07 猫耳少女ククリ
気がつくと、うろのなかに寝かされていた。
うっすらと射し込んでくる星明かりに目を向ける。
「……あ、あいたたた」
身を起こすと節々が痛んだ。
ミシミシと軋むような痛みだ。
「んっと……夜、かな? いつの間に帰ってきたんだろう?」
小首を傾げる。
ここは仮住まいにしてある巨木のうろだ。
「えっとたしか――」
たしかわたしは、猫耳の少女を救うべく人面獣身の化け物マンティコアと戦った筈だ。
そして見るも無残な大けがをして……
(……う、うぅ。見るの怖いなあ……はあぁ)
わたしは盛大に息を吐き、細めた目でゆっくりと身体を見下ろす。
「…………あれ?」
怪我がない。
どういう事だろう。
まさか、……まさかあれは夢だった?
「いやいや、そんな筈はない、ない」
思わずツッコミが声に出る。
たしかにわたしは爆発にこの身をさらされた。
そして身体中の至るところが抉れて大怪我を負ったはず。
なのに、なんど目を凝らしてみてもその怪我がきれいさっぱりなくなっている。
怪我の痛みもない。
あるのは節々や筋肉がミシミシと軋む痛み、……それと寝心地の悪い場所でながいこと寝そべったせいで、こった体の痛み、それだけだ。
「……ステータス」
つぶやくと脳裏に浮かび上がる情報。
固有名:ねこ
種族名:猫神
レベル:23
体力:820/828 魔力:92/92
物攻:482 物防:404 魔攻:18 魔防:96
敏捷:468 技術:32
スキル:なし
固有スキル:鑑定 魔力視 加速
異様に上昇していたステータスもすっかり元に戻っている。
レベルアップとかそういうのもしていない。
「……はて?」
あれは本当に夢だったのかしら?
わたしが「うーん」と首を捻っていると、外から戻ってきた黒猫のベルがうろのなかに顔を出した。
「あ、ベル。おはよう」
「ニャッ」
ベルはわたしの様子をみて短く鳴く。
「……グルゴニャ」
黒猫ベルはもう様子は済んだとばかりの態度で、うろから出て行こうとする。
「あ、まってよ、ベルー」
わたしも起き上がってベルのあとをついて行く。
なんでだかわかんないけど怪我もないんだ。
いつまでも寝ていたって仕方ないよね。
「よっ! ほっ! たっ!」
ベルのあとについて、暗い足場をピョンピョンと飛び跳ねながら巨木を降りる。
このうろは巨木の幹に空いているのだけど、地表からは少し高いところにあるのだ。
だからこんな風に出入りが少し大変なのである。
外に出ると、黒猫ベルの向かう先に白猫マリーがいた。
「あ、マリー。マリーも外にい――」
「あ、ねこさま起きた」
声に振り返る。
「――ッ、うぇ!?」
するとそこに少女がいた。
あの猫耳の少女だ。
その猫耳の少女は猫じゃらしのような草を手に持ってしゃがんでいる。
マリーをじゃらして遊んでいたんだろうか。
わたしは一瞬惚けたあと、無言で少女に歩み寄る。
少女がまん丸のお月さまを背にして立ち上がる。
「ね、ねこさま?」
少女が不審げに眉をひそめる。
わたしは構わずに少女を胸に抱きしめた。
わたしはおもむろに顔を少女の猫耳に埋め、思い切り息を吸い込む。
「――ッ、ぷはぁ!!」
たまらん。
これはたまらん。
猫スメル最高だ。
ああ、猫ぐるいの血が騒ぐ……
わたしはもう一度少女の猫耳に顔を埋め、大きく息を吸い込む。
スー、ハー、スー、ハー……
こんどは息をするだけでなく、少女のしっぽに手を伸ばし、思い切り撫で回した。
「――!? ッ、フニ゛ャアー!?」
猫耳少女がしっぽの毛を逆立てる。
構わずわたしは少女のさわり心地のいい尾を撫で回し、その可憐な猫耳に甘く噛り付いた。
「…………えへ、……えへへ」
「や、やめッ、……ねこさま、止めてッ!!」
泣きベソをかいた少女が、わたしを思い切り突き飛ばす。
腰の入った全力拒否だ。
わたしはドスンとその場に尻もちをついた。
(――ッ!? あ、いまわたし、……逝ってた!?)
