08 道中猫族の集落へ
「…………迷った」
ククリがポツリと呟いた。
耳を伏せてわたしたちを振り向く。
「ナゴー」
「ゴマニー」
まあ、少し前からそんな気はしていた。
マリーとベルが前足をあげて、力なく項垂れるククリをなぐさめる。
ククリはシュンとして申し訳なさそうだ。
二匹の猫たちがククリの体をポンポンと叩く。
「……マリーさま、ベルさま、ありがと」
猫語なんて固有スキルがなくても、わたしにもわかる。
きっとマリーとベルはこんな感じでククリを慰めたのだ。
『ドンマイ気にすんニャー』
『ヘイ、気楽にいくニャー』
って、こんな口調かどうかは知らないけどね。
――仮住まいのうろを出てからはや五日。
わたしたちは来る日も来る日も森のなかを歩いていた。
当初の予定ではそろそろ猫族の集落に到着していてもおかしくない頃らしい。
けれども、行けども行けどもあいも変わらぬ森のなか。
目指す先には集落の『しゅ』の字も見えない。
というよりも、最早どこを目指しているかすら定かではない。
そう。
わたしたちは完全に迷い子になっていたのだ。
いや迷い子っていうか、遭難?
より正確にいうなら遭難だよねぇ、この状況。
「仕方ないわよ。あんまり気にしないで」
二匹の猫たちと一緒になってククリを慰める。
「……でも」
「でも、じゃないの。それより今日はもう、ここで休んじゃいましょう。ククリもご飯の用意を手伝ってくれる?」
「……ん」
背におぶったザックを降ろす。
中身の詰まった大きなザックが、ドスンと重い音を立てて地面に落ちる。
このザックなんかの道具や塩なんかの調味料は、亡くなった猫族の方の遺留品を拝借したものだ。
ザックのなかには遺族への遺品となりそうなものなんかも詰め込んでいる。
「よっと」
わたしはザックの天辺に括りつけていた、大きな肉の塊を取り出す。
ワイルドボアの燻製肉だ。
これはうろを引き払ったあの日の朝、マリーとベルが狩ってきた獲物だ。
ククリは二匹が狩ってきたワイルドボアをみるや否や、目を輝かせて解体から燻製までをひとりで済ませてしまった。
『ここを切れば、血抜きできる』
『この枝で燻す。ねこさま、火を起こして』
ククリは手際よく獲物の肉を燻製肉に変えた。
いまでこそ道案内に失敗して項垂れているけれど、ククリは凄いのだ。
さすがは森で生まれ育った野生児と言ったところか。
まぁ力はないもんだから、解体のときの持ち上げたりひっくり返したりは、わたしが手伝ったのだけどね。
なんだかわたしも、最近はずいぶんとグロいものにも慣れてしまった。
「じゃあ今日の火起こしは、ククリお願い。わたしはお肉を削ぐわね」
「ん。わかった」
ククリは慣れた手つきで火を起こしにかかる。
前までは木と木を何度も擦り当てて、大変な思いをしながら摩擦熱で火を起こしていたのだけれども、遺留品から火打ち石を見つけてからは、格段に火起こしが楽になった。
「だめ。邪魔しないで、マリーさま」
「ンニャ!」
マリーがじゃれつく。
石を打ち付けるククリの手に猫パンチが飛ぶ。
どうやらククリの火起こしは難航してるみたいだ。
わたしはそんな微笑ましい様子を見守る。
「…………火起こし、できた」
途中からベルも加わっての猫パンチの応酬に、ククリは大いに難儀していた。
疲れた声で伝えてくる。
「はーい。じゃあ、さてと。わたしのほうも準備、準備」
わたしは突き刺した枝を手にとってお肉を持ち上げる。
もう片方の手で用意したナイフを火で炙る。
そうして火の上で大きな肉の塊を回しながら炙っていく。
「ふん、ふんふふーん……ウルトラ上手に、焼っけまっしたー!」
調子にのってお肉をもちあげる。
ちょっと楽しい。
ひとり遊びをしながら、焼けたお肉をドネルケバブのように回しながら削いでいく。
あたりに肉の焼けるいい匂いが充満してきた。
「みんなー、そろそろおいでー」
葉っぱで作ったお皿にひとり分ずつのお肉を乗せ、パラパラと塩を振ってからみんなに渡していく。
まずはマリーとベルのぶん。
次にククリのぶん。
最後にわたしのぶん。
ククリが道中で採った、生でもイケる香草を添えて出来上がりだ。
ちなみに道中わたしが採った美味しそうなキノコは、すべてベルに廃棄された。
思いだすと……あ、涙が。
