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甘い匂いに誘われて

作者: 柊悠理

『連載』として掲載していたものを『短編』として再掲載したものです。

 放課後。


 部活動で活気の溢れるグラウンド。


 その傍にある水飲み場で、俺は蛇口を捻って後頭部から水を浴びる。

 初夏のこの時期には、まだ少し水は冷たかったが、運動後の火照った体にはちょうど良い。

 汗でベタベタになった顔も一緒に洗ってさっぱりすると、髪を掻きあげながら頭を上げた。

 濡れた髪から水が滴り落ちる。その水が着ていたティシャツを濡らすが、『どうせ今更』なんて、全然気にしていなかった。

 でも、それを許せない世話焼きな奴はいるもんで ……


フワリ。


 頭の上からタオルを被せられる。


「お前なぁ、いつも言ってんだろ。ちゃんとタオルくらい持って来いって。」

「別に良いじゃんか。汗でビシャビシャなんだから、変わらないって。」


 俺は口を尖らせて、そいつ……幼馴染で腐れ縁の『杏介キョウスケ』を見上げながら言い返す。

 俺より背が高い杏介。何だか、いつも見下されているみたいで、すげぇムカつく。



 それにしても……


『男のくせに、長いまつ毛してんだよな。』


なんて、マジマジと見つめてしまう。

 幼馴染の俺から見ても、こいつは顔も整っているし、カッコイイと思う。確か、この前も隣のクラスの女子に告白されていたとか。…モテるこいつがホント恨めしい。


 そんな風に睨んでいると、ふい、と杏介に顔を背けられる。心なしか頰が赤いような……


「……あんま見つめんなよ。お前が俺を好きなの、分かってっから。」

「ば、ばか!そんなんじゃねぇって!全く…気持ち悪りぃこと言うなよな。」


 俺は手を振り回して否定する。断固として、それはない。

 こいつもそんな気はない…はず。でも…


 杏介は何も言わず、悲しげに微笑む。


 え…。


 まさか…女の子の告白を断っているのも…?


