15 集落での生活
猫族の集落のほど近く。
ここは広大な大森林のなかでも比較的森の浅い辺りだ。
大森林は奥に行くほど住まう魔物も強大になっていく。
でもこの辺りの魔物はそういった凶悪な魔物に比べればいくらか与し易いらしい。
そんな比較的浅い森の中で、わたしはいま、大きな猿の魔物と対峙していた。
この猿は見た目はほぼオランウータンだ。
けれどもそのサイズはオランウータンとは決定的に異なる。
この猿はなんと、身長が二メートル以上もあるほど巨大なのだ。
その威容はオランウータンどころか、まるでマウンテンゴリラをふた回りほども大きくしたかのようである。
「キイィッ! ッ、グギャオッ!!」
巨猿が飛び跳ねながら長い両腕を振り回して襲い掛かってくる。
「――ふッ!」
わたしは軽やかにステップを踏みながら荒れ狂う猿の腕を躱す。
この魔物の名は『手長猿』。
冒険者ギルドに討伐等級B級からC級に指定された猿の魔物だ。
等級は群れの規模によって変わるらしい。
ジャイアントオランジのその両腕は地球のオランウータンよりも長い。
さながら巨大な手長オランウータンというところか。
普通ジャイアントオランジは群れをなして行動する。
その群れの構造は、一頭の雄が複数の雌を独占して形成するハーレム構造なのだけれど、単独で森のなかを行動をする雄を見かけることもままある。
そういう場合は大抵、まだ年若い雄やハーレムを他の雄に奪われた雄が一頭で彷徨っているときなのだ。
たとえば目の前いるこの雄のように。
「ッ、キャイァオーッ!!」
奇声を上げながら猿がわたしに向かって豪腕を振り回す。
身を躱すわたしの耳元で暴風がゴウゴウと音を鳴らす。
なかなかに激しい攻撃である。
「んッ、――ふッ!!」
けれどもわたしはそんな猿の攻撃を、必要最小限の動きで躱していく。
攻撃を躱されつづけた猿の注意が散漫になった。
猿は迂闊にもその脇腹を無防備に、わたしの目の前に晒す。
「いまッ、ていやぁッ!!」
地を踏みしめた。
ガラ空きになった脇腹を目掛けて、しっかりと腰のはいった拳を振るう。
豪という唸りを上げ、わたしの拳が猿の脇腹に吸い込まれる。
「ッギィヤッ!? ッ、ギャッオァ!?」
ドカンと音が鳴り、巨大な猿の脇腹がベコリとへこんだ。
重いハンマーでもぶち当てられたかのような衝撃だ。
堪らず猿は苦悶に表情を歪め、たたらを踏んで脇腹を庇いながらうしろに下がった。
(よしッ、当たった!)
猿との距離が少し開いた。
これで少し落ち着ける。
下がっていく猿を眺めながらひと息つく。
「はいッ! そこで手を緩めないの! 追撃、追撃!」
ホッとしたのもつかの間、背後から叱責が飛んできた。
わたしは慌てて猿への攻撃を続けようとする。
けれども猿はもう既に反撃の体勢を整えており、わたしの肩口に向かって大口を開けて噛み付き攻撃を仕掛けてきた。
(――ッ、やばッ!?)
