04 猫神の森
「ギニ゛ャアアアアーーーーッ!!」
突如として現れた獣が叫ぶ。
地響きのような唸り声をあげて蛇に襲い掛かる。
その白い巨獣は圧倒的だった。
蒼い瞳のその白い獣が刃のように研ぎ澄まされた爪を振るうたび、黒い大蛇は切り裂かれ、刎ね飛ばされ、鮮血が空を舞った。
これには堪らず蛇は逃げ出そうとするも、獣は白く尾をひく弧を宙に描き、蛇の退路に先回る。
その巨体からは思いもつかない俊敏さで、太古の森をところ構わず縦横無尽に跳ね回るのだ。
一方、黒い巨獣は山のごとく不動だった。
蛇からわたしを護るようにその背をこちらに向けて庇い、微動だにしない。
ただその怒りに燃える朱い瞳は、大きな蛇を見据えたまま片時も逸らされることはない。
わたしはそんな黒い獣の大きな背中を、不思議な安堵感を持って見上げるのだ。
「ギジャアアアアアアーーッッ!!」
一際大きな声が森に木霊した。
蛇の断末魔だ。
蛇は全身を傷だらけにし、力無くその首を横たえた。
さしもの黒い大蛇も、白い巨獣の熾烈な攻撃の前に、遂にはその命を散らしたのである。
――――グシャ!
白い獣は大きく力強い前脚で、力を失った蛇の頭を踏みつけた。
ゆるりと首を回し、白い獣はあたりを睥睨する。
どうやらもうこのあたりには、獣に警戒心を抱かせるような存在はいないようだ。
途端に白と黒の獣から発せられていた、大気を振るわさんばかりの威圧感が霧散する。
白い獣は蛇の亡骸を一瞥したあと「ンナァ」と鳴いて、返り血に赤く染まった爪をペロリと舐めた。
そして獣はなんとも気の抜けた軽やかな足取りでわたしの元にやってくる。
白い獣は黒い獣と並んで座り、その蒼の瞳でわたしを見下ろした。
わたしは白い獣に話し掛ける。
「…………もしかして、マリー?」
「ンニャー」
今度は黒い獣に。
「…………えっと、ベル?」
「ゴニャニー」
ああ、やっぱり……やっぱりだ。
この二頭の獣たちはマリーとベルだ。
姿かたちが変わろうとも、わたしには分かる。
この白と黒の大きな獣たちは、わたしのマリーとベルなのだ。
ヤンチャでイタズラ好きな可愛い白猫マリー。
どこか抜けているけど、性格のおっとりとした優しい黒猫ベル。
「ふふふ……二匹ともおっきくなっちゃって。なんだか、おかしい……」
緊迫していた心に余裕が生まれる。
そうすると二頭の凜とした佇まいも、なんだか違った風に感じられる。
こうして死地を抜け、心から安堵したわたしは、崩れ落ちるようにして気を失った。
――あれからおよそひと月のときが流れた。
わたしたちはまだ森を、当て所なく彷徨っている。
あの大きな蛇との戦いが終わり、気を失ったわたしが目を覚ますと、もうそこにはあの白と黒の大きな獣たちの姿はなかった。
代わりにそこには、見慣れたちいさな愛すべき生き物、白猫のマリーと黒猫のベルがいて、わたしの顔のほうにお尻を向けてちょこんと鎮座していた。
気絶から目覚めたわたしは、その日のうちに川の近くにある巨木のうろに、差し当たりの居を構えた。
ここはあの蛇のような恐ろしい怪物が棲まう森だ。
少しでもはやく、身を隠せる場所を確保したい。
その点、うろのなかには畳にして三畳ぶんくらいの空間があって、小娘ひとりと猫二匹が身を隠すのにはうってつけの場所だったのだ。
けれどもそのうろには、元々先客がいた。
番いの鳥だ。
翼を広げると人の背丈ほどもある、大きな番いの鳥が営む巣。
『あぁ、ここには先客がいる。ほかの場所を探さなきゃ……』
うろの様子を伺ったわたしは、そう呟いて落胆した。
『ニャッ、ンニャーン!!』
けれどもマリーはその先客を見つける否や、たのしそうに鳴きながら駆け出していって、あっと言う間にその鳥を狩ってしまったのだ。
生き物の生き死にに慣れないわたしは、血まみれで戻ってきたマリーをみて「ひぃッ」と目を覆った。
あ、でも鳥は美味しく召し上がらせて頂きましたよ。
命に感謝。
この深い森は実りの豊かな森だった。
気候だって暑くもなく寒くもなく、少しばかりジメジメするのを我慢しさえすればなーんにも問題はなし。
ちょいと探せば木ノ実だっていっぱい生っているし、キノコなんかもたくさん生えている。
だからというかなんというか……
最近ではもうわたしは、ずっと生涯この森で暮らしてもいいんじゃないかなーなんて思い始めていたりする。
自分でも順応力高いなーと思うけど、だってほら帰る方法もわかんないし、ここならマリーやベルとも引き離されずに一緒にいられるしね。
ちなみにあれからマリーもベルも、あの大きな獣の姿には一度もなっていない。
それでも小さな猫の姿のままで、自分より大きな鳥や獣すら狩ってしまうんだから、それはもうビックリである。
『マリーとベルは凄いなぁ。それにくらべてわたしときたら、……トホホ』
狩りになるといつもわたしはそうこぼす。
狩り方面でのわたしはいわゆる現代っ子のヘタレさを遺憾なく発揮して、まだ獲物を狩ったことは一度もない。
現代日本で生まれ育った日本人よろしく、どうにも生き物を殺すことに抵抗を感じるのだ。
……でも実はわたし、ホントいうと狩りができるくらいの力はあるんだよね。
なぜかわたしには、あの大きな蛇を叩いて吹き飛ばすくらいの異常なまでの力があるにはあるみたいなんだけれども、いまのままではどうにもこうにも宝の持ち腐れだ。
わたしがそんな状態なもんだから、狩りにおいてもっぱら我が家の稼ぎ頭は二匹の猫だ。
そしてわたしは二匹に養ってもらうヒモ状態なのである。
ちょっと肩身が狭い。
あ、そうそうでもね。
このひと月で火を起こすのは凄く上手くなったのよね、わたし!
