09 人さらい
「――――あ!?」
いまあの人たち、女の子を叩いた!
「ちょ、ちょっと、なにしてるんですかッ!?」
わたしは洞窟のなかに飛び出し、無警戒に男たちに声をかける。
男たちがそんなわたしをじろりとにらむ。
洞のなかには粗野な身なりの男たちと、頰をおさえて倒れる美しい金髪の少女がいた。
男たちは三人、少女はひとりだ。
(…………いや、ちがうッ)
奥にもまだ何人か居る。
弱々しくすすり泣くいくつもの声が聞こえてくる。
「あぁ? なんだてめぇ――」
「い、いまッ、その子を叩きましたよね!? 女の子を叩くのは…………ちょっ……と……」
男たちの視線がわたしを射抜く。
倒れた少女が顔をあげてわたしを見上げる。
(うっ、やっちゃったかも)
とっさに飛びだしちゃったけど、どう考えても男たちの態度が友好的じゃない。
「……ぁあ? なんだお前は」
三人の男に睨まれる。
そのうちのひとりの男に凄まれ、わたしは身がすくむ。
「ねこさま! ダメ!」
ククリがわたしを追いかけて洞窟に入ってきた。
「……んだぁコイツら」
「……ふん」
「……ガキじゃねぇか、殺っちまうか?」
ククリがビクッと身体を震わせる。
なんだ?
この男たちは一体何を言っているんだ?
やっちまう?
「そうだな、殺っちまおう」
「……まぁ待て、慌てんじゃねぇ。薄汚れちゃいるが、よく見れば上玉だ」
「ボ、ボス」
男たちはわたしを無視して話をする。
「あ、あのぉ? なんのお話しているのか、わからないんですけどー」
男たちはわたしの問いかけを再び無視する。
かと思えば、下卑た視線でわたしのことを上から下まで観察し始めた。
粘着質な視線に背すじがゾワッとなる。
「黒髪黒瞳の女なんて珍しいな。よく見りゃ顔も結構な別嬪じゃねぇか」
「……ふん」
「こっちのガキは猫の獣人か。ガキもガキだが、ディズイニルの好事家に売れば、いい値が付くかもしれねぇ」
男たちは揃っていやらしい笑みを浮かべる。
「よし! コイツらも攫っちまおう」
「……は? さ、さらう?」
さっきからなにをいってるの、この人たちは。
話がまったく通じない。
「……おらぁッ、お前はどいてろ!」
男が倒れ伏した少女を洞窟の奥に蹴り飛ばした。
蹴られた少女がごろごろと転がる。
「あぅぅッ」
「こ、こらぁッ! 女の子に乱暴するな!」
男たちがヘラヘラと笑いながらわたしたちに向かって歩いてくる。
わたしは小さな声でつぶやく。
「……ど、どうしよう全然はなしが通じないよ」
「ねこさま、……そんなこと言ってる場合じゃない」
「え? どういうこと?」
「こいつらは人攫い。わたしたちのことも攫って売り飛ばそうとしてる」
「ッええ!? な、なんで!?」
「知らない。とにかく逃げるか戦うかしないと」
混乱する頭でわたしは考える。
どうして?
人が人を攫うの?
人は魔物じゃないのに?
「……わたしたちが逃げたら、さっきの女の子はどうなるの?」
「売られるか、殺される……よくて慰みもの」
そんな――そんなバカなことが、まかり通ってたまるか。
わたしは愕然とする。
ククリが冗談をいってるだけなんじゃないか。
そんな風にすら考える。
でもククリがわたしにそんな悪質な冗談をいう理由がない。
それにこの男たちは現に少女にひどい乱暴を働いている。
いまだってニタニタした、いやらしい嗤い顔でこっちに近づいてくる。
ニタニタした、いやらしい嗤い顔で。
(…………あ)
わたしの脳裏に、あのいやらしい顔が浮かぶ。
(……この人たちの嗤い顔、まるであの魔物の顔みたい)
――マンティコア。
そう感じたとき、わたしのなかのスイッチが切り替わるのを感じた。
油断なく男たちを睨みつける。
(……こいつらは敵だ)
倒して少女を助けるんだ――
胸がわずかに熱を帯びる。
わたしの胸の奥から、熱い力が少しずつ湧き出すのがわかる。
(――鑑定)
固有名:サルート
種族名:人族
レベル:8
体力:139 魔力:181
物攻:72 物防:71 魔攻:92 魔防:89
敏捷:76 技術:80
スキル:風魔法Lv1
固有スキル:なし
固有名:キジル
種族名:人族
レベル:12
体力:244 魔力:236
物攻:118 物防:122 魔攻:107 魔防:133
敏捷:98 技術:141
スキル:盾Lv2
固有スキル:恫喝
固有名:イヌマティ
種族名:人族
レベル:7
体力:229 魔力:51
物攻:148 物防:101 魔攻:35 魔防:40
敏捷:44 技術:53
スキル:殴打Lv1
固有スキル:なし
アタマに情報が流れ込んできた。
その情報にわたしは少しだけ胸を撫で下ろす。
男たちはみんな大したことがない。
「おぅ、嬢ちゃん。殴られたくなかったら大人しくしとけよ。な?」
下卑た顔のその男の腕がわたしの肩に置かれた。
わたしはその腕を払い除け、その頬を目掛けて力強く腕を振るった。
――気絶させよう。
わたしは力が強い。
強く叩けば大の男だって気絶させられる筈だ。
わたしの握り拳が男の頰を捉える。
刹那、その男は血を吹き散らしながら首から上を爆散させた。
(…………え?)