我に返った。
「ごごご、ごめんなさいッ!!」
やってしまった。
あー、またやってしまった。
本能の暴走。
わたしは半ベソをかいて自分の体を抱きしめる少女に全力で謝りたおす。
「ほんとに! ほんとに、ごめんなさいいいッ!」
――土下座だ。
こういうときは土下座だ。
土下座しかない。
誠心誠意、地に頭をついて謝る。
「…………ニャ」
「…………ゴニ」
その鳴き声に顔を上げてあたりを見回す。
離れた場所でマリーとベルがわたしを見ていた。
「こここ、これは違うの! 違うのよ!?」
「…………ミャ」
「…………ナゴ」
「ス、スキンシップ――そ、そう、スキンシップみたいなものなのよ!」
慌てるわたしをみて、二匹の猫は朱と蒼の瞳に侮蔑の色を浮かべた。
「こ、こほん。では改めまして」
わざとらしく咳払いなんかしちゃったりする。
「わたしは『ねこ』、十六歳よ。あなたは?」
「……『ククリ』……九歳」
ククリちゃんかぁ、可愛らしい名前だ。
わたしはククリと名乗ったその少女を眺める。
名前に負けず見た目もすんごい可愛らしい少女だ。
ショートボブで栗色の髪から猫耳がひょこっと突き出している。
耳と尻尾がわたしを警戒するようにあちらこちらと動いている。
上目遣いでこちらを見つめる瞳はクリッとしてまんまる。
赤みがかったチョコレート色の瞳。
もうほんと、食べちゃいたいくらいかわいい。
(ふあぁ……か、かわいい……)
若草色のやわらかい色の上着に、ふわっと裾が広がる茶系統のズボンが良く似合っている。
ニッカポッカみたいなズボンだ。
そして全体的な見た目はどこか民族衣装っぽい。
(うへ……うへへ……)
思わず抱きしめたくなる。
こころがうずく。
けれども先ほどのわたしの醜態が尾を引いているのだろう。
なんだかククリちゃんの態度がお堅い気がする。
(だめッ、堪えるのよわたし!)
わたしはやれば出来る子だ。
衝動をグッと抑え込む。
「そ、それで、ククリちゃん。ククリちゃんはあんな場所で――」
「……ククリ、でいい」
「ん?」
「『ちゃん』はいらない。ククリでいい、ねこさま」
「そっか、分かった。ククリね。オーケーオーケー、ならわたしも『さま』はいらないわよ」
「……ダメ。ねこさまは、ねこさま」
「うーん、どうしても?」
「……ん」
「そっか、じゃあまあ、それでいいよ」
(……ん?)
そしてわたしはふと気づく。
「あれ? ねぇククリ。わたしの名前、どうして知ってるの?」
「……教えてもらった」
「誰に?」
「ベルさま」
変な事を言い出したぞ、このかわいい猫耳ちゃん。
「えっと、ククリはベルと話が出来るの?」
「ん、出来る」
「じゃあマリーとも?」
「ん、当然」
マジかぁ……
不思議ちゃんだったのかぁ、ククリは。
――だが。
だがわたしは一向に構わんッ!
「わたしは猫族だから、猫神様のお言葉は分かる」
ククリがまた電波をゆんゆん発信する。
愛いやつよのー。
(……あ、そうだ。鑑定)
思い付いたわたしは、ククリを鑑定してみた。
固有名:ククリ
種族名:猫族
レベル:6
体力:177/181 魔力:52/53
物攻:89 物防:67 魔攻:26 魔防:40
敏捷:82 技術:69
スキル:剣鉈Lv1
固有スキル:猫語
(……うぇ? 猫語?)
