13 猫族の集落
族長の家までやって来た。
いつものメンバーのほかにマチェテもククリを心配してついて来ている。
族長の家は集落のほかの家よりも大きかった。
樹の上に建てられたちょっとした屋敷だ。
しかもこの屋敷はちょっとほかとは趣きが異なっている。
ほかの家がコテージ風なのに対して、この屋敷だけはどこか和を感じさせる建物なのだ。
施された意匠もあたりの家々にくらべてひとつ飛び抜けて大したものだ。
(……うわぁ、立派なお屋敷!)
わたしは族長宅のまえですこしたじろぐ。
どうにも屋敷が立派すぎて気後れしてしまう。
「ねこさま、何してるの?」
ククリが猫耳をぴょこんと立てて可愛らしく小首を傾げる。
「ちょ、ちょっと気後れしちゃって……でも、よし! それじゃあいっちょー入りますか!」
屋敷の扉を開いた。
そこでは何人もの猫族の男女がずらっと横に並び、床に手をついて深々と頭を下げていた。
(…………うぇ!?)
最奥に白髪の老人が座っている。
その老人もまわりの人たちと同じように深く頭を下げている。
――――パタン
無言で扉を閉じた。
(……うん、見なかったことにしよう!)
わたしは踵を返す。
すると――
――――ガチャ
今し方閉じた扉をククリが開けた。
ククリは遠慮なくズカズカとなかへ入っていき、マリーとベルがそのあとに続く。
「ねこ様、どうしたのかしら? 先に入りますよ?」
マチェテもそう声をかけてからなかに入った。
わたしはひとりポツンと表に取り残される。
「……ま、まってよー、みんなぁ!」
さすがにひとりで戻るわけにもいかない。
わたしはみんなのあとについて、渋々と屋敷の扉をくぐった。
「本来であれば老生のほうからお訪ね致さねばならぬ処を、畏くも御猫神様方からの御出を賜いましたこと、慙愧に耐えませぬ。平にご容赦下さりますよう、伏して願い奉り賜う」
白髪のご老人が頭を床につけたまま、わたしたちに意味不明な挨拶をした。
「ど、どもー。はじめましてー、ねこでーす」
とりあえず返事を返しておいた。
このお爺さんがなにを言っているのかはまったくわからないけど、スルーはよくない。
普段からうちの猫たちにガン無視をされまくっているわたしだ。
スルーのつらさは骨身に沁みている。
こんなつらさはひとに味わわせちゃあいけない。
猫族の人たちは頭を下げたまま何かを待っている。
するとマリーが前足をあげ、「ニャ」と小さく鳴いた。
床に頭を落としていた猫族のみなさんは「ははぁ!」と声を揃えたあと顔をあげた。
うん。
これはあれだな。
いまのはククリに訳して貰わなくても、わたしにも分かる。
きっとあれだ。
『苦しゅうない。一同、面をあげい』
だね。
わたしの隣ではククリとマチェテが白髪のご老人を眺めながら「はて?」と首を傾げている。
「……族長、話しかた気持ち悪い」
ククリが難しい顔をした。
そのうしろでマチェテがウンウンと頷いている。
「……やっぱりそうかの?」
族長と呼ばれた老人はニカッと笑う。
族長は居住まいを正し、改めて口を開く。
「猫神様方、よくぞ参られた。名乗りが遅れましたな。儂は猫族族長のライナロックと申す」
族長は初老に差し掛かった年の頃であろうに、がっしりとした体格の偉丈夫だった。
(おお、猫耳……ジジイだわ)
どう自分をだまそうとしても、これは可愛くはない。
うん、無理。
白くなった頭部を飾る白い猫耳が、まったくもって全然、これっぽっちも似合っていない。
正直、猫耳の無駄遣いだとすら思う。
もったいない。
宝の持ち腐れ。
猫耳はやっぱり女性に限る。
わたしは改めてそのことを深く胸に刻み込んだ。
「ねこ様、と申されましたな? ……どうなされた?」
「えっ? はえっ!?」
「いやなに。呆けられておったようじゃが……」
「い、いえ! なんでもないです、なんでも! あは、あはは……」
まさか猫耳ジジイ、猫耳資源の無駄遣いすんなとか考えてたなんていえない。
笑って誤魔化す。
「して、そちらのお猫様方は……」
「ニャ」
「ゴマニ」
マリーとベルが鷹揚に前足をふる。
族長さんが再びひれ伏した。
というか、なんでこんなに偉そうなんだろううちの猫たちは。
「マリー様、ベル様、それにねこ様ですの? お呼び立てしてまこと申し訳ない」
「あ、それはいいんですけど……それよりうちの猫が偉そうでホントすみません」
ライナロックが「なんのなんの。恐れ多いことよ」と笑う。
「して、お猫様方。集落へはなに用で参られましたかな?」