頭部を失った男の身体が、フラフラと数歩あゆんでから地面に倒れた。
(…………なんで?)
わたしは茫然とする。
「――ヒッ、ヒイ!?」
「ッ!?」
いったい何がどうなっているんだろう。
わたしは残った二人の男たちに視線を移した。
男たちとわたしの視線が交差する。
「……ぅわ!? う、うわ、……うわあああーっ!」
「ッ、この、バカッ!」
パニックを起こした男が、もう一人の男の制止を振り切ってわたしに襲い掛かってきた。
わたしは反射的に、襲ってきた男の脇腹に手を添えて横薙ぎに払い除ける。
――グジュッ!!
トマトが潰れるような汚い音が、狭い洞窟に反響した。
わたしに払い除けられた男は、上半身のさらに半分、右の脇腹から肩口に掛けてをもの凄い力で抉りとられたかのように失っていた。
「ヒ、ヒイィッ……」
最後に残った男は恐怖に震え、その場に尻餅をついた。
あまりの恐怖にその股間を生暖かい液体が濡らす。
(…………え、と)
わたしはまだ放心している。
なんだか頭がフワフワする。
ボーッとしたまま、真っ赤に染まった両手を眺める。
「……ッ!」
ククリが素早く動いて、人攫いが持っていた拘束具を奪った。
ククリは地面にへたり込んだ男を縛り上げる。
わたしはそんなククリの行動を放心したまま眺める。
わたしは虚空をみつめた。
次いで熱に浮かされたようなあたまで、頭部を失った男と半身を抉られた男をみつめる。
――血溜まりが映った。
視界の端に人攫いに蹴り飛ばされた少女の怯える姿が映る。
「――ヒィッ」
少女が小さく悲鳴をもらす。
恐怖に彩られた視線でわたしを見上げる。
まるで化け物を見るかのような視線が――
「……ッ、……うげぇッ」
わたしはたまらず膝をついて、お腹のなかの物をその場に吐き出した。
『――――――――ね……さ、ま!』
遠くで誰かの声が聞こえる。
『――――ねこ……ま!』
頭がぼんやりする。
「――ねこさま、しっかりして!」
次第に焦点が定まってくる。
「……ク、クリ?」
「ねこさま!」
ククリがわたしの顔を覗き込んだ。
わたしの瞳にククリの心配そうな顔が写り込む。
二匹の猫、マリーとベルも心配そうにわたしを見ている。
(……ふふ、この子たちがこんな風に、わたしを心配そうにするなんて)
明日は雪かも。
そんなことを思いながらわたしは頬を緩める。
(……それで、えっと、どうしたんだっけ)
たしか洞窟のなかに人攫いがいて……
人攫いのいやらしい嗤い方が、まるであのマンティコアみたいで……
そして……
――思い出した。
途端に胃のなかみが喉元までせり上がってくる。
「……うっ、……ゲエェッ」
わたしは再び吐いた。
今度は胃液しか出なかった。
「ねこさま、落ち着いた?」
ククリが問いかけてくる。
「……うん。なんとかね」
落ち着いた風を装って応える。
本当は、落ち着いてなどいない。
網膜には先ほどの光景が焼きついている。
(――――うッ)
わたしは再びせり上がってくる吐き気をなんとかこらえる。
拳を眺めた。
赤く染まっていた拳はもう、きれいに清められている。
ククリが洗ってくれたんだろうか。
でもわたしの脳裏には、振るった拳に対する怯えが、……その恐ろしい力に対する怯えが、拭えない血のようにこびり付いていた。
ククリがわたしを心配そうにみつめる。
真っ直ぐなその瞳は、まるでわたしのそんな怯えを見透かすみたいだ。
「……まさか、あんな事に、……なるなんて」
「ねこさま、悪いことしてない」
「……人を殺すことは悪いことなのよ」
少なくともわたしは日本でそう教えられて育った。
「でもアイツらは、悪いヤツら」
「……それでもあんな風に殺しちゃいけないのよ」
嘘だ。
本当はそんなこと思ってはいない。
あいつらは少女を攫って暴力をふるっていた。
そしてククリやわたしを攫おうとした。
報いは受けて当然なのだ。
だったら、わたしはなにに怯えているんだろう。
……本当はもう分かっている。
自分自身のこの恐ろしい力に怯えているんだ。
わたしはこの世界にきてから……
この世界で自分の力が強い事を知ってから……
正直なところ、少し調子に乗っていた。
わたしは強い、人攫いなんかに負けない、そんな風に思っていた。
でもその増長がやり過ぎ――いや誤魔化しちゃだめだ。
その増長が『人殺し』という最悪の結末を招いたんだ。
でもまぁ今回のことはいい。
相手はどうせ人攫いだ。
まだ自分に言い訳をすることができる。
けれど次は?
