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9 浮き沈みの年末年始

 そして元旦。梶ヶ谷の赤野宅――。


 かれんは一人っ子なので、和室のテーブルにおせちのお重を挟んで、両親が座り、そして、かれんの隣には……柊がいた。


 実は柊に告白されたあとのエッチは大いに盛り上がった。そんな彼への愛情いっぱい状態のかれんが梶ヶ谷に向かう車中で、柊の身の上話を聞いてしまったのだ。

 柊は母親と死別していて、父親は父親で再婚しているというではないか。

 かれんは思わず『よかったら、元旦、うちでおせち、食べようよ!』と誘ってしまったのだった。

 


 そして今に至る。

 かれんは、ちらっと横目で柊を見やった。珍しく無個性な紺のスーツに紺のネクタイだ。つまり柊は今日、遊びに来たのではないようだ。そもそも、元旦に男を連れてきて『友人でーす♪』ってわけにはいかない。


 母親が満面の笑みで、柊のさかずきにお屠蘇を注ぐと、柊はじっと母親の顔を見つめ遠慮がちな微笑みを浮かべた。

「僕、五年前に母を亡くしているんです。厚かましいお願いですが、お母さんとお呼びしてもいいでしょうか」


――くわー! さすが、女の扱いがうまいと販売担当に言わしめた男! やるな。


「あら、そんなにお若いときに……それはショックでしたでしょうね。私でよければ、母親だと思って甘えて下さいね」

 父親まで「そうそう。お母さんのおせちは美味しいからね」と、おせちのお重を広げ始めた。

 

「わ~! こんなおせち、毎年食べられたら幸せですね」


 柊は嬉しそうにおせちを覗き込んだ。これが演技だとしたら、すごいと思う。

 母親は「ぜひ食べに来て」と上目遣いで微笑んでいる。これではもう毎年食べに来ることが確定したも同然だ。母親だけでなく父親も上機嫌だった。なんたって、男っ気のなかった一人娘が、数え年二九で逆転ホームランを打とうとしているのだから。


 柊は急に真面目な顔になって少し後ずさり、軽く礼をするように背を前傾した。


――ぎゃー! つ、遂にこの時が……!


「私は三二歳で、大文社という出版社で販売課長をしています。かれんさんとおつきあいしていまして、いずれ結婚のご許可をいただければと思っています」

 

 母親は自分がプロポーズされたように喜色満面で「もう今、許可しちゃうわよね、お父さん!」と父親の腕をバシバシ叩いている。

 父親も「こんな娘でよかったら、どうぞ」とにこにこ顔だ。

 二人に売れ残り感を露わにされたことに、かれんは苛立ちを覚えていた。一見、和気あいあいと四人でおせちを囲んだのだが、かれんは一人、疲労困憊のていだ。


 食後、母親に、お茶と饅頭がのった木製の盆を持たされ、二階のかれんの部屋に柊と一緒に上がった。ここからがまた試練だ。柊宅はデザイナーズマンションで、部屋の中もシンプルでかっこいいのだが、かれんの家は個性のない建売住宅だった。


「かれんの部屋、センスいいじゃん」


 入るなり、柊にそう言われて、かれんはホッと胸を撫で下ろした。五日間かけて死ぬ気で片付けたのだ。四十リットルのごみ袋八つ分捨てて、カーテンやベッドカバーは買い換えた。だが片付けたおかげで、いいものが出てきた。


「見て。大学生のとき買った『sunny』。この号の映画特集がすごく好きでずっと取ってたんだ」

 柊はものすごく嬉しそうに驚いた。

「これ、初めて任された特集なんだ」

「えっ、そうなの?」

 かれんは特集を広げてまじまじと見てしまう。

「うん。ほらまた、かれん、僕の予想を超えることしてくれた」

 それはかれんの台詞せりふだ。まさかお気に入りの特集が彼氏の編集だったなんて、想像を遥かに超えている。


「この記事を読んで観たくなって観た映画、結構あるよ。特に『ライフ・イズ・ビューティフル』がよかった」

 かれんが、その映画が載っているページを開いた。

「僕もそれ、大好きな映画のひとつだよ」

「えー! ほんとー!?」

 二人でひとしきり『ライフ・イズ・ビューティフル』の話題で盛り上がったあと、ページを繰ると『山田文子の人生を変えた映画10選!』というタイトルとともに彼女の写真が現れる。


