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むよくの天使  作者: 猫宮めめ


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3/5

 それからどれくらいの月日が流れたことだろう。閉ざされた村の中で暮らしていると時間の感覚が朧げになってくる。

 村から少し外れた場所で野宿しているヴァニタスは、今後の予定について思考を巡らせる。

 結局、少女から提案に対する答えを貰っていない。あの日以降にも会う機会はたくさんあったというのに。


 何せ――。


「ヴァニー、おはよう」


 やけに親しげに挨拶を交わす少女、エルア。

 ヴァニーという呼び名は気がついたときにはもう出来ていた。少しだけ懐かしい響きは嫌ではないので、そのままにしている。


 彼女はこうして毎日のようにヴァニタスの寝床を訪れていた。教会の者にバレたら大目玉どころじゃ済まないだろうに、物好きな奴だ。


「昨日の夜、凄い雨だったわね。大丈夫だった?」

「ああ」

「この辺は雨宿りできそうな場所もないし、心配していたの」


 言葉少なに返すヴァニタスとは対照的に、エルアは雄弁に言葉を紡ぐ。大抵が今のように他愛もない話だ。


「やっぱり教会に泊まらない? 神父様は私が説得するわ」

「俺は――こっちの方が落ち着くんだ」


「そう」とどこか残念そうに呟くエルアに罪悪感が渦巻く。何か言葉を探しているうちに赤い大きな瞳が空を仰ぐ。

 昨晩の雨など嘘のように、青の絵の具で塗りつぶしたような快晴が広がっている。


「私が本当に天使なら、背中に翼くらい生えてくれてもいいのに」


 唐突に呟いた彼女は身体を捻り、自分の背中を見るエルア。剥き出しの背中には翼らしきものは見当たらず、残念そうに肩を落とす。


「そうしたら空を飛んで、今すぐいろんな世界を見られるのに」


 絵本や教会の絵でみる天使は大抵、その背に美しい純白の翼を生やしている。エルアの白髪は翼のようだけれど、彼女の望んでいるのは本物の翼だ。


「私が偽物だから、かしら」

「天使に翼があるのは人のイメージに過ぎない。聖書にはそんな記述はないし、初期の絵画だと翼は生えていない」


 ここまで饒舌に誰かと話すのは久しぶりかもしれない。


「だから、お前が本物か偽物か、証明する証拠にはならない」


 天使という彼女を嫌悪しているくせに、何故、こんなことを言い出したのか自分でも分からない。珍しく意気消沈している彼女の姿に耐えられなかったのかもしれない。


 必死に言葉を紡ぐ姿が可笑しかったのか、エルアは笑声を漏らしている。

 何となく居たたまれなくなり、静かに視線を逸らす。


 と、ふいに吹いた風が目深に被ったフードを攫った。

 露わになった白髪は、透き通った彼女の髪とは異なり、くすんでいる。血に濡れた赤い瞳は獣のとうな鋭さを持ち、ヴァニタスの近寄りがたい雰囲気を増長させ、――。


「素敵な模様……」


 見惚れるように細い腕が伸ばされ、ヴァニタスの頬に触れる。

 そこには模様が刻まれている。生まれて間もない頃、無理矢理に刻まれたものだ。


 逆十字架を表しているのだというのは、後に教会の神父から聞いた話だ。

 聖ペトロ十字とも呼ばれるこれは、ペトロが処刑される際に背負ったものらしい。一方で悪魔崇拝と結び付けられることもあり、余計なトラブルを避けるためにヴァニタスはフードで顔を隠すようにしていた。


