10 氷騎士アリエル
明日のぶんも投稿しちゃいます。
「見つけたぞ、人攫いめ!」
金髪美女が腰に差した剣を引き抜いて、遠くからわたしにその切っ先を向ける。
まるで騎士のような女のひとの、流れるようなその動作は、洗練されていてとっても様になっている。
「我が名はディズイニル王国バーサル侯爵家が長女、アリエル・アーニーバード・バーサル! S級冒険者、氷騎士アリエルだ!」
強い眼差しを向けられたわたしは困惑する。
(い、いきなりなんなのこの人は?)
どうしたんだろう。
なんだか怒っているみたいだ。
洞窟の上からわたしを見下ろしてくる女性に目を向ける。
(しかし綺麗な人だなぁ……)
混乱しながらもそんなことを思う。
あれかな、姫騎士?
女騎士の凛とした芯の通った出で立ち。
その立ち居振る舞いは、勇猛さのなかにもほのかに気品を感じさせる。
金髪碧眼で女性の割には背が高く、少しきつ目な目つきも相俟って、みる人にシャープな印象を与える。
「貴様らが、我がバーサル侯爵家が三女、オーロラ・アーニーバード・バーサルを拐かしたことは既に判っている! 大人しくオーロラを差し出すならばよし。否やというなら、……覚悟せよ!」
どうしよう。
とにかく何か応えなきゃ。
「……ぁ、あのぉ、どちら様かは存じ上げませんが、ひ、人違いでは?」
うひん、なんか緊張する。
美人だけど、こんな気の強そうな人だ。
ちょっと気後れしてしまう。
「…………ほう、白々しい。人違いと申すか?」
女騎士がふんと鼻で笑う。
「ならばなぜ、そこな洞穴から姿を現した?」
キッと睨みつけられる。
「その洞窟に人攫いどもが潜んでいることはもう調べがついている! ……それともなにか? お前のような小娘が、なかの人攫いをすべて倒したとでも言うつもりか?」
女騎士がわたしを問いただす。
わたしはあわあわと慌てた。
そりゃあわたしは小娘だけど、でも実際にわたしが人攫いを倒したのだ。
「な、なかの人攫いはわたしが――」
――――ッ。
わたしが殺した。
脳裏にあの光景がフラッシュバックする。
わたしがこの手で無残な骸へと変えた人攫いたち。
わたしは言葉に詰まってしまって、声を上げることが出来なくなってしまう。
女騎士が「ほれみたことか」と顎をあげる。
「もはや言い逃れは出来ぬぞ! 一刻も早くオーロラを連れて参れ!」
女騎士が苛立たしげに叫んだ。
わたしはそんな女騎士の強硬な態度に身を硬くする。
「最後の警告だ! これ以上隠し立てすると、為にならんぞ!」
再び女騎士が叫んだ。
(ひ、ひえぇ、やっぱりまだ勘違いしていらっしゃる!)
おたおたするわたしを睨み付けたまま、女騎士は小さく舌打ちをする。
「――チッ。これではラチがあかぬな……」
女騎士がため息をつく。
「もうよい、そこを退け小娘。賊といえど女子供を斬るのは性に合わん……退くなら見逃してやる」
わたしは迷う。
この女のひとを洞窟のなかに入らせていいものか。
「私自らその洞窟を検める。はやくそこを退け……これが、本当の最後通牒だ」
洞窟のなかには猫たちやククリ、囚われていた子どもたちがいる。
「…………退かぬか。ならば最早、なにもいうまい――覚悟せよ!」
遠くで女騎士が腕を頭上に振り上げた。
「――詠唱破棄―― 氷刃」
わたしに向かってその腕を縦に振り下ろす。
途端にわたしは眼前の空気が凝固して固まっていくのを感じる。
なんだ、この感覚は。
なにかの攻撃が、わたしに向かって――くる!
「ッわ、わわッ!」
わたしは咄嗟にその場を飛び退く。
するとその直後にわたしが元いたその場所を氷の刃が引き裂いた。
(……な、なにいまの!?)
もしかして魔法!?