――やっぱり山田文子って美人……でも、つきあってないって言ってたし。


 かれんは、柊の顔を見上げた。

 柊は「ふみちゃん、このころ若かったなー」と懐かしそうに目を細めた。

 そのとき、かれんはこう確信した。

――この二人、絶対ただの友だちじゃない。

 それは根拠のないカンだったが、かれんの心に強く刻まれた。


 その後、かれんは柊といっしょに初詣でに行って、彼の部屋でエッチをしてから、また自宅まで車で送ってもらった。

――元旦に姫始めなんて、今年は初っ端から飛ばしてるわー。


 だが、かれんは浮かれてなんかいられない。自室で、山田文子の小説が並んだ本棚を眺めた。実はかれんは、柊とつきあうようになってからは彼女の著作を読まないようにしていたのだ。あまり山田文子のことを考えたくなかった。

 えいっ!と、かれんは初期の小説を手に取る。『明日、君がいた日』。


――確かこの話は………。

 かれんはそのとき急に思い出した。この話に出てくる男はキスしたあと必ず、じっと彼女の顔を見つめるのだった。


 かれん軍曹、早くも戦死。


 ――こんな才能ある美人とつきあっていたのに、今、私か……。

 そうなると、柊が販売に異動になった社内事情まで気になってくる。山田文子は『sunny』で連載していた『水の男』を最後に、どこにも連載していない。

 ――もしかして、山田文子と揉めて飛ばされたとか……?

 でも、そんなこと柊に訊けるわけもない。


 こんなふうにかれんが悶々と過ごしているうちに、一月五日、仕事始めの日がやって来た。


 この日は、出版社社員がお偉いさんも含めて皆が皆、取次の挨拶回りをするのだ。正直、取次の社員は休み明けで仕事がたまりにたまっているのだが、午前中はずっと立ちっ放しで、ひたすら「おめでとうございます」「今年もよろしくお願いします」と言い続けないといけない。


 かれんにとって去年まではただの苦行だったのだが、今年は違う。

 ――来た! 大文社ご一行様! 

 大文社の販売部長、副課長とともに柊は珍しく無個性なスーツを着ていた。元旦、かれんの家で着用していたのと同じスーツだった。

――多分無個性なのはこれ一着しか持ってないな。

 販売部長が先頭で「あけましておめでとうございます」と全販の仕入部の部長に挨拶したので、かれんたちもお辞儀した。その後、自分が担当しているひとに、個別に挨拶する。


 というわけで、かれんも柊と年始の挨拶をしあった。

 柊は、かれんとつきあっているようなそぶりは全く見せず平然としていた。「来週、新年会楽しみにしてます」と、社交的な微笑を浮かべて立ち去った。

 毎年、大文社の販売部は新年会と称して、全販の仕入担当者を集めて居酒屋で奢ってくれるのだ。そこでもお互い“色に出にけり”にならないように注意しないといけない。


 ひたすら挨拶をし続ける午前中が終わり、かれんは、へとへとになって食堂に向かった。ちらし寿司定食の盆を持って、席を物色していると端っこで手を振っているひとがいる。理恵だ。

 ーーなぜ、こんな端に? 