「あ、はい。森でククリと出会いまして、ククリを送りがてらわたしたちも猫族の集落をみてみたいなーって」
「なんと!? そうでしたか。ククリとは、森のどちらで出会ったので?」
ククリが前にでた。
いろいろとわからないことが多いわたしに代わって応えてくれるつもりなんだろう。
「猫神の森。わたしは黙って、お父さんたちについて行った」
「……ククリ、おぬしというヤツは。おぬしの姿がみえなくなって、マチェテがどれだけ心配しておったと思っておる」
マチェテがウンウンと頷いている。
「……ん。ごめんなさい」
「まったく。ともかくそれなら調査隊も帰ってきたんじゃな? フレムロックのヤツはどこにおる?」
ククリは応えない。
唇をキュッと結び、拳を握りこんでうつむく。
そんなククリの様子をみて、ライナロックは白くなった眉根を不審げに寄せる。
ククリはまだ九歳だ。
こんな小さな女の子に、マチェテの……母親の前で父親の死を報告させることはない。
わたしはククリに代わり応える。
「……森にいた猫族の方々は、みんな亡くなりました」
わたしの発した言葉の内容に、ライナロックが表情を変えた。
背後でマチェテが息を呑む。
ことの成り行きを見守っていた周囲の猫族たちも落ち着きなくザワつき始める。
「…………詳しく、聞かせて貰いましょうかの」
ライナロックが険しい顔付きでそう言った。
わたしは猫族族長のライナロックに、見たこと全てを説明した。
悲鳴を聞きつけ駆け付けたときには、すでに森にいた猫族の一団は魔物に襲われ壊滅していたこと。
生存者はククリたったひとりで、わたしは何とか魔物を討ち倒しククリを助けたこと。
亡くなった猫族の方々は、わたしとククリで埋葬したこと。
「…………むぅ」
ライナロックはわたしの一言一句を聞き漏らさぬよう真剣な表情をし、眉間に刻んだ皺を更に深くして話を聞いた。
「――ククリはお父さんの胸に抱かれて、魔物から隠されていました。お父さんはそのときにはもう瀕死で――」
ククリの父親が、瀕死の身体に鞭を打ってククリの小さな身体を包み込み魔物から庇おうとしていた話の下りで、それまで気丈に堪えていたマチェテが嗚咽を漏らしながら崩れ落ちた。
ククリはずっと俯いたまま下唇を噛んで、顔をあげなかった。
「……そう、でしたか……そんなことが」
わたしからすべての話を聞き終えた猫族族長ライナロックは、深い、深いため息をついた。
――暫くの沈黙。
ライナロックは重そうに口を開いた。
「……事情はわかり申した。ククリを助けてくれたこと、みなを埋葬してくれたこと、改めてお礼申し上げる。ただ、……ただッ、今日はここまでにしたい。猫神様方には手数をかけて申し訳ないが、また明日、改めて出直しては下さらんか?」
ライナロックは毅然とした態度でそう話した。
けれどもよく見れば、ライナロックのその拳は膝の上で握り込まれ、震えていた。
「…………はい、わかりました」
わたしは頷き猫たちとククリを連れて、泣き崩れたマチェテの身体を支えながら族長の屋敷をあとにした。
一夜明けた朝。
わたしはひとりで猫族族長ライナロックの屋敷を訪れた。
昨夜わたしと猫たちは、ククリとマチェテを家に送り届けたあと、地上にある馬小屋のテントの隅っこを間借りして眠った。
マリーとベルはなに食わぬ顔でマチェテの家に入っていこうとしたのだけど、さすがにそれを見兼ねたわたしは猫たちを小脇に抱えて連れだし、遠慮することにしたのだ。
おかげでわたしは機嫌を悪くした猫たちにひと晩中オモチャにされて、ちょっと寝不足気味だ。
「……ふあぁ、ねむひ」
ぱんと軽く頰を叩いて目を覚ます。
頭を振って眠気を払ったあと、族長の屋敷の扉を開いた。
「ぉ、はよぅございまぁす。族長さんはいらっしゃいますかぁ?」
小声で呼びかける。
するとすでにライナロックは玄関から繋がるお座敷奥で、わたしの訪問を待ち構えていた。
「おはよう、ねこ様。お待ち申しておったよ」
ライナロックが頷く。
「さて、昨日の続きじゃ。ねこ様はククリを送り届けに集落まで来たとのことじゃったが、このあとどうするのかは、決めておられるのかな?」
「あ。え、はい、出来ればすこしの間、この集落に滞在したいなって……大丈夫でしょうか?」
「うむ、もちろんじゃ。ここは猫族の集落。部族の守神たる猫神様を無碍に扱いなどしたら、バチが当たるわ。カッカッカ!」
「あ、ありがとうございます」
快活に笑うライナロックに頭を下げる。
(……ん? ちょっと待てよ?)