 いつもならフードが取れぬように気を配っているのだが、今日は油断していた。

 彼女を前にするとどうも調子が狂ってしまう。


「魔の刻印だ」

「それでも素敵なことに変わりないわ」


 相変わらず、真っ直ぐにものを見る奴だ。この世に悪意がないと信じているように。

 小さく息を吐いたヴァニタスは、こちらに近づいてくる人の気配を感じ、そっとフードを被り直す。

 エルアが残念そうな顔を見せたが無視した。


「天使様!」


 現れたのは少年だ。息を切らしたその少年は悲壮感を隠そうともせず、エルアに駆け寄る。


「ミゲル、どうしたの?」


 ミゲル。有名な天使の名前からとられたその名前は、ヴァニタスの心中に複雑な感情を落とす。


「トニーが川で溺れてっ」

「どこの川?」

「こっち!」


ミゲル少年を追うようにして、トニーという少年が溺れているという川まで向かう。

川自体はそこまで深くはないが、子供が溺れるには十分だ。


「トニー! 今助けるから」


 言うが早いか、かざした少女の手が神秘的な光に包まれる。あの力を使おうとしているのだと判断したヴァニタスは咄嗟に少女を止める。


「待っていろ」


 脱いだ上着を少女に渡し、ヴァニタスは川の中へ入っていく。長身のヴァニタスならば、余裕で足のつく深さだ。

 少女の心配げな視線を他所に、ヴァニタスは川の中をどんどん進んでいく。そして、溺れまいと必死に足掻く少年を軽々と抱きかかえ、少女の前に下ろす。

 慌てて、例の力で治癒にあたる少女を赤い瞳が静かに見ていた。


「嫌な力だ」


 預けていた上着を半ば奪うように受け取り、捨て台詞とともにその場を去った。

 少女はどんな表情をしているか分からない。見えないようにしていたから当然だ。

 無意識に歩調を速めるヴァニタスの前に黒い猫が現れた。深い海のような蒼い瞳。


「この村から出ていくつもり?」


 立ち止まったヴァニタスは否定も肯定もせず、沈黙で答える。


「俺は残っていてほしい。後悔したくないのなら」


 続くようにしてアビスという名の黒猫は、「この村に災厄が迫っている」とヴァニタスに告げる。

 詳しくは言えないらしく、信憑性はかなり薄い。しかし、蒼い瞳には嘘ではないのだろうと確信させる何かが潜んでいる。


「俺には関係ない」


 そう、関係ないのだ。

 ヴァニタスは所詮、外の人間だ。この村に何が起ころうが、あの少女が死のうが、関係ない。

 関係ない。関係ないはずなのに。




 結局、ヴァニタスはこのツァイテ村に留まり続けた。まだ目的を果たしていないから、というのは言い訳に過ぎない。


 ――後悔したくないのなら。


 蒼い瞳を持つ猫の言葉が脳裏を過ぎり、浮上する感情を無理矢理に沈ませた。

 あれからエルアとは会っていない。毎日のようにヴァニタスの寝床を訪れていた少女は、ぱったりと来なくなっていた。


 嫌われたのならば、別にそれでも構わない。元々、ヴァニタスは一人でいることが好きなのだから。

 いつも以上に活気に包まれた市場を歩きながら、そんなことをつらつら考える。


「お兄さん!」


 聞こえた声を喧騒の一部として処理し、歩を進める。


「お兄さんってば」


 気配を感じ、咄嗟に後ろを振り返る。特にそれらしい人影は見当たらず、静かに視線を下げていく。いたのは見覚えのある少年だ。

 確か、エルアはミゲルと呼んでいたはず。


「何の用だ」

「お兄さんと天使様が仲直りするのを手伝いたくて」


「ずっと探してたんだ」とミゲル少年は無邪気に告げる。


「喧嘩したのは僕のせいだし、その……」

「必要ない」


 そもそも喧嘩などしていないし、仲直り以前に仲良くなった覚えもない。が、ミゲル少年はそれでは納得いかにらしく、しつこく食い下がる。


「天使様にはいつも優しくしてもらってるから……元気づけたいんだ」

「……分かった。仲直りすればいいんだろ」


 結果的に折れる形となったヴァニタスはミゲルとともにエルアに会いに行くことになった。

 暇さえあれば、村の中を散策している少女の所在を掴むのは難しいと思っていたが、ミゲルによるとそうでもないらしい。


 今、ツァイテ村は降臨祭の準備に追われている。教会主催のそれは、迷える子羊の願いを天使が叶えるというものだという。年に一回のペースで行われ、村人たちはみな、天使の奇跡を目にすることを楽しみにしている。


