18 続・集落の日常
「こんにちは、族長さん」
「おや、ねこ様。こんにちは」
集落を散歩していたわたしは、前を歩くライナロックを見つけて挨拶を交わす。
「もう動き回っても大丈夫なんですか?」
「もう大丈夫じゃよ。ほれ、この通りピンピンしとるじゃろう?」
猫族族長のライナロックが腕まくりをして力こぶを作った。
盛り上がった二の腕の筋肉は歳を感じさせないほどにガチガチだ。
相変わらずゴツいお爺ちゃんである。
「今日も快調じゃて! カカカッ」
「もう族長さんったら。でもひどい怪我だったんだから、もう暫く安静にしていたほうがいいと思うんだけど……」
先日の戦いで魔物の刃に身体を貫かれたのだ。
いくらもう傷は塞がっているとはいえ、その光景を知っている身としてはどうしても心配になってしまう。
「なぁに……」
表情を曇らせるわたしにライナロックが近寄ってきた。
おっきくてしわくちゃな両手を伸ばして、わたしの両脇を徐ろに抱える。
「ッ、キャッ!?」
ライナロックは笑顔のままで、グイッとわたしを持ち上げた。
軽やかにその場でクルクルと回り始める。
「ちょッ、ちょっと族長さんッ!?」
「ほぅれ、ねこ様! これでもまだ心配かいのーう」
「ちょっと! やめてッ、やめて族長さんってば! あははははッ」
「カカカカカッ」
なんだか少し楽しくなってきた。
童心にかえって笑い合う。
一頻りグルグルと回ったあと、ライナロックはわたしの身体を地に降ろした。
「ほらの? 大丈夫じゃったろう?」
「ふふふ、そうですね。すっごい元気。……お年寄りとは思えないくらい」
『お年寄り』を強調して意地の悪い顔をする。
「なんのなんの。歳をとるのも悪いことばかりでは無いぞい」
大きな手のひらがポフッとわたしの頭に置かれた。
「歳をとるとのう。このようにして可愛い孫が増えることもあるんじゃて」
ライナロックはニカッとした快活な笑顔で、そのまま頭をワシャワシャと撫ぜた。
「で、族長さんは何処に向かっているんですか?」
ライナロックの隣に並んで歩く。
時刻は正午過ぎ。
ポカポカとした陽気が集落を包み込んでいる。
「なぁに。ちょっとした打ち合わせじゃよ」
「打ち合わせ?」
「うむ、ねこ様には伝えておこうか。……実はのう、もう一度、森に調査隊を出そうと思うておる」
「……調査隊」
たしかわたしがククリと出会ったのが――
全滅した先の調査隊の最期を思い浮かべて、難しい顔になってしまう。
「……大丈夫なんですか?」
森の奥には危険な魔物がいっぱいだ。
特にここのところ大森林で、凶悪な魔物の活動が活発化しているとの話もある。
「危険はあろうが、……それでも、調査隊は出すべきじゃろうて。このところの森は異常なんじゃよ。集落付近のような森の浅い辺りでも、凶悪な魔物の目撃が相次いできておる」
「でも……」
「それに先日の魔物の襲来の件もあるしのう」
「…………そうですね」
わたしは先日集落を襲った甲虫の魔物、ライノクレスを思い返しながら頷いた。
あれは恐ろしい怪物だった。
あの甲虫との戦いのあと、ライナロックは丸数日ものあいだ目を覚まさなかった。
魔物の凶刃に貫かれた身体の傷は、すでにベルの癒しの力によって塞がれていた。
けれどもその後もライナロックは意識が戻らなかったのだ。
狩りから帰って来たマチェテは、床に横たえられたライナロックの状態や荒らされた集落の様子に大いに狼狽えていた。
『ね、ねこちゃんッ、大丈夫なの!? 私が集落を離れているときに魔物が襲ってくるなんて! あぁ、なんてこと!! 怪我はない!? ククリは、……ククリはどこッ!?』
大慌てである。
けれどもライナロックはそんなわたしたちの心配をよそに、数日後には何ごともなかったかのように目を覚ました。
急にムックリと上体を起こしたかと思うとゆっくり伸びをして、「あーよく寝たのう」なんて宣ったのだ。
わたしはそんなライナロックの様子に心の底から安堵した。
(けど、調査隊かぁ……)
やっぱり危険なんじゃないのかな?