固有スキルのところに『猫語』ってある。
もしかしてこれのお陰でククリはマリーとベルの言葉がわかるんだろうか。
だとしたら、なんてすごいスキルなんだ。
うらやまけしからん。
というか電波さんじゃなかったんだね。
「それでククリ、あなたたちは森で何をしていたの?」
少しの沈黙のあと、ククリが口を開いた。
「……調査、とか。わたしはお父さんについて来ただけ。あまりよく知らない」
「お父さん? あのなかにお父さんがいたの?」
「……ん。わたしを魔物から助けてくれた」
「魔物?」
「……マンティコア」
ああ、あの化け物か。
それよりも、あの地獄のなかにククリのお父さんがいたのか。
生存は――絶望的かもしれない。
駆けつけた時点であの場はもう地獄宛らだった。
大地を赤く染める血や炎や肉片、死体……
きっとククリ以外に助かった人はいない。
「……お父さん、生きてるといいね」
気休めと知りつつそう慰めた。
ククリはわたしの言葉に、辛そうに目を伏せた。
このことにはあまり触れないほうがいいかもしれない。
わたしは話題を変える。
「それでね、ククリはここが何処だかわかる?」
「ん、わかる。大森林」
「大森林?」
「ん。大森林。『猫神の森』」
「猫神の森……えっと、ここには人の住んでる村とか町とかある? 森の出口は?」
「遠くに猫族の集落がある。大森林の出口は知らない」
ほう、集落があるのか。
……ふむ。
「ククリはその集落から来たの? 集落への帰りかたはわかる?」
「わかる」
ククリが頷く。
そうか。
わたしは考える。
一度その集落を訪れるのもいいかもしれない。
やっぱり最低限の人との関わりは必要だ。
いまのままここで暮らしていたら、病気になっても薬のひとつも満足に手に入れる事が出来ない。
ククリを送り届ける必要だってある。
それに――
「ねぇ、ククリ。集落には猫耳さ――もとい、猫族の人がたくさんいるのよね?」
「ん。いる」
キターーーーッ!!
やっぱりッ、猫耳パラダイスだッ!!
猫ぐるいの本能がうずき出す。
「ね、ねえ、ククリ。デュフ。わたしを集落まで案内してって頼んだら、つつ連れて行ってくれる?」
「ん、だいじょぶ」
うっはーーッ!!
猫耳パラダイスへのチケットきたー!!
プレミアムチケットげっとーー!!
「……でもその前に、みんなを、……お父さんを、弔いたい」
――――ッ!?
わたしは息が詰まった。
(…………あ)
『生きてるといいね』
そんな安易な慰めを言うんじゃなかった。
ククリは、……この小さな少女は、とっくに覚悟していたのだ。
ククリは俯いて唇をキュッと結んでいる。
何かに耐えるように……
わたしはそんなククリをジッとみつめる。
「……分かった。弔いにいこう」
「……ん」
「でももう遅いし、それもこれも明日ね。夜がふけると本当に真っ暗になるんだもん、この森」
そういってわたしは、ククリをつれて巨木のうろに戻った。
――深夜。
あたりが暗闇に包まれる中、わたしたちはうろのなかに居た。
ククリはわたしの膝に抱えられている。
マリーとベルはうろの窪みに寝そべっている。
わたしはククリの猫耳を撫で付けながら話す。
撫でられるククリは迷惑顔だ。
「そういえばわたし、大怪我をしていた筈なのにスッカリ治ってるのよねぇ」
ククリの可愛らしい頰に頬ずりをする。
「だれか、なにか知ってたりしない?」
マリーは目を開けチラリとこちらを見た……と思ったらすぐまた目を閉じた。
ベルはそのキュートな尻尾で、窪みをタンと一度だけ叩いた。
今日も二匹はわたしのことをガン無視だ。
「……知ってる。ベルさまが治した」
ククリが教えてくれる。
「へ? そうなの?」
「ん。わたしの怪我もベルさまが治してくれた」
「へー、凄いねベルは! それでどうやって治してくれたの?」
「舐めて」
「……なに?」
「舐めて。こうペロペロ」
マジでか……半端ないな、ベルの舌は。
「……ンナー」
ベルが小さな声で鳴く。
「ベルさま、感謝しろって言ってる」
「……はい。感謝してます……はい」
他愛もない会話をしながら夜は更けていった。