 でも…。


 もう杏介のことが分からなくなって、頭の中がぐるぐるする。


「……お前にその気がないの分かってる。」


 頭の上から聞こえた、消え入りそうな声。その声音が、あまりに切なげな色を帯びていたから…。

 思わず、顔を上げて、表情を確認しようとする。でも…


 ぐっと上から頭を抑えられた。そして、タオルでガシガシと少し乱暴に拭かれる。


「な~んてな。本気にした?冗談だよ、冗談。」


 その声には明るさが戻っていて、ほっとした。

 安心すると、ただ、その杏介の指の感触に身を任せる。

 人に拭かれるのって、自分で拭くのとは違って、すごく気持ち良い。

 自然と目を瞑り、頰が緩んでしまった。


「……お前、その表情やめろよ。」

「え~、だって、仕方ないじゃん。」


 自分でも子供っぽいと分かってる。よく子犬系だねって言われるし…。

 でも、これが自分なんだから、なんて開き直ってる。


「仕方ない、ってなぁ。お前は、もう少し__。」

「あー、はいはい。分かってますよー。」


 俺は耳を塞ぎながら、杏介の手から逃れる。こいつの嫌なのは、説教くさいところだ。

『もう少し~~しろ』、は、こいつの口癖。もう何度聞かされたことか…。


 そんな俺の気持ちを察したのか、杏介は諦めたような表情を浮かべると、溜め息を吐く。


「全く、お前って奴は…。もういいから、早く着替えて来いよ。風邪引くぞ。」

「は~い。」


 俺は、両手を上げて返すと、逃げるようにして部室の方に駆ける。


「……人の気も知らないで。」


 そんな言葉が背中越しに聞こえた気がする。でも、俺は振り返らなかった。

 だって、杏介に捕まると、話が長いんだから。



◆◆◆



 俺は、部室棟で制服に着替えると、カバン片手に正門へ向かう。


 今日の気分で、なんとなく、いつもと違う道を選んで歩く。

 入学して、それなりの月日が経つが、広い学園には、まだ行ってない場所、知らない場所がいっぱいあった。


 新鮮な気分で歩いていると、どこからか甘い匂いが漂ってきた。


 くんくん。


 鼻をひくつかせて匂いを嗅ぐと、匂いの元は、部室棟の近くにある本校舎の一室だった。その匂いに誘われるように、窓をのぞき込む。

 そこには、エプロンと三角巾を身に纏った、たくさんの女子。その手には、ボウルや泡立て器が握られていて……料理部がお菓子が作っているようだった。


「……美味そう。」


 思わず、そう呟くと、


 ぐうう~~


 俺の言葉に同意するようにお腹が鳴った。……恥ずかしい。


 俺は、顔を真っ赤にして、窓の下に隠れる。


 でも、これって、なんか……余計に不審者っぽくない?そこに思い至ると、そろそろと頭を戻す。


「こんにちは。」

「___!?」


 突然、現れた綺麗な顔。俺は、口から心臓が飛び出るくらいに驚き、手に持っていたカバンが足元に落ちる。


 目の前にいたのは、料理部の中でも一際目立つ存在で。その綺麗な顔が微笑んだ。


「どうしたの?」


 小首を傾げるその仕草は、とても様になっていて。思わず見惚れてしまう。


 すっごい美人さん…それが第一印象だった。でも、身に付けていたエプロンは、フリルが多めの可愛い系で……そのギャップに少しだけ笑みが零れてしまう。


 そんな俺を見て、その美人さんもふわりと笑い返す。


「ねぇ、お腹、空いてない?」


 俺は首を横に振る。でも、お腹は正直で。


 ぐうう~~。


 俺は顔に真っ赤にして俯き、恨めしげに自分のお腹を睨んだ。

 もう、俺の腹のバカ…


「……ぷっ」


 吹き出した息と共に、頭の上から優しい笑み降ってくる。どうにも居たたまれなくなって、ますます俯いてしまった。

 その頭に、ぽんぽん、と優しく手を乗せられる。


「ちょっと待ってて。」


 そう言って踵を返した美人さんは、すぐに甘い匂いと共に戻ってきた。

 その手には、一口大のパイ。こんがりと焼けた生地に、黄金色のフィリングがのっていて…見た目から、すでに美味しそう。


「レモンパイなんだけど、良かったらどうぞ。」


 にっこりとした笑顔と共に、差し出される手。その上のパイに誘われるように右手を伸ばすが…ひょい、と引っ込められる。


 え。


 あまりに予想外の行動に、思わず、伸ばした手をそのままに、ぽかんと口を開けてしまった。


 悪びれもせず、美人さんはくすりと笑う。


「手、汚れちゃうから。はい。」


 そう言って、もう一度差し出される。

 今の俺の顔には、疑問符だらけだったと思う。

 馬鹿みたいに口を開けたまま、差し出された美人さんの手と顔を交互に見つめる。


「もう、鈍いんだね、君は。」


 少し焦れたように、そう言う美人さんは、すっと体を窓の外に乗り出してきた。

 風に乗って、レモンパイとは違った甘い匂いが鼻腔を擽る。

 まるで魅了されたように動けずにいると、そのしなやかな手が俺の口元まで伸ばされ……


 さくっ。


 無意識に閉じた口。軽い食感と共に、口いっぱいに甘酸っぱいレモンフィリングの味が広がった。

 その甘さは控えだったけれど、ほんのりと舌を刺激する酸味との相性が抜群で…うん、すごく美味しい。


「美味しい?」


 美人さんは、小首を傾げながら、しっとりとした声音で聞いてきた。

 でも、俺は、ただ首をこくこくと縦に振るだけで、言葉が喉から出てこない。だって…