何度も森で危ない目にあってきた身としては、どうしても心配になってしまう。
集落の人たちにはそんな目に遭って欲しくない。
どうしても調査隊を出すというのなら、わたしも同行しようかな?
思案するわたしの頭に、ライナロックがポフンと手をのせた。
「なぁに、ねこ様。そう心配めされるな」
「でも、わたしも一緒に――」
「今度はギルドから護衛の冒険者も雇い寄せておる。さきの調査隊のようにはならんよ」
「冒険者?」
(冒険者というと……)
まっさきに頭に浮かんだのはアリエルだ。
氷の女騎士アリエル。
「うむ。腕利きの者らをもう集落に何人か招いておる。これから向かう先で、其奴らと今後の調査についての打ち合わせ、という訳じゃ」
「ああ、そういうことだったですか」
腕利きの冒険者。
あの高潔で鮮烈な女騎士の背中を思い浮かべる。
(……うん。なら大丈夫なのかな)
小さく息を吐いた。
それならきっと前のような惨事は起こらないだろう。
「それじゃあしばらく忙しくなりそうですね」
「そうじゃの。最近なにやら森がキナ臭いでな。集落のほうでも避難所の増設やら防護柵の設置やら、他にもやるべきことが山盛りじゃよ」
ライナロックは肩をトントンと叩きながら嘆息した。
「邪魔しちゃ悪いからわたしは退散しますね。なにか手伝えることがあったら遠慮なく言って下さい」
「うむ、かたじけない。それではの」
ライナロックが歩き去っていく。
わたしは小さくなるその背中を見送る。
「……ふーん。族長さんってば、しばらく屋敷に居ないんだぁ」
立ち去るライナロックの背中を見送りながら、わたしはニヤリと微笑んだ。
「ククリ、早く早くッ」
「……ん。ちょっと待つ」
「早くしないと誰か来ちゃうよ」
「分かってる。でも、鍵のある場所が前と違う」
ククリがごそごそと棚を漁る。
ここは猫族族長ライナロックの屋敷だ。
今日も今日とて、わたしたちはライナロック不在の隙をついて屋敷に忍び込んでいる。
「ンナァ」
「ゴマニャ」
見張りをするわたしの足元で二匹の猫が鳴く。
マリーとベルとは道中で合流した。
わたしは先程ライナロックと別れたあと、足早にククリの元へと赴いた。
『ククリ、ちょっと話があるの』
『ん、どしたねこ様』
『……族長さんがね、しばらくお屋敷に不在なの』
ククリは無言で頷いて、わたしと共に即座に行動を開始した。
行き先は族長ライナロック宅――目標はまたもや集落の食料庫の鍵だ。
でも勘違いしないで欲しい。
今回の目的は前回と違ってお肉やチーズなどではない。
わたしたちの目的はもっと高尚なものなのだ。
第一お肉やチーズといった食材については、先日お縄になった事件から配給の量が増やされている。
マチェテ家のお食事事情は確実に改善されているのだ。
もうわたしたちは以前のような、腹ペコ欠食児童などではない。
だとするなら今回のわたしたちの目標は何か?
その答えは――――甘味だ。
(……うへへ、うへへへ)
極上の甘さを思い出して思わず頬が緩む。
いまの時期、食料庫には森で採取された『シシヅの花の蜜』が蓄えられている。
シシヅの蜜には若干の毒性があるのだけれど、ぬるま湯程度の温度で長時間蜜を温めることで毒性は融解し、余分な水分が抜ける。
こうして仕上がった濃度の高い蜜は、非常に滑らかで濃厚ながらしつこくなく、舌の上で蕩けるような極上の甘味となるのだ。
わたしたちのターゲットはその甘味、シシヅの蜜。
ゆえにお腹が減っていようが膨れていようが関係がない。
だって古来よりいうじゃないか。
甘いものは別腹なのだ。
「ほれ、こっちの部屋じゃよ」
見張りをするわたしの耳がピクリと動いた。
聞こえてきたのはライナロックの声だ。
(……もう帰ってきたの?)
