06 マンティコア
「う、うあああああッ!!」
わたしは叫びながらマンティコアに飛び掛かる。
その禿げあがった頭を目掛けて腕を大きく振り下ろす。
しかしマンティコアはその腕をスルリと躱して、わたしから距離を取ろうとする。
――これはだめだ。
マンティコアには、先ほど見せた爆発による遠くからの攻撃がある。
わたしが動きを止めない限りそうそう直撃をもらいはしないだろうけれど、あの爆発は頑丈なこの身にすら致命傷を与えうる攻撃だ。
でも先ほどの様子から考えると、この化け物もあの爆発はそう気軽にポンポンと放てるものでもないのだろう。
きっと溜めが必要なのだ。
となると……わたしは化け物からあまり離れない方がいい。
「ッ、この、このぉッ!!」
マンティコアにはり付いたまま、めちゃくちゃに腕を振り回す。
けれども腕を振り回すだけのわたしの攻撃は化け物に悉く躱されてしまう。
マンティコアがいやらしく嗤った。
「グァルフゥ……おゾい」
わたしはその挑発には応じずに攻撃を続ける。
けれどもやはり何度振り回してもわたしの腕は化け物に当たらない。
「グギャ……もう゛はやグない゛……こわぐナい゛」
マンティコアはいやらしい顔で呟いて、その行動指針を改めた。
わたしから距離を取ろうとすることをやめ、代わりにその獅子の前脚を思い切り振りかぶって叩きつけてきたのだ。
「ッう、うあッ」
わたしはその前脚を躱す事ができず、腕を固めてなんとか受けとめた。
化け物は構わずガードの上からわたしを叩き、その爪で切り裂こうとする。
――痛い。
とてつもなく痛い。
あ、涙が出そう。
でも、まだ耐えられる。
これならまだ致命傷にはならない。
わたしは亀のように身を固めて、化け物の攻撃を耐え続けた。
いったいどれほど叩かれ、爪を突き立てられたろうか。
正直もう逃げ出したい。
あの猫耳の少女はもう、安全な場所まで逃げおおせたろうか。
痛い……全身が痛む。
なんだってこんな化け物に、こんなにも何度も何度も打たれなきゃならないんだろうか。
マリーにも打たれた事ないのに――
いや前言撤回。
マリーには昔っから猫パンチで結構打たれた。
そんなことを思ったわたしは、はたと考える。
そういえばマリーとベルの姿が見えないな、と。
二匹の猫はここにはついて来なかったのか……
わたしはホッと胸を撫で下ろす。
よかった。
わたしの愛する二匹の猫たちを、こんな危険な化け物と会わせたくはない。
「ギュフ、……グゥフフ」
マンティコアが嗤いながらわたしをいたぶる。
わたしは身を固めて殴られ続ける。
状況は良くない。
打たれながら反撃を試みるも、やっぱりわたしの腕は躱されて一方的に嬲られてしまう。
どうしよう。
このままではジリ貧だ。
考えるんだ、わたし。
先ほどこの化け物はなんとつぶやいて嗤ったのか?
たしか「もう速くない」とつぶやいたのだ。
――そう。
最初は速かったのだ、わたしは!
あのときわたしはどうやった?
たしか、……たしか少女を助けたくて……その一心で飛び出したんだ。
身を固めながら、あのときと同じように脚に力を込める。
(――く、くうぅッ)
渾身の力が満ちる。
(やってやる……やってやるわよッ!!)
わたしは満ちた力を大地に向かって解き放った。
至近距離から弾丸のように化け物に向かって飛び出す。
体当たりだ!
――――ドカンッ!!
凄まじい音があたりに響いた。
「グギャッ!?」
化け物が声を上げる。
わたしの体当たりが、マンティコアにぶち当たったのだ!
マンティコアが真っ直ぐすっ飛んでいき、地面を何回もバウンドして転がる。
「ッ、あゴア゛……ァッ…」
化け物は身を起こそうとするも、苦痛に表情を歪めてよろめく。
やった!
やってやった!
ぶちあててやった!
けどこれは、体当たりをあてたほうも相当苦しい。
全力でぶつかったんだから、当然わたしにもダメージがあるのだ。
「……う、うぅ」
わたしもフラフラとよろめいてへたり込んだ。
いまが追撃のチャンスなのに攻撃を続ける事が出来ない。
けれども体当たりのダメージは、わたしよりもマンティコアの方が深刻そうだ。
化け物の苦悶の表情が心地よい。
ざまぁみろ!