かれんが不思議に思いながらも隣に座ると、理恵は、手にしていたお椀を置きながら涼しげな顔で言った。

「彼氏に挨拶しといたからね」

 大文社御一行が書籍仕入課のほうを回ったとき、柊が理恵の近くを通ったということだろう。

「私もしたよ」

「ただの新年の挨拶じゃないよ。私が年末、箱根に行った辻本理恵ですっていう挨拶だよ」

かれんのほうに顔を向けた理恵がニヤッと笑った。かれんは目を見開きつつも理恵の耳元に口がくっつきそうなくらい至近距離で小声で訴えた。

「ちょ、ちょっと人に聞かれたら、まじシャレにならないからやめてよ!」

「彼氏は、赤野と違って悠然と答えてたよ。『ああ、合コンされてたお店でもお会いしましたね』って。よく覚えてたよね」

 ――さすが女ったらし。一度会った女の顔は覚えているのか……。

かれんが苦々しく思っていると、理恵に「イケメンじゃ~~ん」と、肘でぐりぐり突かれた。

「も~、だから会社では、この話題は止めてよ~」

と、まあ、ここまでは、困りつつもちょっと嬉しき乙女かな、みたいな感じだったのだが、そうは問屋が卸さない。


 大文社との新年会の日がやってきた。神保町の『滝』という割烹だ。昔ながらの木造一軒家という趣で、靴を脱いで畳に上がれるので寛げる。


 雑誌以外にも書籍や文庫、コミックの担当者を含め、大文社七人、こちら六人。木目を活かした檜の一枚板の座卓が二つあり、二手に分かれて座った。かれんは成り行きで、柊と背中合わせになった。目を合せないで済む席で、正直ほっとした。


 ところが、かれんのお向かいに座っていた、少女コミック誌担当の副課長・多田の酒癖が悪く、かれんに絡む絡む。副課長は三十代半ばで、柊より年上だった。彼の目は据わっている。

「赤野さん、俺の『hanataba』は容赦なく部数削ってくるくせに、『きらきら』には甘いらしいじゃん」


かれんは、こういうことを言われたくないから、情を切って、平等に部数を切って来たのだ。だが、今回ばかりは後ろ暗いところがあり、反論すらできない。

 かれんが黙ってビールを口にしていたら、酔っ払いは更に追い打ちをかけてきた。


「あんた、柊に気があるんじゃないの」


かれんの隣に座る、『sunny』はじめ女性誌担当の藤原が見かねて口を挟んだ。

「ちょっと、今日は新年会なんだから、楽しく行きましょうよ」

 すると、多田は藤原にまで食ってかかった。

「お前だってサイボーグにまたやられたってこないだ言ってたくせに」

 すると藤原は焦ったような表情で「いや、赤野さんの仕事は正確だから、そういう意味で」と、かれんのほうを向いてフォローしてきた。


 でも、かれんは正直そんなことどうでもよかった。

 かれんと背中合わせの柊に恐らく聞かれているであろうことが悲しかった。


 ――この気持ち、初めてじゃない。

 かれんは思い出した。小学三年生で転校をしたばかりのときのことだ。いじめがあり、そのことが担任から親に伝えられたときの悲しい気持ち。いじめられたこと自体よりも知られたことのほうが嫌だった。


「正確なだけならサイボーグなんて言われないよ。無愛想だか……」

 多田がそう言いかけたところで、背中合わせだった柊がこちらに体を振り向かせ、かれんの肩を抱いた。


「僕にだけ愛想がいいんですよ。すみませんね」


 自分の肩に置かれた柊の手を見てかれんは固まってしまった。酒席が急に静かになったので、皆、注視しているに違いない。


「ほらー。やっぱり俺、当たってた。赤野さん、柊に気があるんだろー」

 酔っ払いの多田がへらへらと笑っている。


「多田さん、そうだといいんですけど、僕が一方的に求婚しまくったんです。ね、かれん」

 柊はかれんを見つめて艶然と微笑んだ。


 他の十人が一斉に「ええええー!?」と、どよめく。皆の視線を一身に受けたまま、かれんは依然固まったままだった。

 柊は「もう、ご家族にも挨拶しちゃいましたー」と言って、蟹みたいに両手で裏ピースをしている。


 かれんは思わず、上長である河合課長の前で正座してこう口走った。

「かくなる上は、大文社さんの部数は決められません。四月の人事で異動させて下さい」

 かれんも酔っていたのかもしれない。


 柊が、その横で「ええー? 僕のせいで異動は悪いですよね」とか、呑気なことを言ってるし、もうわけのわからない会になってしまったのだった。

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