「さ、召し上がれー」
「ンニャ」
「ゴニャ」
「ん、いただきます」
みんなが美味しそうにパクパクとお肉をたべる。
すごい勢いでもしゃもしゃと頬張る。
「ほら、ククリ。ちゃんと噛んでたべなきゃ」
「……ん」
一回の食事でなんと、二キロものお肉がみんなの胃袋の中に消えていく。
マリーやベルはともかく、ククリも相当に健啖だ。
夢中でご飯を食べる二匹とひとりを満足気に眺めてから、わたしも自分のぶんのお肉に手を伸ばした。
「んー、おいしいー」
でもこの香草はちょっと癖があって苦手かも。
「うぇ? どうしたの、マリーもベルも」
「ニャッ」
「ンニッ」
わたしと同じく香草ぎらいのマリーとベルは、何食わぬ顔でわたしに香草を押し付けた。
食事を終えたあと、マリーがザックからなにかを取り出し、転がして遊んでいた。
黒っぽい珠のようなものだ。
いつの間にあんなものを入れてたんだろ。
ベルは火のそばで丸まりながら目を瞑っている。
「マリー、なに転がして遊んでるのー?」
「……ん、ねこさま。あれは魔石。マンティコアの魔石」
「魔石?」
「ん。アレがあると、魔力の少ない人でも魔法が使える」
「魔法ッ!?」
驚いて大きな声を出してしまう。
その声に驚いたベルがビクッと体を震わせたあと、迷惑そうな顔でわたしをにらむ。
「……ご、ごめんごめん。ちょっと興奮しちゃって」
「ニ゛ャ」
ベルは短く鳴いてわたしから目を逸らした。
「ねぇククリ、いまベルはなんて?」
「ん、『気をつけろ』って」
相変わらずウチの猫たちはわたしに厳しい。
けど今はまあそのことはいい。
わたしはククリのほうを振りむいて話を元に戻す。
「それで魔法よ! やっぱりこの世界には魔法があるの? あのマンティコアとかいう魔物が所構わず爆発させるのをみてね、もしかしたらーって思ってたんだけど……」
「ん。ある」
やっぱりあるんだ!?
なんだかオラ、――じゃなくてわたし、わくわくしてきたぞ。
「ねえねえ、ククリは魔法使える? わたしは魔法使えるようになるかな?」
「……わたしはまだ使えない」
「ありゃ、そうなの?」
「獣人は魔法苦手な人が多い。ねこさまが使えるようになるかはわからない」
「そっかぁ、……使ってみたいなあ魔法。ザーザード、ザーザード、なんちゃってー」
身振り手振りを交えて魔法の呪文を唱える。
そんなわたしを二匹の猫が鬱陶しそうに流しみた。
「それで魔石。魔石はヒト族に高く売れる」
「え? そうなの?」
「ん。だから捨てちゃダメ」
「そっかー。わかった!」
わたしたちの他愛の無い夜は更けていく。
チョロチョロと川のせせらぐ音が聞こえる。
水場が近いのだ。
「やった! 川が近いよ!」
今日もまだ、わたしたちは森の中を当て所なく彷徨っていた。
うろを出てからもう十日目だ。
お肉はともかく、お水の残量が心許なくなっている。
「水だ! 水だよ、ひゃっほーい!」
わたしは川に向かってテテテッと小走りで駆ける。
そこではたと思い直して足を止めた。
……そういえば、川には嫌な思い出がある。
「ねこさま。どうしたの?」
猫耳の少女ククリがそばまで寄ってきて首を傾げた。
あたまの猫耳がヒョコヒョコ動いて可愛い。
わたしの本能、というか煩悩がわずかにうずく。
わたしはククリの猫耳と、ついでに尻尾を撫で回しながら応える。
ククリは嫌そうに顔を歪める。
「……水場には、嫌な思い出があってね」
あの大蛇のことだ。
この世界に転移してきた初日、黒い大蛇に追い回されて、それはもう酷い目にあったことを伝える。
「それは山大蛇」
「ヤマハミ?」
「森の奥のほうにいる大蛇。出会ったらまず助からない」
「えー!? やっぱりそんな危ないヤツだったのアイツ」
まあ見るからにやばそうな蛇だったけど。
「ヤマハミはしつこい。狙った獲物は逃がさない」
「はえー、たしかにしつこかったもんねぇあの蛇。あ、でもわたしたちが襲われる前に、最初に襲われてた大きな鹿は逃げきってたよ?」
「……普通の人間は逃げられない」
そうだったのかー。
よっぽど危険なヤツだったみたいだ。
まぁ、たしかにわたしも丸呑みにされかかったしね。
「それで、どうなった?」
「ん? あぁ、あの蛇? マリーが引っ掻いて倒しちゃったよ」
「……さすが、猫神様」
うん?