 ともかく、その降臨祭とやらの準備の関係で、天使様こと少女、エルアは常に教会にいるらしい。

 教会に行くのは正直気が引けるが、仲直りするといった反面、そんなことも言っていられない。


「まだ村にいたのか」


 教会に足を踏み入れるなり、ヴァニタスにそう吐き捨てる神父。少し考えて、エルアと初めて会ったときに、彼女を連れさった神父だと思い当たる。


「神父様、あのっ、天使様に会いたいんです」


 鋭い眼光に怯えながらも、ここに来た目的を告げるミゲルを一瞥し、ヴァニタスへの軽蔑の視線を強めた。


「あの方は今忙しい。余所者と会う時間などない」

「降臨祭、か」

「そうだ」


 当然のことのように肯定する神父を前に、ヴァニタスは口元を綻ばせる。笑みというには少々歪で嘲りを含んだ顔だ。


「この調子じゃ、天使様が死ぬのも無理はないな」

「貴様、何を――」

「会えないなら、いつまでもここにいるつもりはない。ミゲル、行くぞ」


 戸惑うミゲルを無視してヴァニタスは先に教会を出ていく。背中越しに聞こえる二種類の声には無視を突き通した。

 少し遅れて隣に並んだミゲルは顔色を窺うようにヴァニタスの顔を覗き込む。


「ごめん、なさい」


 ヴァニタスにはミゲルが何に対して謝っているのか分からない。

 神父の態度に対してか。少女と仲直りさせられないことか。単にヴァニタスが怒っていると思っているのか。

 可能性としては後半の二つが高い。そう推測しつつ、ヴァニタスは口を開く。


「会う方法は他にある」


 そう、会う方法は他にもあるのだ。



 そして来たる降臨祭当日。

 村は今までにないくらいの活気に包まれ、教会の前には行列ができている。村人全員がいるのではないかというほどの長蛇の列、その最後尾にヴァニタスとミゲルは並ぶ。

 ここからは見えないが、列の先には天使様ことエルアが待っているはずだ。


 天使様の奇跡。その恩恵を受けるための列に混じる余所者を神父は快く思いはしないだろう。が、退けることもない。

 何せ、誰でも平等にという謳い文句が掲げられているのだ。直接的に何かするこはできまい。


「僕、この列に並ぶの初めてなんだー」

「そうなのか」

「うん。子供には早いってお母さんに言われて」


 誰にも平等にと謳いながら、大人は子供を遠ざける。欲望を隠そうとしない姿はいっそ痛快な気分になる。

 平等など本気で実現することは不可能ということだ。

 やけにはしゃいでいるミゲルと適当に言葉を交わしているうちにヴァニタスの番が来た。


「なんだかんだ言って、お前も天使様の恩恵を受けたいのではないか」

「そうだな。俺の望みはあいつにしか叶えられない」


 神父の皮肉を一蹴し、天使――エルアの前に立つ。

 今まで会っていたときに纏っていた質素なワンピースとは違い、まさしく天使といったようなドレスに近いデザインのワンピースを身に纏っている。僅かに化粧が施された顔は、どことなく大人っぽい印象を受ける。