早すぎる。
冒険者たちとの打ち合わせはどうした。
ドンドンと重い足音。
トントンと軽い足音。
二つの足音が廊下を薄く震わせながら近づいてくる。
(……ど、どうしよう……どうしたらッ)
足音はまっすぐこちらに向かってくる。
「……くッ」
しばしの葛藤――
「撤収ッ、撤収よ、ククリ」
苦渋の選択を強いられたわたしは、結局撤収することを選んだ。
「ん、……もう少し、だけ」
「だめよククリ。いますぐ撤収よ」
「……でも」
「いまは堪えるときよ。ここで見つかってしまえば、次のチャンスまで無くなってしまうものッ!」
「…………ねこさま」
ククリが潤んだ瞳でわたしを見上げた。
可愛らしいその表情に、つい猫ぐるいの本能がうずいてしまう。
思わず鼻先をククリの猫耳に近づけた。
(――はッ!?)
我に返る。
いまはこんなことをしている場合ではない。
「……離脱よ、ククリ」
尚も渋るククリを小脇に抱えて、その場からの離脱を試みる。
けれども時はすでに遅し。
足音はもうすぐそこまで迫ってきていた。
(だめッ、ここで離脱したら鉢合わせになっちゃう!)
部屋を見回す。
どこか身を隠せる場所はないか。
(あそこッ!)
部屋の隅にあった衣装箪笥――クローゼットのような箪笥のそのなかに、ククリを抱えたまま飛び込んだ。
隠れると同時に部屋のドアが開かれる。
「それで、どのようなご用件ですかしら、族長」
凪いだ湖面のように透き通った耳触りの良い声だ。
この声は、……マチェテか。
「なぁに、ちょっとした用なのじゃが――」
部屋に入って来たのはライナロックとマチェテのふたりだ。
(他にはもう、誰もいない?)
ククリの口を押さえつつ、箪笥の隙間から部屋の様子を伺う。
口を塞がれたククリは「んーんー」と唸っている。
マリーとベルは何食わぬ顔でしれっと部屋を出て行った。
どうやら部屋にいるのはこのふたりだけみたいだ。
(ふたり、か……)
どうにかしてやり過ごさないと…………ん?
(……えっと)
頭の片隅になにかが引っ掛かった。
(ふたり……ふたり……ふたりきり……)
密室に男女がふたりきり。
しかも女のほうは未亡人ではないか。
(――はッ!?)
気付いてしまった。
わたしはそこに思い至ってしまった。
つまりライナロックは――――『米屋』だ。
亡き祖父の教えが脳裏をよぎる。
『ねこや。よく覚えておくのじゃ。未亡人には身体が疼いて仕方のないときもある。その隙に付け込むのが……米屋よ』
(……おのれ、ライナロックッ)
許さんぞ。
わたしの猫耳聖女さまに手を出す不逞の輩は何人たりとて許しはしない。
しかもマチェテは未亡人だ。
その弱みに、独り寝の寂しさにつけこむなんて、なんたる外道かッ。
ギリギリと奥歯を噛みしめる。
よく考えれば別にマチェテは独り寝なんかしていないけれども、そんな細かいことはどうでもいい。
タンスの隙間からライナロックを睨み付ける。
――――グッ……
ククリを抱き寄せる腕に力がこもった。
わたしの手に口を塞がれたククリが両手で手を押しのけて、ぷはぁと息継ぎをする。
「いたい、ねこさま、いたい」
ハッと我に返った。
「ご、ごめんなさい、ククリ」
「……ねこさま、どしたの?」
「ちょっといま、不届き者に大切なものを奪われそうになっているの」
「大切なもの? よく分からない」
「いいの、ククリはいいの。なんでもないのよ? ククリは気にしないで」
首を振って誤魔化した。
こんな小さな少女に、これから起こるであろう母親の痴態を拝ませるわけにはいかない。
(…………仕方あるまい)
いざとなればわたしがライナロックを屠ろう。
覚悟を固めるわたしをよそにライナロックが口を開く。
「でじゃなマチェテ。今日お主を呼んだのは他でもない。フレムロックの奴の形見分けのためじゃ」
(…………ん?)
形見分け……なんの話だ?
