洗濯日和(3)
百合子が目指したのは新聞部の部室。
さすがに部員全員で押しかけるわけにも行かないので、三年生の三人で行くことになった。時間も遅いし、二人には先に帰ってもらうことにした。
南校舎二階の西端、今はもうあまり使われていない教室に新聞部の部室はある、らしい。正直、わたしは今回のことがあるまで、新聞部の存在があることをすっかり忘れていたのだ。笑えることに、最初に動き出した百合子も新聞部の活動場所を憶えてなかったらしい。それで一体どこに向かうつもりだったのだろう?
新聞部の部室は新聞の右下に小さく書かれていて、そこで初めてわたしは活動場所を知ったのだ。
無論、様々なことに視野が広い琴羽は最初から憶えていたようだ。本人曰く、学校にあるすべての部活動の名前と活動場所くらい憶えとくもの、だそうだ。
「それに校内新聞も毎月掲示板に張り出されていたし、存在を知らないのはちょっと酷いんじゃないかな?」
そんなもの、ありましたっけ?
わたしと百合子はそんな顔をして見合わせたのだった。
「ここだね」
琴羽の声に歩みを止める。立ち止まったのはもちろん新聞部の部室前だ。
「なんか情報を聞きに来ただけなのに、ラスボス前にセーブしなきゃいけないって感じの気分ね」
百合子の例えはなんだか良く分からないけれど、なんだか緊張する。
数秒、わたし達は心を落ち着かせ、お互いに目配せをした。頷き合い、百合子がその扉に手を掛ける。
「失礼しまーす」
とたんに漏れ出す臭いに、わたしは思わず咳き込んだ。なんだこの埃っぽさ、それときつめの芳香剤みたいな臭いが交じり合って嫌な感じだ。
部屋の中はかなり乱雑している。床一面には記事が散乱していて、それがはじめに乗っていたであろう机の上も同じように山になった紙やらペンで雑然としている。簡単に言えば汚い、わたしの嫌いな虫とか何か出てきそうだ。
その奥にある椅子に、一人の男子生徒が座っていた。
「どうもいらっしゃい!……って、なんだ三年か。なんか用ですか?」
短めの黒髪、狐のような目をした小柄な男子生徒。胸の校章の色を見たところ、どうやら二年生のようだ。わたしは彼に見覚えがあった。今朝、新聞を校内に配っていたあの男の子だ。
最初の陽気な挨拶とは裏腹に、冷たい目線を送る彼に向かって百合子は話を切り出した。
「あー、ごめんなさいね三年生で。聞きたいことがあってね、時間いいかな?」
百合子にしては丁寧な言い方だ。しかし、その言葉に対して呆れたように新聞部員の彼は言葉を放つ。
「今日の新聞のことですか? ……もう勘弁してくださいよ。先輩達で今日もう六組目ですよ。この部室に来る人たちは」
「あら、そうなの? ……先を越されたかな」
手でわたしたちを教室から出すように押す仕草をしながら、入り口近くのわたし達の所に近づいてくる。その顔はどこか不安めいた色を見せていた。
廊下まで出て、彼の手でピシャリと引き戸が閉められてから話は続いた。
「文句を言いに来たんじゃないんですか。僕の書いた記事のことについて。もう今日は何度も言いましたけれど、あの記事はちゃんと顧問の許可も得て書いたんです」
「ああ、そうじゃないのよ。……まあ、最初はそのつもりだったんだけれど」
「じゃあ、一体なんなんですか?」
さっき、僕の書いた記事と言ったところを考えると、おそらく彼が花川君だ。彼は今日、本当に何組も対応してきたのだろう。それが強調されるように彼は苛立ちを隠さずに、鼻を鳴らして言葉を放つ。
「もしかして犯人を捕まえたいなんて言う、探偵気取りの方々ですか?」
……なんだって?
さすがのわたしもこの言葉には腹が立った。声を上げようとしたが、その前に百合子が手でわたしを制した。
「探偵気取りとは言ってくれるじゃない、まあ、そう言われればそうよ。情報を聞きに来たの。探偵ごっこなだけかもしれない。でもあたしたちは本当に犯人を捕まえたい。あの絵はあたし達、美術部の先輩が残していった大事なものなの。
ねえ、協力してくれない?」
怒らずに下手に出た百合子に対して、花川君は少したじろいだ。いや、たじろいだのは下手に出たからではなくて、百合子の美貌に魅せられたからかもしれない。
しかし、花川君はそれを突っぱねた。
「じょ、情報が欲しいなんていわれても困ります。こっちも部活の存続がかかってるんです!」
「部の存続?」
横から入った琴羽の言葉に花川君は頷いた。
「そうです。……昨年の卒業生がいなくなってしまって、見ての通り、今新聞部は僕一人しかません。部員が集まらなかったら、あと一週間後には休部しなくてはならなくなってしまいます。
だからこのネタは大事なんです! 数日に分けて新聞を出せば新入生の目にも留まるし、少なからず興味を持ってくれる人たちもいるはずです。それに、犯人が捕まらなければまた絵を盗んでくれるかもしれない。そうしたら連続盗難事件として大きな話題を呼びます。僕にとって、こんなにおいしい話はありません!」
最後のほう、狂ったような笑顔を見せて話す彼にわたし達は言葉が無かった。
長い沈黙の後、百合子が小さく言葉を漏らすように話した。
「情報を、教えてくれる気は無いのね?」
「ええ。言ったでしょう。僕は犯人が捕まらないほうが嬉しいんです」
「まさかとは思うけど、自作自演じゃないわよね?」
その問いに鼻で笑い、手をすくめて彼はわたし達に背中を見せる。
「そんなわけ無いじゃないですか。たとえそうだったとしても、自白すると思いますか? ……まあ、せいぜい頑張ってくださいよ」
硬く閉じられた扉。その扉を再び開けることはなかった。
日も落ち、冷たい夕闇に包まれた校舎。窓の外では、虫の鳴き声だけが響いていた。
翌日、春爛漫。今日も清清しいほど晴れていて、絶好の洗濯、いや、お花見日和になりそうだ。そんな中を一人暗い顔をして校門をくぐる。
ここから続く約五十メートルの坂道は毎日毎日一日のやる気をそぐけれど、今日憂鬱なのは他でもない、昨日のことのせいだ。
降り注ぐ桜吹雪が絵のことを思い出させる。通り過ぎて行く人々の楽しそうな声が昨日、何も無かったかのように思えるほどにいつもと変わらない。それが少し悲しかった。
そんな日常に、また一つ波が来た。
坂を上りきり昇降口に入る。一気に空気が変わった。なんだ、この人だかりは?
掲示板に群がる生徒。数にするとざっと三十人くらいはいるんじゃないだろうか。ここからでは、掲示板に何があるのか分からない。群がる人々の中で聞こえる声に、わたしは耳を傾けた。
「二枚目だってよ」
「えー、マジ二日連続?」
「というか、さすがにやばいんじゃねえの? 学校も動くだろ?」
笑い声が混じる言葉にわたしは目の色を変えた。気持ちが焦る。謝りながらも人の波を掻き分けて入っていき、やっとの思いで手前まで入り込んで、掲示板を見上げた。
盗難二枚目! 盗まれた絵画はどこに!
気が、遠くなりそうだ。