わたしは少し溜飲を下げた。
そのとき苦痛に呻くマンティコアが何かを見つけた。
苦悶の表情をあのいやらしい嗤い顔に変えてゆく。
わたしはつられて、化け物の視線の先を追う。
「――なッ!? なんで戻ってきたの!?」
思わず叫んだ。
そこには巨木の影に隠れてこちらの様子を伺うあの猫耳の少女がいたのだ。
少女はわたしの声にビクッと身体を竦ませる。
「……ぉ、父さん……が」
少女がつぶやいた。
そんな少女に向けてマンティコアは四肢を広げる構えをとった。
頭を低く下げるあの構えだ。
「――ッ!?」
あの爆発だ。
この化け物は少女に向けて、あの爆発を放とうというのだ。
「グフ、ギュフ……」
マンティコアがいやらしく嗤う。
――――ダメよ。
それはダメよ。
絶対にダメよ。
なんとしても、――なんとしても阻止しないとッ!!
けれども先ほどの体当たりで、わたしと化け物の距離は開いてしまっている。
これならまだわたしと少女との距離の方が近いくらいだ。
少女のほうに走るか、化け物のほうに走るか。
「ッ、……こっち!!」
わたしは一瞬の逡巡のあと、少女に向かって駆け出した。
――間にあって、お願いッ!
わたしは駆ける。
少女の周囲の大気が撓み始める。
――間にあって!
大気が熱を持ち、チリチリとした火花を散らす。
――間にあ……
そのとき変化が起こった。
(…………あ……)
空間のすべてがスローモーションのようにゆっくりと流れる。
そのなかをわたしの周囲の風景だけが、加速したかのように後方に吹き飛んでいく。
これなら――
間に――――あったッ!!
わたしは少女の元に駆け付け、その小柄な身体を大きく突き飛ばした。
「グルゥゴアアアアアーーッ!!」
化け物が叫ぶ。
その刹那――――
大地を振るわす爆発が、わたしの身を襲った。
……ドガッ、……ボゴッ!
誰かがわたしを殴りつけている。
繰り返し、繰り返し。
(痛い……お願い……やめて……)
わたしはそう口に出そうとするが声にならない。
そうする間にも絶え間なく、わたしの身体を痛みが襲う。
(お願い……痛ッ……)
いったい何が起きているんだろう?
わたしは考える。
わたしはひと月前に二匹の愛猫マリーとベルと共に、異世界へとやってきた。
それから常識では考えられないような大きな蛇に襲われたり、巨木のうろに寝泊まりしたりと散々な目にあってきた。
今日だってそうだ。
誰かの叫び声を聞いて駆け付けたと思ったら、獅子の身体にヒトの頭を生やした気味の悪い怪物と戦う、羽目…………に……
――ハッ!?
わたしはまぶたを開いた。
「ギュフ……ギュフゥ……」
そこには愉悦の表情を浮かべる怪物――
倒れ伏したわたしを嬲るように痛めつける人面獣身の化け物の姿があった。
(そうだ……わたしは……)
わたしはこの化け物から猫耳の少女を庇って、爆発をこの身に受けたのだ。
全身がズキズキと痛む。
こんな苦しみはついぞ味わったことがない。
日本で女子高校生なんてやっていれば、まず味わうことのない苦痛だろう。
わたしはケンカすらもしたことはないんだから。
「……ッぅ……ぁぅ」
何度も何度も殴られる。
頭がクラクラする。
視界の隅を星が舞い、チカチカと明滅を繰り返す。
わたしは飛んでしまいそうな意識のなか、うっすらと霞む視界で辺りを見回した。
あの少女は……
――いた!
大丈夫だ。
生きている。
わたしが大きく突き飛ばしたせいか気を失っているみたいだけど、ここからでも少女の胸が薄く上下しているのが辛うじてわかる。
(よかっ……た……)
安堵したわたしはこの危機をどう切り抜けるか必死に知恵を振り絞る。
けれどもこの状況を打開する策などなにひとつ思いつかない。
(い、いっそ、死んだふりでもしてみたら……)
そうすれば見逃して貰えるだろうか?
もうわたしの身体はボロボロなのだ。
爆発をこの身に受けたわたしは、身体中至るところで肉が抉れ、血が吹き出している。
マンティコアがわたしを嬲るその手を止めた。
(……あれ? たす、かった?)
醜悪な笑みをさらに歪めて、猫耳の少女を振り向いた。
化け物は少女に向かってその身を翻す。
(だめ……そっちは、だめ……)
無抵抗なわたしを嬲って、多少なりとも溜飲を下げたのだろう。
わたしのとどめは後回しにして、少女を先に殺してしまうつもりなのだ。
「……ま、……て」
震える腕を伸ばし、化け物のサソリの尾を掴んだ。
「……おまえの、相手は……わたし、よ」
死んだふりなどと、小賢しい考えは捨てよう。
わたしは何が何でも少女を助ける。
もう決めた事だ。
その為だったら、何度でも立ち上がる!
