35.「おらぁ!」と凄みを見せるもその声は明らかに女の子だった
カイの妹でもある泉ちゃんは、可愛い女子だ。女子の姿も知っているだけに、どうしてまた男装女子と化してまで俺に会いに来てくれたのだろうか。しかもお膳立ては兄でもあるカイだ。
「思い切ったね、ソレ……」
「はいっ! 兄者の好みに合わせて短く切りました! これで男らしく見えますか?」
「俺の好み? あ、あれっ……そんなことを話した覚えはないよね」
「カイが言っていました! 兄者はマニアックだと」
あいつめ……どうして妹ちゃんにそんな嘘を吹き込むんだよ。マニアックって……その人選は限られているはずなのに、信じきって髪まで切って来る泉ちゃんに何てことを。
それにしても長く伸ばしていたはずの髪をバッサリと切ってはいるものの、大人しそうで少し気の弱そうな草食系の男の子になったのには驚いた。女の子は何にでも変われるんだなとつくづく感心してしまう。
「は、はは……そ、それはそうと、部屋に泊まりに来たって何で? だって、中にいるかもしれないんだよ?」
「はいです! 望むところです! レイケにされたことを教訓に特訓をして来ましたっ! だから大丈夫ですっ!」
特訓って、確かキスという名の人工呼吸をされたはず。どうやって特訓をするのだろうか。
「と、とにかく、オレが上になりますから、部屋に入れてくださいっ!」
「へ? う、上に?」
まさかアレな意味じゃないよね? 泉ちゃんがまさか、そんなことをするはずがない。しかしカイの企みで、妹ちゃんにあらぬことを吹き込んでいる可能性はゼロじゃない。もしかして部屋の中に入ったら実行に移すのだろうか。
「と、とにかく、部屋に行こうか? さやめがいるかもだけど……」
「はいっ! よろしくお願いしますです!」
両手で握りこぶしを作り、何か間違った気合を入れている泉ちゃんがとてもいじらしく思えた。そうは言っても、いわゆる体のどこかに触れるようなことは絶対にしない。今度こそカイに殴られるのは明確だからだ。
問題はさやめの奴が一足先に部屋に戻り、ニヤニヤしながら俺と泉ちゃんを嫌味ったらしく出迎えるかどうかが心配でならない。
「ふぅ……と、開けるよ?」
「は、はい……」
「た、ただいま……」
「思ったんですけど、ここは元々兄者だけが住むお部屋ですよね? どうしてレイケが住んでいるんですか? 兄者の部屋なのだから堂々と入るべきでは?」
「う、うん」
まさにおっしゃる通り。何をびくつきながら自分の部屋に入らなければならないのだろうか。仕切りがあって、少なくとも俺の部屋側に座って待っている奴ではないことくらい、分かっているはずなのに……つくづくビビり魔だなと思う。昔のあだ名がびびり馬だったことも思い出して、部屋に入る前から落ち込んでしまった。
「それじゃあ、部屋に入ったらオレが上になりますね!」
「あ、うん……」
気の弱そうな草食系男子……いや、中身は可愛い妹ちゃん。それがどうやら間違った知識、間違った解釈で上から目線の態度になるとは、誰が想像出来るというのだろう。
「お、おらぁ! さっさとそこに、座れ!」
「うん、座るね」
何だか可愛い変貌ぶりを見せているので、素直な気持ちで返事が出来てしまうのは泉ちゃんだからだろう。これが奴だとそうはならない。大抵は何か企んでいるだろうし、常に上から目線で接してくる相手なだけに、この子には愛着しか湧かない。
「ジュースを持って来い! は、早くしろ!」
「あぁ、そうだね。待っててね、泉ちゃん」
「……センパイ、わたし、上から目線で言うの苦手です……で、でも、下が好きだなんてそれって、やっぱり普段からそういう扱いを受けているからですか?」
「へっ? ちょっといい? 泉ちゃんの聞いている上とか下ってどういう意味なの?」
「センパイは妹から罵られるのが好きだって聞きました。甘えて来るよりも、上から目線で責められる方が相手を好きになるんだって言っていました。違うんですか?」
「それも、カイから?」
「はい。ウチの兄は学園の、特に晴馬のことは任せろ! って豪語していました」
なるほどそうか、お嬢が腹を立てているワケが何となく分かった気がする。カイは調子が良すぎるんだ。頼りになるけど、軽い男すぎる。
「いやぁ、泉ちゃんからなら上から言われてもムカつかないし、むしろ照れちゃうよ。泉ちゃんさえ良ければ、もっと上から罵って欲しいなぁ」
「じゃ、じゃあ、威圧的な態度で迫るのも好きですか? あっ……」
「出来るものならやってみていいよ? こういう遊び方もありだと思うし、もちろん、マニアックじゃないからね? そ、それじゃあ、目をつぶってるから試しに迫ってみてくれる?」
調子に乗りすぎているのは自分だったと後悔したのは数秒後。甘えられるよりも攻めてみせてよなどと、どうしてこんなに愚かなコトを調子に乗って言ってしまったのだろうか。
目を閉じて、泉ちゃんが迫って来るのを今か今かと、期待して待っていた。待っていただけなのに……。
「セ、センパイ、あの……」
泉ちゃんの震える声と同時に、あぐらをかいて待っていた自分の全身は、強い力で倒されていた。力を抜いていた自分の体を、あっさりと倒す泉ちゃんは結構強いんじゃないだろうか。
「ご、ごめんなさいっ! ま、また今度にします!」
泉ちゃんの慌てふためく声は、玄関のドアが開いたと同時に聞こえなくなっていた。そうするとさっきから自分の体を強い力で押さえ付けている奴は、もしかしなくても奴ということになる。
「――あれっ? ま、真っ暗? え、な、何も見えない!?」
さっきまで閉じていた目を開けると、視界は何故か真っ暗なままで何も見えない。泉ちゃんと一緒に部屋に入った時には確かに部屋の電気は点けたはずで、消した記憶は無かった。たとえ電気を点け忘れていたとしても、ここまで暗闇になる部屋ではないだけに、奴の声を聞くまでは何が起きたのか分からなくなってしまった。
「いいことを聞いた。ビビり馬は下が好き……ね。へぇ? そっか、なるほどね」
「さやめの仕業なのか? 部屋の電気を全部消すなんて、どういうつもりだよ!」
「電気なんか消してないけど? あはっ、何も見えないのかな? 体の自由を返してあげるから、わたしを探してみなよ? 暗闇の中から、わたしに触れることが出来たら許してあげるかもね」
「だ、誰が許してくれだなんて言ったんだよ! そ、それよりもやっぱりさやめの仕業じゃないか! 泉ちゃんをどうせまた脅して帰らせたんだろ? と、とにかく、目隠しを外せよ!」
「狭い晴馬の部屋には、わたししかいない。暗闇の中でわたしを探すことが出来たら、外してやる。ほら、わたしを見つけてみろよ、びびり馬くん?」
「く、くそっ……」