「……どうして」


 薄紅色の唇から微かに言葉が零れた。


「俺がいつ死ぬか教えてくれ」


 驚くエルアに説明の一つも寄越さないまま、問いかける。

 エルアは予知能力持っているという話は、さんざん歩いた市場の中で耳にした。だからこその問いかけ。

 一度戦慄いた唇は決意を固めるように引き結ばれ、小さな光が瞬く。


「ヴァニーが、貴方が死ぬ未来は、そんな未来は……永遠に来ないわ」


 大きな瞳が揺れているのはヴァニタスの望みを知っているからか。

 そんな顔をしなくとも、ずっと前から知っていた。

 あの日、悪夢のようなあの日、ヴァニタスが死ぬ未来は永遠に奪われたのだ。自分が死ぬなど、天地がひっくり返っても有り得ない。


「そうか」


 呟き、立ち去ろうとするヴァニタスの腕を誰かが掴んだ。


「どうして」


 こんな表情を見るのは初めてだと、どこか他人事のように考える。

 彼女は、少女は、エルアはどんなときも笑顔でいたから。


「どうして、貴方は私の力が嫌いだって」

「ただの気紛れだ」


 掴む力が緩んだのをいいことにエルアの腕を振りほどき、その場を立ち去る。

 しつこく話しかけてくるミゲルの声も、引き止める誰かの声も、その誰かを止める神父の声も、すべて無視した。


 これで全て終わり。そろそろツァイテ村を立ち去ろうと思う。


 そこで、ヴァニタスの足が止まった。

 この頃にはミゲルも静かになっており、エルアも次の相手をしている。

 鋭い赤目で周囲を見回したヴァニタスは地面を蹴り、エルアの許へ向かう。が、一足遅かったようだ。


「貴方が噂の天使様ですね。ぜひ、取材をさせていただきたいのですが」


 眼鏡の男だ。マイクをエルアに向けている。

 傍には撮影機材を持った男たちが控えており、テレビ取材といった単語が脳裏を過ぎる。


「断る」

「おや、それは残念ですねぇ」


 のんびりとした喋り方には嫌に聞き覚えがある。

 レポーターを名乗りながら白衣を身に纏っている違和感に、村の中しか知らない人々は気付かない。


「余所者の相手をしている暇など我々にはない」


 ただひたすらに余所者に対する嫌悪だけをぶちまける神父は気付かない。

 このおかしな集団に今の今まで、誰一人として気付くことがなかったという事実に。

 へらへらと笑顔ばかりを浮かべる眼鏡の男が取り出したものが銃と呼ばれる兵器だということを知らない。


「そんなもの、見掛け倒しなんだろう」

「そうですねぇ。ご自分の身体でお試しになったらどうですか? 私もこの銃の威力を実験してみたかったんですよ」


 笑う男。


「やめて」


 制止の声も虚しく、乾いた音が響き渡った。

 馬鹿みたいに軽い発砲音。

 手を打ち鳴らしたときのような気安さをもって放たれた弾丸は、目にも留まらぬ速さで神父の胸元へ吸い込まれていく。神父は赤を撒き散らしながら、後ろへ倒れた。


「いや」


 誰も動けず、何も言えずにいる中、天使と呼ばれる少女の悲鳴だけが微かに響く。

 咄嗟に神父へ駆け寄ろうとした少女を引き止めたのは、他でもないヴァニタスだ。


「逃げろ」

「でも、神父様が。早く治療しないと」


 泣きつくエルアも無理矢理にでもこの場から離れさせようと腕を掴んだヴァニタスの前に眼鏡の男が立つ。


「おやおや? おやおやおやおや、誰かと思ったら不死者君じゃないか。いやぁ、こんなところで会うとは! まさに偶然、運命とも言うべき所業じゃないかね?」

「……ロバート・シュタイン」


 忌々しそうに舌打ちをするヴァニタスを見上げ、エルアは「知り合い、なの」と涙で汚れた顔に期待を募らせる。知り合いならば、今すぐにでも止めるよう頼んでほしいとでも考えているのだろう。

 生憎、こいつは話を聞くような奴じゃない。ヴァニタスもかなり苦労させられたのだから。


「……顔見知りなだけだ」

「つれないなー。世界の隅から隅へ、鬼ごっこした仲じゃないか。しかし、君の方から出てきてくれるとは。ついに観念してくれたのかな。それとも、その子が特別って奴なのかい?」

「こいつはただの人間だ」

「それは僕達が決めることだ。君がそうまでして守る娘、ますます興味が湧いたよ」


 眼光を光らせながら、男――ロバートは手を差し伸べる。


「さあ、僕と一緒に来てくれないかい? なあに、悪いようにはしない」


 人の良さそうな笑顔。

 この笑顔に騙された者は数知れない。


「君が来てくれるのならば村に危害は加えない。約束するよ」

「本当?」

「ああ、神に誓って」


 神など信じていない口で、いけしゃあしゃあと口にするロバートの手を取ろうと伸ばされる手。 

それ弾いたのはヴァニタスだ。


「こいつの言っていることは全て嘘だ。大方、お前を連れ去った後にこの村を焼き払うつもりだろうな」

「酷いなぁ。僕がそんなことする人間に見えるかい?」

「ええと」


 全く異なる意見を述べるヴァニタスとロバート。二人を見比べたエルアは困ったように瞳を揺らす。

 けれど、今しがた神父を殺した男と、短い間でも親しくしていた彼。どちらを信じるかは明白だ。


「ごめんなさい。やっぱり一緒には行けないわ」

「そうか、そうか。それは残念だねぇ」


 分かりやすく肩を落としたロバートは「でも」と口元に楽しげな笑みを浮かべた。


「無理矢理にでもついてきてもらうけどね」


 パチン。

 ロバートが指を鳴らしたのとほぼ同時に火の手が上がる。勢いよく燃え盛る炎を村の出入り口を塞ぎ、村人の逃げ道を閉ざす。

 そんなことをしなくとも、村人たちにツァイテ村から出るという発想はないだろうが、念のためだ。


「そしてそして」


 ロバートの後ろに控えていた男たちは、いつの間にか機関銃を構えている。どうやら先程まで持っていた撮影機材を変形させたもののようだ。彼らが所属する組織はこういう芸当に長けている。

