一
広瀬充という男は、まだ幼い頃に戦争で父と兄を亡くしその後母も過労で亡くしていた。
早くに家族を失ったことからか荒れた生活で喧嘩っ早い性格であった。その後、彼は父の知り合いであった野々村財閥の先代当主でもある野々村幻之介に拾われることになるのだが、それまでは日々を食いつなぐにも苦労する生活だったようだ。
もとより芸術家の肌があった広瀬は、幻之介の計らいによって野々村家の庭師として働くこととなったのだが、なにぶんその性格ゆえ他の使用人達とのいざこざが絶えなかったという。
昨晩の事件の様子からして、広瀬の死因は自殺。親兄弟を亡くしたところに不慣れな仕事、それに加えて使用人達とのうまくいかない人間関係に心身ともに疲弊していたのが動機と考えられる。
「 野々村殿のところの庭師か、何度か見かけたことはあるが素性までは知らなかったな」
ふむ、と八神はベンチに深く背を凭れ足を組んだ。飲みかけの麦茶のグラスの氷がガランと音を鳴らした。
「まて、お前野々村財閥とも関わりが?」
「なに、野々村のじいさんは私のじいさんと古い友人でな。野々村の屋敷には小さい頃によく足を運んだもんだ。和風のなかなか良い日本家屋だぞ。確か俺たちと同じ年の孫娘がいたな。よく遊んだ記憶がある」
「その通り。野々村薫、お前は薫嬢にも面識があるのか。とんだ情報網の広さだな」
「ふん、羨ましがるな羨ましがるな。ところでなぜ広瀬が自殺だということがわかった?さっきの動機だけじゃあちょいと薄っぺら過ぎやしないか?」
「ああ、広瀬の部屋を捜索している時に彼の日記を発見してな。ご丁寧にダイヤルに南京錠の二重鍵がかけてある、捜査の内容であるから中身までは言えんがそこに書かれたまあ闇の深いこと。それが一番の物的証拠だな」
「なんだ中身を言わなくては意味がないではないか」
唇を突き出して大層つまらなそうな顔をされる。そんなことを言われても、捜査内容は第三者には話すことはできないのだ。
そう言って麦茶の最後の一口を喉の奥に流し込んだ。
「どうだ、随分楽になったか」
と八神が聞くのでコクリとひとつだけ頷いてやった。
「礼はここまでの事件の話でいいだろう」
「なんだと、随分安いのだな。お前を救った命の恩人だというのに!」
ガタンと椅子から立ち上がってまた芝居がかった動きで両手を大きく広げる。
「安くはないだろう、下手したら情報漏洩をした罪を問われるかもしれんのだぞ」
「何を言うか、いつも共に事件を解決しているのに上も不問であろうが。なんだったら俺が金で買収してやるぞ」
ニヤニヤしながらそう言い切る八神を俺はもう何回も見ている。本当に、こいつが富豪であるのが勿体ない。
「巫山戯るな。国家に忠誠を誓った警察が金で買収されるか莫迦者め」
そう言って俺はさっさと屋敷を出ることにした。
「一」
帰り際に八神がベンチに座ったまま俺の名前を呼んだ。どうやら門までは見送るつもりはないようだ。
「協力して欲しかったら、いつでも言うといいぞ。ただ、その時は今日みたいな生半可なところではなく全てを語ってもらうがな」
「莫迦ぬかせ、お前に頼ることはもう金輪際ないよ。そろそろ縁談にでも力を入れたらどうだ」
「なに〜、縁談などするか!そういうことを軽々しく言うからお前には縁談がこないんだ、縁談が」
「人のことを棚にあげるんじゃあない。縁談が来ないのは君も同じではないか」
「失敬な。私は来ないんじゃない、来ているが断っているのだ」
実際どうなのかはわからんが、貴様に来る縁談は確実に財産目当てだろうというのは心の中にしまっておくことにする。
門の方へ歩くと刑部さんがついてくるのでどうやらこの人は見送ってくれるらしい。
「神林様、またのご機会をお待ちしております」
ニヤっと笑って一礼をする。
「刑部さん、あんたまでそんなことを…」
「フフフ、私は八神様に仕える身ですので。主人の願いとあらば。」
「…なに考えてるかわかんないですけど、あなたも随分八神に似てきましたね」
「おや、そうでしょうか」
彼は手袋をはめた手を口の前に持ってきて、もう一度ニヤリと笑った。
全く八神という人間はどれだけ他人の人生に関与すれば気がすむのだろうかと思いながら、八神邸の大きな門を後にした。