32 旅立ち
カンッ!
コン、カンッ!
硬いものがぶつかり合う、硬質な音が広場に響く。
ここは猫族の集落。
その集落の広場で、二人の少女が練習用の武器を持ち、対峙していた。
二本の短い棒切れを両手に、姿勢を低くして攻め寄るのは、栗色の髪をした猫耳の少女ククリ。
相対するは、一本の長い棒切れを巧みに操り、ククリの攻めを防ぐ、銀髪狐耳の少女コルトだ。
「なかなかやるではないか、ククリとやら!」
「……ん、お母さん直伝」
小さな少女二人の手合わせは、徐々にその熱を増し、白熱してゆく。
その隣に目をやると、少女達の保護者の姿が見える。
片手で杖をつき、右脚を引き摺るマチェテと、金髪の狐耳娘ベレッタだ。
二人は、白熱する少女達の手合わせを他所に、話に耽っていた。
「……残念です。噂に名高い、雷猫マチェテ殿との手合わせを、楽しみにしていたのですが」
「うーん、この脚じゃ貴女の相手はさすがに無理ね。……暴風狐ベレッタ、貴女の勇名は、この猫族の集落にまで、聞こえてきているわよ」
そんな彼女らの様子を、二匹の猫、白猫マリーと黒猫ベルが、少し離れた場所で見守る。
私は猫達の側に腰を下ろし、ボーッと空を見上げながら思い耽った。
一連の騒動の発端は、ガルボナード帝国の若き天才、ロモ・サルタードにある事が分かった。
枯れた土地ばかりの帝国は、ディズイニル王国の肥沃な大地を欲している。
ロモは、王国から土地を強奪するのに、大森林の魔物を利用することを画策。
龍神を邪に堕とし、大森林で魔物暴走を誘発させ、大森林から溢れ出た魔物と、帝国の軍で王国を挟撃し、王国からまんまと領土を奪い取った。
つまり、そういう事なんだろう。
私は考える。
正直なところ私は、王国だ、帝国だ、聖教皇国だっていうのには、あまり興味がない。
私の興味は大森林、もっと言うと猫族の集落にしかないのだ。
しかし、このまま事態を放置しておくと、狂える龍神によって大森林は滅びを迎える。
対応策を短絡的に考えるなら、龍神を倒せば事態は一応の終息を見せるだろう。
だけど、私はその龍神だって救いたい。
龍神だって、ロモの被害者なのだ。
それに龍神を倒したって、ロモを放置したままでは、いつまた同じ様な災いが繰り返されるか、分かったもんじゃない。
私は、澄み渡る青空に向かって呟いた。
「……ロモ・サルタードに会いに行こうかな」
龍神に術をかけたロモ本人なら、狂える龍神を元に術を持っているかもしれない。
「ニャッ」
「マゴッ」
私の呟きに、猫達が応えた。
「……本当に行ってしまうのね、ねこちゃん」
そう言って、マチェテが心配そうな顔を、私に向ける。
私はそんなマチェテを、宥める様に応えた。
「心配しないで、マチェテ。マリーもベルもいるし、私なら大丈夫よ。ちょっと帝国まで行って、悪い奴をとっちめて来るだけだから」
私はそうマチェテを宥めるが、マチェテは全く安心出来ないようだ。
「心配ならするわよ。ねこちゃんは、少しおっちょこちょいな所があるから。……ああ、心配だわ。この脚が動くなら、私も一緒に、付いていくのに」
「だめよ、マチェテ。マチェテはククリと一緒に、ここで私の帰りを待っていて。必ず無事に帰ってくるから」
私はそうマチェテを宥め賺す。
というか、おっちょこちょいって何だ?
私よりマチェテの方がおっちょこちょいよ、絶対。
そのとき、ふとマチェテが気付いた。
「あらあら? そう言えばククリは何処かしら、ねこちゃんが行っちゃうっていうのに……」
「もしかしたら、此処ぞとばかりに、食糧庫にでも忍び込んでいるのかもしれないわね。あはは。……いいのよ、マチェテ。必ず帰って来るんだから、ククリにもまた会えるわ」
マチェテは「あの子ったらもう」と、頰を膨らませて、膨れっ面を見せた。
「ねこ様や、大森林から帝国への道中は、王国を通る事になる。金子は持たれたか? 夜に物騒な場所へ、近付いてはならんぞい?」
マチェテの次は、猫族族長ライナロックが話しかけてきた。
私はライナロックに応える。
「大丈夫よ、族長さん。水も食糧も持ったし、魔石だってあるんだから、路銀には困らないわ。夜も宿を取って、物騒な場所には近付きません」
大勢の猫族が私の出立を見送りに来ている。
その中には狗狐族の娘、ベレッタの姿もあった。
「猫の神獣様方、どうぞお気を付けて……。我らが守神、狗狐神様の敵を、どうか」
私は確とベレッタに頷いた。
続けてベレッタは、表情を和らげて私に尋ねた。
「ところで、ねこ様。コルトを見ませんでしたか? 一緒に猫神様方を、お見送りしようと話していたのですが」
「いえ、知らないですよ。……もしかしたら、ククリと一緒に、食糧庫に忍びこんでいたりして」
私がそう言うと、ベレッタは「ちょ、ちょっと食糧庫を見てきます」と言って、足早に去って言った。
「猫神様方、気を付けての」
「ねこちゃん、マリー様、ベル様。帰りたくなったら、いつでも帰って来ていいのよ」
「ねこ様。てやんでえバーロー。寂しいじゃねえか!」
「猫神様たち! ご飯はちゃんと食べるんだよ! 生水には気をつけて!」
族長さん、マチェテ、ガットさん、集落のおば様方……
「うん! いってきます! 必ず帰ってくるから!」
そう声を上げて私は、大勢の猫族に見送られ、猫族の集落から旅立った。
荷馬車がガタゴト。
高く、どこまでも高く、澄み渡る青空の下を行く。
王国に戻る冒険者に便乗した私と、二匹の猫を乗せ、荷馬車が揺れる。
私は荷台で空を見上げながら、マリーとベルに話しかけた。
「……ククリ、置いてきちゃったね。寂しくなるな」
ククリは、私がこの異世界に転移してきてから、初めて言葉を交わした相手だ。
出会ってからずっと、一緒にいた。
離れるのは、やはり寂しい。
……まあ厳密には、私がこの世界で初めて話をした相手は、醜悪な人面獣身の魔物、マンティコアなわけだけど、アレはノーカンでいいだろう。
二匹の猫は応えない。
白猫マリーは舌でお腹をザリザリとグルーミングし、黒猫ベルは香箱座りで「ふあ」と欠伸をしている。
そんな二匹に釣られて、私も小さく欠伸をした。
そんな私の背後、荷馬車の荷台で、何かがゴソゴソと動いた。
( ……コルト、まだ動いちゃダメ。ジッとする )
(……仕方ないであろ! オシッコがしたいのに、さっきから妾は、我慢しておるのじゃ )
マリーとベルの耳がそんな声を聞きつけてピクリと動く。
二匹の猫は、ふぅと溜息をつき、少し愉快気に「ニャッ」と小さく鳴いた。
END
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