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自作小説倶楽部 第13冊/2016年下半期(第73-78集)  作者: 自作小説倶楽部
オープニング
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00 奄美剣星 著  オープニング 『小田急BOY』

挿絵(By みてみん)

挿図/Ⓒ 奄美剣星「ベランダの恋太郎」



 梅雨明け宣言の日曜日にデートの約束があった。

 三階にある部屋から階段を降りてゆき一階にでたところにあるのが、コンクリートにプラスチック系の樹脂を塗ったくった玄関だ。僕の寮生番号が書かれた下駄箱からスニーカーを引っ張りだす。階段下の廊下には赤電話が設置されている。昨日、ここから僕は彼女に電話をかけてOKをとった。

 下駄箱のむかいには寮長室があり、ジッチャン寮長が飼っている虎猫がそこからでてきて、御影石の縁に腰かけて靴紐を結わえている僕の背中に身体をなすりつけてきた。寮長は小柄で日に焼けている。ぶっきらぼうだが優しさと頑固とを兼ね備えたいかにも従軍経験者という感じの人だ。「おっ、デートかい?」なんて野暮はいわずに、「気を付けて行ってこいよ」とだけいって送りだしてくれたものだ。

 丘の上にある学生寮から坂道をくだって、二階建てになった寄棟の瀟洒な家々、崖下の公園、馴染の居酒屋の横を通ってゆく。紫陽花はだいぶ乾涸びて代わりに朝顔とか向日葵が各戸の垣根を飾っているのが目に入った。

 生田駅東口から跨線橋階段をあがったところに改札口がある。

 上り下りの二面相対式になったホームで、上り列車に乗り込んだ。当時はSuikaも自動改札機もなくて二つ三つあった改札口に立った駅員がハサミで切符にパンチ穴をあけていた。上り方面は2番線だ。入線してきた準急列車に乗ってみると、平日ならごったがえになるのに日曜日の朝の乗客が少ないのに驚く。準急だったのだけれど長椅子に座ることができ壁にもたれてみた。

 天井につるされた広告を読んでみると、小田急のイメージ・ガール、各種専門学校、ノン・バンクの宣伝が書かれていた。クーラーでひらひらゆらめいているチラシの女の子よりも、はっきりいって、僕の彼女のほうが何倍か可愛いかった。

 路線は多摩丘陵の谷底を抜けてゆくので、しばらくは、尾根の両側の緑に、家がキノコみたいに生えているようにみえ、鬱蒼とした感じがする。その準急列車が登戸駅を抜けるころになると、すっかりと開けていかにも関東平野らしい風景だ。多摩川にかかる橋梁から河川敷でカップルがボートに乗っているのが車窓越しにみえた。そこで、下り箱根にむかう赤いロマンスカーとすれ違って、風圧のためこっちの車体がガタガタ鳴った。

 僕は小田急線新宿駅のひとつ手前にある下北沢駅で降りた。このあたりになると町場という感じで畑がなくなる。下北沢駅は小田急線と京王線井之頭線が接続した駅だ。当時の小田急線下北沢駅は地上二面二線あって、跨線橋をつかって外にでるようになっていた。

 パール・ホワイトの地に青い横線が入った列車を降りた僕が改札口からでると彼女が待っていた。時計をみると待ち合わせ時間の四十分も前じゃないか。さらに数十分前からそこにいたことになる。

「待つのは男の仕事だよ」

「じゃあ、私、四十分だけ男の子になるね」麦藁帽子の彼女が笑窪をつくる。

 改札口をでた僕たちは手をつないで商店街にむかった。セピア系にペイントしたフレームでゲートをつくって、「下北沢名店街」と書いてあるそこをくぐる。小さな劇場がいくつかあって僕は彼女とよくいったものだ。

 僕はTシャツ、ジーンズ、スニーカー、コンビニで買った安物のサングラス。彼女は麦わら帽子に水色のワンピース、それにサンダルといった格好だった。

 アスファルトが焼けて陽炎が立ちのぼる路地は、実質的な歩行者天国と化し、沿道は平屋ないしは二階建ての個人商店が軒を連ねていた。瓦屋根にふきつけの壁、そこに洋風の出窓を無理やり貼り付けている。

 ウィンドー・ショッピングの何が楽しいのか彼女はなかなか前に進まない。

 夏休み前の休日だった。

 パントマイムとかマジックとかのショータイムがついた劇のチケットを購入していた。座席は百もないような小さなホールだ。

 公演がはじまる前は芝生の庭にパラソルがついたテーブルを置いたカフェに入って時間を潰した。カウンターにいる縞柄エプロンのマスターがシャーベット・マシーンのハンドルを回していた。透明な氷は煉瓦くらいの大きさがあった。――その所作を二人してぼんやりと眺めていた。

 スプリンクラーが水をまきながらくるくる回っていた。

「ねえ、サングラスを外してみて」

 外すというよりは下にずらして双眸をみせただけなのだが、彼女は急に吹きだした。

「まつ毛が長いのね、女の子みたい」

 僕は怒ったときの彼女の仕草を真似て両の頬っぺたをプッと膨らませてみせた。

 遠くで蝉が鳴いているのがきこえた。こんな街中でも蝉はいるものなのかと妙なツボに感心する。

 マスターは四十くらいだろうか、黒縁眼鏡をかけていた。葡萄柄のガラスにふんわりと霜を落とし、ブルー・ハワイのシロップをかける

 やがて。

 マスターがトレイにシャーベット・グラスをのっけて、ブロンズのテーブルにそれを置いた。

 僕たちはすぐには食べず器に両手をそえる。我慢大会というわけではないが、器のひんやりとした感触を楽しんでいたのだ。それから、冷たくなった指と指を重ねあわせた。

「冷たい人!」細い弓形をした眉の彼女が双眸を大きく見開いていった。

「悪かったよ」

 風が吹いて葉桜の木漏れ日がゆれ、ガラス風鈴が鳴った。

 列車が駅の高架を往来し、恋人たちが楽しげに語らいながら歩いてゆく声がしていた。

 あのころの記憶といえば、ばかばかしいことばかりなのだが、夏になると妙に思いだす一コマだ。

     了

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