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2 編集上がりの販売さん、現る

 出版社というと、編集者を思い浮かべる方が多いのではないだろうか。


 もちろん、数として編集者の割合が大きい。

 だが作るだけでは利益は上がらない。売って儲けを出さなければならない。

 その流通部門を担うのが販売部で、販売が、取次や書店を相手に取引をしている。

 出版社とはいえども所詮、サラリーマン。人事異動は編集の中だけで行われるわけではない。販売部や広告部、異動先はいろいろある。


 そして、かれんは編集部から異動してきた販売があまり好きではない。彼らは見た目ですぐわかる。挨拶しなくても、パイプ椅子に並んでいる段階で分かる。


 そして、今、そんな新顔を発見した。


 ――いる! 芋の中に洋梨が一つ。


 パイプ椅子に無個性な紺のスーツが並ぶ中、細身のおしゃれスーツのアラサーが座っていた。 薄青のカラーシャツ、ピンクの大きなドット柄の紺ネクタイを締めている。


「次、大文社さん」

 そのおしゃれスーツは、窓口の対面に立って軽くお辞儀をした。


「初めまして。大文社販売部の柊です。先々月、編集部から異動になって、まだわからないことだらけですが、よろしくお願いします」


 ――ビンゴだ。


 名刺を見ると、肩書が「課長」となっている。三十前後に見えるけれど、意外と年をとっているのかもしれない。若作りも編集上がりの特徴である。

 かれんも立ち上がり、名刺を差し出して挨拶をした。


 ――この男、背が高い。しかも犬っぽいイケメンだ。


 かれんはイケメンには二種類あると思っている。犬っぽいのと猫っぽいの。

 人懐っこそうなイケメンが犬系だ。


 顔は置いておくとして、かれんは編集上がりの販売に好感を持っていなかった。


 取次や書店員を前に、編集に戻りたいとか、編集がしたくて出版社に入ったのに、とか、そういう愚痴を平気で言う人がいたからだ。

 それだけならまだいいが、早寝早起きが無理だから編集になったのに…と、悔しそうに言った人もいた。編集という仕事はそんなに楽なのかと疑問を感じている。


「『きらきら』部決、お願いします」

 柊がテーブルの上に置いた次号の表紙画像はかわいいくまさんのイラストがばーんとあった。


 ――絵本雑誌なのに、なんでまたこいつが担当になったんだか。


「えっと、じゃあ外回りからお願いします」

「え!?  外に営業?」


 ――大文社さん、ちゃんと仕事は新入りに引き継いでから寄越してくれよ。


「雑誌の大きさとか、付録あるなしとか、そういう情報です」

 柊は、少し戸惑った顔をしたあと言い放った。


「いつもので」


 ――ここは行きつけの居酒屋かー!


 そう心の中で叫んだが、それが外に出ることはなかった。仕事モードのときは、悪感情も表に出さないのが、かれんのいいところだ。


「正確さが大事なのでそういうのは困ります」

「では、あとでメールします」

 ――二度手間だな…。

「搬入日は?」

「いつも発売の何日前ですか?」

「……二営業日前」

「じゃ、それで」

「これも社で確認お願いします」


 かれんは、こういうときも不機嫌になることなく、淡々と話している。


「じゃ、のちほど、それもメールします。で、発売中の十二月売りですが、どんな感じですか」

「前号と初動、変わらないですね」

「十一月売りの号の返本率は?」

 ――流通において、雑誌は商品。本でなくて品!

「返品は今のところ、三〇・五%。これからもっと増えても、最終的に四〇%くらいで閉まるんじゃないですかね」


 柊がメモをしながら聞いてきた。

「売上率六〇%ですか。まあまあでよすね? 部数、前号並び、可能ですか」

「そうですね。様子を見ましょう」


 かれんだって、どんな雑誌もバサバサ切っているわけではない。六〇代で安定しているなら維持したほうがいいと思う。

 そして、この男が結構イケメンだということとは全く関係ない。


 夜の七時。

 かれんは退社し、神保町の五星堂へと向かう。


 今日は、かれんの大好きな作家、山田文子の新刊『水の男』の発売日なのだ。

 ベストセラー作家だけあって、一階の新刊コーナーに四面使っての平積みだ。かれんが手に取った瞬間、今日聞いた覚えのある声が耳に入ってきた。


「あ、全販の赤野さん?」

 振り向くと大型犬、じゃなくて大文社の柊がいた。

 外では、おしゃれスーツならぬ、おしゃれコート。細身のウールのステンカラーコートだった。


「あ、大文社の……」

 ここでかれんは急に思い出した。

 山田文子の新刊は大文社刊。彼女を発掘し、育てたのは、大文社の編集『ひいさん』だったことに。


 ――『ひい』って、柊の『ひい』だったんだ!


『ひいさん』は、尻尾を振って……じゃなくて人懐っこい笑顔でこう言った。

「それ、僕の編集として最後の仕事なんです。ありがとう」


 彼と会ったことは偶然ではない。なぜなら、全販も大文社も神保町にあり、新刊の書籍を買うなら五星堂だからだ。

 そして編集者は発売日にここに来て、新刊が売れるよう念を送っていたりする。念はついでだが、初動の、本当に最初のところを知りたければ、発売日の書店店頭に行くのもありだ。


「柊さんって『ひいさん』なんですか」

 単刀直入に訊いてみた。


「あ、山田さんのエッセイも読んでくれているんですね」


 山田文子は売れっ子作家になったあとも女性誌『sunny』での連載はずっと続けていた。さすがに新聞で連載中の期間だけは、小説ではなくエッセイになっていた。

 だが、彼女は、この小説『水の男』を最後に、『sunny』で連載しなくなっていた。


「ってことは、柊さん、『sunny』の元編集長ですね?」

「よく読んでくれてますね」

「山田文子、好きなんです。全部持ってます」

「今度会うことがあったら伝えておきます」


 ――会うことがあったら?