 銃口は、エルアを除いた村人へ向けられている。


「ここは俺がどうにかする。お前は逃げろ」

「でもっ、村のみんなが! 私が守らないと」

「見くびるなよ。この程度の奴ら、今までだって何度も相手にしてきた。だから、心配するな」


 それでも、やはり迷っているエルアに「行け」と念を押す。


「ミゲルのこと、任せる」


 言うだけ言って、エルアに背を向ける。

 ミゲルのことを任された以上、「嫌だ」と突っぱねることもできない。迷うように揺れていた赤目は意を決したようで、ミゲルの手を取り、森の方へ駆けていく。


 炎のせいで村から出ることはできない。が、エルアならば別だ。

 彼女のあの力さえあれば、村を出るための数分間、炎を消すことができる。たとえ、この炎が普通の水で消えない性質を持っていたとしても。


「天使様には逃げられてしまったか。仕方ない。君を捕らえてから探しに行くとしよう」


 村人に向けられていた銃が残らず、ヴァニタスへ向けられる。


「そんな玩具で不死者()の相手が務まるとでも思っているのか?」

「強気だねぇ。君の利点は死なないだけだろ? まあ、そこが何ものにも代えがたい君の価値なんだけど」


 図星だった。

 ヴァニタスは所詮、死なないだけの存在でしかない。身体能力は普通の成人男性より多少良いくらいで、人間の域は超えていない。

 傷の治りが早いとはいえ、銃で撃たれれば傷を負うし、痛覚だって普通にあるのだ。


「そうだねぇ。不死者君が一緒に来てくれると言うなら、天使ちゃんを追うのはやめようじゃないか」

「信じるとでも思っているのか?」


 甘い言葉をささやき、自分たちの都合のいいように人を操る。何百年も前から変わらない彼らの、彼らが所属する組織の手口は嫌というほど目にしてきた。

 懐から銃を取り出し、自分に銃を向ける男たちに対抗する。


 同時に引かれる引き金。

 肌を掠める鉛玉には気にもとめず、男の一人の懐に潜り込む。そのまま蹴りを入れ、銃を奪い取った。

 二丁の銃を構えて男たちに向き直ろうとした時、それは視界を過ぎった。


「お兄ちゃん……」


 聞き慣れた声は、ここ最近、共に行動していた少年のものだ。エルアとともに逃げたはずの。

 震えた声の所在を探せば、少年ミゲルに向けられた銃口を認める。と同時に地面を蹴った。


 間一髪のところでミゲルの前に滑り込み、放たれた弾丸を背中で受ける。

 舞う血飛沫に泣きそうな顔をするミゲルの無事を確認し、ほっと息を吐く。背中の痛みに気付かないふりをしてしゃがみ込む。


「逃げろと言ったはずだ。それに、あいつはどうした」

「て、天使様はやることがあるからって。先に逃げろって……僕、どうしたらいいか分からなくなって、その」

「……分かった」


 ミゲルは恐らくそのことをヴァニタスに伝えに来たのだろう。そう考えると、これ以上責める気にはなれない。

 静かに立ち上がり、片方の銃をしまう。「行くぞ」とミゲルの手を取り、そのまま逃げの一途を辿る。

 追いかけようとする男たちに銃で牽制しつつ、エルアとはぐれたという場所へ向かう。




「これでもう大丈夫よ」

「エルア!」


 怪我を負った村人の治癒に勤しんでいたエルアの耳元に届いたのは、今一番聞きたくない声だった。


「……ヴァニー」


 怒られることを覚悟して振り向いたエルアを、何故かヴァニタスは怒ることはなかった。

 村人を置いて逃げる。彼女に酷なことを指示したことに多少の罪悪感があったのだ。

 どんな状況でも、自分の命が脅かされていたとしても、困っている人がいたら助ける。そうでなければエルアはエルアではなくなってしまう。


「止めはしない。だが、俺の傍を離れるな」

「いいの?」

「お前の好きにしろ」


 俺が絶対に守るから。


 その言葉は声に出さず、ただ静かに己の決意として胸のうちに押し込める。


「思っていたより近くにいたみたいだねぇ。これは僥倖」


