弐 未練と決意
怒涛の初仕事翌日からやっと通常業務が始まり、その日は花の名前を記憶しながら春乃の仕事を見ていたせいか、特に説明を受けることもなく仕事をこなすことができた。もしかして、昨日のアレはこういう考えもあったのだろうか、なんて思うが真実は春乃のみが知る、というところか。
まあ、なにはともあれやっと始められた仕事に俺は少し安心したことを今でも覚えてる……と言ってもつい数日前の話だが。そんな俺もやっとここのバイトに慣れつつあった。
「北サンってフリーターなんですよね?」
「突然すぎやしないかその質問」
客足がまばらになってきた時間帯。ふと思いついたように春乃がそんな質問をしてきた。俺は思わずバッと春乃の方を見るやいなや怪訝そうな顔をしてしまった。
「巧から聞いたの気になってて……嫌ですか、この質問」
「別に嫌ではないけど……なんか、オブラートに包んで欲しいんだよ」
別に俺は好きでフリーターやってるわけじゃない。色々とあってその結果フリーターにならざるを得なかっただけであり、断じて働きたくなかったとかそういうのではないのだ。でも、あまりに直球で言われるとやはり色々と自分で考えてしまう所がある。悪い癖だとは思うが直せてたら苦労していない。
まあ、春乃も悪気があったわけではないだろうしそんなに怒るつもりはないが。
「ところで、そんなフリーターの北サンには夢とかあるんですか?」
「おい、オブラート」
やっぱり悪気があるのかもしれない。
「すいません。でも気になるんです。夢があるかないかでやっぱりフリーターでも変わってくるかなって思って」
「その言葉がグサグサと俺の胸に刺さっていることに気づけ春乃」
「あはは、知りませんねえ」
相も変らない笑顔を俺に向けそう言い放つ春乃。ああ、やっぱりこいつはドSなんだ。そんな初仕事のあの無茶ぶりからしみじみ感じてきたことを思いながらも俺は春乃に反論するのは諦めた。
「……で、夢だっけ」
「はい。なりたい職業とか」
「……美容師、だな」
「へえ。勉強とかしてるんですか?」
「まあ、一応は……今はダチに講師頼んでる。確かお前も知ってるよ。東っていうんだけど」
「東……ああ、薫のことですね」
「そうそう」
東 薫……俺の友人であり美容師試験勉強の講師である。そして南の高校時代の同級生。ということは、同じく南と高校時代の先輩後輩である春乃も知り合いということになる。頭の回転が人並み以下な俺だってこれくらいはわかる。
現に今、春乃は東のことを知っていた。だがなぜだろう…東の名前を聞いた時、春乃の表情に少しの陰りが見えた気がする。
(気のせい、かな……?)
そんなことを考え小首を傾げていると春乃が声をかける
「あ、でもそれなら美容師志望の北サンに一つお願いがあるんですけどいいですか?」
「ん、なんだ?」
「俺の髪を切って貰いたいんです」
「春乃の、髪?」
「はい」
さらりと綺麗に一つ縛りされている長い髪。それを美容師見習い、にも満たないど素人な俺に切って欲しいと言う。
「いいのか?」
「はい、なかなか切れなくて困ってたんです。北サンもいい練習台になりません?」
「そうだけど……ん、わかった。やってみるよ」
「ありがとうございます。……あ、あともう一つ」
「ん?」
「一ミスごとにお給料減らさせて貰いますので」
「鬼かよ」
全く容赦のない言葉に怒りを通り越して呆れてしまいそうな勢いだ。だが、言ってしまったからにはやるしかない。俺は仕事終わりに春乃の髪を切るという約束をした。
そして、あっという間に仕事終わり。
「じゃあ、お願いします」
「おう」
密かにいつもカバンに仕込んでいたシザーセットがここで役に立つとは思ってもみなかった。とりあえず、失敗だけはしないようにと何度も呪文のように唱えながら春乃に花屋なのになぜかあるカットクロスをかけた。
すると、営業時間は終わったのに花屋に誰かが入ってきた。
「どうもッス!まだOKッスか?」
「残念だがもう無理だ」
入ってきたのはボーダーの服にサロペットを着た女性、というより少女という言葉が似合いそうな人。急いできたのだろうか、息を切らしている。
所謂、常連さんと言うやつなのだろうか。そう思ったのは、いつもきちんとした言葉遣いの春乃の敬語が抜けているということだ。
「え、っと……春乃、この人は」
「ああ、そういえば北サンは初対面ですね。彼女は冬野 小雪。近所の喫茶店のアルバイトでうちの常連さん」
「新入りさんッスか?どうもッス、冬野 小雪ッス!以後よろしくッス」
「え、あ…ここでバイトしてる北 匠です。よろしくお願いします」
突然、しかもトントン拍子に進んでいく話についていけずなんとも情けないたどたどしい挨拶をした。
ふと、その冬野さんの顔を見ると春乃とはまた違うまるで太陽のような元気な笑顔を浮かべていた。なんだろう。自然と心が和む。
「にしても、お二人さんは何をしてるんスか?」
カットクロスを巻いた春乃とシザーセットを持っている俺を交互に見て首を傾げる冬野さん。その目はキラキラと輝いているように見える……ただの散髪なんだが。
「ああ、今から春乃の……」
「言わなくてもいいッスよ!冬野が当てて見せるッス!」
考え込む冬野さんに思わず春乃の方を見ると小声で放っておけと言われたのでとりあえず見守っておく。答えも気になるし。
