相手しようとすると、この戦場で一番厄介と言える存在。
何人たりとも彼女に手出しなど出来ないと、兵士が勇者への信仰を深めたその時だった。
べちゃっ
戦場で聞くことのないような音が響いた。何か半液体の柔らかい物が潰れるような音だ。異質な音は小さくともよく耳につく。
それはパイだった。パイ投げで使うあのパイだった。それが佐藤教諭の顔面に投げつけられ、汚れ一つ無かった美しい顔も、服も、べたべたとしたパイが汚していく。
「成る程、攻撃じゃ無きゃ通るのか?まぁ、じゃねえと飯食えねぇし呼吸も出来ないか。完全無敵障壁って訳でもなさそうだ」
犯人は鍛炉だった。全員が注目するなか、淡々と自分の推論を述べ、勝手に納得していた。驚愕の胆力の持ち主だ。敵味方を問わずに、咎めるような視線を送られていながら堂々としているのだから。
「いやぁ、食べ物を召喚する盾作っといて良かった」
そんなものを作るな‼という視線の雨霰が降り注ぐ。たが、そんなことは知ったことかと、次々に食べ物を取り出す鍛炉。
「適当に熱い食べ物を取り出してみたが、何だこの茶色い気味悪い泥々の液体」
「「「「あ、カレー‼」」」」
召喚、というのは、この世界、平行世界、異世界のどこかから、既に完成した料理を呼び寄せるということだ。つまり何処かの家庭のカレーが忽然と消えたということ。きっと楽しみにしていた子供は泣き叫ぶだろう。全く関係のない他者に被害を与える、最悪の武器というか防具(?)である。
べちゃり
カレーが付着する。
「熱ッ、水、誰か水を下さい。熱ッ」
火傷を負い、悶え苦しむ。生徒の一人が慌てて魔法で大量の水をかけ、洗い流す。かつて、こんな妙な雰囲気になる戦いが存在しただろうか。前代未聞にして空前絶後(?)の戦いだ。
「こ、
「こ?」
「こんな戦いがあってたまるか‼」