猿は巨体全体を使って押し潰すように飛び掛かってくる。
わたしはその捨て身の攻撃をかわしきれず、猿に身体を掴まれ肩口に噛み付かれた。
「ッ、うあぁッ!? 痛ッ! 痛いッ!」
思わず悲鳴をあげながら、猿の腹部を思い切り殴りつけた。
猿も「アギャッ!」と悲鳴をあげる。
猿は掴んだわたしを大きく突き飛ばした。
「あうッ!」
尻餅をつくも直ぐに立ち上がる。
わたしと猿との間に再び距離ができた。
さぁ、仕切り直しだ。
もう一度ジャイアントオランジに向かって半身になって構える。
その場でトントンとステップを踏む。
戦い方は今のままで大丈夫か。
目の前の相手を鑑定する。
(鑑定、鑑定……)
種族名:手長猿・雄
レベル:21
体力:429 魔力:411
物攻:206 物防:239 魔攻:195 魔防:217
敏捷:283 技術:118
スキル:引っ掻きLv2 噛みつきLv1
固有スキル:統率
(わたしはたしか……)
固有名:ねこ
種族名:猫神
レベル:24
体力:837 魔力:93
物攻:488 物防:408 魔攻:19 魔防:99
敏捷:469 技術:81
スキル:殴打Lv1
固有スキル:鑑定 魔力視 加速
うん、落ち着いて戦えば大丈夫。
わたしだってマチェテの訓練のお陰で技術が伸びてきてるんだから。
パンチだって当たるようになってきてる。
「ふうぅ……いくッ!」
息を大きく吸って、目の前の猿の懐に潜り込もうと体を沈めた。
そのとき――
「――ねこ様、ストップよ!」
「……マチェテ?」
「もうこのくらいでいいでしょう。手本を見せてあげるわ。選手交代よ」
雷猫マチェテがわたしと猿のあいだに割って入った。
マチェテはいつものほんわかした部族衣装ではなく、ハチマキを巻いた戦闘用衣装だ。
「ギャッ、キャッ! アギャオッ!」
猿が唇を剥いてマチェテに牙を見せつける。
怒りに震えた猿はわたしに仕掛けたのと同じように長い腕を振り回して、マチェテに襲い掛かった。
「……ふッ」
マチェテは軽い様子で暴風のようなその攻撃を掻い潜り、猿の脇腹に拳を叩き込んだ。
堪らず猿が苦痛に喘ぎながら後ろに下がる。
どうやら先ほどのわたしと猿との攻防を再現しているようだ。
「ここまでは良かったのよ。でもここからッ――!」
マチェテはたたらを踏む猿に向かって大きく一歩を踏みだした。
トンと軽く跳躍してから、猿の鎖骨の辺りを目掛けて重さの乗った右肘を撃ち込む。
「――アギャアォッ!!」
骨が砕ける音がした。
猿が口を開き、息を大きく吐き出しながら苦痛に顔を歪める。
呻きながら砕けた鎖骨を押さえて膝をつく。
「ッ、はぁッ!」
マチェテは体を半身に反らして下から掬い上げるように左の掌底を猿の顎に叩きつけた。
猿の頭が撃ちあげる。
間髪いれずにマチェテは浮き上がった猿の顎にさらに飛び膝蹴りを叩き込んだ。
猿の顎がグシャッとつぶれ、自慢の牙が砕ける。
「――ッァ! ギャアッ!!」
猿は苦痛に呻きながら、無茶苦茶に腕を振り回す。
マチェテは悠然と歩きながらその攻撃を軽く躱して、素早く冷静に猿の背後に回った。
背後から猿の膝の裏側を足でコツンと叩く。
「ッ、アギャォ……ァ」
見ればマチェテの足は僅かに放電している。
初級の雷属性魔法、放電だ。
おそらく猿の攻撃を躱しながら詠唱していたのだろう。
雷撃を膝裏に受けた猿の魔物は脚に力が入らなくなり、力なく地に両膝をついた。
猿はマチェテにその背後を無防備に晒してしまう。
「これで、一丁上がりッ!」
腰に構えた拳が唸りを上げる。
猿の後頭部を目掛けて振り抜かれる。
猿が重たい音を立てて大地に体を投げ出した。
こうしてマチェテは猿を終始圧倒し、絶命せしめた。
「ニャッ」
「ゴニ」
マリーとベルが声をかける。
二匹は物見遊山とばかりに訓練の見物に来ていた。
きっとマチェテに「お見事」とでもいっているんだろう。
「……お母さん、凄い」
見学のククリもため息をつく。
その流れるような連携に感嘆する。
油断なく倒れた猿をみつめていたマチェテが「ふぅ」と気を抜いて、わたしのほうを振り返った。
「ねこ様は気をぬくのが早すぎね。戦いの最中は気を抜いちゃダメよ。それにどうにも基礎体力に頼った乱暴な戦い方をしがちだわ」
「……う、はい」
マチェテのいう通りだ。
どうもわたしは大振りの攻撃をしてしまうし、防御をおろそかにして無理攻めしてしまうきらいがある。
やっぱり実戦っていうのはなかなか難しい。
わたしはしょんぼりと肩を落とした。
「ほら、肩を落とさないで」
「…………だって」
「だって、じゃないの。途中までは良かったんだから、反省して次に活かせばいいのよ」
そう言ってマチェテはわたしの頭を撫でた。
マチェテは厳しいけど、なんだかんだで優しい。
――――クゥ……
頭を撫でられた拍子に、わたしのお腹が小さく鳴った。
ちょっと恥ずかしい。
マチェテは顔を赤くするわたしに微笑みかける。
「さ、今日の訓練はここまでにしましょう」
「うん、今日もありがとうマチェテ」
「お母さん、お腹すいた」
「ええ、帰ってお昼にしましょうね。お母さん腕によりを掛けてご飯作っちゃうんだから!」
やった!