もし相手が人攫いじゃなかったら?
払いのけた相手が攫われた少女だったら?
もし、……もし、わたしのこの加減の効かない恐ろしい力の矛先が、愛しいマリーやベル、ククリに向いたとしたら?
……わたしは途端に怖くなった。
自分自身に恐怖を感じたのだ。
「……ククリ」
「ん」
「ククリはわたしのこと、……怖くない?」
ククリはわたしの顔をみつめる。
わたしはそんなククリの視線に耐えられず、目をそらして俯いてしまう。
――――ッドス!
わたしの身体に軽い衝撃が走った。
「……こわくないッ! 絶対にッ、絶対にこわくない!」
ククリが胸に飛び込んで来る。
ちいさな体で必死になってわたしを抱きしめる。
(……ああ、この子は、この子はわたしを怖がらないんだ)
良かった。
ああ……
なんだか……なんだか、すこしだけ救われた。
「……ありがとう」
涙がこぼれた。
マリーとベルはすこし離れた場所からそんなわたしたちを見守っていた。
「――んんッ、さて、ッと!」
声に出してわたしは背を伸ばす。
沈んでちゃだめだ。
気持ちを切り替えていかなきゃいけない。
「ねぇククリ、人攫いに捕まってた人たちはどうなったの?」
「洞窟の奥。怪我してるからベルさまが治してる」
それなら安心だ。
わたしは「ふぅ」と息をつく。
「マリーも一緒?」
「ん」
「分かった。じゃあククリも行って事情を説明してあげて? 流石に猫二匹だけじゃなんだしね」
「ん。ねこさまは?」
「わたし?」
んー、どうしようか?
こうして強がってはいるけれど、やっぱりまだ少し気が滅入っている。
ちょっと、外の空気に触れたい。
「行ってもどうせ役に立たないし、気分転換したいから、わたしは少し外を散歩してくるわ」
わたしはあとのことを猫たちとククリに任せて洞窟の外に出た。
暗い洞穴から急にひらけた空の下に出たわたしの視界が、少しのあいだ真っ白に染まる。
陽気な日差しが、ポカポカとわたしに降り注ぐ。
「んー、やっぱり落ち込んでるときは、洞穴なんかにいちゃダメね!」
降り注ぐ陽の光を浴びる。
澱んでいた気持ちが少しずつ洗い流されていく。
「さぁ、元気だして、すこし辺りを散歩でもしようかな!」
わたしが無理矢理に明るい声をだして歩き出した、その時――
「見つけたぞ、人攫いめ!」
背後から凜とした声が聞こえた。
わたしはうしろを振り返る。
「観念するがいい!」
振り返った先には、洞窟の上からわたしを見下ろして強い視線で睨み付ける、美しい金髪碧眼の美女の姿があった。
頭部を覆うサークレットが良く似合っている。
まるで騎士のような出で立ちだ。
「え、えっと……どちら様で?」
「……チッ」
金髪美女が苛だたしげに小さく舌打ちをする。
「我が名はアリエル! ディズイニル王国バーサル侯爵家が長女、アリエル・アーニーバード・バーサル!」
騎士のような女性が腰の剣を引き抜き、その切っ先をわたしに向けた。
「またの名はS級冒険者、『氷騎士』アリエルだ!」