01 深海 著 天の川&カンテラ 『きらきら精霊燈 ――愛打式7401――』
(今回はウサギ技師視点のお話です)
塔の屋上で天体望遠鏡をいじってると、ちっさな女の子が俺の作業をのぞきにきた。
うちの料理人の娘だ。
まだ四、五歳ぐらいかな。金髪が長くって眼がくりくりってしてて、むちゃくちゃかわいい。
俺の奥さんはひそかに、「きらきら精霊」とこの子のことを呼んでいる。
奥さんは魔力がバカみたいに強いので、人の魂の状態とかはっきり見えちゃうらしい。
「ウサギさま、それなに?」
女の子は青い目を見開いて興味津々。木の幹ぐらい太くて長くて、でっかい筒を見上げてる。
「星を見る機械さ。ルファの目の膜のでっかい奴を作ってつけてるんだぜ」
「るふぁのめ?」
「うん。遠くのものをでっかく映すことができる義眼なんだけど。そいつを望遠鏡用にでっかくうすくして嵌めてる。拡大膜を何十枚と貼ってるからすごい性能だぜ。見てみるかい?」
空には、満天の星。漆黒の地色に、きらきら銀いろの星がちりばめられている。
「んー、天の川が見えにくいな」
うっそうと茂った森の中とはちがい、塔は王宮のすぐ隣にある。だから、天体観測するにはちょっと明るい。宮殿の常夜灯も街の明かりも、結構な光量だ。
そんなわけで。
「ちょいと北のお山の方に移動すっか」
俺はこのひそみの塔を自走させた。
赤毛の妖精たちに金属伝道管で指示を出して。収納している足の部分をだして。がしがし走らせるんだけども。
「ひえ?! ふあああああ?!」
女の子は目を真ん丸くして、ずずずと走りだす塔のてっぺんにしりもちをついてた。
すごい、すごいと、それはもう大変な驚きよう。
いやぁなんというか、そこまで感心されちゃったら、なんだかこそばゆいよね。
「島要塞ツルギ。同じものを四基、メキドの守りに置いてるんだぜ」
「めきど?」
「南の国だよ。もともとこの塔は、メキドにあってさ。その国を守るために稼動してたんだ。今はエティアに来てるけど、古巣のことは忘れちゃいないよ」
星の観測は重要だ。
空を見れば、この星の状態を的確に読み取ることができる。
空気のにごり具合や星の見え方で、異変が起こればたちどころにわかる。
昔、その観測法を知り合いのメニスの女の子から教えてもらった。
その手の本もかき集めて研究したから、俺はそこそこ星見ってのができる。
でも岩窟の寺院の導師並みに、それで世界情勢や個々人の運勢まで読み取る、という力はさすがにない。
導師の星見の力はかなり特殊なものだ。
「今の時期は流星群が見られるんだ」
あたりはまっくら。はるか遠くに街の明かりがうっすら見えるところで、俺は塔の自走を止めさせて。でっかい望遠鏡の蓋をがちゃこんと開けた。
「ここから見てごらん」
「わあ! 星がおおきくみえる!」
「肉眼だとけむって見えるところも、全部星なんだぜ」
「どこ? どこ?」
はしゃぐ女の子に、天の川を指し示してみせる。
「わあー、ほんと! すごいー! あ! いまのなに? すうって流れていったよ」
おお、流星だ。
きらきら精霊ちゃんは大喜びで、望遠鏡に映るものを見ていた。
願いをかけなきゃと、目を皿のようにして流星がまた現れるのを待ち、きらっと流れていく物が見えるたび、両手を合わせてる。
かわいいなぁ。何をお祈りしてるんだろ。
俺はその隣で、空に浮かぶ赤星と白星の輝度を測っていた。
ここは王都に近いから、さすがに空気はきれいに澄んでいるとは言いがたい。
それでも以前ほぼ同じ地点で観測したよりは、星の輝きが格段にきれいに見えている。
王様に都のごみ処理場の移転と、リサイクル推進を進言したからなぁ。
空気の質がしっかり改善されてて何よりだよ。
「カーリン、寝る時間だよ」
階下から、料理人が娘を迎えに来た。
「はーい」
きらきら精霊ちゃんは素直だ。
すぐさま父親の胸に飛びこんで、よき夢を見るためにベッドへ行った。
あー気になる。
どんな願いことしてたんだろ。
――「かわいいですね」
お。
りん、と澄んだ声がしたので、俺はうさぎの耳をひょこりと動かし、ふりむいた。
そこにすらっとした、長い銀髪の人が立っている。
真っ白な肌。紫の瞳。ゆたっとした――黒き衣。
おお。この人は……!
俺は後ろ足を踏み込み、にこやかに、その人のもとへぴょんと飛んだ。
「奥さんこんばんはっ」
「ピピさんこんばんは。今宵は落ち星の夜ですね」
えへ。へへへ。そうです奥さん。そうですよお?
いや今夜も一段と、美人ですねー。ふへへ。
「ピピさんは一段と、顔がにやけていますね」
はいそれはもうっ。奥さんの美しさに、俺は顔がだらしなくゆるみますよぉ。
当然ですよぉ。こんなにお美しいメニスですもんねえ。
おお、特製カンテラ持ってるんですねえ? 空っぽのこの中に、落ちてくる星を入れようって寸法ですねえ?
