22 魔物暴走
「男衆よ、早急に防護柵を修復せい!」
猫族族長のライナロックが集落の男たちの陣頭指揮を執る。
「女のひとは怪我人の救護と、炊き出しの準備よッ!」
女衆をまとめる役目は私に割り振られた。
魔物暴走の第一陣を凌いだ猫族の集落では、次の魔物の襲来に備えて全員が慌ただしく走り回っていた。
私は人の波を縫って族長に近づく。
「やっぱり……これで終わり、ということはないんでしょうか?」
「……終わらんじゃろうな。むしろここからが本番じゃろうて」
魔物暴走は大森林の奥に棲まう凶悪な魔物がその力を増すことで起こる。
凶暴性を増した奥の魔物に追われた他の魔物が、さらに他の魔物を追い、それが連鎖して最後には大暴走となるのだ。
第一波を凌いでも、奥から奥から徐々により凶悪な魔物が津波のごとく押し寄せる。
それが魔物暴走の真の恐ろしさである。
「そうですね……はぁ」
深くため息を吐いた。
けれどもすぐに頬をパンパンと張って気合いを入れ直す。
「じゃあ暴走が治まりきるまで頑張りましょう! この集落はククリやねこちゃんたちの帰る場所なんだから、しっかりと守り通さなきゃね!」
「うむッ、その意気じゃマチェテ! カカカッ!」
私たちは空元気を振り絞って無理に笑いあった。
――ワオーンッ!
……魔物の吠える声が耳に届く。
いまの遠吠えは戦狼の声だろうか。
遠くに土煙が舞っているのがうっすらと見え始めた。
大地が細かく振動しはじめ、次第にその震えを大きくしていく。
時を置かずに震えは大きな地鳴りに代わり、ドドドと体の芯を振るわす重低音となって猫族の集落に向かってくる。
猫族の集落は、あれから既に何度かの魔物暴走を凌いできた。
そして今日もまた、――戦いが始まる。
「皆の者ッ、戦の準備をせい! 女子どもは避難所に入るのじゃ! 間も無く魔物どもが押し寄せて来よるぞッ!」
ライナロックが背に大剣を担いで前に立つ。
そのすぐ隣に鉢巻きを巻いて、戦装束に着替えた私が並ぶ。
私は腰に引っ提げた二本の剣鉈を引き抜き、戦士たちの輪に向かって高々と声を上げる。
「きょうもお出でなすったわよ! ほんと、呼ばれてもいないのに迷惑なお客様よねッ!」
集落の戦士たちから笑い声がこぼれる。
見た目はみんな満身創痍ながらも、まだまだ力を失っていない明るい声だ。
「たっぷりおもてなしをして、さっさと帰ってもらいましょう! 猫族は魔物なんかに負けないんだからッ!」
右手の剣鉈を天高く掲げて声を張り上げる。
「さあッ、災いを跳ね除けるわよッ!」
「おおおおおおーー!!」
雄叫びがあがった。
もう魔物の群れは目前まで迫ってきている。
集落を守るための戦いの再開だ!
其処彼処で魔物の咆哮と戦士たちの怒号が交差しあう。
襲い来る牙と振るわれた剣がぶつかりあい、硬質な音を立てる。
……ズル……ズル
そんななか、私の耳がひっそりと潜むように異質な音を捉えた。
(――ッ、何の音ッ!?)
飛び掛かってくる魔物を二本の剣鉈で次々と屠りながら耳を澄ます。
すると次第にはっきりと聞こえてきたのは何者かが地面を這いずる音だ。
シュル、シュル、シュル――
音の質が変わった。
この音は、――――蛇かッ!?