木ノ実もたくさん採れるんだよ、わたし!
……あ、涙が。
今日もわたしは二匹の猫たちについて回り、獲物を探して森を彷徨う。
白猫マリーは手頃な大きさの獲物を探して一行の先頭に立ち、黒猫ベルがそのうしろをのんびりとした足取りでついて行く。
わたしはさらにそのあとを、木ノ実なんかを探しながらついて歩くのだ。
猫たちのうしろをついて回りながら、わたしは今更ながらにボソッと呟く。
「……やっぱりここって、異世界なんだよねぇ」
ベルがわたしの方を振り向いた。
けれどもすぐに興味がなさそうに視線を前に戻した。
マリーに至っては、こちらを振り向きすらしない。
はなからガン無視だ。
そんな風に猫たちに素っ気ない態度を取られてもわたしは全然悲しくなんか無い。
だってこれは元から独り言なんだもん。
さ、気を取り直して木ノ実を集めなきゃ。
……あ、涙が。
――――異世界。
そうここはきっと異世界なんだと思う。
「……ステータス」
わたしはボソッと呟く。
するとわたしの脳裏に浮かんでくる様々な情報――
固有名:ねこ
種族名:猫神
レベル:23
体力:822/828 魔力:92/92
物攻:482 物防:404 魔攻:18 魔防:96
敏捷:468 技術:32
スキル:なし
固有スキル:鑑定 魔力視 加速
「……あ、あははは……」
もう笑うしかない。
なんなんのよ、これは。
ついでにマリーとベルのうしろ姿を眺めながら、念じる。
(――鑑定、鑑定、鑑定、鑑定……)
固有名:マリー
種族名:猫神(従神)
レベル:8
状態:神気欠乏 弱体 猫化
体力:155/158 魔力:154/162
物攻:80 物防:56 魔攻:63 魔防:78
敏捷:106 技術:97
スキル:猫パンチLv4 猫キックLv3
固有スキル:※※※※
固有名:ベル
種族名:猫神(従神)
レベル:10
状態:神気欠乏 弱体 猫化
体力:243/249 魔力:148/151
物攻:73 物防:150 魔攻:82 魔防:136
敏捷:77 技術:82
スキル:猫パンチLv2 猫ガードLv5
固有スキル:※※
……きっかけはささいなことだった。
巨木のうろに仮とはいえ安らげる場所を得たわたしは、この世界について腰を据えて考えてみた。
ここはきっと異世界とかいうやつだ。
じゃなきゃあんな異様な化け鹿や化け蛇がいるわけがない。
『……ふぅ、なんなんだろうねぇ。あんなお化けみたいなのゲームでしか見たことないよ』
そしてわたしはなんの気なしに呟いたのだ。
『ステータスとかあったりして』
念じてみる。
途端にわたしの脳裏に浮かぶ情報の数々――
『…………は?』
わたしは唖然として押し黙った。
「あッ、見慣れないキノコを新発見! これ食べられるかなぁ」
赤い傘に紫色のまだら模様のある美味しそうなキノコを発見した。
ちょっと匂ってみよう。
「んー、いい香り! ねぇベル、これ美味しそうよー!」
キノコからは甘くて爽やかな香りがした。
これ、いけるかなぁ……
あ、そうだ!
鑑定したらいいんじゃないかな!
念じてみる。
種族名:ドクムラサキカラカサ
レベル:1
体力:3/3 魔力:1/1
物攻:0 物防:1 魔攻:0 魔防:1
敏捷:0 技術:0
スキル:なし
固有スキル:なし
(……………………えっと)
これまで採ったキノコはどれも結構おいしかったよね。
(うん、多分いける!)
とにかくちょっと囓ってみよう。
もいだキノコの傘を手のひらでササッと払う。
「いっただっきまーす! あーん……」
「ゴニャッ」
横合いからベルに猫パンチLv2でキノコをたたき落とされた。
「ちょ、ちょっと何するのよベル! ……んもうッ、酷いなぁ」
飛んでいったキノコを拾い上げ、気を取り直してふたたび食べようとする。
「あーん」
「……ゴニャッ」
またキノコをたたき落とされた。
「もー、ベルー! なにするのー、怒るよー!」
「フシャーッ!」
「もうっ、意地悪しないで!」
ひどい話だ。
わたしはこんなにも二匹を愛してるっていうのに!
ベルと揉めていると先をいくマリーの耳が何かの物音を捉えた。
マリーがその身を低く地に伏せ警戒態勢を取る。
その直後――
――キャアアアァーーッ!!
「え、え!? なに? なんなの!?」
文字通り森閑とした深い森に、絹を裂くような叫び声が響き渡った。