わたしは驚きに目を見張る。
「…………ほう」
女騎士が少し驚いた顔をみせた。
「意外だな。手加減したとはいえ、今のを躱すか。魔法が発動する兆候などほとんどなかった筈だが……」
「って、兆候もなにもあなた! 魔法のなまえを叫びながら腕を振り下ろしたじゃないですかー!?」
思わずツッコミを入れてしまう。
「……ふむ、ならばこれでどうだ?」
再度、女騎士が腕を振り上げる。
「――詠唱破棄―― 氷刃」
女騎士はこんどは何度か繰り返しわたしに腕を振るった。
再び氷の刃がわたしを襲う。
けれどもさっきは一刃のみだったその刃は、先程とは異なり複数の刃となってわたしを襲ってきた。
「ッ、ちょっと、まっ――」
わたしは大気の凝縮を注意深く観察し、その悉くを回避する。
「なんと!? これも躱すか!」
女騎士が驚嘆の声を上げる。
「やるではないか貴様! 正直驚いたぞ。まるで魔力の収束が目に見えてでもいるようだ!」
なにがなんだかわからないけど、目の前の女騎士はずいぶん驚いているようだ。
「や、やめてください! 当たったらどうするんですか?」
わたしは女騎士に向かって叫ぶ。
けれども女騎士はまったく取り合ってくれない。
「……ふむ、少々興味を惹かれるところではあるが、あまり貴様と遊んでいる時間もない。次で終わらせるぞ? 躱せるものなら躱してみせろ」
女騎士が三度腕を振り上げる。
「――詠唱破棄―― 激降雹符」
頭上で大気が広範囲にわたって凝縮する。
(や、やばッ――)
一拍ののち、空から拳大の大きさの物凄い数の雹が、凄い速度でわたしに向けて降り注いだ。
――これは躱しきれない!
わたしはギュッと身を固め、頭を抱えた姿勢でその荒れ狂う雹の嵐を耐え忍んだ。
雹の嵐が止んだ。
わたしは洞窟の入り口に倒れ伏していた。
そのわたしの耳元にザッと土を踏む音が聞こえる。
氷騎士アリエルの足音だ。
「……死んだか。……賊とはいえど女子供を手にかけるのは、やはり気が咎めるな」
女騎士がため息をひとつ吐いてから、わたしの横を通り過ぎていく。
「しかし何やら少々、興味を惹かれる娘ではあったが……」
女騎士はそう独り言ちながら、洞に向かう。
(……だ、……だめ)
洞窟にはわたしの愛しい猫たちやククリがいる。
人攫いに拐かされた少女たちもいる。
こんな危険な女のひとを、みんなの元に向かわせる訳にはいかない。
「……行かせ、……ない」
わたしは震える脚に力をこめて立ち上がった。
二本の脚でしっかりと大地を踏みしめる。
女騎士は一瞬おどろきに目を見張ったあと、その顔に獰猛な笑みを貼り付けてわたしを振り返った。
「く、くははッ、本当に驚かせてくれる。中級高位の魔法に身を晒されて、尚立つか」
女騎士が愉快げになにかを話している。
でもわたしの耳にはもう、その言葉は届かない。
「……いいだろう。貴様はわたし手ずから、我が氷剣ミストルティンに捧げる供物としてくれよう」
女騎士が鞘から静かに剣を抜いた。
美しい剣だ。
その蒼銀の美しい剣は低温結露による白い靄をまとい、冴え渡るように透き通った刀身には緻密なルーン文字が彫り込まれている。
(……あぁ、そうだ……鑑定)
わたしの頭のなかに情報が流れ込む。
固有名:アリエル・アーニーバード・バーサル
種族名:人族
レベル:67
体力:1012/1047 魔力:1098/1209
物攻:986 物防:593 魔攻:1328 魔防:624
敏捷:601 技術:429
スキル:剣Lv7 氷魔法Lv8 体術Lv3 回避Lv5
固有スキル:起死回生
――――強い。
これまでの相手なんて比較にならない。
まさに圧倒的だ。
わたしは考える。
中途半端な攻撃はこの女騎士には通用しないだろう。
そのうえ、わたしは不器用だ。
殴り掛かってもきっと躱されてお終いだ。
わたしは考える。
そんなわたしの持ち得る攻撃手段のうち、唯一この騎士に通じそうなものといえば……
――――体当たりだ。
わたしは脚に力を込める。
これが躱されれば二度目はないだろう。
祈るような思いで意識を集中する。
「……む?」
女騎士がわたしの雰囲気がそれまでと変わったことを察した。
油断なく腰を落としてわたしに相対する。
わたしの脚に渾身の力が満ちていく。
脚の筋肉が張り詰め、ミシミシと軋みをあげる。
(――あてるッ!)