カーリンも一緒に、誘ったらよかったかなぁ。
「子供は寝ないといけない時間ですよ」
いて! いてて! 奥さん痛いですよ。にっこり微笑みながら、俺の耳引っ張らないでくださいよ。
すみませんすみません。二人きりじゃないとダメですよねえ。
逢瀬ってやつですもんね。
いやあ、俺たち、相思相愛ラブラブですね!
「やっと、こちらへ戻ってこれそうです」
おお。ほんとに?
「はい。割れた次元亀裂の修復が、ほぼ済みましたので。あちら側からずいぶんこじ開けられていましたが、大丈夫です。しっかり縫い閉じることができました。これでまた当分、メニスの王を異次元世界に封じ込めておけますよ」
俺と奥さんはその昔、人間を滅ぼそうとしたメニスの王を別の世界に封じたんだけど。
そいつがまた暴れだす気配を見せたんで、奥さんが現場に急行して、ずうっと穴うめ作業してくれてた。俺とこの塔は後方支援してたけど、今回はずいぶん時間がかかったなぁ。
帰ってくるのほんとうれしいよ。奥さんずうっと出張してたから、俺さびしかったわ。
「あらあら。こうして毎日、精神体を送っているじゃないですか。触感や物理感もきちんと送っているはずですけど?」
そうだけどさあ。ちゃんと掴めるし、さわれるけど、それでも奥さん、生身じゃないもん。
いくら魔力がめちゃくちゃ強くって、ほとんど本物みたいな霊体だって言っても、やっぱり違うよ。
それにこんな大サービスしてくれるのは、奥さんだけで。
普段、表に出てるあいつは……
「ハヤトがそわそわしていますよ。赤毛の料理人さんが気になっています」
おっと。噂をすればさっそく。
「だろうなぁ。ほんとうまいんですよぉ、あの赤毛の奴の料理。今朝のニンジンフレンチトーストなんて――」
「ハヤトは、俺の方がニンジン料理をもっとうまく作れると、わめいてますよ」
「え」
ハヤトは……奥さんの中にいるもうひとつの人格だ。
女神のような奥さんとは月とすっぽん。あいつの方は、すんごく嫉妬深くてやばい。
そわそわしてるのは、料理人の料理を食べたいからじゃないって?
そ、それはやべえ。
「お、おおお奥さんのニンジンドーナツは最高ですよ? それは大陸で……いや、宇宙で一番ですよ? でもほら、この塔の赤毛の妖精たちが食べる分は、妖精たちが当番で作ってるじゃん? その仕事をさ、専属料理人に一任しようと思って。ジャルデ陛下があいつ使ってって、押し付けてきたからさぁ。も、もちろん俺は奥さんが帰ったら、奥さんが作ったごはんだけ食いますよ。ええ絶対、そうしますよっ」
冷や汗だらだら耳へたり気味で訴えたら、奥さんはにっこり。
ちょっと小首をかしげて微笑んでくれた。
「あら、私はね、料理人さんのごはんを食べてみたいって思ってますよ。おいしそうですものねえ。ピピさんのおさんどんも、時々頼もうかしら。帰塔が楽しみです」
ああああもうっ。奥さんてば、ほんと女神だ。
両手組んでうるうる眼で見上げてしまうぞ、俺。最高っ。
でも奥さんの中にいるもうひとつの人格、ハヤトは納得しないだろう。
今の言葉、ハヤトにもしっかり聞こえてるだろうから、嫉妬を鎮めてくれるといいんだけど。
ああ……いつもこのきれいな奥さんが、表に出てくれてるといいのになぁ……。
奥さんが白魚のような手で、かちゃりと特製カンテラの扉を開ける。
明かりが灯っていないそこは、まっくらなまま。
「今、神殿の外に出たところです。こちらはきれいな星空ですよ」
「こっちもだよ、奥さん。雲ひとつなくて、すんごいきれいだよ」
満点の星がいまにも落っこちてきそう。
いや、ほんとに落ちてくる。
今宵は、そんな日だ。
「今から落ちてくる星をつかまえて、塔に持って帰りますね」
「精霊と契約するんだろ?」
「はい。使役できる精霊はひとつでも多い方が。手勢を増やしておくに越したことはありませんから」
奥さんは俺より腕がいい灰色の導師だった。
今手にしている特殊なカンテラもお手製だ。物質ではない精霊を閉じ込めておける特殊構造の瓶である。ほんと、何でも作れるんだよなぁ。
でも生まれ変わって黒の技をマスターしてから、奥さんはあんまり物を作らなくなった。
魔力を行使したら、なんでもできちゃうからだろうか。
韻律の技を使えば、わざわざ飛行機を作らなくても空を飛べちゃうもんね。
奥さんは、最近は精霊行使を専門としている。ひまさえあればいろんな精霊を集めている。その本体は惑星級のものから、水たまりレベルまでさまざま。
俺たちの敵はまたいつなんどき、この世界に出ようとしてくるかわからない。
今は力で抑え込むしかないのが現状だ。