わたしは穴を掘っている。
大きな穴だ。
「……ふう、こんなものかしら」
これで掘った穴は六つめ。
「あと、二つかぁ」
マンティコアに殺された人の数は全部で八人だった。
そのなかにはやはりと言うべきか、……ククリの父親の遺体もあった。
ククリはお墓に供える花を摘みに行った。
なんでも『シロミナグサ』という名の花を探すらしい。
猫族は近しい者が亡くなったとき、そのシロミナグサを墓穴一面に収まりきらないくらいに敷き詰めて、その死者を天に還すのだそうだ。
わたしはククリが花を探しに行っている間、ここで墓穴を掘る役なのである。
シャベルがないため、代わりに亡くなった方の盾を拝借して穴を掘っている。
亡くなっていたのは、みんな猫族だった。
『……これが、わたしのお父さん』
ククリはある遺体の前に跪いてつぶやいた。
その顔には喜怒哀楽のどんな表情も読み取れない。
わたしはその亡骸をみて思い出した。
亡くなったこの男性はククリに覆い被さっていたあの男性だ。
わたしが駆け付けたときに、瀕死の重傷を負いながらも傷付いた身体でククリを包み、覆い隠していた男性だ。
この父親の献身がなければ、わたしが今ここで掘るべき穴の数は、ククリのぶん、もうひとつ増える羽目になっていただろう。
「……さて、残りの穴も掘ってしまいますか」
わたしはひと休みしたあと、穴掘りを再開した。
全ての穴を掘り終えひと息ついたとき、ククリが白猫のマリーを伴って戻ってきた。
マリーはどうもククリの事が気に入ったみたいで、こうして一緒に居るところをよく見かける。
「……シロミナグサ、これだけしか、見つからなかった」
ククリが詰んできた花を胸に抱く。
その手には少しの小さな白い花が握られていた。
「もう少し探してみる? 今度はわたしも探すの手伝ってあげるわよ?」
「んーん、いい。お父さんたち、はやく弔ってあげたいから」
「……そう」
わたしは遺体をひとつずつ墓穴に収める。
ククリはわたしのあとから、遺体ひとりひとりに丁寧にシロミナグサを供えていく。
損壊の激しいものから比較的きれいなものまで、遺体の状態はさまざまだ。
胃からせり上がるものを感じる。
でもグッと我慢だ。
わたしは最後にククリの父親を墓穴に安置した。
ククリが表情の抜け落ちた顔で、その前に立つ。
「……お父さん、……ありが、と」
ククリが小さな花を添えた。
「……わたしはお花も、こんな、少ししか添えてあげられないけど……」
ククリはジッと父親を見つめる。
最後にその姿をその目に焼き付けるように。
――ふいにククリの肩が震えた。
わたしはその肩を無言で、そっと抱き寄せる。
ククリの表情が歪む。
この子は強い子だ。
きっとわたしなんかより、ずっと死が身近な境遇で育ったのだろう。
でもこんな時まで強くあろうとしなくていい。
「……こんなときはね、我慢、しなくてもいいと思う」
ククリは堰を切ったように声を上げて泣いた。
シロミナグサからは、マタタビの香りがした。
一夜明けたあくる日。
今日は仮住まいのうろを出て、猫族の集落に向けて出発する日だ。
昨夜のうちに、うろを引き払う準備はすべて終えてある。
「ククリー。マリーとベルが何処に行ったか知らない?」
「マリーさまとベルさまなら、むこうでワイルドボアを苛めて遊んでた」
まったく、マリーもベルも何をしてるのかしら。
わたしは苦笑する。
「悪いけど、ちょっと二匹を呼んで来てくれない? もう直ぐ出発するの」
「わかった」
ククリがトテテと小走りで駆ける。
わたしはその背中を見送る。
「……でもその前に、…………ねこさま」
ククリが足を止めた。
わたしに向かって振り向き。居住まいを正す。
そうしてひょこんと、でも、しっかりと丁寧に頭を下げる。
「ねこさま、ありがと。助けてくれたことも、お父さんのことも」
ククリが頭を上げた。
はにかんだような照れた笑顔をわたしに向ける。
「……ねこさま、大好き」
わたしは呆然として押し黙る。
そんなわたしを残して身を翻し、ククリはふたたび小走りで駆けていった。