傷心のマチェテを襲うのではないのか?
「……族長。でも形見の品なら、族長が持っていたほうが――」
「なに、あやつも自分の遺品はマチェテに渡して欲しいと望むじゃろうて。こんな老いぼれに後生大事に持たれるよりかはの」
「また族長はそんなことを言って。……でも、ありがとうございます」
うん、わたしは信じてたよ。
わたしは最初から、ライナロックのことを信じてた。
なにせともに死線を潜り抜けた戦友だ。
信じないわけがないよ。
ライナロックは机の引き出しや小物入れをガサゴソと漁っている。
マチェテに渡すという形見の品を探す。
「ううむ……たしかこの辺りに仕舞うておったと思うんじゃが」
なかなかお目当のものは見つからない様子だ。
ライナロックはここでもない、あそこでもないとぶつくさ呟きながら引き出しを開け、小物入れをひっくり返す。
「おかしいのう。メタルラビットの素材で作った珍しい腕輪での。おぬしやククリによう似合うと思うたのじゃが」
ライナロックが額に親指をあてて考える。
どこに仕舞ったか思い出そうとしている。
「そうじゃ、こちらの衣装箪笥かも知れぬ」
ポンと手のひらを拳で叩いて、わたしたちの隠れている箪笥のほうに向き直った。
(ッ、あわわ――)
やばい。
いま見つかるのはやばい。
この場にはマチェテもいる。
もしここで見つかってしまったら、マチェテの折檻が……怖ろしいあの折檻がッ!
あわわわ。
クローゼットのなかをキョロキョロと見回す。
「……ね、ねこ、さま」
見ればククリも小刻みに震えて、サーッとその顔を青ざめさせている。
わたしたちは抱き合い、ガタガタと震えた。
ライナロックがクローゼットの取っ手に手をかける。
万事休す。
ギュッと目をつむって死刑執行のときを待つ。
そのとき――
「おーい、族長ッ。族長はいるかー?」
集落の男がライナロックを探して部屋に入ってきた。
「どうかしたのかの?」
「ギルドの冒険者たちがな。やっぱりもう少し族長と話したいんだとよ」
ライナロックは取っ手から手を離して、部屋の入り口を振りかえる。
「なんじゃそれは。先ほどは向こうから早々に話を切り上げよったというに」
「なんでもよ、護衛中に魔物を撃退した場合の追加報酬について話してぇんだとさ」
ライナロックが顔を顰める。
「まったく業突く張りじゃのう。クエスト報酬だけでは満足せんのか」
「ほんとになぁ」
「しかし背に腹は変えられぬか。うーむ、なかなか足元をみよるのお」
ライナロックがマチェテに顔を向ける。
「そういう訳じゃから、すまんのマチェテ。形見の品は探しておいて、あとでお主に渡すとしよう」
「ええ、わかりました」
ライナロックと集落の男が部屋を出る。
マチェテもそのあとに続いた。
ふたたび部屋に静寂が戻る。
(た、助かったぁ……)
正直生きた心地がしなかった。
わたしとククリは這々の体でクローゼットから這い出る。
「ふぅ、危ないところだったわね……」
額の汗を拭う。
「ん、あやうく殺されるところ」
まったくだ。
見つかれば命はなかったかもしれない。
けれどももう危機は去ったのだ。
心のなかに幾ばくかの余裕が生まれ始める。
「けど形見の腕輪かぁ。族長さんも少しはいい所あるじゃないのッ」
「ん、褒めてやってもいい」
無駄に上から目線だ。
「メタルラビットの腕輪ねぇ……どんなんだろうね」
――――パキッ……
箪笥から這い出た拍子になにかを踏みつけた。
(……はて?)
なんだろう。
踏みつけてしまったそれを拾い上げる。
「なにかのアクセサリーかなぁ。あちゃー、いま踏んづけた所為かな、壊れちゃってるよ」
「――そ、それ」
ククリが猫耳をピクンと立てた。
震える指でわたしを指差す。
怯えた顔のククリは瞳孔が縦に細長く伸びている。
「えっと、ククリ?」
「ね、ねこさま。それ――メタルラビットの腕輪ッ」
「…………え?」
ククリの言葉に、わたしは顔を青ざめさせた。