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自作小説倶楽部 第13冊/2016年下半期(第73-78集)  作者: 自作小説倶楽部
第75集(2016年9月)/「かげろう」&「風」
20/43

06 紅之蘭 著  風 『ハンニバル戦争・エピソド』

【あらすじ】

紀元前三世紀半ば、第一次ポエニ戦争で共和制ローマに敗れたカルタゴは地中海の覇権を失った。スペインすなわちイベリア半島の植民地化政策により、潤沢な資金を得たカルタゴに、若き英雄ハンニバルが現れ、紀元前二一九年、第二次ポエニ戦争勃発が勃発。ハンニバルは、ローマ側がまったく予期していなかった、海路からではなく陸路を縦断し、まさかのアルプス越えを断行、イタリア半島本土に攻め込んだ。そしてカンナエ会戦で二倍近いローマ迎撃軍を壊滅させた。

 カンナエ会戦の報告に、バルカ家の末弟マゴーネが、長兄ハンニバルの名代で、本国にむかった。戦艦級である五段櫂船は、第一次ポエニ戦争敗北以降つくられていない。だから巡洋艦・駆逐艦級の三段櫂船での帰還だ。イタリア半島とバルカン半島との間にある、アドリア海から、まだローマに奪われたままの、穀倉地帯シチリア島を尻目に、地中海を横断。制海権はまだローマが握っている。だからみつからないように、カルタゴの軍旗ははためかせず、ローマの同盟国の艦船を装っての渡航だった。

やがて雪を戴いたアトラス山脈がみえてきた。

 手の空いた船員たちがこぞって甲板に上がってくると、安堵したように、祖国の大地を沖合から遠望した。

 ローマもそうだが、カルタゴも当時は共和制をとっていた。神殿のような大会議場・元老院。当時の元老院議長はハンノという人物だ。ハンニバルの部将にも同名の人物がいるが別人、バルカ家兄弟にとっては、目の上のたんこぶのような存在だ。

 カンナエ付近の港をでるとき、同行することになった、軍師シレヌスが耳打ちした。

 ――マゴーネ様、ハンノを懐柔するのは不可能です。だから、目に見えるものを、他の議員たちにみせなくてはなりません。

 年若い将軍は、「兄からの預かり物です」といって、港から荷揚げした戦利品を元老院の議場に運ばせた。

 元老院の建物は、ギリシャの神殿によくある石造の列柱構造をしているのだが、随所を飾る彫像は、ギリシャ・ローマよりは稚拙な感じを受ける。床に敷かれた羊毛カーペットに、元老院議員たちが輪をなしている。そこのど真ん中に、いくつもの木箱を積んだ。若い将軍が顎をしゃくると、奴隷たちが木箱の蓋を開けて床にひっくり返した。

 黄金の指輪が山となって、胸くらいの高さにまで達した。

 議場が沸き立った。

「ローマ人の男たちは、実印を指輪にして持ち歩くという。つまり討ち取った敵首級の数と同じ分だけあるというわけだな!」

 シレヌスが忠告したように、床に届くほどに長い白い顎髭を生やした議長は、他の元老院議員たちとは反応が違った。ハンノは、はしゃぐ者たちを制して、マゴーネにきいた。

「君の兄上はなるほど野戦で大勝利した。しかしローマ元老院は降伏の使者をよこしたか? あるいは同盟市は寝返ってきたか? ここが潮時というものだ。講和すべきではないのか?」

 青年はしばらく考え込んでから、首肯して、「兄も同じことを申しておりました」と答えた。

 長老は、青年を一瞥して、肩に手をやった。

「ハンニバル君に、そのあたりの後始末をうまくやるように伝えてくれ」

 ハンニバルの腹心シレヌスは情報機関の長だった。常時カルタゴ本国を張らせている、〝草〟の元締めと接触していた。裏路地に工房を兼ねた屋敷を構える、古い知人で、久しぶりに本国に寄ったから、挨拶にきたと彼の家族にはいっておいた。本国での元締めは、石工の親方で、切りだした石の横に二人並んで世間話をしていた。その元締めが、ナツメグや干しブドウを肴に、葡萄酒を満たした角杯を片手にしての会話の途中で、小声でいった。

「ハンノ議長閣下が、ハンニバル総督の将軍を籠絡したようです」

「ハンニバル様の取り巻きに、刺客がいるわけだな。して、裏切り者は誰だ?」

「親方がシレヌスに耳打ちした。――暗号文書をお渡しします。そこに記しておきました」

「分かった、早速カンナエのハンニバル様のところに早船をだすとしよう」

 軍師がうなずいた。――頼む、間に合ってくれ。馬に乗ったシレヌスは、つけている政敵を裏路地で巻きつつ、途中、待ち受けていた、果物屋露店の親爺のところに、包帯巻を投げ込んだ。サイズが合致して、カギになる棍棒に巻きつけると、文字になる暗号文書だ。

.

