洗濯日和(5)
時刻はまだ二時半を回ったところ。この事件は美術部みんなの問題だ。九条君や有沢さんに話もしたいけど、授業も終わっていない時間帯だし、わたし達は美術室で時間をつぶすことにした。事件も気になるけれど、いつもの活動をしないわけにもいかない。一度落ち着くために、それぞれ創作活動をしようということになった。
一度深呼吸をする。木材や絵具の匂いが交じり合うこの美術室はやっぱり落ち着く。
わたしはいつもの窓際の特等席に座り込むと、カバンの中からデッサン用の道具を取り出す。鉛筆に木炭、ねりけしももう何ヶ月使っただろう。そろそろ鉛筆を買いなおさないと短くなってきた。
カンバスを用意して描きかけの作品と向き合う。この場所から見えるこの部屋が描かれたこの絵。まだ大まかなつくりしか描いていないけど、なんだか、少しバランスが悪い気がする。右手に見える長机が、ちょっと斜めになってるかな……?
ねりけしで少し消し、2Bの鉛筆で修正する。筆を寝かせて描いていくこの音が私は好きで、なんとも心地いい。そしてあとで色や影を入れていくあの光景も、楽しみの一つだ。
……まあ、時には失敗して落ち込むこともあるけれど。
一筆一筆、丁寧に描いていく。白い紙に残る黒い線。そこから創られていく世界。なんだかちょっと、神様にでもなった気分もある。
でも、事件のことが気になっていつもみたいに気持ちが晴れない。集中できない。いくら修正しても、納得いくように出来ない。……これじゃあ創作活動しようと決めた意味が無いじゃないか。
一度ため息をついてあたりを見渡す。琴羽はわたしとは少し離れた窓際でカンバスに向かっているけど、百合子はなんだか違う作業をしているみたいだ。美術室の中心にある長机に腰を下ろして、ノートに何かしきりに書いている。ペンの動き方からすると、絵ではなくてあれは文字だ。
このまま描いてても多分今日は出来に納得できないだろう。わたしは一度作業をやめて、百合子へ近づいた。
「……何してるの?」
「んー? なんか創作意欲が湧かなくてね、ちょっと今回のことをまとめてみたんだけど……」
差し出されたノートを覗いてみた。昨日、絵がなくなってからの事件の記録だ。時刻、場所、他にもいろいろな人からも情報を聞いて回って調べていたようだ。でも、真新しい情報が書かれている様子は無い。新聞部の活動で結構話が広まっているのに、目撃者も何か思っている人も見つけられないのは少し不思議なものだ。やっぱり犯人は夜に犯行を行っているのだろうか。
わたしがそんなことを考えていると、百合子が言い放った。
「やっぱり、新聞部が犯人よ。外部の人間が侵入した形跡が無いなら、それしかないもの」
「……やっぱり、そうなのかなあ」
なんだか、そう思いたくない。
新聞部だって、部を存続させるために頑張っているんだ。たとえ、それが強引で美術部にとって嫌な記事を書いていたとしても、この学校の生徒が犯人だなんて。
俯くわたしに百合子は重たい事実を突きつけた。
「だって、カメラに運搬用の車が映ってなかったのよ? もう校内の人がやったとしか考えられないじゃない」
百合子の言う通りだ。……でも、
「新聞部が犯人なら、絵はどこにあるのかな? 彼はもちろん車なんて無いだろうし、手では持っていけない。そうわたしたちは考えたよね?」
「うん、だから絵はこの校内のどこかにある。そういうことだろう?」
突然の琴羽の言葉に、わたしと百合子が窓際へ振り向く。筆をおくと立ち上がり、こちらに歩み寄ってくる。
やっぱり、みんな事件のことが気になって作品に集中できないみたいだ。結局わたし達は同じ机の前に腰を下ろした。わたしの隣に琴羽、正面に百合子が座る。
全員が椅子に座ると、百合子が口を開いた。
「琴羽の言うとおりだと思うのよ、あたしは。それと、絵の隠し場所もなんとなく見当はついてる」
「さすが百合ちゃん。いつだったかの推理は外れちゃったけど、今回は期待していいのかな?」
「オフコースよ。それじゃあ、今回の話をまとめながら、最初から話そうじゃない」
探偵というものは、そういうものでしょ? 百合子は微笑みながらノートを広げ、わたし達に読ませるように差し出した。
わたしは百合子の言葉と、このノートに書いてある内容を照らし合わせて、内容を整理した。
事件の発端は昨日の朝、昇降口の桜の絵がなくなっていたことが始まりだった。このとき、百合子を含め何人かの生徒が絵の紛失に気がついていたらしい。
盗難だとはっきりしたのは一限目の授業が始まる直前。新聞部の花川君の記事で私たちは知った。
そして同日放課後。わたし達三人は新聞部の部室を訪れた。
「あのとき、あたしはちょっと気になってね。あの部屋は散らかってはいたけれど、人が入れないほどではなかった。それに、はじめ彼は部屋の奥の椅子に座っていたわよね? それなのにわざわざご丁寧に立って、その上に廊下まで出てくるという行動。なんだか、怪しすぎない?」
この言葉に、わたしは唸りながら考えた。
言われてみればそうかもしれない。いくら客人が訪れたからといって、部屋の奥から出てくるのは度が過ぎているし、わたしだったらそこまではやらないだろう。
ただ、百合子の考えには気になることもある。
横をちらりと見ると、琴羽もなにか言うのを我慢しているようにも見える。だからわたしも、名探偵さんに意見をするのはあとにしておくことにした。
「さっきも言ったとおり、作品はこの校舎内から持ち運ばれたと考えるのは難しい。だからあたしは、あの部室内に隠されているんじゃないかと思う」
百合子がここまで言うと、琴羽が一度頷き、それから口を開いた。
「うん、いい推理だと思う。でも、私にはちょっと気になるところがいくつかあってね」
「……なんとなく、そんな気もしてたわ。何か言いたそうだったものね」
ため息をつく百合子に、琴羽は微笑む。
わたしもひとつ、気になるところがあった。琴羽のひとつ目の疑問は、わたしと同じものだった。
「さて、じゃあ言うね。ひとつ目、百合子は新聞部の花川良平君が立ち上がって廊下まで出たことに目をつけていたね? 確かに幾分丁寧すぎるかもしれないけれど、これを絵を隠していると考えるのは、無理があるんじゃないかな。もしかしたら、彼は相当丁寧な人なのかもしれない」
そしてふたつ目、と琴羽は手でピースの形を作り、前に出す。
「彼が犯人だとするならば、わざわざ事務室にカメラの確認に行かなくてもいいんじゃないかな」
「それ、どういうこと?」
琴羽の言葉にわたしは問いを投げかける。
どうして、花川君が犯人だとするなら、カメラを確認しなくてもいいんだろう?
投げかけた言葉は、百合子の口から返された。
「……つまり、彼が犯人ならば、怪しい車が無いのは明々白々。目を引く記事が書きたいのならば、でっち上げた記事でも構わないってことね」
ああ、なるほど、確かにその通りだ。琴羽もその言葉に頷く。
あれ、ということは、もしかして花川君は犯人じゃないって事だろうか?
腕を組みながら百合子は続けた。
「それじゃあ、琴羽の考えを聞こうじゃない。何か思い当たるところあるんでしょ?」
百合子の言葉に困ったような顔をしながら、琴羽は答えた。
「まあ、私の考えも、あくまで全てが推測の域にしかないよ。確信を突くことはできないかな」