 山田文子は『ひいさん』と付き合っているという噂があるくらい仲がいいと聞いたことがあるので、かれんは不自然に感じた。


「異動したら、もう会わないんですか」

「編集じゃないのに、担当していた作家に執着するなんて美的じゃないでしょう」


 彼らしくない皮肉な笑みを浮かべたように見えたが、すぐにいつもの犬フェイスに戻った。見間違いかもしれない。


「それより僕は今、絵本の販促が仕事ですから」

 ――担当は絵本雑誌含む絵本全般だったのか!

 児童書担当の書店員は大抵女だから、こんなイケメンが担当なら受けが良さそうだと、かれんはこの人事に納得した。


 そして柊が取り出したチラシは、かわいいクマちゃんのイラストでいっぱいで、そこには『大文社・ベアベアちゃんフェア』とあった。


「明日からここの六階児童書売り場で絵本のフェアをやるんです」

 ――主目的は、新刊に念を送るためではなかったらしい。


「ベアベアシリーズのアニメを上映していただいてまして、原画展も開催中。フェア期間中は、お客様に購入者特典もあるんです。しかも来週の日曜日には、著者の南風たいようさんが来店してワークショップをして下さるんです」

 イケメンが、クマのチラシを手にフェアの内容について熱く語っているので、かれんは、なんだか可笑しくなって笑ってしまった。


 すると、柊は意外そうに瞳をくりくりさせてかれんの顔を覗き込んできた。


「ベアベアちゃんみたいですね」

「え? すみません、不勉強で。どんな性格なんですか?」

「笑うとかわいいんです」


 かれんは、ぼっと顔を赤くしてしまった。泣く子も黙る全販のサイボーグ女を捕まえてかわいいと言う『版元さん』は彼が始めてだ。


「ベアベアちゃんのお友だちのラビラビちゃんにも似てる」

「え? それは?」

「秘密です」

 柊がにやっと笑った。

「なんですか、それ、教えて下さいよ」とかれんが言っても聞いてくれない。その日はそのまま「じゃ、またよろしくお願いします」と、社会人らしい挨拶で別れた。


 翌日、柊からメールが届いていたが、前日のことは、『昨日はお買い上げありがとうございました』と書いてあるだけで、ビジネスライクなメールだった。『きらきら』の縦横サイズ、搬入日など必要な情報を伝えるためのものだ。


 その日の会社帰り、かれんは五星堂の児童書売り場を見に行った。エスカレーターで六階まで上がると、脇の棚に『きらきら』が面陳してあった。面陳とは、棚に表紙(面)が見えるように並べることをいう。


 この雑誌の、全販が取り扱う部数は恐らく全体の三分の一だ。かれんは毎月、それだけの仕入部数を決めているのに、売っているところを見るのは初めてだった。

 かれんが顔を上げると、横長のパネルが目に入る。

そこには『大文社・ベアベアちゃんフェア』とばーんと書いてあった。その下にある大型テレビではベアベアちゃんとその仲間と思しき動物たちが踊るアニメが放映され、この階の端にあるガラス戸の中には額装された『ベアベアちゃん』の原画が並んでいた。


 ――さすがイケメン。『ベアベアちゃんみたい』とか言って、児童書担当者を落としたんだな。


 ベアベアちゃんとラビラビちゃんのキャラクターが知りたくなり、シリーズ第一作と思われる絵本をレジに持って行った。購入者特典のベアベアちゃんシールをもらい、五星堂の袋を受け取って踵を返したところで布製の壁にぶち当たる。


 柊だった。


「『ベアベアちゃん』買ってくれたんですねー」


 そう嬉しそうに言われたものの、かれんは、まんまと買いに来たのがバレて恥ずかしい。


「僕、子どもどころか結婚すらしてないから絵本担当になるまで読んだことなかったけど、これ、読んだら大人も面白いんですよ」

「私も取次に入社して、なんでも読むようになったら、ジャンルとか関係なしに面白いものってあるんだなって思うようになりました」

 すると、柊は嬉しそうに微笑んだ。すごくかわいい笑顔だった。

「え! 僕もなんですよ。書店で長話しても迷惑だから、ごはんでもいかがですか」


 ――ええええー!?


「出版流通のこと、よかったら教えてください」

 それを聞いて、かれんは合点がいった。

 ――山田文子のエッセイにもよくあった『打ち合わせ』ってやつね。


「あ、はい、私でお役に立てるなら」

 ――元編集さんの打ち合わせ、お手並み拝見。


 二人、エスカレーターで一階まで下りると、入口脇に『sunny』最新号が何十冊も平積みしてあった。

「そういえば今日発売日ですね?」

 そう言って、柊の顔をうかがった。


 ――やっぱり編集に戻りたいのだろうか。


 すると、柊はかれんのほうに、表情のない顔を向けて、質問で返してきた。

「赤野さんは、『sunny』の部決もしているんですよね?」

「ええ。そうですが?」


「この雑誌、半年以内に一気に部数落ちますよ」


 ――え? どういうこと?

 かれんが、ぽかんとしていると柊は続けた。


「この号はまだ、僕が企画した特集や記事があるけど、僕ならこんな着地点にしない。僕がいなくなったんだから、下がるよ」


 かれんはびっくりしてしまった。その話の内容もさることながら、そのとき、柊の表情が変わったからだ。犬ではなく、狼のような獰猛な目つきになっていた。今にも噛みつきそうな不愉快そうな顔だった。


 ――ヤバイヤバイヤバイ、この男はヤバイ。


 かれんの本能が告げていた。

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