 だって、パイを持っていた指をちろりと舐める、その仕草がとても艶っぽくて…思わず見惚れてしまっていたから。


 口の中がカラカラになる。そして、胸が甘酸っぱさでいっぱいになった。

 これは、きっと、さっき食べたレモンパイのせい。


 だって、こんなの初めてだし。


 今まで感じたことのない気持ち。胸がきゅっと苦しくて…なんだか顔も熱い。


 なんだ、これ。


 俺がもの思いに耽っていると、美人さんが口を開いた。


「……2年の天音アマネ 静香シズカ。」

「え……?」

「……名前。……君は?」

「明。1年の藤咲フジサキ アキラ…です。」

「そう、明ちゃん……また、おいで?」

「……はい。」


 優しい笑顔に誘われて、気が付くと頷いていた。それを見て、先輩は笑みを深くする。


「ありがとう。」


 花が綻ぶような綺麗な笑顔に、きゅうっと胸を掴まれた。


「美味しそうに食べてくれる人がいるって、嬉しいね。」

「俺で良ければ、いくらでも食べます!」


 ぐっと胸の前で握り拳を作る。


「はははは……」


 先輩は、初めて声を出して笑った。そして、一頻り笑うと、目尻に溜まった涙をエプロンの裾で拭う。

 自分のことを笑われているのに、自然と嫌じゃなかった。

「ごめんね」そう言って、ぽんぽんっと頭の上に手を乗せられる。

 その手は、とても優しくて心地良かった。


「可愛いね、明ちゃんは。……好きになっちゃいそう。」


なんて。


 俺は擽ったくて、目を瞑る。無意識に頰がにやけた。その頰にひんやりとした両手が当てられて…。はっとして目を開くと、真剣な顔をした先輩がいた。


「……そういう顔、やめた方が良いよ。キス、ねだってるみたいだから……」


 息がかかるくらいの距離で、瞳を覗かれて。どくん、と心臓が跳ねる。


 でも、期待をしているようなことはなくて…そっと離れる手を、少し残念な気持ちで見送る。


「今度、そういう顔したら、我慢しないから…。」


 そう言って、顎の先を捉えると、唇をすっと指でなぞられた。

 その艶っぽい仕草に、どくどくと胸が高鳴る。相手に悟られないように、静かに俯いた。


「……なんて、ね。大丈夫。」


 ぽんと頭に乗せられた手は、やっぱり優しくて。いつまでも触ってもらっていたくなる。

 そっと、その手に自分の手を重ねようとして……でも、その手に触れる前に、頭から離れてしまう。


「……お迎えが来たみたいだよ。」


 そう言われて振り返ると、こちらに向かってくる杏介の姿が見えた。

 杏介もすでに学ラン姿で、あまりに遅い俺を迎えにきたのかもしれない。


「おい、明!早く帰るぞ。」


 少しイライラした感じが言葉に乗っている。きっと待たせすぎたから、怒っているに違いない。


 元々、杏介と帰る約束をしていたわけじゃない。

 でも、入学からずっと一緒に登下校をしていた。

 家も近いし、部活も同じ。だから、一緒に登下校しない理由もなかった。


「悪い。今行く!」


 俺は、そう杏介に返すと、足元に落ちていたカバンを拾い上げた。

 そして、先輩に向かって頭を下げる。


「あの…レモンパイ、すごく美味しかったです。ご馳走様でした。」

「うん、またおいでね。今度はもっと、用意してあげるから。」


 そう言って、また私の頭の上に手を置くと、優しく撫でた。

 その手に、少し名残惜しさを感じながら、俺は頭を上げると、すぐに踵を返した。

 そして、未練を断ち切るように走った。疾走する俺の後を、はためく制服のスカートが追ってくる。


「なに、寄り道してんだよ。……ったく、心配すんだろ。」


 俺が杏介の元に行くと、さっそく彼からの小言が降って来た。そして、言葉と同時に、こつん、と額も小突かれる。


「んで、あいつ、誰だよ?」

「ん?あいつって?」

「さっき、親しく話してただろ?あの男だよ。」

「う~ん、さっき会ったばかりなんだけど……優しい先輩だよ?」

「はぁ~~、お前ってやつは。」


 杏介に盛大な溜め息を吐かれた後、呆れた声で言葉が続けられた。


「大方、お菓子で吊られたんだろ?その、お菓子くれたら、良い人ってのやめろよ。」

「そ、そんなんじゃないし。先輩は優しいよ、だって……」


 だって、あの頭を撫でてくれる手は、あんなに優しかったし。


 俺は少し赤くなりながら、胸の中でひとりごちる。すると、杏介は面白くなさそうな顔をしながら、歩く速度を上げる。

 俺は慌てて追いかけた。


「お、おい、何怒ってんだよ。」

「… …別に。」


 そっけなく杏介は言うと、そのままスタスタと歩いて行く。

 俺は、溜め息を吐きながら、杏介の隣を歩く。


 一度だけ料理部の部室を振り返った。窓には、まだ先輩がいて…こっちに向かって小さく手を振った。


 俺も小さく手を振り返す。

 ただ、それだけなのに。 なんだか、とても心が温かくなった。


 俺は前に向き直ると、弾むような足取りで、杏介を追い抜いて行く。


「杏介!おいて行くよ!」




 初夏の風に流れてきた、甘い匂い。


 それに、俺は魅了された。


 先輩の作ったレモンパイ。その味よりも甘酸っぱい……この胸の想い。


 今は、この気持ちが、何なのかよく分からないけど……また、先輩に会えば、少しは分かるのかな。


 俺はスカートを揺らしながら、明日へと想いを馳せた。


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