02 奄美剣星 著 天の川&灯 『銀河陸上爆撃機』
クリスマス・イヴをどう盛り上げるか。
出撃の直前まで戦友の鈴木と田中とそんな話ばかりしていた。鈴木は私と同じクリスチャンだったが、真言宗檀家で育った田中は引きずり込まれた形で、私たちに話しを合わせていた。――基地内では、空襲がなければの話だが、あまり多くもない基地内の信徒仲間が集まり、ささやかながら、調達した酒や肴を持ち寄って食堂で飲むことが許可されていた。――当然、女はいない。
双発機のプロペラが回転して、滑走路から土煙を上げて舞い上がった。
コクピットに収まっているのは、操縦員の鈴木、偵察員の私、電信員の田中という順で縦に並んで座っていた。
前日十月十一日、友軍索敵機が米国機動部隊を発見して、現在地はだいたいつかんでいる。
「すんげえ、護衛機をみてみろよ」私は窓ガラスを小突いて二人に指差した。
緑色に塗られた零式二十二型戦闘機の編隊のなかに、ピンク色の桜印で埋め尽くされた機体があった。百近くもある。――桜印は公認撃墜マークを意味している。
「あれは岩本飛曹長機だな」
おおっ! 変な意味で私たちは盛り上がった。その人を何度かみかけたことがある。ニュース映画にもなっていてかなりの有名人だ。今年の暮れには少尉昇進との噂もきいている。
岩本徹三飛曹長は救命具に「天下の浪人、零戦虎徹」と大書していて、武勇伝を知らぬころは失笑していたものだ。――小柄な優男で、部下には横柄な口をきくことはしないのだが、終戦までに公認八十機、自己申告二百機余りを仕留めた撃墜王だ。
この人が護衛してくれるなら護りは鉄壁だ。あとは敵艦を搭載した魚雷で沈めてやるだけでいい。
銀河という陸上爆撃機を御存じだろうか。操縦員、偵察員、電信員三名しかいない。機体の長さは十五メートル、双発をなすプロペラがついた主翼の幅は二十メートル。爆撃機としては小ぶりで、当初、敵は戦闘機と見間違えていたらしい。
学徒動員で赤紙をもらった私は内地で訓練を受け、台湾にあった第二航空隊に配属され、そこで、銀河陸上爆撃機の搭乗員になった。初陣が昭和十九年十月十二日夜から始まった台湾沖での戦闘だった。銀河、天山、飛龍といった爆撃機に戦闘機をくわえた約百機の編隊だ。
問題は低空を覆っている雲だ。
図上で敵艦隊がどの辺にいるか予想はついていたのだが、具体的に、どこを航行しているのかつかめていない。――隊長機からの指示を待っていた、電信員の田中が苛立っている。
やがて、偵察機が敵影をみつけ照明弾を投下したのだが、それが裏目にでた。友軍機百機弱で突っ込んでいったわけだが、敵艦の対空砲火で半ばを撃墜されてしまった。
なんだこりゃあ!