 エルアとミゲルの二人を後ろに下がらせ、二丁の銃を構える。残りの弾数を脳内で確認しながら、男たちを無力化する術を必死で考える。

 火がかなり回り始めていることを考えると、あまり悠長に構えてはいられない。


「不死者君はいつも逃げてばかりだったからね。正直、こうして君の実力が見られることに興奮してるんだ」

「変態め」


 言いながら、後ろに迫っていた男を撃ち抜く。続くようにもう一人。


「傷の具合はもういいみたいだねぇ」


 仲間がいくら殺されようとも、余裕の構えを隠さないロバートに舌打ちを返す。

 先程、ミゲルを守るために負った傷はもうほとんど癒えている。お陰でこんな派手な立ち回りが出来ているのだ。


「さすが不死者なだけあるねぇ。僕的にはそろそろ終わらせたいところなんだけど」

「お前が立ち去ってくれれば、すぐに終わる」

「何の成果もなしに帰るわけにはいかないさ。……だから、とっておきを見せてあげるよ」


 瞬く閃光に、ヴァニタスは後ろにいる二人に覆いかぶさる。

 轟、という音とともに凄まじい熱風が背中を焼いたと思えば、全身に激痛が走る。

 数百年もの時を生きてきたが、ここまでの激痛は初めてで思わず苦悶の声を上げる。


「ヴァニー……? ねっ、ヴァニー」


 視界が霞み、音が遠ざかっていく。

 今にも泣きそうに震えた声は何度もヴァニタスに呼びかける。


「っ、える、あ」


 何かを言わねば、そう思いながらも身体は言うことをきかず、ヴァニタスはそのまま意識を手放した。


「……嘘! ヴァニー、起きて。お願いだから、目を覚まして」

「そんな悲愴な顔をしなくとも、彼は死なないだろう?」

「そんなの関係ない! ヴァニーは、ヴァニーは」

「ふむ。じゃあ、こうしよう。君が一緒に来てくれるというのであれば、我々が彼の治療をしよう。我々の技術があれば、傷一つ残らないよ」


 ロバートを見つめる赤目はもう迷ったり、悩んだりはしない。ただ一つの答えを示す。


「貴方と一緒には行けない」


 はっきりと宣言したエルアの髪が激しく揺れる。

 いつも青空の光を受けて僅かに青みを帯びている白髪が、今は炎に照らされて赤く輝いて見える。

 まるで、彼女の怒りを表現しているようだ。


「ヴァニーを、神父様を、村を、私の大切なものたちをこんなにした人とは一緒に行けない!」


 突如として豪雨が降り注ぎ、あれだけ燃え盛ていた炎を一瞬で鎮火する。同時に雨は、村人たちの傷を一瞬で治してみせる。

 代わりに村を襲ったロバートを含めた男たちには、身を裂かれるような激痛を味わっていることだろう。


「はは、ははははははははは」


 激痛に襲われながらも、ロバートは高らかに笑い声を上げる。


「素晴らしい力だ。ますます欲しくなったよ」

「今すぐこの村から出ていって!」


 雨がやみ、今度は風が吹き始める。徐々に強まる風はロバートを、男たちを包み込み、そして――。




 荒れ果てた村の中、一匹の猫が座っている。

 蒼い瞳は意識を失った白髪の青年と、彼に寄り添う白髪の少女が映っている。


「俺はまた」


 それ以上言葉を紡ぐことをやめた猫の視界に新たな人影が映る。

 幼い少年だ。ここ数日、青年の傍にいた少年の瞳は銀色に輝いている。

 自分の瞳と同じ神秘的な光を纏うその瞳が意味することを知る猫は「そうか、君が」と小さく呟く。


 出来損ないと呼ばれる神の眷属。Dと呼ばれるその存在は、互いの記憶が見ることができるという。

 研究者の中にも、村人の中にも、Dがいることは知っていたが、こんな身近なところにいたとは少々予想外だ。


「僕の、せいで」


 悲嘆にくれる少年にそっと寄り添う。


 君は悪くない。これはそういう運命だっただけだ。


 そんな言葉を飲み込んで。

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