28 覚醒
「……ッ、……ゴホッ」
マチェテから、咳き込む声が聞こえる。
「……え?!」
私は黒い猫の神獣ベルの胸に、優しく抱き抱えられたマチェテを見遣る。
「ゴホッ! ……あら、あら? えっと。……コフ、コホン」
マチェテがそう咳き込みながら、息を吹き返し、その身を起こそうとする。
そして自分の身体が、ベルの胸に抱かれている事に気が付いた。
「……えっと、ベル様? そのお姿は?」
「ニャッ」
上体を起こそうとしたマチェテを、ベルが大きな前脚で押さえつける。
マチェテは「あう」と声を漏らして、再び地面に寝かし付けられた。
「ニャゴ」
「ベル様? まだ寝ておけって?」
マチェテはそう言って自身の身体を観察し、そして驚愕した。
「……え? ええぇ? わ、私の脚が、千切れちゃってる! はわわ。はわわわ。……でも、あれ? 痛くない! どうして? 痛くないわよ?!」
頭に、はてなマークを浮かべて慌てるマチェテを他所に、ベルはその大きな舌でマチェテの千切れかかった脚を舐めた。
すると、ベルが繰り返しマチェテを舐める度に、淡い光がマチェテの脚を覆い、癒していく。
そんな光景を、呆けた様に眺めていた私は、ふと意識を取り戻し声を上げた。
「……マ、マチェテ。……マチェテ、マチェテ、マチェテーーッ!」
マチェテが!
マチェテが生き返った!
私は声を上げ、わんわん泣きながらマチェテの元へと駆けていく。
そうして私は、黒の神獣ベルに抱えられたマチェテに、勢いよく飛び付こうとした。
「ゴニッ」
そんな私を、ベルが前脚でペシッとはたき落とす。
「ぁうっ! 何するのよ、ベル! マチェテが、……マチェテが生き返ったのよ!?」
私はベルに、抗議の声を上げた。
「ゴニャニ」
ベルが私に何かを言っている。
しかし私には、その言葉の意味がわからない。
「なんて言ってるのか、分からないわ。……でも、ベル。ベルが、いつもの不思議な癒しの力で、マチェテを生き返らせてくれたのね?」
「グルゴニャ」
ベルが応えてくれるが、やっぱり私にはその言葉の意味が分からない。
私が首を傾げていると、マチェテが口を開いた。
「あのー、えっと、ねこちゃん。ベル様はこう言ってるわよ」
マチェテが、通訳をしてくれる。
『マチェテは、私が蘇らせたばかりだから、安静にさせてあげて。後、千切れた脚を繋げるのにもう少し掛かるから、ねこはあっち行ってて』
とのことの様だ。
……そっか、やっぱりベルが、マチェテを生き返らせてくれたんだ。
「……うんッ。分かった。……ベル、ありがとう」
私は涙を拭いながら、ベルに感謝を伝える。
ベルはそんな私を見て、無言で頷いた。
そんなベルと私のやり取りをみて、マチェテが小さく呟く。
「……というか、え? 私、死んでたの? え?」
マチェテのその呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。
「ハッ!? マリーッ!」
私はふと気付き、声を上げる。
そうだ、マリーだ。
私は白い猫の神獣となった、マリーの事を思い出す。
マリーは森龍と取っ組み合い、この場から離れていったままだ。
私は黒い猫の神獣ベルに、声を掛ける。
「私、マリーの所に言ってくる! ベルは、マチェテをお願い!」
「ニャニャッ」
ベルが頷くのを見届け、私はマリーの元へと駆け出した。
「グルゥガアアァァーーーーッ!!」
「ギシャアアァァーーーーッ!!」
二頭の巨獣が、猛々しく咆哮をぶつけ合う。
巨獣の一方は、襤褸の様に傷ついた、森龍フォレストドレイク。
もう一方は、白の被毛を返り血に赤く染めながらも、尚もその美しさを損なわない白猫の神獣、マリーだ。
マリーは、森龍を圧倒していた。
森を縦横無尽に跳ね回り、その強靭な鉤爪で森龍の分厚い深緑の鱗を引き裂いていくのだ。
森龍はマリーの素早く、立体的な動きを捉えられず、マリーの成すがままにされている。
いや、よく見るとマリーの挙動がおかしい。
あれは、縦横無尽なんて生易しいものではない。
私は目を凝らして、マリーの挙動を観察する。
するとマリーの姿が、私が凝視する目の前で、ふと掻き消えたかと思うと、次の瞬間には森龍の頭上へと現れたのだ。
マリーは宙空に現れるのと同時に、強靭な鉤爪を森龍の頭を目掛けて振り下ろす。
マリーの強烈な鉤爪の一撃は、森龍の捻れた角の片方を叩き折り、その顔を抉った。
「ギィガアアァァーーッ!」
森龍が悲鳴を上げながらも、残る一方の角でマリーを突き上げようとする。
しかし次の瞬間には、マリーの姿は再び掻き消え、直後森龍の側面に現れたかと思うと、森龍のその横腹を激しく叩いた。
「……あれは、……テレポートッ?!」
