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1 雑誌の部数を斬る毎日

 取次という会社をご存知だろうか。


 約三千五百の出版社と一万三千弱の書店を繋ぐ卸売業だ。今や主要な取次でさえも倒産し、四社でほとんどの書店をカバーしている。

 出版不況と言われて久しいが、その中で最も落ち込みが激しいのが雑誌。ほとんどの雑誌が六割以下しか売れない。例えば、十万部発行の雑誌なら、書店から戻ってきた四万部は断裁となる。


 全販と呼ばれる取次の、雑誌仕入部月刊誌課では今日も雑誌の仕入れ部数を決める攻防が行われていた。


 ここは一見、市役所窓口のようなところである。ただし、芋の子を洗うようにパイプ椅子に並んで座って待つのは、市民ではなく、雑誌担当の出版社社員、通称、『版元さん』だ。ほとんどが無個性なスーツを着た芋みたいな男だが、中にはたまに林檎もとい、女性も混じっている。


 ここで毎日芋の子を洗っている販売担当者のひとり、赤野かれんは今日も無愛想だ。


「次、東西社さん」


 壁際に座っていた無個性なスーツにネクタイ姿の男が、ビジネスバッグを抱えて、窓口に座るかれんと向き合って座った。


 彼は創刊したばかりの女性ファッション誌『サーティビューティ』の販売担当だ。

 テーブルの上に出されるのは、電卓、『サーティビューティ』最新号の見本誌、次号の付録見本、次号の表紙画像と内容紹介のペラ一枚。


「『サーティビューティ』部決をお願いします」


 かれんは、目の前の端末にカタカタと雑誌コードを打ち込み、その雑誌の成績を見る。まずは最新号の売上率うりあげりつだ。


「創刊三号目も初動重いですね」


 出版社はもちろん、その号の全体の成績を把握している。だが、取次によって異なるので、これは必ず訊かれることだ。


 彼は数字をメモりながら質問してきた。

「創刊号はもう閉まりました?」

 閉まるとは、書店からの返品が一通り終わって、結果が出たという意味だ。

「ええ、返品率……五二・八%ですね」


 五二・八%!


 かれんは、これと奇妙に一致する数字を昨晩、雑誌で見たことを思い出していた。

 ――これは、二八歳の未婚率だ!(前回の国勢調査)