――当時の戦局はマリアナ諸島を米軍によって占領され、そこを拠点にした敵空母機動部隊が、フィリピン奪還作戦の一環として、台湾・沖縄の航空基地を片端から潰して回るという戦術をとっていた。第三艦隊は航空母艦十七隻、戦艦六隻、重巡洋艦四隻、軽巡洋艦十隻、駆逐艦五十八隻という途方もない大艦隊で、日中、一千機でせいせいと台湾航空基地を爆撃し、沖合で翌朝には再出撃する準備をしているところだった。
味方の士気はガタ落ちで、ふつうなら、作戦中止となるはずだ。そこを銀河の隊長機は、「手本をみせてやるぜ」とばかりに突っ込んでゆくので、ズルズル引きずられるように私たちの愛機も急降下して海面すれすれで魚雷を投下させた。
やった。空母に命中したようだ。
護衛戦闘機・零戦のエース・岩本は、「送り狼」の異名をもっている。
敵が迎撃にくりだした戦闘機をまっさきにみつけて、射程距離である百五十メートルまで忍び寄り、砲火を浴びせて戦闘空域を離脱する。さらに一勝負ついたところで、帰り支度にかかった敵機をそしらぬ顔で追撃する。――これで、終戦までに二百機強を落とした天才児で、第一次大戦でいうならレッド・バロンのような戦法をとっていた。
他方、私たちといえば、愛機機体を上昇させたところで、敵艦の弾幕にひっかかって被弾、海上に胴体着水する羽目になった。
銀河はしばらく浮いていたので、コクピットに乗ったまま漂流し、それが沈むと、私たちは洋上に飛び込んで救命胴衣で海上をプカプカ浮いて、友軍軍艦が救助してくれるのをひたすら待った。台湾沖には人食い鮫がいる。そいつらにみつからなければありがたいところだ。
洋上で少し眠っていると田中の悲鳴で目が覚めた。海面が赤く染まっていた。声をかけたのだがぐったりしている。――群れではないが、鮫がきて襲ったのだ。鈴木と私は応戦しようとホルダーから拳銃を引き抜いたのだが、海水で濡れていため、撃鉄がカチカチ音をたてるだけで発砲できなかった。
不幸中の幸いだったのは鮫が群れではなく一匹しかいないところだった。田中の脚を食いちぎって空腹を満たしたのか、そいつは、残る俺たちに襲い掛かることはしなかった。
また、眠っている間に、今度は鈴木が波に流されてどこかにいってしまった。
身体はすっかり冷え切っていた。食事もとっていない。それでけっきょく、漂流は十六日の明け方まで続いた。朝もやの海上に灯が近づいてきた。――これが噂にきく不知火という奴か。
不知火は夜の水平線上を漂う人魂だ。
しかし、そいつがさらに近づいてくると、全長百二十メートル弱、二千トン級駆逐艦の灯火だと判った。その名も不知火。甲板からボートが降ろされ、救助要員がやってきた。もう大丈夫、とまた眠ろうとすると顔面を、手加減なしのロープでひっぱたかれる。――海難者はこういう瞬間に安心して死ぬ。救護班はそうならぬようにひっぱたく。
私たちが参加した台湾沖航空戦における戦果は、米国側が重巡洋艦キャンベラ・軽巡洋艦ヒューストン大破、正規空母ハンコック小破、航空機八十九機の損失。対して日本側は、迎撃機千二百のうち三百十二機の損失となった。
敵は戦術的撤退をしたのであって潰走ではない。味方航空機一千機で一斉攻撃すべきところを、百機単位の逐次投入で、みすみすチャンスを逃がしてしまったのだ。大本営発表の第一報は敵空母十七隻撃沈だったが、すぐに誤報と判り、司令官は更迭された。
私は海軍の療養所で少し静養すると原隊復帰し、「一人きりのクリスマス・ソング」というものをした。――戦局はさらに悪化していて、第二航空隊は悪名高い「神風特別攻撃隊」に変貌し人々に記憶されることになるのだが、辛くも、そっちにはゆかず終戦を迎えることができた。
銀河陸上爆撃機は戦闘機なみの高速度にみられるような抜群の性能を誇りつつ、緻密な構造でメンテナンスが難しく、対応できる整備兵が少なかった。加えて台湾沖航空戦直後に昇進した岩本少尉のような、練度の高いパイロットの大半が戦死してしまい、最後に残っていたのは、私のような学徒動員兵や少年兵ばかりで、デリケートな銀河を操るには荷が重過ぎたのだ。
ゆえに、約千二百機が量産されはしたものの、多くは直接の成果に結びつかなかったといわれる。それでも終戦時に百八十二機が残存していた。
メンテナンスが行き届かなくて放置された銀河が飛行場の隅に並べてあった。
蒸せる八月十五日に陽はなかなか沈まず、暮れてようやく星空を眺めることができた。玉音放送をきいたあと、放心して基地内を隊の戦友たちと、人魂のようにフラフラしながら私はつぶやいた。
国落ちて銀河あり。
中国の唐・玄宗朝のとき、反乱で都落ちする羽目になった宮廷詩人・杜甫が心境をつづった「春望」の一節をもじった揶揄だ。
了