猫神様ってわたしなんだよね?
ならそのバチを当てる神様はわたしなわけ?
「では、住む場所を決めんとの。……よし、ねこ様! 儂の屋敷に泊まられよ」
「……え゛?」
思わず変な声がでた。
それはご勘弁願いたいなぁ。
お偉いさんと毎日一緒っていうのは気疲れする。
わたしはライナロックに悟られないようにして、ほんのすこしだけ顔を顰めた。
まぁ申し出はすごくありがたいんだけどね。
――――バタン!
族長宅の扉が開いた。
「――ダメ。ねこさまたちは、ウチに泊まる」
なかに入ってきたのは猫耳少女ククリだ。
「おや、おはようククリ。……しかしなんじゃ、いきなりじゃな。マチェテの許可はとってあるのか」
「おはよう。だいじょぶ。許可はこれからとる」
「……また、おぬしというヤツは」
ライナロックは呆れ顔だ。
そのとき開け放たれたままの扉の外から声が聞こえてきた。
「いいえ族長。うちに泊まって頂いて構いませんよ」
マチェテが顔を見せる。
さすがはマチェテ、わたしの猫耳聖女さまだ。
懐が御深い。
わたしは思わずマチェテに平伏したくなるのをグッと堪える。
「……マチェテ。もういいのかね?」
「はい。……昨夜は見苦しいところをお見せしてすみません」
マチェテとライナロックが互いを気遣いあう。
「……でもそれを言えば族長だって。わたしばかりが沈んだ顔をしている訳にはいきませんもの」
「そうか…………うむ、そうじゃの」
ライナロックがマチェテに向けていた視線をわたしに向ける。
「ねこ様も、それでいいかの?」
わたしは力強く頷いた。
文句なんてあろう筈がない。
猫耳母娘と同じ屋根の下なんて、最高じゃない!
「よし、なら決まりじゃ!」
マチェテはククリを連れて家に戻った。
わたしと猫たちを受け入れる準備をするのだそうだ。
なんともありがたいことである。
わたしはライナロックの家にひとり残った。
ライナロックにすこしばかり頼みたいことがあったのだ。
(……えっと)
どうやって口を開くか考えあぐねていると、ライナロックのほうが先にわたしに話しかけてきた。
「ククリの父親はのぉ、名をフレムロックという」
そのつぶやきは、まるで独り言のようにも聞こえた。
わたしは黙ったままライナロックのつぶやきに耳を傾ける。
ライナロックはすこし寂しそうな顔をしてうつむいた。
「そして儂の孫でもある。あやつは昔からヤンチャなヤツでの。喧嘩ばかりしていたかと思うたら、ある日、冒険者になるなんぞと言い出して集落を飛び出して行ったんじゃ。……幼馴染みのマチェテを連れての」
……え?
だとするとククリはこのじい様のひ孫にあたるの?
この猫耳の全く似合わない、猫耳資源無駄遣いのゴツいご老人の?