「あ!わかったッス!!お二人で工作でもするんスね!ズルいッス!冬野もやりたいッスよー!」
あ、ダメだ。この子頭が弱い子だ。
「改めて教えます。この子が冬野、うちの頭の弱い常連さんです」
「うん。今のでよくわかった」
「頭の弱い!?さっきの名推理を聞いてよくそんなこと言えるッスね!!」
「いや、名推理ってか迷推理だろ」
「迷推理…!」
春乃の言葉に思わず吹き出してしまう。この二人の会話まるで漫才師みたいで聞いてて飽きない。そんなことを笑いながら思ってると春乃の声。
「笑ってる所悪いんですが北サン。始めてもらっていいですかね?」
「あ、おう。ごめんな」
「工作ッスか?」
「ちげぇよ。散髪、髪切ってもらうの」
まるで子供に教えるように、言葉遣いは乱暴だが優しい話し方で言う春乃。この二人は漫才師っていうより親子なのかもしれない。
「髪切るんスね!あれ、でもハルってなんか願掛けしてるんじゃ……」
「へ」
冬野と言うハルってのは春乃のことだろう。そんなことはどうでもいい、それより願掛けとはなんだ。詳しくはわからないが、俺はとんでもないことを任されてるのかもしれないと少し焦る。
「それはいいんだよもう。北サンもそんな変な顔してないで切ってください」
「変な顔って……でも、本当にいいのかよ」
「いいですよ。未練はないので」
「なら……」
願掛けとか未練とかその言葉に引っかかりを覚えながら、なんとなく緊張のほぐれた手で、春乃の髪を切り始めた。ギャラリーという名の冬野にまじまじと見つめられながら。
「うし、こんなもんかな……」
春乃の肩甲骨あたりまであった長い髪はさっぱりと肩よりも短くなった。髪を切ってて思ったが、こいつの髪は女子顔負けなくらいサラサラだ。なんだか男だが少し憎らしい。
「北さんすっごいッス!まるでプロの手さばきだったッスよ!!今度冬野の髪も切ってほしいッス!」
「プロは言い過ぎたろ……まあ、冬野がいいなら切ってやるけども」
「わーい!やったッス!!」
本当に嬉しそうにはしゃぐ所はまるで子供だ。普通ならお世辞だろって反応してしまうがなぜだろう、冬野が言うと嘘とは思えない。あまりにも無邪気だから、だろうか。
喜ぶ冬野を尻目に鏡を見て出来栄えを確認している春乃に声を掛ける。
「春乃サン。こんな感じでどうでしょう?」
「……ふむ、美容師ど素人にしては上出来なんじゃないですかね?」
「素直にいいって言えよなそこは」
睨みつけながら言うと心底楽しそうにクスクス笑った。自分のが年上なはずなのにここまでおちょくられるのもどうかと少ししょぼくれるが、まあ頭の出来の違いとか、そういうもんだと思っておく。
「スッキリしました。ありがとうございます……美容師の素質、あると思いますよ?」
「……自惚れていいってことか?」
「それは北サン次第じゃないですかね?」
短くなった髪を揺らし、いたずらっぽく微笑む春乃。長い髪もよかったけど、短髪もなかなか似合ってるな、なんて自画自賛も混ぜつつ思った。
そういえば、彼の願掛けと未練はなんだったのだろうか。その時、春乃の表情に陰りを見せたあの人物の名前が頭をよぎった。
本人に聞いたところで言葉を濁される予感しかしなかった。ので、俺は一番それに詳しそうな人に聞くことにした。
「へ?東と春乃の関係?」
「うん。ちょっと気になって……南なら知ってるかなってさ」
バイトから帰ってきて南の作ってくれた晩御飯のパスタを啜りながら話す。南は東と春乃と同じ高校出身だ。そして何より南は人間観察が得意で勘がいい。こういった話を聞くのには最適な相手だと言える。
「んー、これを言ってもいいのか……まあいいや。あのね、春乃は高校の頃から東のことが好きだったの」
「へー、春乃が東をねえ……ってマジ!?」
「うん、マジ」
にっこり微笑みながら言う南はとても嘘をついている様には思えなかった。このタイミングでそんな変な嘘を彼がつくわけないとも思った。実際つく彼の嘘を見抜いたことは俺にはないが。
「でも、東には恋人いるからね……今でも好きだって春乃からは前聞いたけど」
「ふーん……」
再びパスタを啜り、もぐもぐと咀嚼しながら考える。
南はまだ好きらしい、と言っているが、東の名前を聞いた時の表情、今日彼が髪を切るようにと頼んだこと、そして冬野の言っていた願掛け……その三つでバカな俺でもなんとなくわかってしまった。
(諦めた……のかな)
俺の推測であって、願掛けというのは別のことで、東とのことは全く関係ないのかもしれない……でも、そう思わざるを得なかった。
「でも、なんで気になったの?」
「え、あ……その、なんとなく?」
「ふーん」
適当に誤魔化したが多分南には嘘だと見抜かれてる。さっきも言ったが、南は人間観察が得意で勘がいいのだ。だが、その会話は終わったようで、お互いに黙々と晩御飯を食べる。その間、髪を切る前と切ったあとの春乃の顔が俺の頭の中を巡った。
そしてその翌朝。もう慣れてきた花の仕入れをしていたら冬野が超特急で店にやってきた。昨日の様に息を切らしているが、顔は真っ青だ。一体どうしたんだろうか。
「どうしたんだよ冬野……なんかあったのか?」
「ハァ……ハァ……冬野、大変なことを聞いてしまったんス!!」
「大変な、こと?」
冬野の言葉に俺と春乃は顔を見合わせた。