また猫神様?
「あ、それそれ。その『ねこがみさま』ってなんなの?」
前から気になっていたのだ。
「猫神様は、猫神様。マリーさまにベルさま、あとねこさまのこと」
「ふーん、それでそれで?」
「……猫神様は、猫神様」
「……そっかぁ。よくわかんないけどまぁいっかー」
わたしは突っ込んで聞くのをあきらめた。
たぶん、ククリにもよくわかんないんだろう。
「しっかし猫神様かぁ。……ほかにも犬神様とかいたりして」
「いるよ、狗狐神様」
「あ、いるんだ?」
「ん、猫神様の他に、狗狐神様と龍神様がいる。……大森林の三柱の守り神様」
「へぇ、すごいね! 一度みてみたいなあ」
猫神様らしいマリーとベルがこんなに可愛い猫ちゃんなんだ。
狗狐神様はきっと可愛いワンちゃんだろう。
龍神様は……どうなんだろ。
「ん。とにかく水場ね! あの蛇いないかなー、ちゃんと注意してっと」
「ここは森が浅いから、ヤマハミはいない。川に向かっても大丈夫」
「そっか、なら安心だ」
わたしたちは会話を切り上げて川へと足を運んだ。
「わたし思うんだけどね、この辺りにまた仮の住まいをさがさない?」
水場でたらふく水分補給をしたわたしはそう切り出した。
「どして?」
「だってもう十日も歩き通しじゃない。少し休もうよ。ここなら水場も近いし」
「……ん」
ククリが頷く。
でも頷くまでに少し間があった。
ククリははやく集落に帰りたいのかもしれないな。
「マリーとベルもそれでいい?」
「……ンナ」
「……グニ」
同意してくれたっぽい。
二匹も疲れてるのかな?
毎日歩くのって大変だもんなー。
「じゃあ、そういうことで決定ね!」
この水場のあたりにすこしの間だけ、仮の住まいを構えることでみんなの意見が一致した。
わたしたちは周辺を隈なく歩きまわって、仮の住まいにできそうな場所を探す。
「――ねこさま、あそこ」
ククリが指差す場所をみる。
するとそこには入り口の高さが三メートルくらいの丁度いい大きさの洞窟があった。
「いいわね。行ってみましょう」
わたしたちは注意深くその洞窟に向かって歩を進める。
ああいう住みやすそうな場所には、得てして先客がいるものだ。
実際、まえに住んでいた巨木のうろにも番いの鳥がいた。
(場合によっては、先客さんには洞をお出になってもらわなきゃ)
わたしはそう考える。
ククリの話によると、ここは森が浅くて棲まう魔物も強力なものは少ないらしい。
だったらもし戦いになっても、わたしたちが勝つだろうきっと。
(……この世は弱肉強食なのだ)
ふと思う。
わたしも随分逞しくなったものだな、と。
日本にいた頃なら自分が住まいを得るために先住者を追い出そうなどとは、思いもつかなかったことだろう。
洞窟の入り口に到着した。
目と耳を凝らして注意深くなかの様子を伺う。
(……やっぱり、なにかが、いる)
なかから物音がする。
ククリと目配せをしながら、ソロリソロリと進む。
息を殺してなかを探る。
すると――
「おらぁ!」
想定していたものとは大きく毛色の異なる物音が聞こえてきた。
「おら、いいから大人しくしてろよ!」
「ぅぁうッ……」
バチンとなにかを叩く乾いた音。
次いでなにかがドサリと倒れる音。
「――――え? あ、あれって……」
小さな声で思わずつぶやいた。
見つけた洞窟。
その洞窟のなかに巣食っていたものは『人間』だったのだ。