マチェテのご飯だ。
「ごちそうさまでした」
わたしはパチンと手を合わせる。
今日も今日とてマチェテの料理は美味しかった。
「ごちそーさま」
「ンナァ」
「ニャモー」
次々とみんながごちそうさまをする。
「はい、お粗末様でした」
「お粗末だなんてとんでもないよ。今日もとっても美味しかったわ!」
「ん、お母さんの料理はおいしい」
「うふふ、ふたりとも上手ね。ありがとう」
ほんとにお世辞なんかじゃないのになぁ。
それに今日はいつもよりお肉の量が多かった。
大満足だ。
やっぱりお野菜よりはお肉よねー。
二匹の猫やククリと一緒に、ゴロンとベッドに横になる。
食べたあとに横になるのって、どうしてこんなに気持ちがいいんだろ。
ああ、わたしは牛になりたい。
そうしてゴロゴロとしていると、マチェテが空になった食器を見つめながらポツリと呟いた。
「けど変ねぇ、……ジャイアントオランジがあんな森の浅い場所にいるなんて珍しいのよねぇ」
「そうなの?」
「そうなのよ。普段はもう少し森の深いところにいるんだけど」
そうなのか。
まぁ確かにあんな化け物が、普段から集落のちかくにウジャウジャいたらたまらないわよね。
「うーん……ま、いっか。美味しかったし」
不穏なつぶやきが聞こえた。
(……え?)
美味しかったってなんだ?
というかさっきの料理のお肉はもしかして――
わたしは戦慄して、そのことについては深く考えないことにした。
――――クゥ……
食えども食えども、お腹は減る。
集落を散歩しながら、取り留めもなくそんなことを思う。
なぜならさっきお昼を食べたばかりのわたしのお腹が、もう小さく鳴り始めたからだ。
元の世界だと、わたしはまだ高校生。
成長期真っ盛りなのだ。
そして、成長期とはお腹が空くもの。
だからこんな風にお腹がなるのも仕方ないよね。
そんな風に益体もないことを考えながら歩いていると、ふと気付けば猫族族長ライナロックの屋敷の近くまで歩いて来てしまっていた。
(…………あれ?)