 カンナエ会戦のあと、しばらくそこでハンニバルは部下たちを休ませた。会戦のとき凸状陣形をつくったところに、ローマ軍の集中攻撃を食らったため、そこの兵員が目減りしたのだが、それでも五千人くらいで、主にガリア傭兵だった。

 アドリア海から、湿った風がふいてきて、オリーブの葉を、さやさや揺らした。青い実が、鈍い音をたてて落ち、地面に転がった。

 三十一歳になった隻眼の将軍は、カンナエの町の神殿を本陣にした。ハンニバルは末端の兵士と同じ食べ物を食べ、同じようにして地べたで寝た。そういう過酷な状況下に自ら身を置いているがために、片目を患って失明したのだ。オリーブの木蔭で横になっていると、部将マハルバルが来ているのに気が付いて目を覚ました。マハバルは猪首だ。その男の背後には近習がいて、いまにも襲い掛かろうとしていた。

「総督閣下、ローマ攻略になぜ躊躇なさっておられるのです?」

「ローマを落とすには、攻城兵器がいる。攻城兵器をこしらえるには膨大な資材がいる。兵員も敵の四倍以上、つまり数十万の人員が必要だ。それを数年食わせる食糧もいる。――時期尚早というものだ」

「仕方ありませんな」

 マハバルは、「やれ」という合図で、背後の近に首をかしげてみせた。

 しかし。

 討たれたのはマハバルと配下の者たちだった。ハンニバルは寝ていても隙をつくらない。物陰には、弓を手にした親衛隊が身を潜めて、不審者をみかけたら、容赦なく矢を射こんでくるのだ。

「私は、議長と同じ考えだ。講和を画策している。マハバル、おまえと議長との思惑の一致は、私を除こうとする一点のみだ。そのためだけに操られているということになぜ気づかぬ? ――私を刺しても、すぐ処刑されるのが落ちだ」

 突っ伏す寸前、マハバルは、「閣下は不敗だが、果実のもぎ取り方を心得てはおらぬ」といって吐血した。

 オリーブの幹や祠堂の陰にいた親衛隊が姿を現し、脚で遺体を転がして刺客どもの生死を確認しだした。

 隻眼の将軍は伸びをすると、親衛隊長に命じた。

「戦後処理というのは面倒なものだな、投降したローマ兵十名を選んで、使者と一緒に送り届けさせろ。むこうの元老院議員を交渉のテーブルに引っ張りだして来い」

     風・了

【登場人物】

.

《カルタゴ》

ハンニバル……カルタゴの名門バルカ家当主。新カルタゴ総督。若き天才将軍。

イミリケ……ハンニバルの妻。スペイン諸部族の一つから王女として嫁いできた。

マゴーネ……ハンニバルの末弟。

シレヌス……ギリシャ人副官。軍師。ハンニバルの元家庭教師。

ハンノ……一騎当千の猛将。ハンノ・ボミルカル。この将領はハンニバルの親族だが、カルタゴには、ほかに同名の人物が二人いる。カルタゴ将領に第一次ポエニ戦争でカルタゴの足を引っ張った同姓同名の人物と、第二次ポエニ戦争で足を引っ張った大ハンノがいる。いずれもバルカ家の政敵。紛らわしいので特に記しておくことにする。

ハスドルバル……ハンノと双璧をなすハンニバルの猛将。

.

《ローマ》

コルネリウス(父スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ。ローマの名将。大スキピオの父。

スキピオ(大スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル。ローマの名将。大スキピオと呼ばれ、ハンニバルの宿敵に成長する。

グネウス……グネウス・コルネリウス・スキピオ。コルネリウスの弟で大スキピオの叔父にあたる将軍。

アシアティクス(兄スキピオ)……スキピオ・アシアティクス。スキピオの兄。

ロングス(ティベリウス・センプロニウス・ロングス)……カルタゴ本国上陸を睨んで元老院によりシチリアへ派遣された執政官。

ワロ(ウァロ)……ローマの執政官。カンナエの戦いでの総指揮官。

ヴァロス……ローマの執政官。スキピオの舅。小スキピオの実の祖父。

アエミリア・ヴァロス(パウッラ)……ヴァロス執政官の娘。スキピオの妻。

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