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02 転移

 ――森での出来事より、時間は遡る。


 わたしはねこ。

 猫ではない。

 ネコでもない。

 平仮名で『ねこ』。

 それがわたしの名前だ。


 何処にでも居るような、普通の女子高校生。

 背丈は同年代の女の子と比べて、特に大きくもなく小さくもなく。

 艶めく黒髪を肩口で切り揃えている。

 それがわたし。


 わたし自身は容姿にはあまり頓着しない(たち)なのだけど、きっと他人にわたしの見た目を評価させれば十人並みだという応えが返ってくるのだろう。

 身体つきはスレンダーと言えば聞こえはいいけど、まぁアレだ。

 見方を変えれば凹凸(おうとつ)がないとも言える。


 そんなわたしは日本のとある一都市に住んでいる。

 東京ではない。

 駅前なんかは結構拓けていてある程度都会だと思うんだけど、昼間は周辺の大都市に勤め人の多くが出払ってしまって閑散とするベッドタウン。

 そんなよくある衛星都市の、小さな庭付き戸建て住宅で、わたしは祖父に育てられた。

 幼い頃に両親を亡くしたわたしは、ずっと祖父と二人暮らしだったのだ。


 物心ついて間もない頃は、よくこの『ねこ』という変な名前のせいで同年代の男の子たちにからかわれた。


「おい、ねこ! 吾輩はねこですかぁ? あはは!」

「ほぉら、ねこちゃん、キャットフードですよー!」


 なんて感じ。

 ほんっと腹立たしい。


 でも当のわたしは小さい頃から割と太々(ふてぶて)しい性格だったから、からかわれたからといって泣き出したりはしなかった。

 逆にからかってくる男子を「こらー、まてー!」って追いかけ回してやったくらいだ。


 でもやっぱりからかわれるのはイヤなわけで、わたしは小さい頃は『ねこ』というこの名前が嫌いだった。

 だから正直、動物の猫のことも、よく知らないしあんまり好きじゃなかった。


 そんなわたしが猫だいすき人間――いわゆる『猫ぐるい』になったのは、何年か前。

 うちの庭に、痩せ細った仔猫たちを見つけてからのこと。




 わたしはまだ中学生だった頃のある日、庭で三匹の仔猫を拾った。


 三匹の仔猫は、一匹が白い仔猫。

 もう一匹は黒い仔猫。

 最後の一匹は、きらきら輝くきれいな被毛の白銀の仔猫だった。


(うあッ!? な、なんてかわいいんだろ……)