目の前には物陰に隠れて、樹上にある屋敷の様子を伺うククリと二匹の猫の姿が見える。
「何してるの、みんなで?」
近づいて声をかけた。
「――――んッ!?」
ククリが目を見開く。
白猫マリーはビクッと驚いて垂直に飛び上がる。
黒猫ベルは身をペタンと低く伏せる。
ククリがわたしの顔を見つめて、人差し指を口にあてた。
「シーッ! ねこさま、シーッ!」
訳がわからない。
でも取り敢えず頷いておく。
「んっと……それで、どうしたのククリ?」
「……ん」
少し迷った後、ククリは口を開いた。
「……族長の家に、忍び込む」
「はぁ。そりゃまたどうして?」
「……食料庫の鍵。族長の家にある」
「――んなッ!?」
食料庫……だ、と……
ククリのお腹が小さくクゥと鳴いた。
マリーとベルが舌舐めずりをする。
「……オーケー。詳しく聞きましょうか」
わたしのお腹もクゥと小さく鳴き声をあげる。
二匹とひとりに倣い、わたしは物陰に身を隠した。
――モッチャ、モッチャ
――モグ、モグ――ゴクン
薄暗くも風通しの良い倉に、咀嚼音が響く。
つづいて響くのはなにかを嚥下する音。
何者かが食料を漁り、貪り食う音だ。
その何者かが口を開く。
「……ねこひゃま。このヒョーセージ、なかなかいけりゅ」
「ひょう? にゃら、わたひにもひとつちょうらい」
何者かは次々と倉の食料に手を付けていく。
ガンガン食べる。
足元にはベーコンにガジガジと齧り付く白猫と黒猫の姿もある。
非常にけしからん連中である。
「にょほッ、こっひのチーズもにゃかにゃか」
「ねこひゃま、わたひにもチーズちょうらい」
「くくひ。それはなに食べへるにょ?」
「こへは、ワヒルドボハのにゃまハム」
「でゅふッ……じゃあひょのハムとチーズをこうかんするコポォ」
「ん、ひょうちした」
――モッチャ、モッチャ
――モグ、モグ――ゴクン
静かな倉のなかに不届き者のならす咀嚼音が響き続けた。
「いやぁー、食べた、食べた。余は満足じゃー」
「……食べ過ぎた。動けない」
くちくなったお腹をさすりながらククリに尋ねる。
「ねぇ、いつもこうしてオヤツを食べているの?」
まぁオヤツと言うにはちょっとばかり量が多いかもだけどね。
「ん。最近はよく食べる……訓練のあとはお腹が空く」
「そうそう、そうなんだよねー」
「お母さんのご飯は美味しい。けど量が少ない」
「そうそう、そうなんだよ」
「あれは多分ダイエット。お母さん最近、お腹周りを気にし始めた」
「えー、マチェテってば全然太ってないのにー!」
小枝で歯をシーハーしながら何とはない雑談をする。
「あ、そうそう! そういえばねぇ、ククリはどう思う?」
「ん、どうした?」
ちょうどいい。
気になっていたことを聞いてみよう。
ククリは首を傾げている。
「今日のお昼ご飯、すっごく美味しかったけど、あれって何のお肉だったのかなぁ? 特にデザートに出てきたあの杏仁豆腐みたいなのって、猿の脳み――」
――――バタンッ!
いきなり倉の扉が音を立てて開かれた。
「ッな、何なのッ!?」
「食料泥棒めッ! 観念してお縄につけい!」
男性の力強く野太い声が響く。
「や、やばい。ねこさま、逃げるッ」
「あ、あわ……あわわわ」
ライナロックだ。
何人かのお供を引き連れてライナロックが颯爽と現れた。
「ええい、不届き者どもめ! 逃げられると思うてかッ!」
「御用だ!」
「御用だ、御用だ!」
お供の猫族が揃って声を上げる。
こうしてわたしとククリは、敢え無くお縄ちょうだいと相成った。
「ゴメンなさい! わたしの監督不行き届きです!」
マチェテが頭を下げた。
可愛らしい猫耳がペタンと伏せている。
マチェテはわたしたちの身柄を引き受けに来たのだ。
すぐそばの柱には、わたしとククリが縄で繋がれている。
マチェテはなんとも申し訳なそうだ。
「もう良い、マチェテ。頭を上げい」
「……でも」
なかなか頭を上げようとしないマチェテにククリが声をかけた。
「そうそう。お母さん、もう良い」
マチェテはピクッとこめかみを震わせてから頭を上げた。
キッと叱るようにククリを睨む。
「……もう、この子はホントに」
マチェテは表情を緩めて「はぁー」と盛大に溜息をつく。
「それにねこ様まで一緒になって……いったい何をしているのッ」
「ごめんなさい」
間髪入れずにわたしは謝った。
土下座だ。
経験上、こういうときは素早い土下座がものを言う。
わたしは綺麗な土下座を披露する。
「じゃが、こうもこのふたりは腹が減っておるとはのう」
「腹が減っては戦はできぬ」
わけのわからないセリフを呟くククリを、再びマチェテがキッとにらんだ。
ククリは視線をあらぬ方向に向けて素知らぬ顔だ。
「マチェテよ」
「はい、なんでしょう?」
「ふたりには、ちゃんとご飯は食べさせておるのかの?」
なんて失礼な。
わたしは思う。
なにを言ってるんだライナロックは。
食べさせてくれているに決まっているじゃないか。
マチェテの料理は美味しいんだぞ。
そんなマチェテが悪いみたいな話し方は良くないよ。
ただちょっとマチェテの料理は量が少ないだけなんだから。
マチェテが眉を下げた。
「ええ、ちゃんと三食出してますよ」
「ふむ……まぁ、そうじゃろうのぉ」
「食べ盛りのこの子たちですから、食事の量も私の分を減らして、ふたりに多く食べさせてるんですけど……」
(……え? そうだったの?)