ククリがライナロックに似なくて本当に良かった。
わたしはほっと息を吐く。
「まったくあやつはいつも、なにをするにも、儂に相談ひとつせんでな。勝手に飛び出して何年か経って帰って来たかと思うたら、マチェテの腹を大きくさせておってのぉ……また儂を驚かせたもんじゃよ」
ライナロックはハハハと力無く笑う。
そこにはみんなの前で見せていた族長としての力強さはない。
きっといまのこの顔は、ひとりの年老いた祖父としての顔なのだろう。
「どうしようもない奴じゃったが、心根だけは優しい男じゃった」
わたしはその老人のほうに顔をむけて、じっと話をきく。
「……冒険者としての腕もたしかでのぉ。なんせ集落を出てからわずか数年でB級の冒険者にまでのぼり詰めたんじゃからの。フフ……あやつの勝ち誇った顔を思い出すわい」
老人はひとつ、深いため息を吐いた。
「森の調査にも安心して送り出したんじゃが、まさかこんなことになるとはの……こんな老いぼれをひとり残して先に逝きよって……」
老人が顔をあげた。
わたしの顔を真っ直ぐに見つめ返す。
「……ねこ様、あやつを弔っていただき、……まこと、…………感謝する」
そう言って再び頭を下げた。
孫を失った祖父の気持ち……
わたしとは逆だ。
わたしはその重さになんて返せばいいのかわからなくなって、ただ口を噤んで押し黙った。
「して、ねこ様も、儂に話があるのかの?」
ライナロックが顔をあげた。
そこにはもう先ほどまでの弱々しい老人の面影はない。
そこにあるのは族長として猫族を背負い立つ、老いてなお壮健な偉丈夫の姿だ。
「あ、はい。えっと、すこしお願いしたいことがありまして」
「ふむ。ねこ様は猫神様という以前に儂の恩人じゃ。なんでも申し付けて下され」
「あ、ありがとうございます」
わたしは一拍置いた。
どう話を切り出したらよいものか。
「あの、えっと、わたしにその、……戦いかたを教えて欲しいなって」
「戦いかた、ですとな?」
「…………はい」
「……してそれは、何のために?」
わたしはライナロックに話した。
人攫いの洞窟で、力の加減がわからずふたりの人間を殺めてしまったこと。
そんな自分のこの力が震えるほどに怖ろしくて、わたしはこの恐ろしい力を制御できるようになりたいこと。
ライナロックはそんなわたしの想いを、一言漏らさず黙って聞いてくれた。
「わ、わたしは……わたしは、護るための力がほしいッ。ただ壊すだけじゃない、……わたしは、護るために、この力を使いたいんですッ」
はき出すようにして訴えた。
胸の奥に沈みこみ澱んでいた想いを、しっかりと形にしてはき出す。
ライナロックは深く頷いたあと、わたしの目を力強く見つめた。
「わかり申した……それなら、適任がおりますの。集落一の戦士じゃ。ねこ様に力の扱いかたを、力を扱うものの心構えを教えることができる、心優しい真の戦士じゃ。……よろしい。儂から話を通しておきましょうぞ」
猫族族長ライナロックは、ニカッと頼もしい笑顔を浮かべて胸を叩いた。
わたしはその笑顔に感謝をして頭を下げた。
一夜明けて今朝。
わたしはいま、マチェテの作った美味しい朝食をいただいたのち、ライナロックから指定された場所へと向かっている。
そこにわたしに戦いかたを教えてくれる先生が待っているということだ。
わたしはその場に向かってテクテクと歩きながら思い出す。
――昨夜は最高だった。
思い出すと頬が緩む。
昨晩、来客を迎える準備を整え終えたマチェテに手を引かれ、わたしはマチェテの家に向かった。
みんなで一緒に暖かい夕食をとったあと、これまたみんなで一緒に眠った。
みんなで一緒に、ひとつのベッドで、だ。
わたし、ククリ、マチェテの並びで川の字になり、ひとつのベッド。
猫耳母娘――猫耳聖女さまと猫耳美少女とひとつ屋根の下。
足元にはマリーとベルも丸まっていた。
ああ、素晴らしきかな猫耳パラダイス――
「…………っと、いけない、いけない」
口の端から垂れたよだれを慌てて拭う。
わたしはうへへとだらしない表情をしたまま、指定された時間、指定された場所に辿り着いた。
「あれ? マチェテさん。こんな所でどうしたんですか?」
さっき一緒に朝食を摂ったマチェテが、そこにぽつんと立っていた。
マチェテはいつものほんわかした部族衣装ではない。
動きやすそうな軽装だ。
なんか額にはちまきとかも巻いちゃってる。
「あれ? 聖女さまがはちまきなんて巻いてどうしたんですか?」
「え? 聖女さま? なんのことかしら」
おっといけない。
つい思っていることが口に出てしまった。
マチェテはわたしの猫耳聖女さまだから、ついね。
「それより……」
マチェテはわたしの目を見据え、キリリと表情を引き締める。
しかもその表情がなんだか思ったよりも様になっているのだ。
思わず見惚れてしまう。
凛々しいわたしの猫耳聖女さま……うへへ。
でもちょっと違和感。
なんだかいつもの柔らかなマチェテじゃないみたい。
「待っていたわよ、ねこ様。わたしが今日から貴女様に、戦いかたを教えます」
わたしは戸惑ってキョロキョロあたりを見回す。
「……うぇ? なにかの間違いじゃないですか? 族長さんはたしか集落一の戦士って――」
「間違いじゃないわ」
マチェテがわたしの言葉を遮った。
細い二の腕を腕まくりして出し、なんとも可愛らしい仕草で力こぶをつくる。
「わたし、こう見えても凄いのよ? 元A級冒険者、雷猫マチェテといえば、ギルドではちょっとした有名人だったんだから!」
マチェテが胸を突き出す。
その拍子に彼女の大きな胸がプルルンと震えた。