 わたしはその猫たちを見つけたときそう思った。

 猫嫌いだったにも関わらず。


 でもそれはワクワクするだけの出会いじゃなかった。

 仔猫たちのそばで、母猫が衰弱して亡くなっていたのだ。


 仔猫たちは、母猫から離れなかった。

 母猫の死んで濁った瞳をみたとき、わたしは胸に訴えられるものを感じた。

 きっとそれは母猫の想いだったのだと思う。


 この子たちを、どうか――と。


 わたしはこの三匹の仔猫たちをうちで育てることに決めた。

 そうしてわたしは、鳴いて縋る仔猫たちを母猫から引き剥がし、母猫を丁重に弔った。




 まず最初にわたしは、仔猫を飼うにあたって色々と調べることにした。

 差し当たり両親を亡くしてからわたしを引き取って育ててくれた祖父に、猫を飼った経験があるか聞いてみた。


「ね、じいちゃんってさ、猫飼ったことある?」


 祖父はわたしに教えてくれた。


「死んだばあさんが飼っておったのぉ。まぁあれじゃよ、外を自由に散歩させて、猫まんまでもたらふく食わせておけば、元気に育ちよるよ」


 流石はわたしの祖父、物知りである。

 これは頼りになると思った。

 そのまま話の流れで、わたしは祖父に猫を飼うことにしたことを伝えた。

 そうすると祖父は――


「なんじゃねこ。ねこが猫を飼うんか? カカカ」


 なんて楽しそうに下あごの髭をさすりながら、猫を飼うことを許してくれた。

 なんだか完全に事後承諾でちょっと申し訳ない。

 ごめんね、じいちゃん。


 祖父はわたしに動物病院の診療代や初期のエサ代などを持たせてくれた。

 なんだかんだで祖父はわたしにとても甘い。


 でもこれから掛かる諸費用は、毎月のお小遣いでやり繰りしなさいとも言われた。

 前言撤回だ。

 やっぱり祖父はわたしに甘いだけじゃない。


 わたしは祖父から貰ったお金で、猫飼育の為のハウツー本を購入した。

 そこには『猫ちゃんは完全室内飼いがオススメ! ご飯は専用のドライフードを!』と書かれていた。

 じいちゃんめ……なにが外を自由に散歩でねこまんまだ。




 わたしは仔猫たちに名前をつけた。


 蒼い瞳の白い仔猫には、マリー。

 朱い瞳の黒い仔猫には、ベル。

 黄金色(こがねいろ)の瞳に白銀の被毛をもつ美しい仔猫には、シールという名を授けた。


 ちなみに上から順にメス、メス、オスだ。


 仔猫たちは弱っていた。

 母猫から、お乳をあまり貰えなかったのだろうか。

 どの子もとても小さく、儚く見えた。


 わたしは献身的に仔猫たちの世話をした。

 獣医さんにも何度も診てもらったし、たくさん手を尽くしてもらった。


 けれども手当ての甲斐無く、半年後に白銀の仔猫、シールがあの世へと旅立った。

 日に日に衰弱していくシールの命を、わたしはこの世に繋ぎ止めることが出来なかったのだ。


「シール、シールゥ……うぇ、うぇええ……」


 わたしは泣いた。

 涙が枯れ果ててしまうんじゃないかと思うほど泣いた。

 年の割にこまっしゃくれて生意気だったわたしは、小さな頃からあまり泣いたりしたことなんてなかったのだけれど、この時ばかりは声を上げてわんわん泣いた。

 いつまでも、いつまでも、泣き続けた。


 わたしがシールの亡骸を胸に抱いて止め処なく泣いていると、不意にわたしのなかに何かが流れ込んでくる感覚があった。


 それは哀しみに暮れるわたしを癒すような、熱く、とても優しいものだった。

 わたしはそれがシールの想いだったらいいな、と心から思った。




 時は過ぎ、白い仔猫マリーと黒い仔猫ベルは、一時期の衰弱を脱しスクスクと育った。


 育ち盛りの仔猫というものはヤンチャなもので、わたしはこの二匹には随分と手を焼かされた。

 なにせ、ひとが寝静まる夜中に走り回る。

 コードは噛み切る。

 壁紙で爪は研ぐ、とほんとに色々大変なのだ。


「こ、こらー! 電気コードは噛んじゃだめー! あぶないでしょー!」


 わたしは猫たちのコードを噛み切る癖だけはなんとか直させたけれど、他のことはもう半ば諦めた。


 そういう風に猫の子育ては大変ではあったけど、この頃からわたしはよく笑うようになったと思う。


 なにせ可愛いのだ、マリーとベルは。

 とても可愛いのだ。


 行ってらっしゃいと、お帰りなさいの送り迎え。

 ウンチをした後の、ハイテンションダッシュ。

 イタズラを見つかった時の、焦った表情。


 暑い夏はひっくり返って蛙の様なポーズで寝ていたり、寒い冬は布団に潜り込んできて、猫湯たんぽ。

 おコタで煎餅もみんなで一緒だ。


 出会ってから、二年と少し。