ダイエットとかの話はどこから出てきたんだ。
「そうか。じゃが、それでも足らんとみえるの」
「ええ、そうみたいですね」
マチェテが困ったわーと頰に手を添えた。
というかマチェテのぶんまで食べてたのか、わたしたちは……
「なら、そうじゃの……お主のところの食料配給をもう少し増やそうかの?」
「ええ、ありがとう族長。そうして貰えると助かります」
「じゃが問題は、食料庫の中身が心許ないことかのぉ」
ライナロックが呆れた顔をしてこちらを振り向く。
「……今日も何処かのネズミが、倉庫を荒らしておったしのぉ」
こっちを見ながらため息なんかついている。
ククリは知らぬ存ぜぬとばかりに視線を逸らした。
わたしはさらに美しい土下座でなんとかこの場を凌ぎ切ろうと頑張る。
「なら、そうだわ族長」
「ふむ?」
「私が明日、森にはいって何匹か獲物を狩ってきますわ」
マチェテが提案した。
聞いたところによると、マチェテは一流の戦士というだけではなくその猟の腕も一人前なのだそうだ。
さすがはわたしの猫耳聖女さま。
「……ふむ。そうじゃの、そうして貰えるか」
「ええ、任せて下さいな!」
マチェテが胸を叩いて請け負った。
どうやら話はついたようだ。
ライナロックは近くの猫族の人にわたしたちの縄を解くように指示する。
わたしたちは晴れて無罪放免となった。
まぁ実際のところはマチェテの代案に免じて不問にされただけだけど。
「ククリもねこ様も、もう食料庫を荒らしてはいかんぞい」
「はぁい」
「ん、たぶん」
ちなみにわたしたちと一緒に食料庫を荒らしていたマリーとベルは、罪に問われすらしなかった。
最初からお咎めなしだ。
曰わく「お猫様へのお供え物は別」とのことらしい。
いったい何なんだろう、わたしと猫たちのこの扱いの差は。
夜。
わたしとククリとマチェテは、今日も三人、川の字になってベッドに寝転がっていた。
ククリはもう既に、スヤスヤと可愛い寝息を立てている。
足元にはマリーとベルも丸くなっている。
そんななか、わたしはマチェテにペコリと頭を下げた。
「昼間はゴメンなさい」
マチェテはククリの髪を撫でつけながら、穏やかな表情だ。
「いいのよ、もう」
「でも……」
「それよりね、ご飯の量が足りなかったみたいでごめんなさいね」
「ううん。マチェテの料理は美味しいから、いつも楽しみにしてる」
「そう? 嬉しいわね」
「ほんとよ?」
「うふふ、じゃあ明日からも、腕によりをかけて美味しいご飯を作らなきゃね!」
マチェテは小さく腕を捲った。
わたしはマチェテのそんな可愛らしい様子に頬を緩ませる。
「ねぇ、マチェテ」
「どうしたの、ねこ様?」
「いつもありがとう。わたし、死んだじいちゃん以外にこんなに誰かに愛して、……良くして貰った覚えがないの。だからわたし――」
「『愛して』でいいの。言い直さなくていいのよ?」
マチェテがわたしの言葉をさえぎった。
「ねぇ、ねこ様」
わたしはマチェテの瞳を見つめる。
マチェテはそんなわたしを優しく見つめ返す。
「ククリと貴女様はまるで、仲のいい姉妹みたいだわ」
「うん、……ククリはわたしの妹みたいだって思う」
「うふふ、そうでしょう? だからわたしはこう思うのよ。貴女様のこと、まるで私の娘みたいだって」
娘みたい……
そんな風に思っていてくれているなんて。
胸が暖かくなる。
「ねぇ、……愛してるわ、ねこ様」
わたしもだ。
わたしもマチェテのこと、お母さんだったらいいのにって思っていた。
目頭が熱くなるのを感じる。