だから奥さんは抜かりなく、常に自分の力を高めようとしているようだ。
神に匹敵する敵を、すみやかに撃退するために。
来たれよ 空のかなたから
きらめく彗星 天の光
奥さんが麗しい声で歌いだす。
俺も一緒に歌った。
はるか遠くの地にいる奥さんが、ちゃんと聴こえてますよ、といいたげに微笑んでくる。
この手の中にて まどろみを
おどる星々に安らぎを……
俺たちが歌い終わると。
奥さんがかかげた空のカンテラに、ふおんと輝くものが飛び込んできた。
今落ちてきた星だと、奥さんがはしゃぐ。
「とてもきれいですよ。見えますか?」
うん。見えるよ奥さん。
緑色の蝶々みたいなのが、カンテラから光を放つ。
あたりがふわっと、やわらかい光に包まれる。
奥さんが精霊の光に照らされて、本物の女神様のように見える。
きれいだなぁ……。
ああ、顔の頬肉が垂れる。目じりがさがりっぱなしだよ俺。
奥さんはさっそく、うるわしの声で契約の詠唱を始めた。
星の精霊はこれから、奥さんを守護する力のひとつとなる――
「ふええ。落ちまくってる」
空を見上げれば。
まだまだ、星が流れ続けていた。
たくさん。たくさん。まるで、雨が降り注ぐように。
「この落ち方は少々気になりますね」
契約を終えて同じく空を見上げた奥さんが、ぽつりとつぶやいた。
「何か大きなことが起こる予兆のような。まがまがしいことでなければよいのですが……」
魔力ある奥さんは何か感じ取ったらしい。
でもまだ、凶事とは断定できないようだ。
まあ、警戒はしておこう。何が起こってもいいように。
俺たち遠距離夫婦はそれからしばらく、無言で美しい星の雨を眺めていた。
俺が奥さんの腕の中に納まって。奥さんは俺の頭を優しく撫でながら。
俺が星を見ながら願っていたこと同じことを、奥さんも願っていたと思う。
どうか世界が。おだやかであるように――。
「ぴ、ピピ様!」
というわけで、予想通りそれから三日後。
俺の書斎に、血相変えた赤毛の料理人が飛び込んできた。
「変なおじさんが厨房にいるんですけど!!」
ついに、帰ってきたらしい。
「なんだかニンジンを、ぐっつぐつ煮込んでるんですよ! めっさおそろしい匂いがするんですけど、止めていいですか?!」
やべえ。いきなりニンジン粥作ってんのかよ。
「止めないでやって……」
ああ。耳が垂れる。こわくて垂れる。床にはいつくばって、イモムシになりたい気分。
「だいじょーぶ。そいつ、作ったニンジン料理は絶対俺にしか食わせないから。そいつが厨房から出てったら、いつもの仕事たのむわ」
「は、はい。分かりました。ということは、ピピ様の分は、お作りしなくていいんですね。なんだかギロッとにらまれちゃって、俺、すごくこわいんですけど。もしかして前任の料理人かなんか……」
「あー。ちがうちがう。俺の師匠だから。ほっといてやって」
「はいい?!」
眼を剥く料理人に、俺はしっしっともふもふの手で追い払うしぐさをした。
これから当分、おなかが痛くなりそうだ。
いや、おいしいのよ?
おいしいですとも。
味はまともだよ。
でもね。
「ただいまぺぺー!!」
ひっ。
来やがったわ。
「早く逃げろ料理人。でないと韻律でふっとばされるぞ」
「は、はいっ? そ、それでは失礼します」
「あとでこそーり、消化促進パイナップルジュース届けてよ」
「は、はいっ」
戸口の向こうに消えた料理人と入れかわりに入ってきたのは、黒い衣を着たむさいおじさん。
その腕には。
「ちょ……おま、どんだけ……」
ずももももと。天を突く霊峰ビングロンムシュー級のにんじん粥の山。
「特性ニンジンがゆううううう! ぺぺはこれ食べないとダメだよなぁー。んもう、新しい料理人、全っ然わかってないよなー? おまえのこと、ピピとか呼ぶし。おまえはぺぺだよなぁ。な、ぺぺ!」
むさいおじさんは、俺の目の前にお粥の山をずごんと置いた。にっこにこと満面の笑みで。
俺は引きつりながら、スプーンでお粥の山のふもとをすくって口に入れた。
いや、おいしいのよ?
おいしいですとも。
でも、こりゃまたすごい量だよ。いつもの三倍ぐらいないか?
これ。全部、食べられるだろーか……食べないとびいびい泣くしなぁ。まったくもう。
しかたなく食べ始める俺を、黒い衣のおじさんはにっこにっこしながら見ている。
しゃがんで頬杖ついて、とっても幸せそうに。
おじさんの腰には、カンテラがかかっている。その中で、ぴかぴか綺麗なものが光っていた。
淡く緑に光る、蝶のようなものが。
それはとてもきれいで清涼な光で。
俺の書斎を、すみずみまで照らしていた。
ふうわり。やわらかく。
――きらきら精霊燈・了――