 わたしにはマリーとベルは、無くてはならない存在になっていた。


 そしてわたしはいつしか、何処に出されても恥ずかしくない立派な猫ぐるいに成り果て、嫌いだったはずの『ねこ』という自分の名前が、むしろとっても好きになっていた。




 マリーとベルは不思議な猫だった。


 何というか、二匹はどう考えてもそこいらの猫より頭がいいのだ。

 わたしは自他ともに認める猫ぐるいで親バカだけど、きっとこれは贔屓目ではない。

 おそらくうちの猫たちは、人の言葉を理解してすらいるんだと思う。


「今日はお小遣いの日だから、マリーとベルにもご馳走よ、高級猫缶ね!」


 こんな風にいうと、二匹は目を輝かせてヒャッホーイと喜びながら、しまっておいた猫缶を自ら咥えて持ってくる。

 逆に「きょうはお風呂の日だよー」なんて言おうものなら、お風呂場に先回りして猫シャンプーを隠してしまう。

 やっぱりきっと人の言葉を理解しているんだ。


 さらにもひとつエピソードを付け加えると、完全室内飼いの我が家の筈が、マリーとベルはいつの間にか外に遊びに出ていて、その外出方法が凄いのだ。


 ある日、二匹がどうやって外に出ているのかを不審に思ったわたしは隠れて様子を見ることにした。

 すると――


「……んな、……ばかな」


 わたしが隠れて見守る前で、二匹の猫はお互いに協力してドアチェーンを外し、さらには鍵まで回してから、扉を開いて普通に玄関から外に出て行った。

 流石にアレには、わたしも唖然とした。


 という具合にちょっと不思議な猫たちではあるけれど、そこはもう、完全にマリーとベルにメロメロなわたしである。

 そのような不可思議さなど、些細なことだった。

 幸せだったのだ。

 とても。




 祖父とわたしとマリーとベル。

 二人と二匹のそんな幸せな日々は、だがそう長くは続かなかった。

 わたしが高校二年生への進級を間近に控えたある日、……祖父が帰らぬ人となったのだ。


 祖父は普段から長湯だった。


「ふぃー極楽、極楽。……あー、死ぬんじゃったら風呂に浸かりながら死にたいのう」


 そんな風によく(うそぶ)いていた祖父なのだけど、それが現実になった。


 第一発見者は、もちろんわたしだ。

 いつもより長湯をしている祖父の様子を見に行ったら、湯船で既に祖父は息を引き取ったあとだった。


「も、もしもし……じいちゃんが、じいちゃ……うちのじいちゃんがッ、うえ、うぇええ……」


 わたしは脚をガクガク震わせながら、なんとか119番をした。

 でもそれ以外のことはもうよく覚えていない。

 ただお風呂好きだったじいちゃんの、なんとも幸せそうな死に顔だけは、今でもちゃんと覚えている。


 祖父亡きあと、わたしは叔母に引き取られることになった。


「もう何日もしないうちに一年の修了式でしょ? それまではいまのままおじいさんの家で暮らして、修了式がおわったらうちに引っ越してきなさい」


 叔母にはそう言われた。

 ただしマリーとベルは引き取れない、とも言われた。


 わたしは叔母に「それなら猫と一緒に、このままこの家で暮らしたい」と訴えたのだけれど、祖父と暮らしたこの家は近いうちに処分するから、それは出来ないと言われた。




 わたしはひとりになった家で、ぼんやりと虚空(こくう)を見つめながら無言だった。


 いつまでそうしていただろう。

 気付けばマリーとベルが、わたしの目の前にちょこんと座っていた。

 わたしは二匹に話しかけた。


「ねえ、これからどうしよう? もうね……この家にいちゃいけないんだって」


 二匹からの応えはない。


「ねえ、わたしの話わかるでしょ? マリーとベルとも、離れ離れになっちゃうんだって」


 猫たちは応えない。


「……ねえ、どこか違う世界で、わたしとマリーとベルでずっと一緒に暮らしていけたらいいのにね」


 もうこの世界には、両親も、わたしと猫たちを可愛がってくれた祖父もいない。

 このうえマリーとベルとまで引き離されては、わたしは生きていけない。


 どこか、どこか別の世界で――


 二匹の猫たちは応えず、けれどもその円らな瞳をひと時も離さずに、わたしのことをじっと見つめ続けていた。


 わたしに何かを語りかけるように。

 わたしに二匹とずっと離れない覚悟が、本当にあるのかを問いかけるように。


「……ニャー」

「……ンナァ」


 マリーとベルが鳴いた。


「…………うん」


 わたしは確かな意思をもって、二匹の猫に頷き返した。




 そしてその瞬間、わたしの世界は暗転した――

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