「返品の方が少し多かったですかぁ」


 彼は残念そうに呟くが、知ったことではない。彼女にとって、それより重要なのは、この年齢はぎりぎり未婚の方が多いということだ。

 二九歳からは、未婚のほうがマイナーになる。そして彼女は今、二八歳、彼氏なし。


「次は、創刊四号目なので、大幅調整が必要ですね」

 『調整』とは部数を下げることを示す。取次が大目に見るのは創刊三号までだ。四号目からは容赦しない。


 淡々と厳しいことを告げながらも、かれんは、自分にも大幅調整が必要かもしれないと思っていた。


 実のところ、かれんは返品された雑誌以下だった。

 返品されたということは、一度市場に出てはいる。だが、婚活市場にも出ず、会社の窓口で電卓をたたくかれんは、倉庫から出庫されることなく断裁となる雑誌のようなものだ。


 ――まずは私も市場に出ないと。


 その前に仕事だ。

 かれんは電卓を弾きながら無表情で告げた。


「四千部減」


 一瞬空気が凍る。彼はバッグの付録をずずいっと前へ押しやった。

 彼らの武器は大抵が付録だ。付録によって部数が跳ね上がることがままあるからだ。逆に言うと、それ以外で跳ね上がることは滅多にない。


「創刊三号目の付録、ブランドとのコラボじゃなかったのが痛かったんですよね」


 ――先月は、その付録が今までにないすごさだって滔々と語ってましたけど…。

 そんな言葉がかれんの喉まで出るが、呑み込んだ。


 彼は、ブランドのロゴマークが入ったハンドバッグをかれんの目の前に差し出した。


「次号の付録でコラボした、このブランドは、ご存知の通り、今、アラサーOLに絶大な人気を誇っています」


 必死だ。


 というのも今の時代、部数の上がる雑誌なんて片手で数えられるぐらいしかない。ほとんどの雑誌の部数は、どんどん落ちていくだけだ。

 ましてや創刊誌が売れたなんて話、聞いたことがない。


 出版社も取次も根本的な解決策を見出せないでいる。ましてや、かれんのような一介の販売担当には、どうする術もない。滅びゆく雑誌文化を横目で見ているだけの番人だ。


 というわけで、かれんはまた、カタカタと端末を叩く。このノートパソコンを侮るなかれ。あらゆる雑誌の成績が詰まっているのだ。


「そのブランドの付録なら、半年前、『VVV』でやってますけど、この号、前後の号に比べて、売上率、凹んでますね」

「いや、あの付録はバッグでなくポーチだったでしょう?」

 彼の眉間に皺が寄るが、それを見て見ぬふりをして無表情で告げる。

「付録は置いておいて、率回復を目指しましょう。四千部減で」

 彼の顔が歪む。

 また電卓を弾く。はっきり言って、この電卓はじきはポーズにすぎない。

「本来は三万部減で、売上率六〇%以上を目指すべきところを四千部減と言っているんですよ?」


 彼は、渋々応じたが、一言加えるのを忘れない。


「じゃあ今回は部数調整ということで。次回は様子を見るためにも部数、前号並びでお願いしますよ」


 今回は応じたが、次回は勘弁しろよ、というわけだ。

 雑誌が売れていた時代は、売上率の低い取次の雑誌の仕入れ部数は、出版社によって減らされることもあったようだ。だが、昨今では専ら、部数を増やしたがる出版社V.S.部数を抑えたい取次の攻防になっている。


 ここに配属された三年前は、かれんも版元に文句を言われて、つい削る部数を減らしたり、なんてこともあったが、今はもうそんなことはしない。

 というのも、結果を見ると、必ず、売上率が落ちてしまっていたからだ。

 ここで妥協してもお互いいいことなんか、ない。

 結局、売上率が上がらないと、取次も出版社も儲からないのだ。


 午前中、芋の子を洗いまくったら、お昼だ。


 全販には食堂がある。しかも今日はかれんの好きなエビフライ定食だ。だから彼女は十二時になるや否や席を立ち、エレベーターで十階に上がる。

 

 ――美味しい。


 おばちゃんのエビフライは世界一だ。窓口では無愛想を決め込んでいるかれんの顔が緩む。


「赤野、横いい?」

 かれんの同期で書籍仕入担当、辻本理恵、通称リエちゃんだ。

 かれんはすっぴんに赤い口紅を引いただけだが、理恵は女子力が高い。

 髪の毛は毎日ちゃんときれいなカールを描いているし、服の色もかわいい色が多く、今日も胸元にフリルのついたニットワンピをかわいく着こなしている。

 ちなみにかれんは、ミディアムショートにワンピース。この髪型なら寝癖が付かないし、ワンピースは被ればすぐに着られる。

 かれんは、モグモグしながら頷く。

 理恵はかれんの横に、魚定食のトレイを置いて座った。

 ――そういえば、リコちゃんは合コンの達人だ。


「最近も合コンとかしてるの」


 口の中にエビフライが入っているので、かれんが手で口を隠しながら訊いたら、理恵は、少し溜息をついた。

「合コンで知り合ったカレとこないだ別れて、また最近、合コン再開したんだー」

 かれんが、ずっと倉庫に積まれている間に、理恵は華々しく書店店頭に平積みされて、買われて行き、しかも、また市場に出ているようだ。


「今度一度混ぜてくれない?」


 理恵がものすごくびっくりした顔になった。

「え、いいよ?」

 さすがのかれんも、その躊躇いを感じとる。

「あ、あのもちろん、ドタキャン要員でいいから……。空きが出たら誘って?」

「赤野、合コンとか興味ないかと思っていた」

 正直、かれんは合コンになんて来るような男にはあまり興味がない。それなら、どの男に興味があるんだと言われれば、それにも答えられない。

 ――一度書店店頭に……じゃなくて。

「二八歳だし、婚活市場に出てみたいと思って」


 理恵は安心したようにかれんを見た。彼氏がいなくても平気そうに見えたかれんも同じ人間だったのか、というような安心感が理恵の中に生まれていた。


「そっか、赤野でも焦るんだね。じゃ、空きができたら誘うね」

 ――そういえば版元以外の他社の男とは久しくしゃべったことがない。

 そう思うと、急に楽しみになってきて、かれんがニマニマしていると、理恵が釘を刺した。

「でも、さすがに、合コンのときは、ちゃんと化粧して来るんだよ」

「え……ファンデとマスカラすればOK?」

 理恵は呆れたように、かれんの顔を横目で見た。

「かれんの場合は……それで十分かもね」

「女子力低くてごめんね」

 かれんは照れながら微笑む。片頬をエビフライでリスのように膨らませながら。


 とはいえ、かれんは素材がよかった。

 きめの細かな白い肌と、切れ長な大きな瞳、そして長い睫を持っている。だから化粧をしなくてもなんとかなっている。


 ナチュラルメイクを一時間かけてやる理恵には少し口惜しいところだ。そんな気持ちを抑えて、合コンの先輩風を吹かせてみる。


「まあ世の中、いろんな好みの人がいるから……」

「そっか!」

 かれんの瞳が希望で輝いた。


 月刊誌担当になって三年目。眉ひとつ動かさず、部数減を告げるかれんのことをサイボーグ女と陰で呼んでいる出版社社員も少なくない。


 かれんだとて『版元さん』に好かれようとは思ってはいない。


 でも、プライベートでは、いつか、たったひとり好きなひとに、結婚したいと思われるぐらい好かれてみたいのだ。

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