一年前の出来事 ~その切っ掛けは~
「…………ふぅ」
自室のベッドから目を覚ますかのように起き上がった彼が最初に行ったのは溜め息であった。
ゲーム内でも同じことをしていたのにな、と誰に言うでもなく一人ごちると、ゲーム機本体であるヘッドディスプレイを頭からゆっくりと外す。
(あー……またこの感覚か……)
再びベッドに仰向けになって寝そべり、天井を見上げては以前も全く同じような事があったのを思い出していた。
あの時もゲームに対するモチベーションは低くなっていたが、それ以上に新しい世界にワクワクしてすぐに持ち直すことが出来た。
当時は極めて個人的な理由でそうなったが、それはあくまで個人の影響範囲に留まること――有り体に言えば無関係なその他大勢からはどうでもいい事であり知ることも無いものであった。
しかし今回は違う。
全国規模で有名になったFRO/FDでの炎上案件。
微妙に間違われたキャラクター名の事件と銘打たれたこの件は、現在も無責任な第三者によって面白おかしく延焼していることだろう。
(と言うか何で俺のせいになってるんだよ……)
世間ではまるでサンダルク一人でクランを叩き潰した感じになっているが、無論そんなことはしていない。
彼はFRO/FDのプレイヤーとしての強さは精々上の下ぐらいの位置ではないかとみている。
そんなプレイヤーが一人でクランを壊滅させるなんて出来るはずがないのは、ある程度あのゲームをしたプレイヤーなら分かりそうなことだ。
そもそもこの『サンダル事件』で合っているのは最初と最後だけ。
つまり起点である『サンダルク』と言うキャラクターがおり、終点である『クランが壊滅した』の部分だけが事実として残り、その間の何があったのか世間では掴めていない。
結果的に『サンダルクがクランを壊滅させた』と中抜け状態の結果が出回っている事になっている。
更に悪い事にその中抜け部分に何が起きたのか知っているプレイヤーがほぼいない。
彼も『とあるクランが壊滅した』と言う事実を知ったのは掲示板とSNSを覗き見てからのことだった。
そしてこの事件で何が起こったのかは、あの時最後に見た光景とその後の事実から何となく推測は出来ている。
結果今日もいつも通りログインだけはしたものの、結局人と顔を合わせるのが怖くなり何もせずに落ちてしまったのだ。
(何か最初からこうだったよなぁ……)
天井を見続けたまま何となく以前の事を思い出す。
それは一年ほど前、FRO/FDの正式稼働日初日のことであった。
◇
のちにサンダルクのキャラクターで有名になる中の人の樹神 光は当時十八歳の大学生だった。
自他共に認めるほどにゲームが好きで、そして人とのコミュニケーションが苦手な日本人男性。
正確に言えば人といるのはそこまで苦痛では無いのだが、いざ話そうとすると言葉が纏まらず上手く話すことができなかった。
そんな光がMMORPGであるFROにハマるのは当然の流れと言えよう。
前作のディスプレイ型ゲームのFROに出会ったのが高校生のとき。寝食を忘れ……とまでは行かなかったものの、かなりの時間をゲームで過ごした。
喋る事が苦手な光にとってキーボードを叩くことで行う会話はとても相性がよく、ゲーム内ではリアルの鬱憤を晴らすかの様にかなり饒舌に話していた。
またゲーム内とは言え気の合う仲間と話し、冒険し、時にはケンカもしたが、光にとって間違いなく幸せな時間であった。
だがそれも長くは続かない。
ゲームにとっては逃れ得ぬゲーム離れの問題。人気を誇っていたFROも例外ではなく、少しずつ知り合い達が引退していく。
折しもフルダイブ型ゲーム機が出たこともあり、ディスプレイ型のゲームは徐々に過去のものへと追いやられていく時代だった。
ゲーマーとしては仕方ないと頭では分かりつつも、青春時代を過ごしたFROが衰退していくことに光は一抹の寂しさを感じていた。
しかし高校生三年生の時にある情報が舞い込んでくる。
なんとFROがFRO/FDと言うフルダイブ型のゲームとしてリリースされると言う情報だ。
この話に光は元より未だ残っていた仲間達も大いに盛り上がり、更に去っていった知人達も一時的ではあるもののゲームへと帰ってきた。