気付くのと同時に、巨大な蛇が大口を開けて襲いかかってきた。
「――ッ、チッ!」
上体を後ろに大きくスウェーして、体勢を崩しながらも間一髪で攻撃を躱す。
「キシャアアアアッ!」
奇襲に失敗した蛇は忌々しげに威嚇音を発しながら、黒くざらついた巨体をノソッと現した。
蛇はその大きな口から赤い舌をチロチロと出し、ギラリと光る双眸で私を睨み付けてくる。
「……ちょっとぉ。……私ってば、蛇は苦手なのよねぇ」
緊張の面持ちを浮かべ、冷や汗を流しながらも軽口を叩く。
目の前のこの黒く凶悪な大蛇は山大蛇。
森の奥深くに棲まう、討伐等級A級の化け物だ。
「……って、なんだか大きくないかしら?」
なんてことだ。
元から大きなヤマハミのなかでも、この個体は最大級の大物なのだろう。
目を見張る程に大きい。
――強敵だ。
気をを引き締める。
出し惜しみをしている場合じゃない。
そう判断して即座に奥の手を行使する。
「――上天に鎮座せし雷公、虚妄の世に出でまし、吾れ、これを纏わん――」
意識を集中し、魔法を発動した。
「――雷纏ッ!!」
雷属性の特級魔法、電纏。
固有スキル『疾風迅雷』から派生した私だけのオリジナル魔法だ。
この魔法は私の取って置きだ。
消耗は激しいけれども効果は飛び抜けて高い。
私をA級冒険者たらしめ、雷猫の二つ名を戴くに至る理由となった魔法――それがこの雷纏だ。
雷纏を発動させた私は、激しい稲妻を身に纏っていく。
ビリビリと明滅する雷が全身を包み込むのに伴い、ステータスが大幅に上昇していく。
固有名:マチェテ
種族名:猫族
レベル:37
状態:雷纏
体力:582/829 魔力:449/656
物攻:369→664(雷199) 物防:284
魔攻:301→541 魔防:243
敏捷:508→1016 技術:516
スキル:剣鉈Lv5 両手鉈Lv5 格闘Lv7 雷魔法Lv3
固有スキル:猫語 疾風迅雷
物攻上昇+魔攻上昇+敏捷倍化+全物理攻撃に雷ダメージ付与。
ただし発動中は魔力が常時減少していく。
それが雷纏の効果。
いまの私は触れる者すべてを焼き尽くす雷火だ。
少し離れた場所まで蛇を引っ張っていこう。
さすがにこんな化け物を、避難所がほど近いこのような場所で暴れさせる訳にはいかない。
「いくわよ……覚悟なさいッ」
迅雷と化した私は二本の剣鉈を握りしめ、蛇の魔物を目掛けて飛び出した。
「ッ、このッ!」
迫り来る大蛇の牙を身体を無理矢理捻って躱す。
けれども蛇は直ぐさまその長大な尾を硬直している私に向けて打ち付けてくる。
「――躱せない! それならッ!」
蛇の尾を肘打ちで迎撃した。
分厚いゴムを叩くような感触が肘に伝わってくる。
打撃による攻撃はダメージソースになり得ていないが、この身に纏う雷が代わりに蛇の身体を焼いていく。
「ギジャアアアーーッ!」
苦しげな悲鳴があがった。
だがヤマハミは雷火にその身を焦がされながらも、私を打ち付けた重たい尾を振り抜いた。
「あぅっ!」
吹き飛ばされた私は激しく大地に打ち付けられ、ボールのように地面をバウンドして転がる。
「……ゴフッ、ゲホッ」
全身がバラバラになるかの衝撃にたまらず咳き込んだ。
肺の空気が足りなくなる。
もうこの身体は満身創痍。
けれどもそれは蛇とて同じこと。
ギラリと細い目を光らせるこの化け物も、私の熾烈な攻撃を受けて最早死に体となっているのだ。
感電した大蛇はいまが追撃のチャンスというのに私に襲いかかって来れないでいる。
「負け……ないわよ……」
大地を踏みしめて立ち上がり二本の剣鉈を構えた。
足元がふらつく。
もうあまり力も残っていない。
(次で、――決める!)
大きく息を吸い込んでから、大地を這うように飛び出した。
稲妻を纏った私は姿勢を低くして、裂帛の気合いと共に下方から蛇に斬り掛かる。
感電から回復した蛇が私を迎撃すべく、頭上から大口を開けて迫り来る。
変幻自在な蛇の挙動はその巨体からは想像もつかない程に俊敏だ。
けれども迅雷を纏い、敏捷が大きく上昇した私のほうがずっと速い!
私は蛇の顎下に潜り込んで身体を飛び起こし、地面から掬い上げるようにして顎を剣鉈で打ち上げた。
回転しながら一撃ッ、二撃ッ、三撃――!!
連撃は止まらない。
螺旋を描くように蛇の頭を天高く跳ね上げていくその連撃は、まるで流麗な剣舞さながらだ。
尚も舞うように身体を回転させながら、二本の剣鉈で蛇の顎を打ち上げ続ける。
四撃ッ、五撃ッ、六撃ッ、七撃――!!
