大聖霊と王と女王
「どうした!?これが貴様等の望んだ、大聖霊エレセネの力だぞ!」
その叫びが響く場所は、殺戮の舞台だった。
人の命が紙吹雪のように散ってゆく。
「これが……!これが、我が愛しき人を奪った報いだ!」
その国は、古くから疫病の蔓延する土地であった。
いずれは命を落とすほどの病であったが、国を訪れた聖霊士によって呼び出された、大聖霊エレセネ。その力によって、その病は鎮められてきた。
しかし、その大聖霊エレセネも、その力は無限のものではなかった。
永きに渡り、国と歩んできた大聖霊は、ついにその力を失おうとしていた。
己の最期を悟った大聖霊は、国を治める聖霊士に告げた。
「我が力はじきに失われる。そうなれば、古き病が再び国を蝕むであろう。それは我も望むことではない。しかし、もし」
もし、
「生ける者の血肉を捧げるのであれば、我が最期の力をもって、この地から古き病を永遠に消し去ってくれよう」
その国を治めるのは、強き女王と、優しき王であった。
女王は、剣術にも聖霊術にも優れ、決して悪を許さない、美しい女王であった。
王は、身体は弱いが、弱き者に寄り添い、力ある者に正しき道を示す王であった。
エレセネの言を聞いた聖霊士たる女王は、国にそれを伝えた。
そして、大聖霊に捧げる命は、王のものと決まったのだ。
血肉を捧げる儀式は、女王を含め、聖霊術に長けた者が集められ、行われた。
女王は儀式において何もしようとはしなかったが、誰もそれを咎めることはしなかった。
儀式は、滞りなく終了した。
大聖霊の力により、国は疫病の恐怖から解放された。
誰もが、これからも平凡な日々を、しかし幸せに過ごしてゆくと。
そう思っていた。
女王は、聖霊術に優れた女王だった。
力を使い果たし、消えゆく大聖霊を、現世に留めることができてしまった程に。
現世に留めたエレセネを、その身に宿すことができた程に。
そして、
その力を、己の最愛の王を失わせた国への復讐に行使できる程に。
女王によって、大聖霊は力を行使した。
大聖霊の咆哮は、国の人々の身体を、無惨に引き裂いていった。
身を引き裂かれる程の、という言葉を、悲しみの表現の際に使うことがある。
言霊の聖霊術が、大聖霊の力によって、その言葉を叶えたのだ。
身を引き裂かれる中で、聖霊の力に触れられる者は、ひょっとしたら、こんなことを思ったかもしれない。
なぜ、これ程の力を持った大聖霊が、
こんなにも悲しんでいるのかと。
「どうした!?これが貴様等の望んだ、大聖霊エレセネの力だぞ!」
その絶叫が響く場所は、惨劇の舞台だった。
人の命が枯れ葉のように散ってゆく。
「これが……!これが、我が愛しき人を奪った報いだ!」
かつて王であった男は、消えそうな意識の中で思った。
ああ、なぜ、我が愛しき人は、こんなにも悲しい叫びをあげているのか、と。
そして、
なぜ、私は、こんなにも悲しいのだろう、と。
その時、国は滅んだ。
たった一人の、強き女王だった女性を残して、その地に、他に生ける人間はいなかった。
同時に、聖霊術の行使によって力を使い果たした女王だった女性も、限界を迎えようとしていた。
かつて王だった男は、己の存在が希薄になってゆくのを感じた。
己の宿主が、その命を終えようとしているのだ。
男は王であった。
しかし、聖霊にその血肉を与え、命を終えた後、その場に戻った愛しき人の聖霊術によって、大聖霊エレセネとして蘇ったのだ。
「私のかつて信じた国よ……。これが……、私と、我が愛しき人を裏切り、二人を引き裂いた報いだ……。」
かつて女王だった女性は、膝を地に落とす。
「これで、国に裏切られ、命を散らした我が愛しき人は、私をほめてくれるだろうか……」