「……『様』は付けないで欲しい」
「えっと……」
「マチェテに『ねこ様』って呼ばれるのは、なんか嫌だ」
そうマチェテにお願いをする。
わたしは赤くなってしまった瞳を隠すように、マチェテの胸に顔を埋めた。
マチェテはそんなわたしを抱き寄せる。
わたしたちに挟まれたククリが「うぅ」と小さな寝息を漏らす。
「……ええ、分かったわ」
「……ん」
「もう寝ましょう、明日も早いわよ…………ねこちゃん」
わたしはマチェテの暖かくて優しい体にギュッと抱きついた。
一夜明けた今日。
マチェテは朝早くから起き出して猟の支度していた。
ククリはまだベッドで寝相悪く上下逆さになったままだ。
「それじゃあねこちゃん、いってくるわねー」
「うん、いってらっしゃい! 気を付けて!」
マチェテの姿が森のなかに消える。
腰に二本の剣鉈を引っ提げて、マチェテは約束どおり猟に出掛けた。
わたしは日課の水汲みを終えてからククリを起こす。
ククリや猫たちと一緒にマチェテが作り置いてくれた朝ごはんを食べたあと、言い付けられた通りの内容で日課の訓練を行なう。
初めての自主練ではあるけれど、ククリもわたしも手は抜かなかった。
「ねこさま、そろそろお昼」
「……え? ああ、もうそんな時間なのね」
見上げればお日様はもう空の天辺まで上っている。
わたしたちは訓練を切り上げマリーとベルを引き連れて、族長ライナロックの屋敷へと向かった。
マチェテが不在の今日は、族長宅でお昼を頂くことになっているのだ。
「こんにちはー」
声をかけて扉を開いた。
返事も待たずにズカズカと屋敷にあがる。
なんというか最初のころにあった遠慮なんてもう、わたしには微塵もない。
「お、待っておったよ、猫神様方。さ、食事にしようではないかの」
返事を待たずに上がり込んでもライナロックは嫌な顔をしたりはしない。
笑顔でわたし達を迎え入れる。
なんというか日本でも田舎の家ってこんな感じだったりするのかなぁ。
「族長さん家のご飯も美味しいねー」
お肉を口いっぱいに頬張りながら、お行儀悪くククリに声をかける。
ククリも同じく口いっぱいにご飯を詰め込んでいる。
なんだかそんなククリは、リスが頬を膨らませてもしゃもしゃしているみたいでとっても可愛い。
「ん。……でもお母さんのご飯の方が、もっと美味しい」
そりゃあ、わたしだってそう思う。
だけどそういうことはご馳走になっている立場では言わない方がいいんじゃないかなー。
ライナロックも気を悪くするだろう。
でも、そういえばククリはライナロックのひ孫なんだっけ?
全然似てないけど。
ならまぁ大丈夫か。
(けどマチェテの料理って、どうしてあんなに美味しいのかなぁ)
やっぱり隠し味の愛情が効いているのかな?
うへへ……
そんなことを考えながらモグモグと口を動かしていると――
――――バタンッ!
族長の家の扉が乱暴に開かれ、一人の男が飛び込んできた。
「……ふむ? なんじゃ騒がしいの」
ライナロックが飛び込んできた男の顔を見上げた。
わたしもつられて男の顔を眺める。
(えっと……たしかこの人は……)
見覚えがあるな。
誰だったかな……そうだ、集落の見張りをしていた男の人だ。
「ぞ、族長! たた、大変だッ!」
飛び込んできた見張りの男は、挨拶もせずに叫んだ。
「なんじゃ藪から棒に。いいから落ち着くのじゃ」
「ここ、これが落ち着いていられるかッ! ま、魔物だ!」
男は唾を飛ばしながら叫ぶ。
「森の奥の凶悪な魔物がッ、集落に襲い掛かってきやがった!」