わたしは全身に力を込めて立ち上がる。
マンティコアの尾を掴んだ腕に精一杯力を込める。
途端にわたしの身体の至るところから血が噴き出した。
「ぐぅ、ツゥッ……」
痛みなんて構いやしない。
そのままわたしは、化け物を力任せに振り回した。
わたしの常識外れな膂力に耐えきれず、化け物の尾がブチブチと引き千切れる。
化け物は千切れたサソリの尾をわたしの手元に残して飛んでいく。
「ッ、グるゥギィアア゛アぁーーーッ!!」
化け物が悲鳴を上げる。
「っ……じっボ……」
化け物が千切れた尾をみた。
「グゥルオオオオオオオォォォーーーーッ!!」
マンティコアは憤怒の顔でわたしを睨みつける。
四肢を広げ頭を下げるあの構えを見せる。
――――あの爆発の構え。
(……あ、だめ、かも)
もしまたあの爆発を受ければ、さしものわたしも致命傷を負うだろう。
「……やられて、……たまる、か……」
フラフラと化け物へと歩み寄る。
化け物がわたしに狙いを定める。
わたしは前へ前へと進もうとするけれど、気持ちばかりが先に立ってガクガクと震える脚はなかなか前に進まない。
このままでは、わたしが化け物まで辿り着くよりも早く、爆発がこの身を襲うだろう。
――眼前で大気が揺蕩う。
――火花を散らし、わたしを死へと誘う。
――絶体絶命……
(ッ!?)
そのとき空気が変わった。
わたしを襲わんとしていた火花が、大気の歪みが霧散してゆく。
(な、なに!? どうしたの!?)
ふと見ると、マンティコアはその表情を恐怖に引き攣らせていた。
ガタガタと震え、只ならぬ怯えようだ。
その化け物は、見てしまったのだ。
わたしの後方。
太古の森の奥深くで、化け物を射殺さんばかりに睨め付ける憤怒の形相を。
猛る心を胸に押し殺した朱と蒼の二対の瞳を――
呆然としていた化け物が我に返り、慌ててその場を逃げ去ろうとする。
けれどももう遅い。
わたしはもう辿り着いた。
化け物のもとに辿り着いた。
わたしは腕を伸ばし化け物の獅子のたてがみを掴む。
……この手はもう離さない。
これが最後だ。
次の攻撃が、わたしの最後の攻撃になる。
この最後の攻撃で化け物を倒し切れなければ、化け物はわたしを殺したあとで猫耳の少女をも殺してしまうのだろう。
そんな事はさせない。
わたしは残る全ての力を振り絞る。
――胸が熱くなる。
また、だ。
この熱さはよく知っている。
哀しくも懐かしいこの熱さは、白銀に輝くあの子の――
「…………シール」
哀しい熱さに、瞳から一雫の涙がこぼれた。
わたしの胸に抱かれ息を引き取った、白銀の仔猫。
わたしの瞳が黄金色に染め上げられてゆく。
黄金に染まった瞳を、猫のような黒の瞳孔が縦に引き裂く。
胸の奥から力があふれ出す。
わたしの胸に宿る、聖なる白銀の力がこの身を満たす!
(……?)
アタマの奥に情報が流れてくる。
固有名:ねこ
種族名:猫神
レベル:51
体力:176/1472 魔力:92/102
物攻:1218 物防:818 魔攻:55 魔防:370
敏捷:915 技術:188
スキル:鉤爪Lv7 殴打Lv5
固有スキル:鑑定 魔力視 加速
EXスキル:覚醒Lv1
わたしのステータスが異様なほど跳ね上がっている。
いったいどうしたんだろう……
だけど今はそれどころじゃない。
腕を振り上げる。
振り上げたわたしの手のひらは普段の倍ほどにも膨れ上がり、その先端には鋭く全てを穿つ、五つの鉤爪が生え備わっていた。
「グルゥアッ!! ヤメデッ、ヤメッ――」
化け物が必死の命乞いをする。
わたしは化け物を見据えながら、告げる。
「…………やめない」
鉤爪を振り下ろした。
鉤爪はまるで豆腐を潰すかのように、化け物の頭に吸い込まれた。
それを見届けたわたしは、辛うじて繋ぎ止めていた意識の手綱を手放す。
(あぁ、おわった……、もう、ねむりたい……)
そんな事を考えながら。
二匹の猫が駆け寄ってくる。
(あ、マリー……ベル……、いたんだぁ……)
安堵の息を吐きながら、わたしの意識は深い眠りへと落ちていった。