かつて王だった男は、消えそうな意識の中で思う。
違う、違うんだ、と。
私は、国に裏切られて、大聖霊に命を捧げたのではないんだ、と。
同時に思う。ああ、私は、と。
私は、愛しき人がこんなにも悲しんでいるから、己も悲しいのか、と。
かつて王だった男が産まれた時、既に大聖霊エレセネの力は弱まりつつあった。
身体の弱かった男は、王になる前に、すでにエレセネが抑えきれなかった疫病に身体を蝕まれていた。
だから、愛しき人が、大聖霊から言を持ち帰った時、思ったのだ。
私の命は、もう病がなくとも先がないほど弱ったこの身体は、ここで国のために捧げるべきだ、と。
疫病がすでに蔓延しつつあるという恐怖を、人々に与える必要もない、と。
ああ、愛しき人よ、だから、と。
だからそんなに悲しまないで。
私は国を、何より貴女を悲しませないために、その身を捧げたのだから、と。
そして、存在も意識も消えそうな中で、最期に聞いた。
「忌まわしき、我が愛しき人を奪った大聖霊よ。もし、もしも」
もしも、
「もしも叶うのなら、最期に、愛しき人ともう一度会わせてはくれないだろうか?」
大聖霊は、その願いを聞き入れた。
かつて女王だった女性は、愛しき男性を見つけた。
かつて王だった男は、愛しき女性の前に、聖霊の姿で現れた。
聖霊の姿でも、女性は理解した。
それが、愛しき男性であることに。
「……またこうして会えて嬉しいよ」
「あ、ああ、貴方が、目の前に、ああ、ああ……!」
「泣いてしまうなんて。そう言えば貴女は、よく国民のために泣いたり怒ったりしていたね。君が笑っているところは見たことがないよ」
「わ、私、私、貴方のために、貴方のために……!」
「うん、ずっと見ていたよ。大聖霊エレセネとなって、君のそばで。」
「私、貴方を捨てたこの国が許せなくて、貴方を殺した国が許せなくて……!」
「ううん、違うんだ。僕はあの時にはもう、既に命が尽きそうでね。その命を国のために使えるなら、って、自分で決めたんだ」
「そんな…… だとしたら私は、私は、なんてことを……」
「うん。そうだね。君のしたことは、これから何をしても許されることではない。たとえ世間や人々が許しても、君だけは君を許してはいけない」
「私は…… 私は…… 取り返しのつかないことを……」
「大丈夫だよ」
「……え?」
「大丈夫。君の聖霊術と大聖霊エレセネの力を受け継いで得た僕の力は、浅い歴史の死すら超越する。それで力の全てを使い果たしてしまうけれどね。だからー……」
だから、
「だから君は、やり直すんだ。今度こそ、いつもの君の、国民を思う、強く美しい女王として、みんなを導くんだ」
「国民は…… 皆は、私を許してくれるだろうか……」
「大丈夫。皆には冥界からの帰りに、うまく取り繕っておくよ。」
そして、
「じゃあ、僕はもう行くよ。消えてしまう前に、君にまた会えて、本当によかった」
「そんな…… また貴方を失うなんて……」
「そんな顔しないで。できれば…… 最後に……」
「君の笑顔を、見たかったな……」
そうして国民は、大聖霊の力によって蘇った。
大聖霊は、力を使い果たし、現世から完全に消えてしまった。
女王は、大聖霊エレセネの言もあり、国民に許され、再び王位に就いた。
国は、疫病から解放され、それから脅かされることはなかったという。
女王は、新たな夫を作ることなく、その生涯を終えた。
善政を重ね、国民を思い、よく笑う女王だった。
女王の遺した日記がある。日記の中で、よく出てくる言葉。
「あの時、最期に、愛しき人に笑顔を見せられていれば」
そして、最後のページにはこうある。
「やっと、貴方に会えます。やっと、貴方に笑顔を見せることができます」