ただしその時の光は丁度受験真っ盛り。
FRO/FDをやるためにはどうしても浪人は避けねばならず、その思いを胸に断腸の思いで受験勉強を勤しむ事になる。
人間、好きなことのためならばいくらでも頑張れるものらしい。
結果として光は無事大学受験という難関を突破し、バイトに勤しみ値段も落ち着いてきていたフルダイブ型のゲーム機とFRO/FDを買う事に成功した。
そして大学生活にも慣れた頃、ついにFRO/FDのリリース当日が訪れる。
楽しみにしすぎて寝れなかったと言うまるでピクニック前の子どもの様な状態ではあったが、そんな些末な事など気にするなとばかりに光は早速ゲームを開始した。
まずはキャラクターのメイキング。キャラクター名は前作でも使っていた『ウッドロウ』を即座に入力。
自身の名前に樹と光だったのでそこから付けたこのキャラクターは、前作のモデル同様に金髪碧眼の男キャラだ。
さすがフルダイブ型だけあり細部の設定もかなり行えるらしく、キャラクターを作製するだけで三時間も費やしてしまう。
だがその甲斐もあり光が思い描く『ウッドロウ』は無事完成。今後この世界の分身となるアバターに満足し早速ログインを行った。
簡単なチュートリアルを受け出たその先は前作でもあった中央都市『フィフティス』だ。
全体を俯瞰して見る前作と違い、キャラクター視点で見上げる光景は新鮮そのもの。何より大好きなゲームの中を実際に歩いていると言う感覚に思わず心が震えた。
そしてひとしきり楽しんだところで光は仲間を待たせていることを思い出す。
メニューでもある『探索者の本』を呼び出し外部サイトのパーティーチャットへと繋ぐ。一度ゲーム内でフレンド登録をすればこの様な事もしなくてもいいのだが、何せ全員が初のゲームである。
ゲーム内での待ち合わせが出来ない事を考慮し、メンバーの一人がわざわざチャットルームを立ててくれたのだ。
光がチャットを見た時には既に何人かはキャラメイクを終えている状態であり、彼等はフィフティス内にある公園に集合していた。
大よその場所を聞きだし早速彼らに会うべくウッドロウは走り出す。
皆は前回と同じ様なキャラにしただろうか。それとも全く違うメイキングをしたか。
はたまた性別の違うキャラクターを作ったかもしれない。
どこに行こう。どんなプレイスタイルで行こう。
フルダイブ型は初めてだから最初は足を引っ張ってしまうだろうか。そうだったら早く慣れないといけないな。みっちりどっぷりゲームに漬かって練習しないと。
そんなこれからの楽しいゲームライフを思い描き――そして思い描いていたが故に光はある事を見落としてしまっていた。
楽しみにしてたゲーム、気の合う仲間、新しいハードとシステム。楽しいことだらけが目の前に浮かんでいたがために見えていなかった根本的な前作と今作の違い。
それは普通の人にとってはなんら問題の無いことであるが故に、事前の注意事項にすら載らなかった彼特有の最大の落とし穴。
結果を簡潔に述べよう。
彼は初日にしてかつての仲間と袂を分かつ事になった。
「――ッ! ――――ッ――!!」
フィフティスの大通りをウッドロウが一直線に駆け抜ける。
光の心情を忠実にトレースしたその顔は悔しさと惨めさが入り混じった泣き顔だった。
他の新規プレイヤーが何事かとそのキャラクターを見るが、光に取ってもはやその視線すら恐怖の対象に過ぎず全力で街から離れていく。
ディスプレイ型の前作とフルダイブ型の今作の違い。
それは『直接声に出して会話をする』と言うことだ。
光にとって喋りかけることは苦手であり、そのため皆の前でどもりにどもって上手く話す事が出来なかった。
更に悪い事に前作のウッドロウは饒舌でコミュニケーション能力に何一つ不自由がないキャラクターである。その為リアルの光とのギャップも重なり仲間達から盛大に笑われてしまった。
もちろん彼らからすれば悪気があったわけではないのは光も頭では分かっている。
しかし人間一つぐらいコンプレックスは持っているものであり、光に取ってそこを突かれるのは耐え難い苦痛だった。
結果、前作から使い続けてきたウッドロウと言うキャラクターは僅か三十分足らずという短い時間でその生涯を終える事になる。