私は、マリーのその挙動に慄く。
マリーは私が上げた驚愕の声に気付き、タンと軽く大地を蹴って、大きな身体で軽やかに跳躍し、私の隣へと並んだ。
私はマリーに言葉を投げかける。
「凄いね、マリー! 今の何? 瞬間移動してたじゃない!」
「ニャミャー」
マリーはふふんと鼻を鳴らして、胸を張った。
マリーといい、ベルといい、ウチの猫達は本当に凄い。私は鼻を高くした。
私は、マリーに話し掛ける。
「ねぇ、マリー。こいつとの、……森龍との決着は私に着けさせて」
「……ミャ?」
マリーが「大丈夫なの?」と言った風に、私に鳴き返す。
私はそんなマリーに応えて言った。
「……大丈夫よ、マリー。何だか、私には分かるの。この強大な龍の魔物は、もう、私に敵いやしないって」
「グルルゥゥ……ッ」
「……」
私は猫耳をピンと立て、白銀の髪を風に靡かせて、凪いだ静かな視線で森龍と相対する。
対する森龍は荒い息を吐き、片方だけが残った捻れた角を向けて、唸りながら私を睨む。
森龍の身体を覆う自慢の鱗は、白の神獣マリーに散々に引き裂かれて、最早当初の威厳は見る影もない。
「……」
私は何ら言葉を発する事なく、森龍を見据える。
数拍の後、森龍が圧倒的重量を備えた龍の尾を、ゆっくりと重々しげに、天高く振り上げた。
そして刹那、森龍は、大地すら揺るがす程の破壊の力に満ちたその尾を、地面を這う様に弧を描かせ、私に向けて振り抜いた。
私はその龍の尾を、詰まらないものでも見るかの様に、チラと流し見た。
「……ふん」
私の右側方から、龍の尾が轟と唸りを上げて迫り来る。
ドカン、と龍の尾が、激しい音を立てて私に叩きつけられた。しかし私は、右手を伸ばし、片腕一本で龍のその尾の強烈な一撃を受け止める。
私に叩きつけられた重厚な龍の尾は、だがしかし私の体幹を揺らす事は、微塵も叶わなかったのだ。
微動だにせず、龍の尾の強烈な一撃を受け止めた私に、森龍が動揺した様子をみせる。
「……覚悟しなさい」
私は森龍に告げ、大きく膨れ上がった右手の鉤爪で龍の尾を掴む。
私の鉤爪が頑丈な龍の鱗を穿ち、その身に食い込む。
「グルゥオァ!」
森龍が、尾を掴まれ、穿たれる痛みに声を上げた。
「……ッ、ふんッ!」
私は龍の尾を掴んだまま、森龍のその巨体を振り回した。私は小さな身体で、大きな森龍の身体を振り回し続ける。
「さあ、覚悟はいいかしら?」
私は森龍を振り回したまま、そう言葉を投げかける。そして次の瞬間には、野球の投手が大きく振りかぶってボールを投げる様なフォームで、森龍を激しく大地に叩きつけた。
「ギイィギャァアアーーッ!」
激しい衝突音が、地鳴りのように大地を震わせる。
森龍が天地を揺るがす様なその衝撃に、悲鳴の声を上げる。
私はそんな森龍に御構い無しに、何度も森龍を振り回し、何度も大地に叩きつけた。
森龍がマチェテにした様に、何度も何度も。
龍の尾の、私の鉤爪に掴まれた箇所が、あまりの衝撃に耐えきれず千切れ飛んだ。
それとともに森龍は悲鳴を上げて、宙を真っ直ぐに飛んでいく。
森龍の巨体は、大地を跳ね、巨木を薙ぎ倒しながらようやく止まった。
森龍は、私から離れた場所で、フラフラになった身体を起こし、私を睨み付ける。
荒い息を吐き、その口から凶悪な牙を覗かせ、私を見据える。
森龍の口に、大気が収縮していく。
圧縮された魔力が大きな渦を巻き、凝縮されていく。これは、森龍最大最強の攻撃、大咆哮の前兆だ。
私は、森龍に集まるその破壊の力を見遣りながら、告げる。
「……いいわよ。来なさい」
勝負だ。
ここで勝負を決める。
私は森龍の全力の咆哮を受け止め、その上で森龍を圧倒し、屠り去る!
森龍に、破壊のチカラが漲ってゆく。
対する私は、腰を落とし、大地に手を付け、クラウチングスタート宛らの構えで、森龍の咆哮を待ち受ける。
森龍と私の戦いに終止符を打つ、その攻撃は……
……体当たりだ!
森龍の口から、凶悪な破壊の力が暴風となって、私に向けて放たれた。
ーー大咆哮!
それと同時に私は、影すらも置き去りにするかの様な脅威的な速度で、力強く大地を蹴り、森龍に向けて飛び出す。
私は破壊の暴風をこの身に浴びながらも、尚も真っ直ぐ森龍に向かって突き進む!
ドカン! と激しい衝撃音が大森林に轟いた。
濛々と沸き立つ砂埃が辺りの視界を奪い去る。
大地が、その破壊の力のぶつかり合いに根を上げ、地響きとなって震えている。
……
大地がその震えを収めていく。
辺り一面を覆っていた砂埃が晴れゆく。
そして、砂埃が晴れた時、そこにあったものはーー
白銀に棚引く髪を風に揺らす私と、残る片方の角すら叩き折られ、頭蓋を大きく陥没させ絶命した、龍の姿であった。