「ギシャア゛アアアアアアアーーーーッ!!」
ヤマハミが絶叫した。
何度も顎を切り裂かれ側頭部を雷に焼かれて、あらん限りの力で悲鳴を上げる。
「これでッ、最後よッ!!」
完全に打ち上がった蛇の頭部を掴んで空高く舞い上がり、上空から大地に向けて強烈な浴びせ蹴りを放った。
大きく開いた蛇の口を、今度は頭上からの攻撃で無理やり閉じさせる。
「死ねッ!!」
大きく剣鉈を振りかぶって落下の勢いそのままに、グシャッと蛇の頭部を地に押し潰した。
剣鉈で頭を貫通するように大地に縫い付けられた蛇は、断末魔の叫びを上げることすら許されずに絶命した。
「……はぁ、……ッ、はぁッ」
力をこめて立ち上げるも、震える脚は体の重みに耐えきれず地に膝をついてしまう。
雷纏の効果が途切れ、全身を纏う迅雷が薄れて消えていく。
「い、一丁……あがりよ!」
気合いを入れ直して立ち上がり、蛇の頭部を地に縫い付ける剣鉈を引き抜いた。
近くに他の魔物はいないか。
ここは集落からは少し離れた場所だ。
激戦区と化している集落のど真ん中よりは魔物の数は少ない。
(いけない、気を緩めちゃダメ)
死闘を制した直後こそ気を引き締めなければいけない。
注意深くあたりを探る。
(……魔物、……魔物は。…………ん?)
おかしい。
辺りに魔物が一匹も見当たらない。
たしかにここは激戦区ではない。
けれどもまったく魔物がいないとは……
魔物暴走の最中にあって、まるでここだけが安全な空白地帯のようだ。
疑問に首を捻りかけたとき――
――――ドシンッ!!
重厚感のある地鳴りのような足音が、身体の芯を響かせた。
――――メキ、メキメキ!
次いで少し離れた場所で巨木がへし折れた。
どんな嵐だってへし折ることは敵わないほどの巨大な樹木が、その幹ごとへし折れたのだ。
(――ッ!? な、なんなのッ!?)
森を拓きながら進行路上のすべてを押し退けて、恐ろしい何者かが近づいてくる。
辺り一面の空気が張り詰め、ビリビリとした緊張感が増していく。
「な、なにッ!? 一体何が近づいてきているのッ!?」
思わず悲鳴のように声を上げてしまった。
さっきから威圧感すら伴う空気が、私の肌をピリピリと刺激し続けているのだ。
「グウゥルギュオオオオオオアアアアッッ!!!!」
(――っ痛ゥッ!?)
突然の咆哮が鼓膜を打った。
耳朶に痛みすら引き起こすほどの大咆哮――
そして遂に魔物が森をかき分け、その姿を眼前に現した。
「……ぁ、……ぁあ」
私は茫然とした顔で、馬鹿みたいにその魔物を見上げる。
思わず握った剣鉈を取り落としそうになる。
「フゥシュルウウウ……グルウウウウウ…………」
尖った岩と見紛うばかりの巨大な牙を剥き出しにし、獰猛な蜥蜴の瞳で私を見下ろす。
天高く聳え立つ荒々しい二本の角が、私を威圧する。
山大蛇との激闘を制した末に現れたその化け物。
新たに姿を見せたその魔物は、山のような巨体にはち切れんばかりの筋肉と重厚な鱗を備えた怪物。
果てなく広がる大森林の魔物のなかにあって、最凶最悪と謳われる化け物の一角。
討伐等級S級――森龍、フォレストドレイク。
まさに正真正銘の悪夢であった。
「……あ、あはは……これは……ちょっと……」
手に負えないかもしれない。
冷や汗が背筋を流れて止まらない。
こんな化け物がなぜ現れるのだろう。
弱気が脳裏を掠めた。
(――――でもッ……)
でも私は、絶対に退かない!
私の脳裏に撤退の二文字が浮かぶことは、絶対にない!
私は戦士――集落を守る戦士マチェテなのだ!
「グガゥグルオオオオオオオアアッッッッ!!!!」
再び森龍が咆哮を叩きつけてきた。
けれども私はその咆哮を真っ向から受け止めて、目の前の龍を睨み返す。
「……いくわよ――覚悟しなさいッ!!」
決意を新たに、力強く一歩を踏み出す。
「おおおおおおおああああああーーーーーッッ!!!!」
気合いの咆哮を上げ、二本の剣鉈をきつく握りしめて、私は龍の魔物に挑み掛かった。