力を爆発的に解き放ち、わたしは女騎士に向かって弾丸のように飛び出した。
「ッ!?」
女騎士がその目を驚愕に見開く。
しかし女騎士も伊達や酔狂でS級冒険者という栄位を授かっているわけではない。
女騎士は即座に反応し、わたしに向かってその美しい剣の刃をあわせる。
だが――
(――いけるッ!)
これならいける。
わたしの方が速い。
ぶちかませる!
そう確信したとき、脳裏をふたたびあの光景が過ぎった。
――首から上を吹き飛ばされ崩れ落ちる男。
――脇腹から半身を抉りとられ、絶望の表情で地を這う男。
(……あ)
わたしの速度が僅かに落ちた。
だが女騎士の剣は止まらない。
わたしと女騎士の影が交錯する。
――――ッ、ザン!
なにかを切り裂く音がする。
そして、数瞬ののち……
その場に崩れ落ちたのは――わたしだった。
女騎士が倒れたわたしを見下ろす。
「…………なんの真似だ、貴様」
怒りを込めた視線でわたしを見下ろす。
「この私に、……氷騎士アリエルに、情けでもかけたつもりか!?」
わたしは朦朧とする意識のなかフラフラと立ち上がった。
「…………ッ、クヒュッ……」
息が詰まる。
うまく呼吸ができない。
わたしの身体は左肩口から右脇腹へむかって袈裟懸けにバッサリと斬り裂かれていた。
血はあまり出ていない。
代わりにその傷口にはピキピキと白い霜が降り、急速に体中の温度を奪ってゆく。
「……なんたる、なんたる屈辱か」
女騎士がギリリと歯を鳴らした。
「ッ、よかろう……貴様は、我が最大最強の攻撃で屠ってくれる」
女騎士は氷剣ミストルティンを鞘に戻し、わたしから距離を置いた。
離れた場所で女騎士が深く息を吸い込む。
意識を集中させたのち、女騎士はその両腕を胸の前に突き出して交差させ、厳かに詠唱を始めた。
「――静謐なる氷の王よ 万物を流転する悠久の女王よ――」
見渡す限り全ての大気が震え始める。
「――再びいまその時を止め 久遠の大地を白銀に染め上げん――」
大気が渦を巻き、収縮、拡散を繰り返す。
「――ああ、常世に、遍く世界に静寂を――」
静謐なる凍気が世界を包み込んだ。
女騎士がわたしを見据え、告げる。
「……娘。騎士の誇りを愚弄したこと、あの世で後悔するが良い」
すべての音がやんだ。
時を止めたその世界に響き渡るは、女騎士の凜とした声だけ。
「氷属性魔法上級高位 永久凍――」
「だあああめえええぇぇーーーーッ!!」
氷の世界を少女の叫び声が切り裂いた。
「――ッ、オ、オーロラ!?」
女騎士が、洞窟から飛び出してきたその金髪の少女の登場に目をまるくする。
「お、お姉様のバカーーッ!!」
「ちょ、ちょっと待ってくれオーロラ! わたしはおまえが攫われたと聞いて、矢も盾もたまらず飛び出して来たんだ!」
「もうッ、また早とちりをしてーー!!」
「は、早とちり!? い、いったい、なにがどうなっているッ!?」
世界を覆っていた冷気が霧散していく。
それと相反するように、わたしの視界には白い靄が粉雪のように降り積もっていく。
「ねこさまーーッ!!」
ぼんやりと薄れゆく意識のなか、わたしは涙目になって駆け寄ってくる猫耳少女の声を聞いた。